旭川市(あさひかわし)は、北海道中央部の上川盆地にある中核市。北北海道の政治・経済・産業・文化の中心地。上川総合振興局所在地。北海道中央部の上川盆地に広がる人口約35万人の中核市で、札幌市、仙台市に次ぐ第3の人口を有する北日本を代表する都市。広い北海道のほぼ中央に位置し、国道・鉄道ともに北海道の東西南北4方向へ向かう幹線道の起点となっており(国道12号のみ終点)、道央自動車道(札幌・函館方面、稚内方面)や旭川紋別自動車道(オホーツク方面)、旭川十勝道路(富良野、十勝方面、工事中)といった高速道路も整備されているなど北海道の交通の拠点となっている。旭川空港からは東京、大阪、名古屋へと定期便が発着している。観光地としては、旭山動物園がその行動展示により2000年代から人気を博し、年間150万人程度の入場者のある全国有数の動物園となっており、また大雪山からの伏流水と肥沃な大地から生まれる豊富な食材を活かした飲食店も多くある。さらに大雪山や美瑛、富良野といった有名観光地へのアクセスも良好で、観光拠点としても便利な為、道外はもとより特に東アジアやオーストラリアなど世界から年間500万人以上の観光入込客数があり、「国際会議観光都市」にも認定されている、日本を代表する観光の街である。忠別川がその約50メートル南という至近距離を流れるターミナル駅の旭川駅が「川のある駅」をコンセプトに建てられていて、市内には石狩川、忠別川、美瑛川、牛朱別川の4大河川をはじめとした大小多くの河川が流れている川の街、それにより、現存する唯一の北海道三大名橋・旭橋をはじめとした多くの橋がある橋の街でもある。また、旭川にゆかりのある文学者や芸術家も多く、市内各所に野外彫刻作品が置かれている芸術の街ともなっている(旭川の野外彫刻)。さらに大雪山の麓という立地を生かし、製紙工場やクラフトがあり、旭川家具は全国的ブランドとなっているなど木材の街にもなっている。食では全国有数の米、酒の産地であり、旭川ラーメンも全国的に有名である。「旭川」という地名は開村の告示で村名として初めて登場した。その由来は諸説あり定かではないが、アイヌ語で忠別川を指す「チュプ・ペッ」(ラテン文字表記:cup-pet。「チュプ」は「日」の、「ペッ」は川の意味)を語源にしている説がある。その「日」を「旭」に置き換えて「旭川」にしたと言われている。また、忠別川には「チゥ・ペッ」(ラテン文字表記:ciw-pet。「波」・「川」、「波立つ川」の意味)や「チュㇰ・ペッ」(ラテン文字表記:cuk-pet。「秋」・「川」の意味)などに由来する説もある。旭川市は北海道内最大の盆地となる上川盆地にあり、石狩川、牛朱別川、忠別川、美瑛川などの河川合流部に位置している。市西部に幌内山地、天塩山地、嵐山丘陵が南北に連なっており、石狩川は幌内山地を侵食して神居古潭渓谷を形成している。「神居古潭渓谷の変成岩」は日本の地質百選に選定されている。市北部に比布丘陵、市東部に米飯山地が分布している。突哨山(とっしょうざん)には日本最大級のカタクリ群落がある。旭川市は上川盆地に位置していることから、典型的な内陸性気候になっている。気温の年較差が50度以上あるため寒暖の差が大きいことが特徴であり、1902年(明治35年)1月25日に日本の気象官署での観測史上最低気温となる-41.0度を記録、1989年(平成元年)8月7日には旭川(上川地方)観測史上最高気温となる36.0度を記録している。降水量は年間1,000mm程度となっている。降雪量は市内各地区によって違いがあり、忠和地区や春光台地区では旭川気象台観測より約30%増の降雪量を観測する。降雪量の平年値は北海道内で倶知安町、岩見沢市に次ぐ数値を記録しているが、どか雪が比較的少ないため最深積雪は余り大きくならない。1年間に雪の降る日数は143.8日は日本国内で最も多い。春は移動性高気圧に覆われる日が多く穏やかな天気の日が続くが、寒さが残る。夏になるとオホーツク海高気圧の影響により肌寒い日もあるが、梅雨前線の北上と太平洋高気圧の勢力が強まることにより気温も上昇する。時折、雷を伴った強い雨が降ることもある。秋は低気圧や前線が北海道付近を通るため、天気は周期的に変わる。昼と夜の気温の差が大きくなり、明け方頃に晴れていると放射冷却現象により大きく気温が下がって霜が降りたり水たまりに氷が張ることもある。冬はシベリア高気圧の勢力が強まり、オホーツク海に低気圧が進んで等圧線が南北に走る西高東低の冬型の気圧配置となる。近年、旭川市街地でもヒートアイランド現象の傾向があると考えられており、市街地の平均気温が30年間で1.1度上昇している。