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伊勢物語

『伊勢物語』(いせものがたり)とは、平安初期に成立した歌物語。一巻。作者不詳。『在五が物語』、『在五中将物語』、『在五中将の日記』とも呼ばれる。定家本によれば全125段からなり、ある男の元服から死にいたるまでを数行程度(長くて数十行、短くて2~3行)の仮名の文と歌で作った章段を連ねることによって描く。章段の冒頭表現にちなんで、この主人公の男を「昔男」と呼ぶことも古くから行われてきたが、歌人在原業平の和歌を多く採録し、主人公を業平の異名で呼んだりしている(第63段)ところから、主人公には業平の面影がある。ただし主人公が業平とあらわに呼ばれることはなく(各章段は「昔、男…」と始まることが多い)、王統の貴公子であった業平とは関わらないような田舎人を主人公とする話(23段いわゆる「筒井筒」など)も含まれている。中には業平没後の史実に取材した話もあるため、作品の最終的な成立もそれ以降ということになる。各話の内容は男女の恋愛を中心に、親子愛、主従愛、友情、社交生活など多岐にわたるが、主人公だけでなく、彼と関わる登場人物も匿名の「女」や「人」であることが多いため、単に業平の物語であるばかりでなく、普遍的な人間関係の諸相を描き出した物語となりえている。複数の段が続き物の話を構成している場合もあれば、1段ごとに独立した話となっている場合もある。後者の場合でも、近接する章段同士が語句を共有したり内容的に同類であったりで、ゆるやかに結合している。現存の伝本では、元服直後を描く冒頭と、死を予感した和歌を詠む末尾との間に、二条后との悲恋や、東国へ流離する「東下り(あずまくだり)」、伊勢の斎宮との交渉や惟喬親王との主従愛を描く挿話が置かれ、後半には老人となった男が登場するという、ゆるやかな一代記的構成をとっている。一代記というフレームに、愛情のまことをちりばめた小話が列をなしてる様を櫛にたとえて櫛歯式構成という学者もいる。さらに、そうした結合を相互補完的なものと見なし、章段同士を積極的につないでゆく読み方もある。作中紀氏との関わりの多い人物が多く登場する事でも知られる。在原業平は紀有常(実名で登場)の娘を妻としているし、その有常の父紀名虎の娘が惟喬親王を産んでいる。作中での彼らは古記録から考えられる以上に零落した境遇が強調されている。何らかの意図で藤原氏との政争に敗れても、優美であったという紀氏の有り様を美しく描いているとも考えられる。作者、成立共に未詳。物語の成立当時から古典教養の中心であり、各章段が一話をなし分量も手ごろで、都人に大変親しまれたと考えられている。『源氏物語』には『伊勢物語』を「古い」とする記述が見られ注目されるが、一体『伊勢物語』の何がどの位古いといったのかは説が分かれており、なお決着を見ていない。作者については古くから多く意見があった。藤原清輔の歌学書『袋草子』や『古今集注』の著者顕昭さらに藤原定家の流布本奥書に作者は業平であろうと記述があり、さらに朱雀院の蔵書塗籠本にも同様の記述があったとする。また「伊勢」という題名から作者は延喜歌壇の紅一点の伊勢であるとの説もあり、二条家の所蔵流布本の奥書に伊勢の補筆という記述がある。このように『伊勢物語』の作者論は、作品そのものの成立論と不即不離の関係にあり、『古今和歌集』と『後撰和歌集』の成立時期の前・間・後のいずれの時期で成立したかについても説が分かれていた。しかし近年では、『伊勢物語』と実在した業平とのあいだには一線を画す必要があると考えられている。現在行われている成立論のひとつとして、片桐洋一の唱えた「段階的成長」説がある。元来業平の歌集や家に伝わっていた話が、後人の補足などによって段階的に現在の125段に成長していったという仮説である。ただし増補があったとするには、現行の125段本以外の本がほぼ確認できないという弱みがあり、段階的な成長を説くことに対する批判もある。また、最終的に秩序だって整理されたとするならば、その整理者をいわゆる作者とすべきではないか、という指摘も見られる。近代以前の作品の有り方は、和歌にせよ散文にせよそれ以前の作品を踏まえるのが前提であると考えられ、現代的な著作物の観念から見た作者とは分けて考える必要がある。そのような場合も含めて、個人の作者として近年名前が挙げられる事が多いのは紀貫之らである。しかし作者論は現在も流動的な状況にある。書名の文献上の初見は『源氏物語』(絵合の巻)。古来諸説あるが、現在は、第69段の伊勢国を舞台としたエピソード(在原業平と想定される男が、伊勢斎宮と密通してしまう話)に由来するという説が最も有力視されている。その場合、この章段がこの作品の白眉であるからとする理解と、本来はこの章段が冒頭にあったからとする理解とがある。前者は、二条后や東下りなど他の有名章段ではなくこの章段が選ばれた必然性がいまひとつ説明できないし、後者は、そのような形態の本はむしろ書名に合わせるために後世の人間によって再編されたものではないかとの批判もあることから、最終的な決着はついていない。