京成バス(けいせいバス)は京成グループのバス。京成バス株式会社(けいせいバス)は、京成電鉄バス部門の承継を目的として、2003年(平成15年)10月1日より営業を開始したバス事業者である。本社は同社と同じく千葉県市川市八幡にある(2013年9月17日東京都墨田区押上から移転)。東京都内の足立区・葛飾区・江戸川区から千葉県北西部にかけての京成・北総・JR東日本沿線を主な営業エリアとする。一部埼玉県に路線を持つ。また、成田空港発着路線をはじめとする高速バス路線を多数運行している。京成電鉄のバス部門は、1995年(平成7年)の千葉県成東町(現・山武市)を拠点とするちばフラワーバスの営業を開始して以来、地域毎に分社化したり、グループ会社に路線を移管したりする方法で合理化を進め、比較的輸送密度の高い地域を京成バス株式会社に譲渡する事で完全に分社化するという形態をとろうとしたが、同社へのバス部門すべての移管に対しては、労働組合の強い反対があり、なかなか実行には至らず、列車の運行を1日間運休するストライキが計画された事もある。京成バスの会社の設立から実際の運行までに4年8ヶ月もの年月を要している背景には、以上の様な事がある。同社が実際の営業を開始後、千葉県内の路線でも、東京23区と同様の表記による系統番号の導入が進められた。京成バスは、2003年(平成15年)10月1日に京成電鉄からバス事業を譲受して運行を開始した。ここでは、京成電鉄時代を含めた沿革について記述する。京成バスの歴史は、1930年(昭和5年)5月10日に京成電気軌道(京成電鉄の当時の社名。以下「京成」とする。)が子会社として京成乗合自動車を設立した事に始まる。京成は、これに先立って自社の鉄道周辺に路線を有する東葛乗合自動車(市川国府台 - 船橋間)、千葉バス(船橋 - 千葉間)、両総自動車(千葉 - 東金間)の3社を買収していたが、経営上の判断からこれらの路線を直営とはせず、新たに京成乗合を設立して運営を同社にあたらせる事としたのである。京成は次いで1931年(昭和6年)12月に浅草を起点に玉ノ井・四ツ木・立石周辺に路線を有し、電車線に一部並行していた隅田乗合自動車を買収した。同社は自動車商の梁瀬による開業で浅草へ安価且つ乗り換えなしで出られる交通手段として京成電車の手強い競争相手となっていた。このため、買収には相当の努力を注いだと社史に記されている。京成は、同社を買収後しばらくは監督下に置く形で営業させていたが、1932年(昭和7年)7月に至り直営化に踏み切る事となり、自動車課及び寺島営業所を設置してその事業一切を継承した。東京においては、1933年(昭和8年)に中島理一より四ツ木 - 亀有間を、1934年(昭和9年)に上平井乗合自動車より四ツ木 - 上平井 - 新小岩間を継承し、さらに北は新宿・金町・水元猿町へ、東は奥戸へと路線を延ばした。これにより従来の車庫が手狭となった事から1935年(昭和10年)に奥戸に新車庫を設置、1937年(昭和12年)には寺島営業所をここに移転して奥戸営業所とした。また、同年には奥戸から江戸川を越えて市川八幡へと路線が延び、これによって千葉県内の路線との連絡が図られた。なおこの間、千葉県内では1934年(昭和9年)3月に京成乗合自動車を統合して千葉営業所とした後、周辺事業者の買収による積極的な路線拡張策がとられていた。1935年(昭和10年)には松戸に拠点を置く東葛乗合(前記の東葛乗合自動車とは異なる)を買収し、松戸駅 - 八柱霊園 - 藤ヶ谷方面の路線を継承(ちばレインボーバス参照)すると共に松戸営業所を設置した。続いて、同年中に同じく松戸の渡辺敬蔵より松戸から市川・金町・流山へ向かう3線を継承し、松戸営業所に組み入れた。また、1936年(昭和11年)には東金 - 八街間などに路線を有する東金自動車を買収、1937年(昭和12年)には習志野 - 実籾間や船橋 - 木下間などを運行する習志野乗合自動車を買収し、習志野営業所を設置した。戦争による物資不足により、バスの正常運行が困難となる中で、1940年代に入り、バス事業者の統合は必至の状況となった。