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白壁

白壁(しらかべ)は、名古屋市東区の地名。住居表示実施地域であり、現行行政地名は白壁一丁目から白壁五丁目が置かれている。郵便番号461-0011。以下において本項で扱う白壁一丁目から白壁五丁目までの町丁を個別に指す場合には、適宜「白壁」を省略し「○丁目」の形式で記述する。名古屋市東区のJR中央本線より西側の地域の北部を構成する地域であり、北区および中区と接している。地域を南北に走る空港線(国道41号)と東西に走る出来町通(愛知県道215号田籾名古屋線)を中心とする。両者の交点が清水口交差点である。空港線(国道41号)の西側南にある一丁目には名古屋市市政資料館、名古屋拘置所といった行政施設がある。また、清水橋(出来町通が名古屋城の堀跡を越える際の橋)を越え中区に入ると名古屋市役所や愛知県庁にも近い。地域全体としては住宅や小規模なビルが多いが、空港線の東側南にある四丁目、五丁目は主税町や橦木町とともに武家屋敷の面影を残し、名古屋市によって「白壁・主税・橦木町並み保存地区」に指定されるとともに、文化のみちの中核を成している。出来町通の北側西にある二丁目、北側東にある三丁目は隣接する北区からの坂が続いている。坂を下り北区の清水・大杉地区へ出ると、今までとは趣が全く違う戦前からある古い住宅街が建ち並んでいる。名古屋市随一の高級住宅街というところから、県内の財界・著名人も多く住んでいる。白壁地区のうち現町名の由来となった旧白壁町地域は、江戸時代禄高にして三百石級の組頭階級の武家屋敷が多く立ち並んでいた。中でも豊田太郎左衛門の武家屋敷は当時としては珍しい白塗りで、これが見事であったためその後周囲の屋敷もこれを真似て白壁の屋敷が多くなったことから地名になったとされる。その他の地域も、旧長塀町・東二葉町・西二葉町など尾張徳川家の家老であった成瀬家・竹腰家の中屋敷やその家中の者が居住していたと考えられている地域が多い。明治以降には町並みの道路改修が行われ、また太平洋戦争後の復興事業により周辺地域との間で町域の移動があったが、1980年(昭和55年)2月の住居表示実施によりこれらの各町(2町の全部と9町の一部)が白壁一丁目から五丁目までに再編成され、現在に至っている。白壁地区は地区内を走っていた名古屋市電が廃止された1971年(昭和46年)以降は名古屋市東区の中では公共交通機関の点でやや恵まれていない面があったが、1985年に基幹バス新出来町線が地域を東西に貫通する愛知県道215号田籾名古屋線(出来町通)で運行開始されたことによりかなり改善が図られた。詳細は「基幹バス (名古屋市)」を参照。次の駅が利用可能であるが、いずれも駅としては地域外にある。以下の2本の幹線道路の他、生活道路についてもほぼ碁盤目に整備されている。ただし一方通行となっている道路も多い。なお、白壁地域内にある基幹バス新出来町線の停留所は清水口と白壁の2ヶ所である。白壁地区の大部分が名古屋市立山吹小学校区であるが、三丁目・四丁目の一部と五丁目は名古屋市立東白壁小学校区となっている。これら2校の公立中学校進学先は、名古屋市立冨士中学校となる。名古屋市においては公立学校選択制が導入されていないことから、学区の移転を伴う住居移転がない場合、卒業した小学校に対応して進学する公立中学校が決まる。2010年国勢調査実施時における世帯数・人口は、一丁目が218世帯916人、二丁目が596世帯1024人、三丁目が714世帯1483人、四丁目が465世帯951人、五丁目が104世帯251人、地区全体では2097世帯4625人となっている。白壁地区以外も含まれることとなるが、各小学校区の人口密度はkmあたりでそれぞれ、山吹小学校区10509人、東白壁小学校区10528人となっている。※記述にあたっては、『名古屋の町(大字)・丁目別人口(平成22年国勢調査)』行政区別統計表を参照した。カッコ内はそれぞれの施設が所在する地区である。

出典:wikipedia

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