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ダウンタウンのごっつええ感じ

『ダウンタウンのごっつええ感じ』(ダウンタウンのごっつええかんじ、ラテン文字表記:"Gottsu "A" Kanji")は、フジテレビ系列局ほかで放送されていたフジテレビ製作のバラエティ番組。通称「ごっつええ感じ」または「ごっつ」。フジテレビ系列局では1991年12月8日から1997年11月2日まで、毎週日曜 20:00 - 20:54 (日本標準時)に放送された。1991年正月放送の『ダウンタウンのごっつええ感じ マジでマジでアカンめっちゃ腹痛い』、さらにゴールデンタイムに進出し『火曜ワイドスペシャル』の枠で行われた2度のトライアル放送を経て1991年12月8日にレギュラー番組としてスタートした。ダウンタウンの冠番組であり、彼らにとっては『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』(日本テレビ)と並ぶ最も代表的な出演番組である。また、今田耕司、東野幸治、130R(板尾創路・蔵野孝洋)、YOU、篠原涼子といったレギュラー出演者にとっても、一躍その名を全国区に知らしめた番組となった。また、漫才の評価の高かったダウンタウンさながら、コントの実力も高いことを証明することができた番組であった。一方で、「一歩間違うといじめや差別の促進になりかねない」、「下品・過激な言動、セクハラ的行為が見られる」、「ダウンタウンだけが特別扱いされ、他のレギュラーが不当に扱われている」など、「低俗番組」として批判にもさらされていた。また、キャシィ塚本のコーナーや「巨大料理に挑戦」のプリンの回で固まりきれず洪水になってしまった例などから「食べ物を粗末にするな」と言う批判も頻繁に上がっていた。松本のみの出演で『一人ごっつ』→『新・一人ごっつ』→『松ごっつ』が兄弟番組として深夜帯に放送されていた。松本単独(のちに木村・板尾がレギュラーになった)の番組でごっつの名前を使うことについて、松本は浜田に許可を得て筋を通した。なお、司会のダウンタウンの2人はこの番組の終了以降、松本がごっつ終了直後同局深夜で再開された『新・一人ごっつ』でコントを続けていた以外は、ダウンタウンとしてのコントは原則として行っていない。例外としてビデオ『VISUALBUM』と後に放送されたこの番組のスペシャル『ものごっつええ感じスペシャル』でコントを行った。初回の視聴率は18.2%だった。番組全体の平均視聴率は15.8%で、最高視聴率は1995年11月12日に記録された24.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。平均視聴率がもっとも高かった年は1995年の18.9%。『火曜ワイドスペシャル』時のメンバーだった今田、YOU、西端、ヒロ、ユニコーンの2人に加え吉本の若手お笑いコンビ・130R、東京パフォーマンスドールの篠原、前身番組の『夢で逢えたら』から伊藤、そして爆風スランプのサンプラザ・パッパラー、『夢逢え』の最終回ドラマに出演していた松雪といった陣営でレギュラー番組としてのごっつええ感じはスタートした。しかし当初はまだ基本内容が定まっておらず、『火ワイ』時代のコーナーや単発企画で凌いだ。年明けには「ハマダ芸能社」「なんなんなあに何太郎君」「ラブラブファイヤー」などのレギュラーコーナーがスタート。番組のフォーマットが確立された。その年の春にはミラクルエースやオジンガーZなどの人気キャラクターも登場し、番組の人気は過熱していったが、93年春に一斉終了した。なお、松本のケガの影響により、VTR不足になり急遽生放送を行ったことがある。『夢で逢えたら』の路線を引きずっていたオープニング枠が撤廃し、スタジオでの公開収録がメインになるなど番組構成に変化が起こる。「トラゴロウとゆかいな仲間たち」、「木瓜の花」、「カスタムひかる」、「ボディコンかあちゃんコンテスト」、「鼻リーグ」がこの時期の主なコーナーであったが、いずれも短命に終わった。「カスタムひかる」、「木瓜の花」の終了によって連続コントドラマ枠も途絶え、ユニコーンの解散で奥田・阿部も番組を去って行った。ちなみに「木瓜の花」の最終回が「ごっつええ感じ」における最後の生放送となった。かわら長介、倉本美津留がスタッフに参入した影響でロケ中心の企画が増えそれまでの『夢で逢えたら』の派生的雰囲気からダウンタウン色濃厚なお笑い番組へと方向転換し始めた。初期キャラの生き残りでメインコーナーを与えられた「おかんとマーくん」も姿を消し、「かけめぐるジャッキーとマキ」「こんにさわ!!