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マンサン

マンサン(Mansun)は、イギリスのチェスター出身のロックバンド。1995年結成。ブリットポップ末期の1997年にアルバムデビュー。英国の伝統的なグラムロック、プログレッシブ・ロック、ニュー・ウェーヴ等に影響を受けた耽美的なギターロックを展開した。3枚のアルバムを発表し、2003年5月2日に解散。1995年、印刷会社の同僚だったポールとストーヴが出会い、お互いデヴィッド・ボウイやABC、デュラン・デュランといったグラムロックやニューロマンティックが好きだった事から意気投合。仕事のない週末にリヴァプールのギグを観に行ったり楽器を演奏し、バンド結成を目指す。また仕事帰りに通っていたパブでバーテンダーを勤めていたチャドと親しくなりバンド結成に至る。チャドは以前通っていた大学でもバンドでギターを演奏していた。当初バンドはグレイ・ランターンという名前で活動していたが、ほどなくチャールズ・マンソンにちなんでマンソンと改名した。1995年8月、自身の立ち上げたレーベルSci-Fi Hi-Fi Recordingsより初のシングル「テイク・イット・イージー・チキン」を1000枚限定でリリースし完売する。後にメンバー自身がこの時はまだバンドとして十分一緒に演奏出来ていなかったと述懐しているが、この曲とバンドはBBCラジオ1のDJだったスティーヴ・ラマックとジョン・ピールの注目を集める。シングル「スキン・アップ・ピンナップ」リリース後の1995年11月、イギリスでパーロフォン、アメリカでEpic Sonyとレコード契約を結ぶ(日本では東芝EMI)。バンドはまたこの頃、バンド名をマンソンからマンサンへと変更している(理由は後述)。バンドは3人の他にドラマーのカールトン・ヒバートとプログラマーのマーク・スウィナトンというメンバーがいたが、1996年1月にマークが脱退。また、バンドはキャストやシェッド・セヴンのサポートギグを行っていたが、カールトンがライヴの最中に酔ってチャドにケガを負わせバンドを首になる。キンキー・マシーンというバンドのドラマーだったジュリアン・フェントンがサポートドラマーとして臨時で加入(「テイク・イット・イージー・チキン」と「ストリッパー・ヴィカー」のプロモーションビデオにも出演している)するが、1996年8月にチェスター界隈で有名なドラマーだったアンディがバンドに参加し、10月に正式加入。これで解散までのバンドのラインナップが揃った。1995年から1997年まで多くのEPを発表しながら、1997年2月に1stアルバム『アタック・オブ・ザ・グレイ・ランターン』を発表。プロデュースはポール自ら担当した。それまでのパンキッシュなEPの楽曲とは打って変わり、グラムロックやニュー・ウェーヴ、プログレ、グランジなど様々な要素を取り入れた耽美的でグラマラスなギターロックは注目を集め、音楽雑誌からも「オアシス以来のベストデビューアルバム」と絶賛され、ブリットポップ・ムーヴメントの終焉を鮮烈なデビューで飾る。初登場全英1位を獲得。アンディが加入する頃にはアルバムのレコーディングの大半は終わっていたが、バンドはスタジオに戻り数曲のドラムトラックの録り直しを行っている。ポールによるとアルバムは『ザ・グーン・ショウ』や『モンティ・パイソン』といったコメディ番組から影響を受けたコンセプチュアルな筋書きを含んでいると説明している。1997年10月にEP『クローズド・フォー・ビジネス』をリリースした後、バンドは2ndアルバムのスタジオセッションを始める前に曲が不足していることに気付き、前のUSツアーの音合わせの際にたくさんの音楽的アイデアが議論された。スランプに陥ったポールはマルキ・ド・サドの『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』やA・A・ミルンの『クマのプーさん』、L・ロン・ハバードの『ダイアネティックス』といった本の要点を調べ、それらの本をベースにした歌詞をまとめた。1998年9月、2ndアルバム『SIX』を発表。タイトル通り全英6位に入った。前作に引き続きポール自らがプロデュースを担当した本作は、ポールも当時「僕らのアルバムとマニックスのアルバムが出れば、すべては変わるはずだよ」と自信たっぷりに話していた。しかし7, 8分をゆうに超える大作曲を多く含む、前作以上にプログレ色の濃い複雑怪奇で実験的な作風にプレスは賛否両論を巻き起こした。アルバムはバンド最高位を記録したシングル「レガシー」(全英7位)と「ビーイング・ア・ガール」が収録されており、他にも「ネガティヴ」やアーサー・ベイカープロデュースのアルバムとは別バージョンの「SIX」がシングルカットされた。『SIX』発表後の長期のツアーに疲れたバンドは一旦活動を休止し、ポールとチャドがスペイン南部の世界的な観光地として知られるアンダルシアのコテージを借りて、アコースティック・ギターで二人きりで曲作りがされた。