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ホワイトスネイク

ホワイトスネイク("Whitesnake")は、1977年に活動を開始したイギリスのロックバンド。元ディープ・パープルのデイヴィッド・カヴァデール(ヴォーカル)を不動のフロントマンとし、他のメンバーは彼をサポートをする形をとっている。ディープ・パープル解散後の1976年、デイヴィッド・カヴァデールはソロ・アーティストとして活動を開始した。このとき作曲と演奏の両面で共同制作者としてサポートしたのがギタリスト・ソングライターのミッキー・ムーディである。グループ名ともなる「Whitesnake」という共作が収められた最初のソロ・アルバム『ホワイトスネイク』(1977)、そして2作目の『ノースウィンド』(1978)をロジャー・グローヴァーの下で制作し、カヴァデールを中心としたグループ"ホワイトスネイク"が形成されていく。初期のメンバーは前出のミッキー・ムーディに、元ストリート・ウォーカーズのディヴ・ドウルとブライアン・ジョンストン、バーニー・マースデン、ニール・マーレイ。さらにジョンストンがピート・ソリーに代わりグループがスタートする。1978年、グループのお披露目となるEPアルバム『スネイクバイト』からDavid Coverdale's Whitesnake名義のバンド活動がスタートし、同年初のフルアルバム『トラブル』(このアルバムからDavid Coverdale'sが取れ、シンプルにWhitesnakeとなる )からジョン・ロードが参加、後にはやはり元ディープ・パープルのドラマーイアン・ペイスも合流する。元ディープ・パープルのメンバーが三人も集まっていたが、ホワイトスネイクの音楽性はデイヴィッド・カヴァデール自身が傾倒するブルースとハードロックを基本としていた。UKチャートでトップ20に上ったシングル「フール・フォー・ユア・ラヴィング」(1980年)、「ドント・ブレイク・マイ・ハート・アゲイン」(1981年)などのスマッシュ・ヒット曲も出て、英国、欧州そして日本では根強い人気を誇った。1981年の来日公演も成功した。だが、ディープ・パープル時代からの恩人でもあるロードとペイスも、カヴァデール主導で動くホワイトスネイクでは待遇が悪いことに不満を感じており、ペイスはゲイリー・ムーアからの誘いなどを理由に脱退していった。 分解してしまったホワイトスネイクは、これを機会にメンバーをリセットし、新バンドとして再構築を図ることとなった。1982年になってデイヴィッド・カヴァデールの娘の病気を理由に、グループは一時活動休止するとマネージメントが発表した。80年代に入ると、ホワイトスネイクは全米での成功を悲願とするようになる。しかしデイヴィッド・カヴァデールの私生活を巡る問題、特にハード・ドラッグの乱用(コカイン中毒)による家庭内のトラブルが裁判沙汰となって活動が頓挫。更にメンバーとマネージメント側との金銭的問題などが発生する。またプロデューサーであったマーティン・バーチとミッキー・ムーディは衝突を繰り返した。1982年、アルバム『セインツ・アンド・シナーズ』をリリース。このアルバムに参加メンバーのクレジットはなく、またアルバムのリリース時には既にデイヴィッド・カヴァデールは他のメンバーを解雇していた。デイヴィッド・カヴァデールはこれを機会にメンバーをリセットし、新バンドとしてホワイトスネイク再構築を図ることとなった。ジョン・ロードとミッキー・ムーディがバンドに復帰し、ベース・プレイヤーのコリン・ホッジキンソン、元トラピーズのギタリスト・ソングライターのメル・ギャレィ、コージー・パウエルが集められた。1983年にアメリカのゲフィン・レコードとの契約を結び、翌1984年1月、新生ホワイトスネイクによる『スライド・イット・イン』を発表。このアルバムは、アメリカ盤ではギターがミッキー・ムーディから元シン・リジィのギタリストジョン・サイクスに、ベースもコリン・ホッジキンソンからニール・マーレイに差し替えられ、ミックスもラジオで聞きやすいものに変更されていた。このアルバムはグループ初のアメリカでのダブル・プラチナ・ディスクとなる。だが、このアルバムの成功によってツアーの厳しさは増し、メル・ギャレイが怪我を理由にグループを抜け、コージー・パウエルも1985年のツアーの後にグループを去った。ジョン・ロードもディープ・パープル再結成のためにグループを去っている。1987年、ジョン・サイクス (ギター)、ニール・マーレイ(ベース)、エインズレー・ダンバー(ドラム)、ドン・エイリー(キーボード)のメンバーによる、3年振りのアルバム『Whitesnake(WS1987、日本での当時の別題:サーペンス・アルバス〈白蛇の紋章〉)』をリリース。このアルバムは全米で2位、800万枚以上を売り上げ、(2007年までにアメリカだけでも1000万枚を超える)大成功を収める。