金 学順(キム・ハクスン、、1924年 - 1997年12月16日)は韓国人の元慰安婦。1991年に自ら元慰安婦として名乗り出て多くの証言を行った。各々の証言の真贋については議論のあるところだが、彼女が慰安婦であったことは確かとされている 。韓国遺族会裁判(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件)で、裁判所に提出された略歴には「金秦元の養女となり」と書かれている 。(身売りされたと解釈している人もいる。)以下は韓国挺身隊問題対策協議会の調査による。新聞報道としては朝日新聞が1991年8月11日に掲載した慰安婦の記事が最初のものである。インタビューして記事にした記者は当時ソウル支局勤務であった植村隆記者。この記事における『日中戦争や第二次世界大戦の際、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」のうち、一人がソウル市内に生存していることがわかり、』という記述から、韓国で「女子挺身隊」=「従軍慰安婦」という認識ができたとされている。後の訴訟時にはこの「女子挺身隊」という用語は登場していない。植村隆記者は「連行された」との報道を行ったが、1991年5月15日「ハンギョレ新聞」では、「生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった」という彼女の証言を報道している。生年は戸籍で確認され、ヒアリングは何回も行われており、本人に不利な証言もしているためである。彼女の証言では秦郁彦と同じように、中国にいくまでの経緯についてまず養父に40円で売られた可能性があることを指摘している。吉見は証言の中で何が誇張され何がほぼ事実かを判断するのが歴史学での実証的研究であり、漠然と証言間に差異があるとするのではなく、信頼できる事実を判断しくみ取ることを述べている。その結果彼女が中国で人身売買の結果、慰安婦になった点では証言間で差異はなく信用できるとしている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。