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臨時装甲列車

臨時装甲列車(りんじそうこうれっしゃ)とは、日本陸軍が満州と中国で使用するために昭和7年(1932年)に製作した装甲列車である。日本陸軍はシベリア出兵の体験で装甲列車整備の必要性を痛感したが、研究は進んでいなかった。済南事件および満州事変に投入された装甲列車は、戦時に応じて現地急造されたものである。また南満州鉄道(満鉄)では自社線路を守るために、関東軍や守備隊の意見を取り入れて、若干の火砲と小火器を搭載して装甲列車を製作したが、いずれも軍部が主体となって開発したものではなかった。さらに満州事変を通じて、装甲列車の運行と鉄道沿線の遭遇戦などを経験したことから参謀本部でもようやく試験的に装甲列車を造ることとなった。これが臨時装甲列車、また軽装甲列車とも呼ばれた車輌である。整備計画は昭和7年8月15日、陸満密第602号で発令された。設計は陸軍技術本部が担当し、製造指揮は陸軍兵器廠が行なった。主任者が満州に出張して、実際の製作は満鉄が行なった。製作費は200万円である。基本となる車体は満鉄が担当することになり、満鉄の機関車および諸車輌を車台として製作した。火砲やその他の兵器はすべて兵器廠から供給された。装甲板は日本製鋼所において作られたものを満州に輸送した。改造・兵器搭載・装甲の装着は、満鉄大連工場において昭和7年12月から開始され、昭和8年(1933年)5月に竣工にこぎつけた。本列車は旅順、大連、新京間の線路で試験を実施した後、同年7月関東軍に交付された。完成後の臨時装甲列車は、機関車(炭水車付き)×1、補助炭水車×1、指揮車×1、重砲車×2、軽砲車×2、歩兵車×2、材料車×1、警戒車(防護車)×2、計12両の編成、その配列は次の通りであった。各車両はいずれもカムフラージュが施され、とにくソ連鉄道の1524mm広軌にも対応が可能なように、全車両に対して広軌用車輪と長車軸が用意されていた。臨時装甲列車は昭和7年以降、満鉄で続々と製作されたが、列車編成は年度によって異なっていた。いずれも各装甲列車隊へ引き渡されて、中国大陸鉄道の警備についている。

出典:wikipedia

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