SEX MACHINEGUNS(セックス・マシンガンズ)は、日本のヘヴィメタルバンド。名称の由来はパンク・ロックバンド、セックス・ピストルズより凄いバンドを目指すという意味。1998年4月12日にメジャーデビュー、2003年8月13日に解散、2004年4月4日に再結成、2006年6月4日に活動休止。2007年11月より本格的に活動再開。2012年5月末に活動休止。2012年秋以降、不定期で活動再開。2014年7月より活動再開。音楽性としては、ジャーマンメタルとスピードメタル、1980年代のジャパニーズ・メタルの要素を併せ持つ他、楽曲によってはデスヴォイスやグロウルに近いヴォーカルのようにモダンなメタルの要素も存在している。様々なHR/HM系バンドの楽曲のオマージュと考えられる曲が数多く存在し、中にはメロディやリフを原形に近しい形で拝借したものも少なくない。このことは、ほとんどの作曲を担当するANCHANGが雑誌のインタビュー等で明言している。メジャーデビュー前後の頃には「ヴィジュアル系ヘヴィメタルバンド」として売り込んでいたが、あくまでそれはライブの観客動員を増やすための戦略だったようである。インディーズ第2期~第3期の頃はちょうどヴィジュアル系バンドが全盛期であり、都内のライヴハウスに出演依頼を申し込んだ際に「今更メタルなの?」と門前払いに等しい扱いを受けたことがあったと後にANCHANGが語っており、ヴィジュアル系を名乗るのは演奏場所を確保するための苦肉の策であった。だが、アルバムの発売枚数が少ないもののライブの動員数が多く、メジャーデビュー1年半で日本武道館でのライブを実現させている。楽曲のおもしろさ(ファミレス店員と客のやり取りを戯画化した「ファミレス・ボンバー」、ANCHANGの愛媛みかんへの『愛』を高らかに歌い上げた「みかんのうた」等)と激しくテクニカルなライブパフォーマンスが有名で、演奏時間よりトークが長いという伝説を残した。インディーズ時代のイベントライブでは、他のバンドを食うバンドとして恐れられており、当時は“対バンキラー”と呼ばれていた。SEX MACHINEGUNSのファンの事を「マシンガー」と呼ぶ。音楽番組に出演する際にも、登場するやいなやハイテンションに雄叫びを上げたり、トークにおいて芸人的なエクスキューズを多分に織り込んだりといったギャグに近いキャラクターも特徴的であった。こうしたキャラに対し、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』MCのダウンタウンや『LOVE LOVEあいしてる』および『堂本兄弟』MCのKinKi Kidsは何かとついて行きづらそうにしていたが、『うたばん』MCの石橋貴明は「新しいコントグループ」と表現し、『ミュージックステーション』MCのタモリはSEX MACHINEGUNSのメンバーを「素はまともで大人しい人たちである。」と評していた。(いずれも第3期マシンガンズ)ギターのANCHANG(安藤弘司)が1989年、鹿児島県の第一工業大学に在学中、大学祭への出場のために結成したバンドがルーツになっている。このときのボーカルは、パンクバンドのボーカルだったため、メタルとパンクが折衷している状態であった。その後、九州地方を中心に活動を続けるが、ANCHANGの就職による上京を機に解散。ANCHANGはサラリーマンになってから、同名のバンドを再結成しメンバーに大田宏(後のNOISY)をボーカリストとして迎え入れる。しかしフザけすぎて(多摩川の河原で発声練習をANCHANGに命じられたが、真面目に発声練習をせず、大声に寄ってきた鳩に餌をやっていたという)すぐにクビになり、ANCHANGがヴォーカルを兼任する事になる。NOISYは次にギタリストとして再加入するが、またまたクビになる(実際は、NOISY自身が「キツくてもうできない」とANCHANGに電話してきたらしい)。1995年、インディーズバンド紹介番組『えびす温泉』に出演。「FIRE」を演奏。1996年、ANCHANGの手伝っていたヴィジュアル系バンドVICTIM OF FAITHが解散し、そのギタリストだったSUSSY(古屋正仁)が加入。またNOISYがベーシストとして再々加入し、今のバンドの原形が固まる。この年の11月にはBSヤングバトルに出場して「みかんのうた」を演奏するも、受賞はならなかった。この時ポルノグラフィティも出場していたが、こちらも受賞はならず。その後にバラエティ番組「大発見!恐怖の法則」に「ヘビメタバンド」として少し出演する。内容は「ヘビメタバンドをやっている人は痩せている」という旨の「法則」を検証するという企画であり(結果は当時のドラム以外に「法則」は当てはまった)、「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」に出ていた頃のXのようなあからさまな色物、変人集団扱いされていた(同番組中でレギュラーであった加藤紀子に「食べられない(売れない、すなわち食費が無い)から痩せているんでしょ?」と暴言を吐かれた)。1997年には、オーディションでドラムにSPEED STAR SYPAN JOE(JOE・上野浩二)が加入し、デビュー時のラインナップとなる。ちなみに、後にJOEの後任ドラマーとなるCLUTCH.J.HIMAWARI(神吉淳)もこの時のオーディションに参加。