一方、郊外にある江丹別地域の冬季は厳しい寒さの日が続く。札幌市に次ぐ北海道内第2の人口規模を持つ都市であり、東北地方を含めても仙台市に次いで3番目の人口規模となっている。昭和に入り数回にわたる周辺町村との合併や都市部への人口集中により1985年(昭和60年)頃まで人口増加傾向が続いてきたが、横ばいとなった後、2000年(平成12年)から減少趨勢となっている。近年は、都市圏人口はそこまで減っていないにも関わらず、東神楽町や東川町といった隣接する町がベットタウンとして人口増加をみせているため、市域人口の減少はペースを上げている。「旭川市の概要 あゆみ」参照。「日本歴代市長」参照。「旭川市議会のページ」参照。旭川市単独で1つの選挙区(旭川市選挙区)を有し、定数は6人。旭川市は大日本帝国陸軍第七師団が移駐した影響により経済や産業基盤が成立していき、農業をはじめ食料品、紙・パルプなどの製造業を基幹産業とし、地理的条件により北北海道(道北、オホーツク)の商業、物流の拠点になっている。また、医療、教育、文化などの都市機能が集積している。産業別の就業者では、第三次産業に従事している割合が全体の約80%と最も高く、製造品出荷額等では食料品製造業の割合が最も高くなっている。旭川市は多くの河川が市内を流れて大雪山系の雪解け水や伏流水の恩恵を受けているため、様々な産業で水資源を有効活用している。水稲作付面積と収穫量ランキングは北海道内でともに岩見沢市に次ぐ2位となっており、ソバの作付面積は北海道内で幌加内町、深川市に次ぐ3位となっている。また、豊富な水資源と良質な米によって酒造りが行われているほか、旭川地域では家具や木材、木製品(木器)に関係する企業が集積している。「都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC」参照。北海道運輸局による「一般乗用旅客自動車運送事業(タクシー)の自動認可運賃等」では「北海道B地区」に区分。営業区域は旭川交通圏。市内を通る幹線道路は、シーニックバイウェイの「大雪・富良野ルート」、大雪 - 富良野 - 十勝を結ぶ「北海道ガーデン街道」になっている。「旭川市内の指定・登録文化財」参照。「旭川市の概要 ランキングで見る旭川」参照。1990年(平成2年)から3年おきに『国際家具デザインフェア旭川』(IFDA ASAHIKAWA)を開催し、2000年(平成12年)から『旭川彫刻フェスタ』も開催している。日本国内有数の米どころであり、郊外には大雪の山々を背景とした田園風景が広がっている。大雪山連峰に源を発している伏流水が田を潤し、盆地ならではの寒暖の差が米のおいしさを増している。さらに、冷涼な気候は病害虫の発生が少ないので農薬の散布量も比較的少なくて済む利点がある。1891年(明治24年)に屯田兵が入植した年から酒造りが始まっており、1996年(平成8年)には大雪地ビールが誕生した。江丹別地域を中心にソバの栽培が盛んで、江丹別そばが有名である。旭川ラーメンは北海道遺産「北海道のラーメン」の1つであり、加水率の低い麺を使用している。粉をこねるときに加える水が少ないことでスープをよく吸って小麦の香りを感じる歯触りの良い麺となる。米と同様に良い水に恵まれていることが麺の要因となっている。また、かつて養豚業が盛んであったことから塩ホルモン、豚トロは旭川が発祥の地とされている。ご当地グルメとしては主に旭川や空知地方で提供しているもつそば、おにぎりとホットドッグを足して2で割ったかのようなジュンドッグ、イカの足を片栗粉でまぶして揚げたゲソ丼、若鶏の半身を炭火などで素焼きした新子焼きがある。菓子ではもち処一久 大福堂、梅屋、共成製菓(旭豆)、三葉製菓(北かり)、高橋製菓、壺屋総本店、ロバ菓子司などがある。100年以上の年月により培われてきた旭川家具は機能性やデザイン性に優れた家具づくりをしており、日本国外の見本市にも出展している。2010年(平成22年)の旭川市開村120年に合わせて誕生した。旭橋のベルトや旭川ラーメンのフリンジなど旭川の特徴を取り入れ、“旭川”の“ハッピー”を願うキャラクターとなっている。ロケーション撮影に関する窓口として「旭川地域フィルムコミッション」(旭川FC)を設立している。「旭川市名誉市民」参照。「旭川市民栄誉賞」参照。※50音順昭和35年9月20日制定行政産業観光
出典:wikipedia
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