また、業平による伊勢斎宮との密通が、当時の貴族社会へ非常に重大な衝撃を与え(当時、伊勢斎宮と性関係を結ぶこと自体が完全な禁忌であった)、この事件の暗示として「伊勢物語」の名称が採られたとする説も提出されているが、虚構の物語を史実に還元するものであるとして強く批判されている。さらに、作者が女流歌人の伊勢にちなんだとする説、「妹背(いもせ)物語」の意味だとする説もある。また、源氏物語(総角の巻)には、『在五が物語』(在五は、在原氏の第五子である業平を指す)という書名が見られ、『伊勢物語』の(ややくだけた)別称だったと考えられている。『伊勢物語』は「いろごのみ」の理想形を書いたものとして、『源氏物語』など後代の物語文学や、和歌に大きな影響を与えた。やや遅れて成立した歌物語、『大和物語』(950年頃成立)にも、共通した話題がみられる他、『後撰和歌集』や『拾遺和歌集』にも『伊勢物語』から採録されたと考えられる和歌が見られる。中世以降おびただしい数の注釈書が書かれ、それぞれ独自の伊勢物語理解を展開し、それが能『井筒』や『雲林院』などの典拠となった。近世以降は、『仁勢物語』(にせものがたり)をはじめとする多くのパロディ作品の元となり、現代でも『江勢物語』(えせものがたり、清水義範著)といったパロディ的な作品が生まれている。また人形浄瑠璃や歌舞伎の世界でも『伊勢物語』は題材のひとつとなっており、惟喬親王と惟仁親王(清和天皇)の位争いを中心に、業平や紀有常など『伊勢物語』のエピソードをまじえて活躍させている。代表的なものとして以下を掲載。現在『伊勢物語』の本文として読まれているものは、藤原定家が天福2年(1234年)に書写した「天福本」と呼ばれる系統の写本をもとにしたもので、刊行される単行本や文庫本、また学校等で使われる教科書類での引用など、この「天福本」の本文によらぬものはないといってよい。しかし『伊勢物語』の伝本については以下に述べるように他にもいくつかの系統があり、『伊勢物語』の成立が現在に至るも解明されていない状況においては、伝本についての研究はないがしろに出来ないものといえよう。その系統について説明すると大きく五つに分類出来るといわれている。(1)定家本系統…藤原定家が書写したとされる本で、125段・和歌209首からなる。現存する『伊勢物語』の写本の実に95%以上がこの系統に属するといわれている。定家本はその奥書によって、さらに三つの系統に分けられる。(2)古本…定家本とほぼ同じ内容。系統的には定家本に先行するものといわれる。ただし、初期の無奥書定家本である可能性も否定できない点は注意しなくてはならない。 (3)真名本…文字どおり、「真名」(漢字)で書かれた伊勢物語。初段から終焉まで125段・208首からなる。定家本と近いが内容に多少出入りがある。用字法などから鎌倉以降、あるいは南北朝以降の成立であろうといわれている。 (4)広本系統(5)朱雀院塗籠本…奥書に「此本者高二位本、朱雀院のぬりごめにおさまれりとぞ…」とあり、高階成忠本か。初冠から終焉まで全115段。定家本にある11章段をもたず、定家本にはない1章段を持つ。現在山形県酒田市の本間美術館に所蔵される。このほかに注目すべき伝本としては通具本がある。この本は巻末に、まず定家本の流布本系統にある「抑伊勢物語根源…」の文章に続き、「堀河大納言通具」(源通具)の本に定家本でもってこの本を書写校合したという意味の奥書があるのでそう呼ばれる。本文は125段、205首。88段以降の章段の順序が定家本とは食い違う部分があり、さらに広本系統の本文を含むが、ほかに上にあげた5系統のいずれにもない本文も含む。古筆了佐の鑑定があり、それによればこの写本の筆者を二条為氏としているがその真偽についてはともかくも、鎌倉時代を下るものではないという。現在鉄心斎文庫・伊勢物語文華館に所蔵される。以上、五つの系統の伝本は全て初冠の章段ではじまり、「つひにゆく」の章段で男の死によって終焉を見る「業平の一代記」の形をとっていることにより、「初冠本」とも呼ばれている。このほかにも、男が伊勢へ狩の使いに行って斎宮と密通する段(69段)から始まり、「忘るなよ」の章段(11段)で終わる「狩使本」があり、それを小式部内侍が所持していたという伝承がある。これは清輔の『袋草紙』や顕昭の『古今集注』に記されているが、実は両者ともその実物を見たわけではない。現在では「書名の由来を説明するために後から作られた」という説もある。藤原定家はこの本を「狼藉左道」、すなわち許すべからざる偽書であると非難しており、伝本も確認できない。また古くは「初冠本」と「狩使本」のほかに「業平自筆本」なるものがあり、「名のみたつ」の43段で始まり「つひにゆく」の125段で終るものだったと伝わるが、これも現存しない。結局伝本に関しても、完本として現存するのは鎌倉時代以降のものばかりであり、それより以前にさかのぼる物はわずかな古筆切を別にすれば皆無である。『伊勢物語』の原典に迫ることの出来る資料は何一つないが、ただ伝本の多さから、いかにこの作品が親しまれ、愛されてきたのかは十分伺い知る事が出来る。

出典:wikipedia

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