『赤ずきん』(あかずきん、赤ずきんちゃん、、)は、童話の1つで、ペロー童話集やグリム童話(KHM 26)にも収録されている。ここでは、グリム童話における『赤ずきん』のあらすじを記す。作品としての赤ずきんで最も古いものは、1697年にフランスで出版されたペロー童話集の中の『赤ずきん』であるが、それ以前の話としてスウェーデンの民話『黒い森の乙女』やフランスに伝わるメルヘンなど類話が確認されている。ペローが民話から作品にする段階で変更を加えたとされる点はいくつかある。この物語は宮廷を中心とするサロンの女性たちのために書かれたものであったため、下品なシーンや残酷なシーンなどを削除し変更が加えられたのだと言われている。なお、ペロー童話では赤ずきんが狼に食べられたところでお話は終わり、猟師は登場しない。どこの民話なのかはいくつかの説があり、11世紀のベルギーの詩に由来するという説や、東アジア(中国)の伝承が起源であるという説もある。ドイツにおいて初めて赤ずきんを作品化したのは、ルートヴィヒ・ティークによる戯曲"(『小さな赤ずきんの生と死』1800年)であった。ティークはペロー童話では登場しなかった猟師を話の中に登場させ、赤ずきんを食べた狼を撃ち殺させた。だが、この話でも赤ずきんは食べられたきり、救出されない。グリム童話の『赤ずきん』は長い間、ドイツのとある農家の非識字者である老婆が語る話を聞き取り、手を加えずに原稿に起こし出版したものであると信じられていた。しかし、実は話の提供者にそんな人物は一人もいないということがの研究により判明した。赤ずきんの話の提供者は、ヘッセン選帝侯国に属する高級官僚の娘たちである。良家の子女である彼女たちは、もちろん読み書きを習得していたであろう。したがって、彼女たちがペローの童話を読んでいた可能性は充分ある。さらにグリムは、版を重ねるごとに話の内容に手を加えていった。赤ずきんとおばあさんが狼のお腹から生きたまま救出されるというエピソードを追加したのは彼ら兄弟である。赤ずきんの物語は世界中で愛され、シャルル・ギュオーやデ・ラ・メアなど様々な作家が赤ずきんのパロディ作品を世に出している。おばあさんが狼と赤ずきんを食べてしまうというヨアヒム・リンゲルナッツの『クッテル・ダッデルドゥが子どもたちに赤ずきんのお話を聞かせる』や、赤ずきんがおばあさんに化けた狼を見抜き、即座に銃で撃ち殺すというジェームズ・サーバーの『少女と狼』などが有名である。タイトルのは、の3節からなる複合語である。は英語のにあたる。はKappe(≒cap、ふちのない帽子の意)という元の語が、語合成に伴い短縮化・ウムラウト化したものである。は、小さいもの・愛らしいものといった意味の接尾辞であり、また転じて俗に日本語で「○○ちゃん」と愛称するのと同様にも使用される。つまり、は意味を取れば「赤い帽子のおちびさん」となり、節に分解したでは、「赤-帽子-ちゃん」であるといえる。英語版のタイトルは、"Little Red Riding Hood"で、これは「乗馬用コート」である。赤ずきんの絵本でよく見る前開きのコートは、乗馬のため都合が良いようにデザインされたもので、子どもにこういうコートを仕立てさせることのできる家柄が想像される。赤や狼に深層心理的なシンボルを読み取ることが出来るとか、元々は女の子がふらふら歩いていたら、悪い狼に食べられますよという教訓話であったとか、さまざまな解釈がされている。精神分析学者のエーリヒ・フロムやブルーノ・ベッテルハイム等は『赤ずきん』をはじめとしたメルヘンを読んで精神分析的解釈をし、民間伝承や民俗学に関して様々な考察をしたが、これらは間違ったものが多かった。なぜなら今日知られている『赤ずきん』の話の内容の多くはペローが創作したものであって歴史が浅いので、それを読んでも民俗学的知識が得られるはずがなかったのである。例えば『赤ずきん』に出てくるずきんの赤さをフロムは「月経の血」、ベッテルハイムは「荒々しい性的衝動」と解釈したが、ずきんを赤くしたのはペローのアイデアであった。メルヘン学者のは彼らを批判し、「精神分析学者のフロム氏は存在しない象徴を超人的な敏感さで嗅ぎとって、架空の精神世界へ我々を導こうとした」と述べた。
出典:wikipedia
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