またレーベルの進言により、プロデュースは初めて外部の人間が担当することになり、XTCやポリス、フィル・コリンズなどを担当したヒュー・パジャムが起用され、レコーディングはピンク・フロイドのギタリストであるデヴィッド・ギルモアが所有するアストリア・スタジオにて行われた。そして2000年8月に発表された3rdアルバム『リトル・キックス』は、複雑で陰鬱な前作に対する反動もあって、楽曲の多くが前作から一転してストレートでメロウなラヴ・ソングで占められるというドラスティックな変化が見られた。これについて、ポールは当時「『SIX』の商業的批評的な落胆から、新しいアルバムの方向性に関してプレッシャーを感じなくなっていた」と話す一方で、「シンプルだから率直さを感じさせるし-正直すぎるくらいだよね?実際、みんなが気に入ってくれるかどうか、ちょっと不安だったよ」とも話していた。皮肉にもその発言通りアルバムは全英12位と落ち込み、プレスからも芳しい評価を得られなかった。チャドが「キーボードが多用されているせいで僕らの音楽のように聴こえなかった」と話すなど、メンバーも『リトル・キックス』に関して否定的な意見を述べている。ちなみに、このアルバム発表後にサマーソニックの第1回に参加している。2001年1月、「フール」が『リトル・キックス』からシングルカットされるのに先立ち、ポールはNMEに3月か4月にスタジオ入りして出来るだけ早く新曲を出したいと告げ、4月に公式サイトにて新たに8曲のレコーディングとミキシングが終わり、5月もレコーディングを継続する旨を伝えた。バンドはEPとフルアルバムのどちらをリリースするかを決めかねていたが、8月にチャドが公式サイトでEPではなく4枚目のフルアルバムのレコーディングが途中まで終わり、『リトル・キックス』よりもハードな内容になり、12月にシングルをリリースする予定であると報告した。しかし10月にストーヴがバンドの口座から金を盗んでクビになったり、ポールの指に腫瘍が見つかったり、チャドが腕にけがを負い4-5ヶ月ギターが弾けなくなるなどバンドを取り巻く環境は悪化の一途を辿った。しかしこの時既に15曲の新曲が出来ていた。2002年の4月と5月にバンドはThe Masonsという名前でシークレットギグを行った。ライブごとに10曲の短い曲を演奏し、半分は昔のシングル曲、もう半分は4枚目のアルバムに収録される曲という具合だった。とあるウェブサイトではこれがバンドの最後のツアーになるだろうと言われていたが、当初この意見は否定されていた。10月、チャドがバンドの作曲に時間を割きたいという意向により、予定されていたスタジオでのセッションが中止された事を明らかにした。長引くアルバムリリースの延期を受け、新年の初めまでにニューアルバムを作り上げなければバンドは終わりだという最後通牒を突き付けられているという噂が流れるようになった。その後結局4枚目のアルバムは日の目を見ずに、2003年5月2日、バンドの解散が公式に言い渡された。しかし2004年、数千に及ぶ世界中のファンの4thアルバム発売嘆願署名を受け、ポール単独の編集作業により4thアルバムの音源や一部のBサイド曲、およびデモ曲や未発表音源を含む3枚組のコンピレーション・アルバム『クレプタメイニア』を発売。また2006年には、ベストアルバム『レガシー:ザ・ベスト・オブ・マンサン』を発売。日本盤は2年も遅れて2008年に発売された。日本盤のみの特典としてボーナストラック2曲の他に、これまで発売された全てのシングル曲のPVやライヴ映像やドキュメンタリーを収録したDVDとポール本人の曲解説、オリジナル年表、アルバム解説などが書かれた保存版マンサン・データ・ブックが付いた。2010年には1stアルバム『アタック・オブ・ザ・グレイ・ランターン』の3枚組コレクターズ・エディションが発売された。解散後、ポールはチャドと共にソロ・アルバムを制作しているという話題も出たものの、今はチャドとは袂を分かっているという。しかし、ソロとしての楽曲発表は今のところほとんど行われていない。彼らがバンド名をMansonからMansunへと変更した理由は、権利上の問題からManson名義を変えるように強要されたというものや、ザ・ヴァーヴのB面曲「A Man Called Sun」にちなんでMansunとしたなど諸説あるが、『Legacy: Best Of Mansun』のDVDによると、バンドのTシャツのミスプリントが原因だという。ちなみにザ・ヴァーヴにちなんだという説は、「バンド名の由来は?」と同じことを繰り返し聞かれることに飽きたアンディの軽口が元になっているという。初期のメンバー*発売日はすべて本国でのもの(日本盤)東芝EMIより発売(英国盤)以下はParlophoneより発売

出典:wikipedia

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