光雲神社(てるもじんじゃ)は、福岡県福岡市中央区西公園にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。筑前福岡藩祖・黒田孝高(龍光院殿、如水)と、その子で初代筑前福岡藩主・黒田長政(興雲院殿)を祀る。社名は両神の法名から光と雲の一字ずつをとったものである。境内には、福岡藩士で黒田二十四騎の一人・母里友信(太兵衛)の銅像があり、銅像下部には母里をモデルとした民謡「黒田節」の歌詞が刻まれている。また、長政が愛用した水牛の兜の像もある。摂社、堅盤神社には、四神として黒田重隆、黒田職隆、黒田忠之、醍醐冬香夫人厚姫が祀られている。額は黒田家15代当主、黒田長久の揮毫。明和6年(1766年)、6代目福岡藩主の黒田継高が、長政を「武威円徳聖照権現」として福岡城二の丸、祈念櫓下に祠を創建し、祀ったのに始まる。ついで黒田孝高を「水鏡権現」として合祀した。明治4年(1871年)、廃藩置県により黒田家が東京に移転するにあたって、有志が11代藩主長溥に懇願し、福岡城内の祠堂より小烏吉祥院跡に新たに祠堂を建立した。明治8年(1875年)に県社に列格した。明治42年(1909年)に現在地の西公園に再移転、遷座した。この地は元々、2代福岡藩主、黒田忠之が建立した荒戸山東照宮(徳川家康を祀る東照宮を分祀したもの)があった。昭和20年(1945年)に福岡大空襲で社殿や黒田家の宝物などが焼失。昭和41年(1966年)に再建された。
出典:wikipedia
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