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フィジー

フィジー共和国(フィジーきょうわこく)、通称フィジーは、オセアニアの国家で、イギリス連邦加盟国である。首都はビティレブ島のスバ。南太平洋のフィジー諸島と北に500㎞程離れた保護領のロツマ島に位置する島国である。300余の火山島と珊瑚礁からなる。西にバヌアツ、東にトンガ、北にツバルがある。正式名称は、Republic of Fiji(リパブリック・オブ・フィージー)。通称、Fiji。日本語の表記は、フィジー共和国。通称、フィジー。他に、フィジイ、フィジィ。1998年にフィジー共和国からフィジー諸島共和国へと改称したが、2011年2月に再度フィジー共和国に戻った。また、漢字による表記は「斐濟」である。パプアニューギニアと並ぶ南太平洋の島嶼国のリーダー。大統領を元首に戴く象徴大統領制、首相が行政権を掌握する議院内閣制で、議会は二院制であるが、イギリス国王を元首に戴く立憲君主制への復帰も検討されている。2014年9月まで軍事政権。軍事政権は、2009年3月に民政復帰のための総選挙を実施するとしていたが、延期されていた。2009年4月高裁が軍事政権を違法と判断を下したため、イロイロ大統領は憲法を廃止して自らが政府の実権を握ったと言明し、バイニマラマ軍司令官を暫定首相に再任し、国内に30日間の非常事態宣言を発令し、総選挙を2014年に先送りすると表明した。軍事政権はメディアへの検閲を開始し、オーストラリアABC放送の記者らを国外退去させた。市民生活は通常通り。フィジーは伝統的に、日本やオーストラリア、ニュージーランドなど、アジア・太平洋諸国との関係を重視してきたが、軍事政権樹立後は民政復帰や民主化への対応をめぐって内政干渉を行うオーストラリアやニュージーランドと対立している。遂には、両国大使のフィジーからの退去を命ずる一方、オーストラリアとニュージーランド政府もフィジー大使の国外退去を命じる局面もあった。オーストラリアやニュージーランドとの貿易額はシンガポールについで大きく、フィジーはオーストラリアから小麦粉や食料品その他を輸入している。ニュージーランドからは牛乳や肉その他食料品の輸入が多い。フィジーにはビジネス目的に暮らしているオーストラリア人やニュージーランド人も多く、Fiji Australia Business Council や Fiji New Zealand Business Councilもある。貿易以外にフィジーのリゾートはオーストラリア人やニュージーランド人経営が多く、Fiji Australia Business Councilは、オーストラリア政府のフィジー政府に対する姿勢をビジネス促進に対する障害として批判する発言をだしたこともある。オーストラリアとニュージーランドの度重なる内政干渉による圧力のため、近年フィジー軍政は新たな活路として中国との関係を強化している。以前は、ほとんどいなかったとされる中国人がフィジーを訪れるようになり、年間1万人にまでになった。このため首都スバ市内には中国人経営の店舗が拡大している。2010年にはエアパシフィックとキャセイ航空の共同運航で香港から直行便が就航した。(日本から乗り継ぎ可能)中国人は首都スバにいくビジネスマンが大半でフィジー本島西部ナンディではあまり見かけない。また、フィジー各地で中国の援助による建築やインフラ整備が進み、娯楽施設や幹線道路、水力発電所を建設している。中国がフィジーに援助をする狙いは、豊富な漁業資源の獲得にあると見られている。理由は中国の経済成長により、国内のマグロ消費量が多くなっていることがあげられる。近年、中国の遠洋漁船がスバ港で多く見られるようになり、今では7割の外国船が中国の漁船である。また、フィジー最大の水産企業は中国の国営企業3社で、27隻のマグロ漁船で5分の1のマグロを水揚げしている。この国営企業はフィジー軍政のバイニマラマ首相とも太いパイプがある。2010年1月、中国政府はフィジー大統領府の敷地を囲む塀の無償援助をフィジー政府に約束した。塀の工事は中国の中鉄五局グループ(大手ゼネコン中国中鉄グループの一員)が請け負った。長さ2.4キロメートルの塀は2011年2月に竣工した。フィジーの南、トンガの南東およそ400㎞にあるミネルバ・リーフの領有権を主張している。ミネルバ・リーフにおいては1972年1月にユダヤ系アメリカ人のマイケル・オリバーがマイクロネーションとしてミネルバ共和国の独立を宣言したが、周辺のフィジー、トンガ、ナウル、西サモアとクック諸島自治政府は、オーストラリアやニュージーランドと協議し同年6月にトンガ軍が上陸し占領した。しかし翌月フィジー軍が上陸し領有権を主張、このときはトンガの正式な領有権主張を認めたフィジー政府だったが、再び領有権を主張し2005年国際海底機構に提訴した。