本作のレコーディング前に、カヴァデールは喉のポリープの摘出手術をして、高音がよく響くようになり、本作のスタイルは前作よりさらに洗練され、より明快でドラマティックな起伏にとんだ構成になっている。また、サイクスという若い技巧派ギタリスト(再録の2曲を除く全曲で作曲にも参加)の加入もあって、以前のようなブルースロックを基軸としたスタイルから、モダンなハードロック・バンドへの変貌に成功した。他方で、このアルバムがアメリカ向きとなっており、カヴァデールがロバート・プラントを髣髴とさせるような金髪に髪を染め、また、収録曲の「スティル・オブ・ザ・ナイト」の曲調などから、レッド・ツェッペリンを真似ていることを強く批判されることになった。しかしながら、このアルバムの質の高さは疑いようもなく、現在でもロック史上に残る作品として記憶されている。しかしながら、この作品の発表時にはカヴァデール以外のメンバーはバンドを解雇されており、プロモーション・ヴィデオの撮影に集められた元ヴァンデンバーグのエイドリアン・ヴァンデンバーグ(ギター)、元ディオのヴィヴィアン・キャンベル(ギター)、元オジー・オズボーン・バンドのトミー・アルドリッジ(ドラムス)、元クワイエット・ライオットのルディ・サーゾ(ベース)が新生ホワイトスネイクとなった。MTVでは彼らの曲が頻繁にオン・エアされ、カヴァデールの当時の恋人Tawny Kitaen(後に1989年に結婚/1991年に離婚)が出演するプロモーション・ヴィデオも注目を集めた。新メンバーによるワールド・ツアーも人気を博した。ツアー後、カヴァデールの目指す音楽性と異なることが原因でキャンベルが脱退。次作に向けての曲作りはカヴァデールとヴァンデンバーグを中心に行われた。しかしレコーディングを前にヴァンデンバーグが腱鞘炎が原因と思われる右腕の麻痺のために演奏不能となり、急遽スティーヴ・ヴァイを起用してギターパートの録音を行った。このアルバム『スリップ・オブ・ザ・タング』は1989年に発売され、300万枚を売り上げた。アルバムに伴うワールドツアーを行い、1990年8月にはモンスターズ・オブ・ロックに出演して、その時の演奏は後にライヴ・アルバムおよびDVD『ライヴ・アット・ドニントン 1990』として発表された。しかし、グループは1990年暮れに解散した。その後、カヴァデールはジミー・ペイジとのプロジェクト、カヴァデール・ペイジに取り組むことになる。カヴァデール・ペイジのプロジェクト消滅後の1994年、カヴァデールはホワイトスネイクを再結成する。『グレイテスト・ヒッツ』の発売に合わせ、ギターに元ラットのウォーレン・デ・マルティーニを迎えるなどした新メンバーで同年にヨーロッパツアーを行い、その後日本でも公演が行われた。1997年、エイドリアン・ヴァンデンバーグとの共同制作によるカヴァデールのソロ色の強いアルバム『レストレス・ハート』や、7月そのプロモーション活動の一環で訪れた日本でのヴァンデンバーグとデイヴィッド・カヴァデールのデュオによるアンプラグド形式のショウを収めたスタジオ・ライヴ・アルバム、『スターカーズ・イン・トーキョー〜アコースティック・ライヴ・イン・ジャパン』などをリリースした。1997年のツアー後、カヴァデールは再びバンドを解散し、2000年にはソロ名義でアルバム『INTO THE LIGHT』をリリースした。2003年9月、25周年記念ツアーのためにホワイトスネイクはまったく新しいメンバーで再結成された。以降はライヴ活動を中心とするようになる。2006年5月には来日ツアーも行われ、新たなパートナーであるギタリスト、ダグ・アルドリッチとの共作による新曲も披露された。2008年4月には、待望のニューアルバム『グッド・トゥ・ビー・バッド』がリリースされ、10月来日公演を行った。2011年、3年振りの新作『フォーエヴァーモア』が発売され、それに伴うワールドツアーが進行中である。日本公演に先立ってLOUD PARK 11にリンプ・ビズキットとのダブルヘッドライナーとして出演した。2013年2月、LOUD PARK出演時の映像を作品化したメイド・イン・ジャパンをDVD、Blu-ray Disc、ライヴアルバムとしてリリース。5月にはイヤー・オブ・スネイクと題したワールド・ツアーの一環で来日公演を行った。2014年5月、ダグ・アルドリッチが自身のツイッター、フェイスブック等で「今はもうホワイトスネイク/デイヴィッド・カヴァデール・バンドにはいない」と声明を出し、脱退を発表。8月にはナイト・レンジャーのジョエル・ホークストラがダグの後任として加入することが発表。同時にジョエルはナイト・レンジャーを脱退している。2015年4月、カヴァデール在籍時のディープ・パープルの楽曲をセルフカバーした『ザ・パープル・アルバム』を発表。リリース直前にはキーボディスト及びシンガーとしてミケーレ・ルッピの加入が発表された。

出典:wikipedia

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