1998年、シングル『HANABI-la大回転』でメジャーデビュー。デビューアルバム『SEX MACHINEGUN』がヘヴィメタル専門誌「BURRN!」にて、歌詞が余りにも「フザけ過ぎている」という判断で点数を付けられない、という理由で「?(評価不能)」と判定された。しかし、楽曲や演奏面では高い評価を受けていた。1999年に、SPEED STAR SYPAN JOEが持病の椎間板ヘルニアの悪化のため脱退(JOEはその後リハビリを経て、2001年にはDASEINのドラマーとして復活)。後任にCLUTCH.J.HIMAWARIが加入する。ちなみにこの名前はアクセル・ローズのパロディであり、アクセル→クラッチ、ローズ(薔薇)→ヒマワリと変換し、間に本名のイニシャルを加えたもの。2001年には、音楽的方向性の相違を理由にSUSSYが脱退し、後任としてCIRCUIT.V.PANTHER(八尋義和)が加入。2003年、個人の様々な意見(方向性)の違いについて話し合いの末に解散を決める。同年8月13日の日本武道館公演をもって第3期の活動に幕を下ろす。ANCHANGとCIRCUIT.V.PANTHERは、同年それぞれソロデビュー。リズム隊の二人は元ΛuciferのYUKIと共にDUSTAR-3を結成し、2004年にデビュー。2004年、ANCHANG、CIRCUIT.V.PANTHER、SAMURAI.W.KENJILAW(元cali≠gariの村井研次郎)、SPEED STAR SYPAN JOEの4人で再結成。アルバム2枚、シングル3枚、DVD2枚を発表。ANCHANGを除いた3人によるバンド内のインストバンドとしてELLEGUNSも結成される。メジャー第4期はほぼヴィジュアル系バンド時代の面影は無くなり、さらにNOISYが抜けた影響か、コミカルな要素も抑え目になり、硬派なヘヴィメタルバンドとしてのイメージを強調していた。2006年3月20日、『ZARIGANI CHOP AMERICANA』ツアー 川崎クラブチッタ公演アンコール時のMCにてANCHANGより活動休止が発表される。翌21日、公式ページでも正式に活動休止が発表される。その後、バンドから完全に脱退したSPEED STAR SYPAN JOE、CIRCUIT.V.PANTHER、SAMURAI.W.KENJILAWの3人は、ELLEGUNSと同じメンバー構成でJ-P-K PROJECTを結成。その後バンド名をCYCLEに変更し、本格的な活動を始める。ANCHANGはソロ活動を経てメンバー募集を開始する。2007年10月26日、新メンバーとしてRYOTATSUとKEN'ICHIの加入が発表される。2008年6月28日、『全国大会』ツアーでサポートベーシストであったSHINGO☆が、ツアーファイナル公演(渋谷O-EAST)にて正式加入。同日、RYOTATSUはイベリコ・モジャ・マルムスティーンに改名(通称モジャ丸)。2008年8月2日、イベリコ・モジャ・マルムスティーンが失踪・家庭の事情による脱退が、公式HPに発表された。しばらくは後任を探さず、サポートギタリストを加えライヴ活動を行う予定。8月中のライヴは、サポートメンバーとしてSUSSYを急遽起用(一時的復帰)、イベント4公演を乗り切った。2008年12月8日、ANCHANGが自身のブログでEMIミュージックジャパンとの契約満了を発表。今後はインディーズで活動していくことを発表した。2010年4月28日、ライヴ中に(株)マーサからの独立を発表。同日ANCHANGが自身のブログでも発表し、合わせて結婚報告もされた。2010年9月1日、ポセイドンエンタテインメント・アーティスト部門にてファンクラブ「SMC」を運営開始。2011年2月23日、(株)エクセレックスというレーベルからシングル「37564」を発売。2011年8月31日をもってポセイドンエンタテインメントのファンクラブ運営終了。2011年10月1日より、SMG(バンド運営会社)と(株)ティアーズにより、ファンクラブ運営開始。2012年5月末を以って、KEN'ICHIが更なる飛躍のためにSEX MACHINEGUNSを脱退。それに伴い、バンドは一時的に活動休止する事を公式サイトにて発表されたが、以後もTHE冠との対バンイベントなどでサポートメンバーを迎えて活動をしており、2014年現在、ホームページ上では「活動再開かも?」としている。同年7月に活動再開を発表。AnchangとSHINGO☆の二人にサポートメンバーを加えた形で活動していたが、7月17日に行われたライブで、サポートとして参加していたLEONが正式なメンバーとなった。AnchangとSHINGO☆は「ザ☆メンテナンス」としても活動中。2014年現在、鹿児島時代の初代メンバーから全体を通して第5期までに分類され(分類しているのはバンド及び所属事務所であるので、これ以外の分け方は存在しない)、第1期〜第3期までがインディーズ、第3期中にメジャーデビューを果たし、以降は3期〜6期(第5期中に再びインディーズ)となる。タイトルは公式サイトのDiscography、または商品の一般表記に準拠。
出典:wikipedia
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