佐竹 義苗(さたけ よしみつ、寛文11年(1671年)- 元禄12年6月18日(1699年7月14日))は、出羽久保田藩3代藩主・佐竹義処の長男。母は越前松平直政の娘。正室は徳川光貞の娘・育姫(徳川吉宗の姉にあたる)。諱は初め義林、後に義苗。通称は次郎。官位は四品、従四位下、修理大夫。寛文11年(1671年)、義処の嫡男として生まれる。延宝3年(1675年)10月に宇留野勝明が傳役となり、天和元年(1681年)に初めて将軍に謁見する。天和3年(1683年に傳役の宇留野勝明が義苗付きの家老に就任する。貞享元年(1684年)に叙任される。元禄元年(1688年)に育姫と婚約するが、元禄12年(1699年)に29歳で死去した。次弟・相馬叙胤はすでに陸奥相馬中村藩の養子となっていたため、末弟・義格が嫡子となり、のち家督を継いだ。
出典:wikipedia
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