園長先生」「AHOAHOMAN」などバイオレンスさ・下品さの度を増したコントが量産されていくようになり、ドッキリや「緊急企画」が実施されるようになる。そして翌1994年には板尾が後述の騒動で番組を去り、西端も産休のため降板。ダウンタウン+今田、蔵野、YOU、篠原という少人数体勢での番組進行を余儀なくされる。この時期には「きょうふのキョーちゃん」というアニメコーナーが登場したが、その放送コードスレスレの過激描写は話題となった。そしてこの年の秋には「火曜ワイドスペシャル」版のメンバーだった東野を迎え、番組は新たな方向性を模索していくことになる。板尾の復帰によってレギュラーは8か月ぶりに8人なり、番組内容はスポーツ系アトラクションコーナー「THE TEAM FIGHT」にはじまり、コントでは「Mr.BATER」、「世紀末戦隊ゴレンジャイ」、「キャシィ塚本」シリーズ、「こづれ狼」、「やすしくん」、「産卵」、「みすずちゃん」、「殺人事件」シリーズ、「放課後電磁波クラブ」など番組を代表するヒット作をどんどん生み出していく。それに伴うように視聴率もうなぎ昇りで、この年は平均視聴率18.9%とかなり高い数字で推移しており、番組はいわゆる「絶頂期」へと突入する。復帰した板尾を加えた男性メンバーのみで開始した「ボケましょう」もロケ企画としては久々のシリーズものとなり、このコーナーは板尾の独擅場であった。前年から続いていた人気コントシリーズが1995年秋 - 1996年中盤あたりで軒並み終了。それに伴い新たに始まったシリーズコントは「たとえ警視」、「とみよしさん」、「サニーさん」、「香川さん」、「BOKE BOKE ヒノックン」、「龍としのぶ」など特定の人物をモデルにしたものや、内輪ウケ、楽屋オチ、芸能ネタなどがコントの内容のほとんどを占めるものとなってしまった。それに加えて初見の人には世界観などが理解しがたい玄人向けのコントが量産された。またこの時期は「オジャパメン」、「マウヤケソ」などの歌もの、「10万円分食べよう」や「草野球王」、「ビチクメーナーコンテスト」、「頭突きコンテスト」と芸人やタレントが単発ゲストとして出演する回数が頻繁にあり、よりダウンタウン色が色濃く反映されていった。そんな中、年明け早々、対決コーナーの安全確認をスタッフが怠るトラブルが発生して松本が激怒し、収録をボイコットする事件が起こり、急遽5周年突破企画として「公式ガイドブック」と称した総集編が4週にわたり放送された。YOU、篠原が降板し、番組内容は「藤岡弘と遊ぼう」、「ごっつええレギュラースカウトキャラバン」、「山田花子愛の告白めっちゃ好きやねん」などのロケ企画がメインに。番組の土台であったコント枠が撤廃となるも、7月からのオープニング・エンディングに突如登場した「エキセントリック少年ボウイ」がCDオリコン初登場5位を記録し、ライブイベントまで行われるほどの人気を確保したものの、皮肉にもそのイベントの模様を放送した「“お母様もぜひお子様にすすめてあげてください”スペシャル」が番組打ち切りへの引き金となってしまった。後述のプロ野球中継の差し替え事件によって(詳細は#突然の放送終了参照)、松本とフジの関係が悪化(ただし松本本人は「フジに恨みはない」としており、その後の他番組の変動はなかった)。フジテレビの出演全番組の収録ボイコットを経て、手打ちとして「ごっつ」の打ち切りが決定。ダウンタウン不在のまま急遽作られた2週にわたるコントの傑作選を最後に、番組は6年の歴史に終止符を打った。この番組で6年間に作ったコント本数は1304本だった。最初のスペシャル一作目においてはコントは特に設けられておらず、二作目から登場した。当初は「夢で逢えたら」の流れを汲んだ安いセットと短い時間ですむショートものが多く、シリーズものにおいてもその都度暫定のタイトルを使っていたが、1993年の11月以降はタイトルパターンを一新、内容も過激さを増していった。※ 量が多いため、伸縮型のメニューとして掲載する。右にある[表示]をクリックすると一覧表示される。※ 量が多いため、伸縮型のメニューとして掲載する。右にある[表示]をクリックすると一覧表示される。番組改編期でもない1997年11月2日という時期に突然番組が惜しまれつつも放送打ち切りとなった。発端は9月下旬に放送予定だったスペシャルが、前日の土曜日にプロ野球・ヤクルトが優勝までのマジックナンバーが「1」となり、フジテレビ側は急遽スペシャルの放送を翌週に変更しセ・リーグ優勝決定試合の中継放送に差し替えたため、これに松本が激怒した。