京成は、まず東京市周辺において常磐線東南地域の統合主体事業者の指定を受け、これに従い東武鉄道より千住大橋 - 堀切間の路線を譲り受けたのに続き、1942年(昭和17年)に東京地下鉄道より旧葛飾乗合自動車の路線の大半を譲り受け、小松川営業所を設置した。次いで、千葉県内においても千葉市を中心とする地域の統合主体となり、1943年(昭和18年)に成東自動車を統合して成東営業所を設置、さらに同年、森田祐吉経営の共立乗合自動車を統合して市川営業所を設置するなどした。さらに、1944年(昭和19年)に九十九里自動車と千葉市街自動車を併合(九十九里自動車は同時に京成の傘下となった九十九里鉄道にそのまま譲渡)し、路線網を飛躍的に拡張した。しかし、戦況悪化の影響により、その大部分は休止せざるを得ない状況であった。京成電鉄は戦前の創立期より各バス路線に路線名を付しており、京成バスになってからも路線名は使われ続けている。昭和50年代まではバス車内に路線案内の掲示(現在の路線図とは別のもの。路線図も隣に掲示されていた)があり、そこに路線名が記されていたため、乗客もそれを容易に知る事ができた。その後、概ね1980年代中期より車内には路線図のみが掲示される様になり、路線名はなじみの薄いものとなった。しかし、路線の新設・廃止・改変時には路線名を示しながら案内することも行なわれている。一方、系統番号はまず東京都内全域のバスについて利便性を高めるために、東京バス協会の旗振りのもと、全社一斉に近い形で番号が振られた。番号のつけ方は各社でまちまちだが、京成の場合は原則として一路線名に1つの番号を割り当てた。したがって、途中で分岐しようが、折り返し便であろうが、出入り便であろうが、同じ路線に属せば同じ系統番号である。この付番方法は都営バスと似ている。ただし、戸ヶ崎線は金町駅を境に分割して運行しているため、例外的にそれぞれ別の番号が割り当てられた。京成バス株式会社となり、千葉県内の乗合路線についても同様の系統番号を付すようになった。ただし、千葉県内については東京都内のように路線名ごとに系統番号を割り当てず、枝分岐を単位として一つの番号を割り当てた。2009年(平成21年)3月31日、最後まで系統番号が付されていなかった市川営業所担当路線にも系統番号が付され、千葉県内の乗合路線全てに系統番号が付されることとなった。この系統番号付与は、分社化で設立された京成トランジットバスやちばシティバスでも実施された。なお当社では、「小55」を「こいわ(=小岩駅) ごじゅうご けいとう」などのように、省略される前の駅名で呼んでいる。都営バスのように漢字をそのまま訓読みするのが原則であるのと対照的である。ただし京成バスの場合でも、系統によっては「本31」を「もと(=本八幡駅) さんじゅういち けいとう」など、省略した駅名等で呼ぶ例もある。一般乗合路線の営業所は以下の通りである。なお、各路線の情報はその属する営業所の記事にて示す。括弧内の英数字は社番に冠される営業所表記である。〔 〕内は共同運行会社近・中距離高速バス路線の営業所は以下の通りである。羽田空港発着の高速路線は、1988年(昭和63年)7月の千葉線開業を皮切りに、東京ディズニーランド、海浜幕張地区へと順次拡大し、さらに1990年代末頃より、西船橋、津田沼、小岩など総武線駅に至る路線が急ピッチで開設された。2010年(平成22年)7月現在、系統の統合・延長を経て、以下の様な路線網となっている。いずれも、羽田側に営業基盤を有する京浜急行バス、東京空港交通のどちらかが共同運行会社に入っている。成田空港発着路線では、1980年代末よりONライナー(大宮線)と千葉線の運行を開始し、2000年代に入り急速に路線網を拡張した。2000年(平成12年)以降に開設された路線としては、相模大野(2000年6月開業、2004年に橋本へ延長)、本厚木(2001年6月)、吉祥寺(2001年7月)、所沢(2003年)、新百合ヶ丘(2003年4月)、新富士(2003年11月)、小岩(2004年5月)、辻堂(2007年3月、2009年に茅ヶ崎へ延長)、大泉学園(2007年7月)、横浜線・横浜市営地下鉄グリーンラインの中山(2008年7月)、市原・木更津・君津(2013年4月、一部路線改編の上で運行再開)、大崎(2016年10月)への各線がある。