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クイーンズプレート

クイーンズプレートステークス()は、カナダのウッドバイン競馬場のポリトラック10ハロン(約2011メートル)で行われるカナダ産3歳馬による競馬の競走(平地競走)である。現存する北米のサラブレッドによる競走としては、最古の歴史を持つとされる。カナダの競馬におけるダービーに相当する競走で、同国内の3歳限定競走の中でも最高賞金を誇る。出走条件は3歳で、牡馬・牝馬・せん馬のいずれもが出走できる。また、カナダ産馬であることも出走の条件に含まれている産地限定戦であり、このためグレードによる国際的な格付けはされていない。カナダ三冠競走を形成する競走のひとつで、同競走はその第1戦にあたる。この後7月にフォートエリー競馬場でプリンスオブウェールズステークス、8月には再びウッドバイン競馬場でブリーダーズステークスが開催され、そのすべてに優勝すると三冠の達成となる。クイーンズプレート以外の三冠競走も国産馬限定戦で、いずれも同じく格付けを持たない。競走名の「クイーンズ」はイギリス国王(カナダ国王)を意味しており、その時の在位国王が男性の場合は名称がキングスプレート()に変わる。実際にエドワード7世からジョージ6世までの男性王の在位期間(1902年-1951年)はこの名称で施行され、現在はエリザベス2世の在位によりクイーンズプレートの名称で施行されている。カナダの競馬の歴史上、クイーンズプレート(キングスプレート)という名の競走はいくつかあり、1836年にはモントリオールの競馬場においてキングスプレートという名の競走が行われていたという記録がある。ただし、これらはいずれも現在まで残っているものではない。現在あるクイーンズプレートの原型は、19世紀のトロントで競馬を運営していたトロントターフクラブによって形成された。同クラブの会長カシミール・グゾウスキの提唱により創設されたもので、1860年6月27日にトロントのカールトン競馬場で初めての競走が施行された。初回の賞金の50ギニーはヴィクトリア女王によって授与されたもので、これに因み、クイーンズプレートは「ギャロップ・フォー・ザ・ギニー()」という別名でも呼ばれた(ただし、現在では賞金はギニーではなくカナダ・ドルで授与される)。1864年に開催地をロンドンにあったニューマーケット競馬場に移し、以後州内各地の競馬場を毎年移動する、持ち回り競走のようなものとなった。1883年に旧ウッドバイン競馬場に移されて以後は、開催地が同地で固定された。創設当初は1マイル(8ハロン・約1609メートル)のヒート競走で、1865年までは第3ヒート、1867年までは第2ヒートを決勝戦とする方式であった。1868年よりこれが撤廃されてダート2マイル(16ハロン・約3218メートル)の競走となり、以後徐々に距離を短縮していき、1957年以降は1マイル1/4(10ハロン・約2011メートル)で行われている。2007年にウッドバイン競馬場がダートコースをポリトラックに置き換えたため、現在の施行条件はオールウェザー10ハロンとなっている。また、当初は未勝利馬限定の競走(メイドン)であった。この条件は20世紀初頭まで続いており、時期によっては新馬限定でもあった。後に同年未出走馬限定(指定のトライアル競走は除く)に緩和され、後の1959年にこれらの出走回数制限は撤廃された。また当初は年齢制限もなく、後に3歳・4歳限定競走となり、現在は3歳限定戦として施行されている。現在までの同競走の中でも、1865年の第6回クイーンズプレートは第2ヒートの上位2頭の馬が失格となる特異な競走であった。まず1位入線した馬はビーコンという馬であったが、鞍上が斤量不足を指摘されて失格になっている。さらに2位入線のストーンプルーヴァーという馬は実はアメリカ合衆国産で、産地偽装、さらに馬名も偽名ということが発覚して失格処分となった。このため、第3ヒートは残った2頭で競われている。このほかの事件には、降着の事例が1度ある。1863年の同競走では1位入線のウィリーワンダーという馬が審議により失格となり、2位入線のタッチストンが繰り上がりで優勝している。

出典:wikipedia

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