このことへの事前連絡すらなかったこともあるが、最も大きな理由はこのスペシャル放送の日に合わせて番組の人気キャラクター「エキセントリック少年ボウイ」のCD発売が行なわれており、番組内にもそのCDに関係させた内容が作られていたため、松本からすれば「このスペシャルはその日に放送しなければ意味がない」ものだった。これ以前にもスタッフの怠慢によるトラブルがあった事から松本は番組出演に嫌気が差し、フジテレビとの関係が悪化していった。フジテレビの出演全番組の収録ボイコットを経て、手打ちとして「ごっつ」の打ち切りが決定した。翌週に放送するとしたスペシャルは結局放送されず、ダウンタウン不在のまま急遽作られた2週にわたるコントの傑作選を最後に同番組は6年の歴史に終止符を打った。この時、スポーツ紙等ではダウンタウンや松本が出演するフジテレビの全番組が終了すると報じられたが、松本は「フジに恨みはないです」としており、他番組の変動はなかった。打ち切り決定後最終回(とその前の回)のコント総集編の編集を担当した小松純也氏は番組がいつか復活することを願い、最終回エンディングの映像を放送第一回のオープニング「恋のマジックポーション」とした。オープニング映像の最初と最後の間に歴代レギュラーの名場面を挟み込み、最後に再び第1回のオープニング映像に戻るという構成で本番組のレギュラー放送は幕を閉じた。ちなみに歴代レギュラー名場面の順番は以下の通りである。浜田は1998年11月19日放送分のNHKBS2『新・真夜中の王国』内で「やめるって決めたんは2人でやったんですよ」「松本のワガママでやめたわけでもなんでもないです」と語り、「松本の身勝手で番組が打ち切りになった」とする新聞や雑誌の報道により松本ばかりが槍玉に挙げられてしまっていたことに対して、松本への同情とメディアへの怒りを示し浜田も松本同様、スタッフへの数年間にわたる不信を持っていたことも語った。対決コーナーでスタッフが安全確認を怠ったことがあり一度目は松本が激怒、二度目は浜田が(松本が怒ってどうしようもなくなる)と判断し、怒りながら鉄扉を蹴った。そのため足を骨折し、視聴者はいきなりギプスと松葉杖姿の浜田を見ることになった。東野はゲストで出演した読売テレビ制作・日本テレビ系列『HAMASHO』内で本番組の打ち切り事件について語り、「説明全く受けておらず、知らない間に番組が1本終わったんです。ある日突然スケジュールの月・火が消えた。情報は全てスポーツ新聞で知ったんですよ」などと話した。さらに松本はこの件でプロ野球関係者や芸能人から多くの批判を受けた。その中でも松本に対して最も怒りを露わにしていた人物が豊田泰光と萩本欽一の二人であり、豊田は『週刊ベースボール』のコラムで実名こそ出さなかったが「野球関係者に対する侮辱ですよ」と遠回しに松本のことを批判した。芸能間でも屈指の野球好きで、後に球団を主催することになる萩本も「野球中継への差し替えは当然のこと、松本君のような行動を取ったら笑われるよ」と名指しで松本を非難した。一方で大沢啓二は萩本のコメントに対し、自分の仕事にプライドを持つ松本の姿勢を高く評価していた。この件のしばらく後、松本は他番組で古田敦也らヤクルト選手と共演し、この件をネタにトークを展開し、互いに個人的なわだかまりはないことを強調していた。その後、騒動後に初めて収録された同局の『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』では松本が冒頭で「一時は番組の存続が危ぶまれましたけども」とネタにし、他のフジテレビ番組にも何事もないように出演していたが、『ごっつええ感じ』に関してはわだかまりが消えず、2000年大みそか放送の『FNS年末スペシャル フジテレビにしか出来ない20世紀の黄金バラエティ大全集!』では紹介が除外されていた。2009年2月28日放送の『フジテレビ開局50周年 バラエティルーツの旅』でも「オジャパメン」・「エキセントリック少年ボウイ」の映像は放送されたものの、他のコントのキャラクターは放送されなかった。ただし、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』や『ダウンタウンなう』では時々本番組の映像を流すことがあった。本番組の構成作家であり、松本の友人である高須光聖氏も小松氏との対談で打ち切り事件発生前後の制作現場の状況を語っている。当時番組を大幅にリニューアルするプランが実行されようとしており、それは松本自身が提案していた模様。