また、ミネルバ共和国の後継を主張するメンバーがミネルバ公国として再度領有権を主張するなど混乱が続いている。フィジーは、4つの地域 (division) という行政区画に分かれる。( )内は地域政府所在地。群島の北部にあるロツマ島は、保護領である。全島が熱帯雨林気候(Af)となっており、年中高温多雨。南東貿易風の影響下にはいる5月~11月は降雨も少ない。主に農業や衣料や観光で成り立っている。観光で得る収入は2億7000万ドルにのぼり、耕地面積は26万haある。農業に従事する人は13万人いる。貿易は大幅な輸入超過である。輸出品は、野菜や果物、アメリカで人気の高いフィジーウォーター、砂糖、マホガニー、パルプ、衣料品、コプラ、ココナッツ石鹸、食料品などである。サトウキビ栽培は19世紀にヨーロッパ人が島にやって来たときに始まる。当初は、サトウキビ栽培に適した土地に製糖所を作るという小規模なものであったが、植民地政府が奨励し経済的基盤としたためにサトウキビ産業として発展した。1988年までは最も重要な産業であったが、観光や衣料の輸出などの他の産業に押され気味である。しかし、労働力の四分の一を雇用している。2010年度の調査では、フィジーを訪れた観光客は631,868人で2009年より16.5% 増加した。オーストラリア人観光客が50.4%を占めて一番多く、前年より28%増加して31万8135人。2位はニュージーランド 97857人、3位はアメリカ 53122人、4位は南太平洋諸国 39198人、5位はヨーロッパ諸国 30088人。2004年より英語学習を目的とした教育観光に力を注いでおり、ナンディとラウトカにキャンパスを置くFree Bird Instituteでは、年間1500名以上の留学生が英語留学している。フィジーの主要放送局はフィジーワンと、Mai TVがあり、そのほか有料のスカイTVもある。インターネットはConnect, Kida net, Vodafone など各社がある。フィジーにもキャンパスを設置する南太平洋大学もプロバイダを行っている。新聞は売店などで80セントから90セントで手に入る。新聞は英語のフィジータイムス、フィジーサンのほか、フィジー語やヒンドゥー語の新聞が発行されている。住民は、フィジー系が51%、インド系移民が44%、ヨーロッパ人や他の太平洋の島民、華人などが5%である。宗教は、キリスト教が52%、 ヒンドゥー教が38%、イスラム教が8%、その他2%である。言語は、英語、フィジー語、ヒンディー語(フィジー・ヒンディー語)が公用語。フィジーの住民は、先住民であるフィジー系と、イギリスが植民地時代に強制入植させた新しい住民であるインド系が多数を占める。リトル・インディアの相を呈する。19世紀の後半、西洋との接触でもたらされた伝染病が原因で、フィジー人絶滅の危機にさらされた。宗主国のあいだで奴隷制を終焉させ、先住民保護思想が広がっていたので、宗主国イギリスは人種絶滅を避けるためサトウキビ・プランテーションの契約労働者としてインド人導入政策をとった。こうしてインド人移民が始まったのである。1879年479人が移民した。フィジー系のみで構成される伝統的社会指導者評議会 (GCC) による大統領任命が行われるなど、歴史的には政治面でのフィジー系の優遇政策がとられてきたが、ビジネスに長けたインド系へのやっかみもある。1999年5月の総選挙でインド系首相が就任したが、2000年5月にフィジー系の政治的優位の強化を主張する武装勢力によるクーデターが発生した。ただし、現政権によってGCCは廃止された。ライセニア・ガラセ政権がフィジー系・インド系の対立の改善を図るが、2000年のクーデターでフィジー系の攻撃標的にされた軍司令官が宥和政策の実施を行うための法律は、実は2000年クーデター参加者の特赦が目的であると、これを拒否、2006年12月ガラセ首相を強行解任。大統領が司令官の方針に同調。近年はフィジー系とインド系の結婚が進み、混血も多い。現政権はフィジー系とインド系の融合で、現政権のトップはフィジー人のバイニマラマであるが、国のナンバー2である司法長官はインド系の元弁護士カイユンAiyaz Sayed-Khaiyumである。カイユンは2011年3月にフィジー系女性と結婚した。各村には、集会などに用いられるブレと呼ぶ建物がある。ラグビーが国技と言われるほど盛んであり、15人制では2007年のラグビーワールドカップではベスト8に入ったほか、7人制ではラグビーワールドカップセブンズで1997年と2005年の2回優勝。オリンピックでは7人制として初めて開催された2016年のリオデジャネイロオリンピックで優勝。全種目を通じフィジー初の五輪メダルを獲得した。

出典:wikipedia

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