LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

アーシュラ・K・ル=グウィン

アーシュラ・クローバー・ル=グウィン("Ursula Kroeber Le Guin"、1929年10月21日 - )は、アメリカの女性小説家でSF作家、ファンタジー作家。「ル・グィン」、「ル=グイン」とも表記される。SF作家としては、両性具有の異星人と地球人との接触を描いた『闇の左手』で広く認知されるようになり、他に代表作にユートピアを描いた『所有せざる人々』 などがあり、SF界の女王と称される。ファンタジーの代表作は『ゲド戦記』のシリーズで、「西の善き魔女」のあだ名もある。他に『空とび猫』といった絵本作品もある。1929年10月21日にカリフォルニア州バークレーで生まれた。父親はドイツ系の文化人類学者のアルフレッド・L・クローバーで、1901年にコロンビア大学でアメリカ合衆国初の人類学の博士号を取得し、カリフォルニア大学バークレー校でアメリカで2番目の人類学科を創設した。母親は、夫が研究で係わったアメリカ最後の生粋のインディアン「イシ」の伝記を執筆した作家のシオドーラ・クラコー・ブラウン。夫の伝記 "Alfred Kroeber: A Personal Configuration" も書いており、ル=グウィンの幼少期を知るためのよい資料となっている。この年代においては、カトリックの聖女である聖ウルスラ(Saint Ursula)は、教会典礼暦に掲載される聖人で、その祝日はこの日だった。このため、聖ウルスラに因んで、アーシュラ(Ursula)と名づけられた。 子供時代は、父親がカリフォルニア大学バークレー校で教えていた関係でバークレーで育つ。神話、伝説、おとぎ話や、ポードリック・コラム、アスビョルンセンの本をよく読み、父からはインディアンの伝説を聞かされた。9歳の時に妖精の登場する初めての短編小説を書き、11歳の時に書いたSF小説をアスタウンディング誌に送ったが掲載されなかった。子供のころに書いた物語の一部は『オルシニア国物語』や『マラフレナ』に生かされている。10代にはロード・ダンセイニを愛読し、また兄たちとSF雑誌を読み、好きな作家はルイス・パジェットだった。大学はラドクリフ大学に進学、フランスとイタリアのルネサンス期文学を専攻し、コロンビア大学で修士号を取得している。1953年にフルブライト奨学生としてパリに留学し、その後フランスに渡り、そこで知り合った歴史学者チャールズ・A・ル=グウィン("Charles Le Guin")と知り合い、その年に結婚。帰国後に夫は州立ポートランド大学の教授となり、ポートランドに住む。1958年頃から雑誌の書評欄や、現代の架空の国オルシニアを舞台にした短編を書き始め、1961年にその一つ「音楽によせて」("An Die Musik")を発表。その頃目にしたコードウェイナー・スミスに影響されてSFを書こうと思うようになり、1962年に『』誌9月号に短編「四月は巴里」("April in Paris")が掲載されて本格的に作家デビュー、定期的に作品が雑誌に掲載されるようになる。その後エース・ブックスから『ロカノンの世界』『辺境の惑星』「幻影都市』の3長編を出版したが、注目されなかった。1968年にファンタジー長編『影との戦い』を出版。1969年発表の『闇の左手』でヒューゴー賞、ネビュラ賞を同時受賞し、広く知られるようになった。後に映画の仕事に関わり、1979年に『天のろくろ』が としてテレビ映画化された(1980年放送)。また、前衛作曲家のデビッド・ベッドフォードと共同で "Rigel 9" というリブレットを制作した。これはスペースオペラを本当のオペラに仕立てたものである。1991年、カリフォルニア大学バークレー校の人類学科で名誉教授を称える連続講演で父について講演する。2009年12月、 がGoogleによる本のデジタル化プロジェクトを支持したことに抗議し、ル=グウィンは同団体を脱退した。「あなたがたは悪魔と取引すると決めた」とル=グウィンは脱退を告げる手紙に書いている。「これにはとりわけ著作権の概念全体という原則が関係し、あなたがたは抗うこともなく相手の言い値でそれを一企業にゆだねようとしている」2007年9月に、大作『西のはての年代記』第3巻"Powers"を、英・米で出版し完結した。(日本語版『パワー』は、2008年8月に出版)1958年以来現在に至るまでオレゴン州ポートランドに在住している。3人の子と4人の孫がいる。ル=グウィンのSF作品は科学技術やハードウェアよりも社会学や人類学を含めた社会科学的側面が強く、しばしばソフトSFに分類される。しかしル=グウィン自身はこの分類に異議を唱え、不快感を表明している。ル=グウィン作品の際立った特徴として、人種の意図的な扱いがある。ル=グウィン作品の主要登場人物の多くは有色人種であり、人類の人口構成を反映したものだとしている。しかし、そのために欧米では挿絵や表紙に人物が描かれないことが多い。ル=グウィンはしばしば地球外生命の文化を利用し、人類の文化についてのメッセージを伝えている。例えば、『闇の左手』では両性具有種族を通して性的同一性の問題を考察している。また「ゲド戦記」の魔法学院は女人禁制で、アースシー世界では女性は「まじない師」「魔女」として差別され、「魔法使い」の称号を得る事はできない。