しかし、小松氏は「ビジョンが見えない」とあまり賛成ではなく、騒動で番組打ち切りが決まった時は「これはこうなる運命だったのか」と思ったという。松本が番組を辞めると言い出した時、高須氏は辞めたら駄目だと説得。「『ごっつ』を辞めれば、吉本的にもえらいことになるし、多分俺らが思ってる以上にこれは大きなことで、それは松本自身の怒りを使っての駆け引きをするとか交渉ができるとか、そんなレベルの事じゃないと。なにより、俺はもうこれ以上週刊誌とかにあること無いことダウンタウンが叩かれるための要因を作りたくなかったのよ。」と語っている。しかし松本は「その場の感情だけで言うてるんちゃうから」、「俺がお笑いに対して、どれだけ強い想いを持って毎週『ごっつ』を作っていたか。それを、今辞めることで伝えられるはず」と固辞。「きっと何年後かには、この事件が過去のものになって、『あぁ、あの時、だからこんな決断をしたんだ』って、思ってもらえるようになる日が必ず来る。だから、今辞めることは、必要やねん。これから何年かはどうなるか分からんけど、でも、今、必要悪やと思うから」と高須氏に語ったという。本放送終了後、DVDは発売されているものの番組の再放送はCSも含めて行われていない。理由として上述の打ち切り騒動や放送コードスレスレの過激描写が現在の放送基準に耐えることができる回が少ないためとされる。なお横浜市の放送ライブラリーにはレギュラー放送の第1回が収蔵されており、こちらは誰でも視聴可能である。2004年1月から同じ日曜20時台で浜田司会の『ジャンクSPORTS』が枠移動のかたちで放送開始され、2010年3月まで続いた。そして、特別番組として3回放送したダウンタウン司会の『爆笑 大日本アカン警察』が、2011年春改編より日曜日20時台でレギュラー放送されることになり、浜田にとっては1年ぶりに、松本にとって、およびダウンタウンとしてはおよそ13年半ぶりに同枠へ復帰することになった。そのためか2011年7月9日に放送された『テレビを輝かせた100人』において本番組の映像が放送され、「エキセントリック少年ボウイ」、「キャシィ塚本」、「放課後電磁波クラブ」などが紹介された。2001年10月12日、当時のレギュラーの一部に新メンバーを加えて『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』として復活した。内容は往年の人気コントの続編、新作コント、出演者にアドリブで歌を歌わせるドッキリ等。フジテレビの自社制作であったレギュラー放送時とは違い、ダウンタウンと太いパイプで繋がっている読売テレビ系列の映像制作会社のワイズビジョンが同特番の制作を担当した。このスペシャルの未公開を含む全編が2003年に発売されたDVD『THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 4』に収録されている。2人がキャラを紹介する時に「ダウンタウンのごっつええ感じキャラクター図鑑」を使っていた。しかしこの特番は視聴率が9.0%とあまり伸びず、松本はこれ以降2010年にNHKの特番『松本人志のコントMHK』で制作するまで、テレビで本格的なコントを作っていなかった。ダウンタウンの同級生でもある放送作家の高須氏は、「松本はテレビ向けにコントをする事を諦めたんです」とコメントした。コントが復活したのは後にも先にもこの一度きりだった。2014年3月28日、同月26日発売の再編集版DVD『THE VERY BEST ON AIR of ダウンタウンのごっつええ感じ』の発売に合わせて深夜26時05分 - 28時05分の関東ローカル深夜枠で『ダウンタウンのごっつええ感じ DVD発売記念スペシャル』 が放送され、後日一部系列局でも放送された。進行役として番組レギュラーだった板尾・東野が出演し、当時のレギュラーだったYOU、木村、ユニコーンや当時視聴者だったタカアンドトシ、ブラックマヨネーズ、西川貴教、松岡充(SOPHIA)などのVTRゲストと共にリクエストコントや当時の想い出トークを放送する内容となった。このほか番組放映当時に、コントに登場したキャラクターのシールがおまけに付いた激辛カレー味のスナック菓子、コントキャラクターを辞典式に掲載した番組公式本(コラムや松本が語るキャラのその後が書かれている)などが発売されていた。2014年は番組放送時の感じを再現しようと収録時のCMやダウンタウンが出ていたCMを収録しているが権利関係の緩い物ばかりである。

出典:wikipedia

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