東京駅発着路線は、元々東関東自動車道経由で少数運行されていただけであったが、1998年(平成10年)以降、日東グループとの共同運行により、東京湾アクアライン経由で房総方面に向かう路線が相次いで新設された。2014年(平成26年)7月23日より、八重洲ロータリービル1F・2Fに乗車券類の発売窓口や待合所等の設備を兼ねた「京成高速バスラウンジ」を開設。千葉県内には「高速○○」という停留所が多数あるが、これは高速道路上の停留所ではなく、一般道路上にある高速バス専用停留所を意味する。2014年(平成26年)11月現在、以下4路線が運行されている。かつては佐倉方面や千葉ニュータウン方面にも路線を持っていたが、現在は前者がちばグリーンバス、後者が成田空港交通にそれぞれ運行移管されている。長距離高速路線は、いずれも夜行運転であり、主に関西方面に向けて以下の路線が運行されている。各線共千葉県内を起点に西船橋駅・東京ディズニーリゾート周辺や、都内を経由して運行される。運行回数はいずれも1往復である。この他、成田空港 - 仙台間(ポーラスター号)と、海浜幕張 - 和歌山間(サウスウェーブ号)、千葉 - 京都間(きょうと号)があったが、ポーラスター号、サウスウェーブ号は成田空港交通に、きょうと号は千葉中央バスにそれぞれ移管され、京成バスでは予約などの運行支援業務のみを行っている。いすゞ自動車、日野自動車、三菱ふそうの3メーカーによって製造又は販売された車両を主に導入している。この他、一部のコミュニティ路線や高速路線用に日産ディーゼル(現在のUDトラックス)製車両がごく少数配置されており、また、幕張地区用連接バス(新都心幕張線用連接バス)メルセデス・ベンツ・シターロが15台配置(2011年(平成23年)2月現在)されている。一般路線車は、一部の例外を除き、新都心・長沼営業所、習志野出張所では日野車、松戸営業所では三菱ふそう車、その他の営業所ではいすゞ車が選択されている。ただし、現在では車庫の移転や管轄営業所の変更、路線の新設・廃止・移管、他社への移譲などにより、以前に比べると営業所毎のメーカー統一は崩れており、3メーカーの車両が配置されている営業所もある。各営業所とも配置車両の大半を大型車が占めており、それも標準的な車長の2扉車が主流である。前乗り先払い方式の都内使用車には、終点ターミナルでの降車時間短縮のため、降車扉(中扉)を幅の広い4枚折り戸としているものが多かったが、ノンステップ車が主力になった現在は一般的な引き戸が基本となっている。なお、千葉県内にも4枚折り戸の車両は存在するが、これは都内と同じ目的で一部の前乗り路線用に導入されたものと、車椅子用スロープを設置する際の構造上の制約からそうなっているものとがある。また、ラッシュ時に利用者の特に多い幕張地区や一部の団地路線では全長のやや長い3扉車が使用されていたが、1990年代末以降、新規には導入されておらず、代わって標準尺や長尺の4枚折り戸のワンステップ車が導入されている。ノンステップ車は都内、千葉県内とも積極的に導入が進められているほか、低公害車としてCNG車やハイブリッドノンステップ車も導入されている。比較的利用者の少ない路線や狭隘道路を走る路線では、中型車両も使用されている。都内用は前中車。千葉県用はワンステップになるまで市川営業所の中国分線で使用される車両以外は乗降方法に拘わらず前後車だった。このうち、市川営業所の中国分線で使用される車両は、他の中型車と比べて全長がより短い。また、中型車をベースに全長を大型車並みに延長したタイプの車両も船橋営業所(現在の習志野出張所)、長沼営業所、松戸営業所などで導入されている。塗装は一般路線車、高速路線車とも白色、青色、赤色の3色をまとうのが基本で、色調がやや異なるが京成電鉄の電車と近いイメージカラーとされている。一般路線車の塗装は、白色・青色をベースに、窓下には青帯の下に細い赤帯を巻くもので、この塗装は京成電鉄時代から引き継がれている。