このような作品から、フェミニストと呼ばれることもある。実際にはフェミニズムの主張を作品で述べるというよりは、ヴァージニア・ウルフの「ベネット氏とブラウン夫人」を引き合いに、ミセス・ブラウンをSF小説に登場させようとしていることをエッセイ「SFとミセス・ブラウン」で述べている。生態学的問題を扱った作品も多い。『所有せざる人々』や『闇の左手』といったSF作品は《ハイニッシュ・サイクル》() と呼ばれる未来史に属している(その舞台となる世界を「ハイニッシュ・ユニバース」と呼ぶ)。「エクーメン」と呼ばれる組織によってゆるやかに結ばれた未来の銀河規模の文明を描いたものである。個々の惑星の結びつきは緩やかであり、そのためそれぞれ異なる文化を保持している。『闇の左手』や『言の葉の樹』は、異星に派遣された特使のカルチャーショックと異文化の接触の結果を扱っている。他のSF作家と異なり、ル=グウィンは超光速航法を設定として採用していない(例外的に無人機の超光速航法はある)。その代わりとして120光年の距離まで即時通信可能なアンシブルという技術を登場させている。この用語と概念は他の何人かのSF作家も採用している。ル=グウィンはヒューゴー賞を5度、ネビュラ賞を6度受賞し、1979年にはガンダルフ賞グランド・マスター賞、2003年にはアメリカSFファンタジー作家協会のデーモン・ナイト記念グランド・マスター賞を受賞した。小説に対するローカス賞は19回受賞しており、全作家の中で最も多い。ファンタジーとしては、1969年にボストン・グローブ=ホーン・ブック賞、『こわれた腕輪』でニューベリー・オナー・ブック賞。1973年、『さいはての島へ』で全米図書賞児童文学部門を受賞した。1979年には『影との戦い』で " を、1991年には『こわれた腕環』でフェニックス賞・オナー賞を、2002年には『アースシーの風』で世界幻想文学大賞を受賞した。いずれもゲド戦記の一部である。1975年、オーストラリアのメルボルンで開催された第33回ワールドコンにゲスト・オブ・オナーとして招待された。2000年4月、アメリカの文化遺産への貢献を称え、アメリカ議会図書館の "(作家・アーティスト部門)に選ばれた。The Pacific Northwest Booksellers Association は2001年、功労賞を授与した。2004年、 から Honor Lecture Award と を授与された。2006年10月18日、The Washington Center for the Book が彼女の功績を称え、Maxine Cushing Gray Fellowship for Writers を授与した。2002年、優秀な短編小説作家に与えられる を受賞した。2009年には から "Emperor Has No Clothes" 賞を授与された。FFRFによればこの賞は「公人として宗教の欠点について率直に述べている人を称える」ものだという。少女漫画家萩尾望都の作品にル=グウィンの影響をみる者もいる。荻原規子の小説『西の善き魔女』5巻目のサブタイトルは、「闇の左手」である。ル=グウィンの影響を受けた、もしくはファンである日本人作家は多い。本人の短編も収録した『ユリイカ 臨時増刊 総特集 アーシュラ・K・ル=グウィン』(2006年8月、青土社)で、一端がわかる。宮崎駿は、自著『出発点』(徳間書店)に収録の随想で、枕元に『ゲド戦記』を置き、すぐに読めるようにしており、またかつては『ゲド戦記』の映像化を考えていたことがある、とも語っている。短編集 評論ル=グウィンの作品で映像化されたものは少ない。1971年の長編『天のろくろ』は2回映像化されている。1回目は1980年 でテレビ映画化され、2002年に でテレビ映画化されている。2008年のインタビューで、ル=グウィンはこれまでの映像化作品の中で1980年のものだけがよい映画だったと語っている。1980年代初めごろ、宮崎駿は、愛読書でもある《アースシー》(ゲド戦記)のアニメ化を打診した。しかしル=グウィンは当時、宮崎作品どころか、日本のアニメ全般に触れたことがなく、この話を断った。数年後に『となりのトトロ』を見たル=グウィンは再考し、《アースシー》を映像化するなら宮崎駿に任せたいと思うようになった。こうして第3巻と第4巻をベースとして2005年のアニメ映画『ゲド戦記』が制作された。だが監督は宮崎駿本人ではなく息子の吾朗であった。ル=グウィンはそれを残念に思っていると明かしている。ル=グウィンのアニメ版『ゲド戦記』への思いは複雑だという。映像の美しさは評価しているが、全体に説教くさい点とプロット進行については問題があるとしている。なお父宮崎駿も本作には批判的だった。この『ゲド戦記』の2006年夏の公開後、日本などから問い合わせのメールが多く寄せられたため、この映画が制作されるに至った経緯と映画に対するコメントを彼女自身の公式サイトで公開(日本語訳)している。2004年、Sci Fi Channel は《アースシー》の1巻と2巻に基づいたミニシリーズ " を放送した。これについては宮崎版以上に批判的である。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。