坂口 正大(さかぐち まさひろ、1941年2月19日 - )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属していた元調教師で現在は競馬評論家である。同志社香里中学校・高等学校、同志社大学卒業。父の坂口正二は元調教師、長男の坂口貴大は調教助手。調教師の坂口正則は従兄弟に当たる。1966年に父の坂口正二厩舎で調教助手となる。1974年に調教師免許を取得し、1976年に厩舎を開業。初出走は同年3月7日、阪神競馬第10競走のレイクルーラーで落馬・競走中止という珍しい記録である。 初勝利は同年4月25日、京都競馬第11競走で、初出走と同じレイクルーラーであった。延べ14頭目での達成。 1978年の阪神大賞典をキャプテンナムラで制して重賞初勝利を挙げる。翌年の鳴尾記念を同馬で優勝して以降、重賞勝利から遠ざり、1989年のラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスをレガシーワイスで優勝し、実に10年ぶりの重賞勝ちを収めた。その後、1995年の菊花賞をマヤノトップガンが勝ち、G1競走初勝利を挙げた。これ以降はコンスタントに重賞を勝つ馬が出てきた。2000年の高松宮記念にキングヘイローを柴田善臣騎乗で出走させ、直線で一気に他馬を差し切り、優勝した。同馬は1998年の牡馬クラシック路線の中心を担う1頭であったが勝つことができず、1999年も重賞は勝ったものの、GIは手が届かなかった。ようやくGI馬となったことに坂口は人目を憚らず、涙を見せた。騎手は所属する浜中俊の起用が多い。オープン競走などの有力馬には武豊や福永祐一を騎乗させることが多かった。2011年2月28日に定年のため引退した。最後の管理馬の出走となった2月27日の阪神競馬第8競走では、浜中が騎乗するピサノプレミアムが1番人気で最後の勝利を挙げた。引き上げてくると坂口と浜中は涙を見せた。引退後は日刊スポーツで競馬評論家として活動しているほか、同年5月頃から不定期に『KEIBA BEAT』にアドバイザーとして出演をし、2012年からはレギュラー出演している。※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
出典:wikipedia
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