ただし、新都心営業所の一般路線車は一部を除き、白色地に青色でカモメを配し、「KEISEI」と書かれた文字を入れた独自の塗装となっている。最新の高速路線車は側面に青色、赤色でアルファベットの「K」をイメージして描いているが、スリット状に細い白線が入る。千葉市西部の京成千葉線、JR総武線幕張本郷駅とJR京葉線海浜幕張駅周辺を結ぶ新都心幕張線(新都心営業所所管)は、幕張新都心への進出企業の増加に伴い、1990年代から利用者が急増した。京成では、この路線に全長のやや長い3扉の車両を多数配置し、頻発運行していたが、ラッシュ時を中心に混雑が大変激しく、増便による対応も限界に達しつつあった。このため、輸送効率の根本的な改善を目的として、1998年(平成10年)にボルボ製シャーシの連節バスを10台導入し、運用に充てていた。この連節バスは、全長18メートル、定員140名で、一般路線用の連節バスとしては日本初のものである。シャーシはボルボB10Mを使用し、車体は日本の富士重工業が製造を担当し、接合部以外は一般の路線バスと大差のない外観をしている。なお、海外メーカ製でほぼ同一サイズの連節バスとしては、2005年(平成17年)に神奈川中央交通(以下「神奈中」)で導入された「ツインライナー」があるが、そちらはボディも海外で施工しているため、外観上の印象が大きく異なっている。カーブでは第3軸の車輪がハンドルを回した方向とは逆に動き、第2軸の軌跡を追う仕組みとなっており、内輪差が大きくなることを防いでいる。このため、通常の大型バスと同じ様な感覚で運転でき、乗務員は大型2種以外の特別な運転免許を必要としない。ただし、全長が法規の想定以上に長い事から、営業運行できるのは特例により許可を得た新都心幕張線に限られている。なおこのバスが運行する幕01系統の路線バスでは、2006年(平成18年)3月より千葉ロッテマリーンズの選手たちの車内アナウンスを聞く事ができ、多くの注目を集めた。2011年(平成23年)現在では荻野貴司、成瀬善久らが車内アナウンスを担当している。なお、過去においてはボビー・バレンタイン、ベニー・アグバヤニ、マット・ワトソン、今江敏晃、渡辺俊介、唐川侑己、大松尚逸らが担当していた。ボルボ製の連節バスは排出ガス規制への適合の関係から、2010年(平成22年)2月19日より連節バス車両の置き換えが開始された。新たに導入する車両は2008年以降神奈中で導入実績のあるメルセデス・ベンツ・シターロで、同社で導入されている車両と同様に車体幅2.55mのノンステップ車両である。車両愛称も「シーガル幕張」と定められ、これまで使用してきた10台を全て置き換えたうえで、2010年度内に5台を増備する予定とアナウンスされた。京成バスグループで役目を終えた車両は全国の地方事業者に譲渡されている。1992年(平成4年)以降に首都圏が使用車種規制地域に指定され、車両のライフサイクルが短くなったことなどから近年は増加している。譲渡先として、関東鉄道などのグループ会社ほか、茨城交通・川中島バス・鹿児島交通・北海道中央バス・備北バス・中鉄バス・中鉄北部バスなど、グループ外の事業者にも譲渡されている。なお2010年(平成22年)の連節バス置き換えに際しては、自社Web上でボルボ製連節バスの売却についての案内が掲載され、2011年(平成23年)9月現在、鹿児島県鹿児島市内のいわさきバスネットワーク、および福島県白河市内のJRバス関東白河支店に各4台譲渡されている。また、一部の車両はミャンマーなど海外にも輸出されている。京成バスをはじめとする京成グループ各社の貸切バスには、共通のカラーリングと共に「KaNaC」という統一ロゴマークが使われていた。これは、「カナック」と読み、の略である。また、のように、各アルファベットがグループ会社名の頭文字にもなっている。新貸切共通色においてはKaNaC表記は廃されている。東京都内の営業所はサクサ製、千葉県内の営業所は小田原機器製が利用されている。
出典:wikipedia
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