ちばシティバス株式会社(ちばシティバスかぶしきがいしゃ)は、主に千葉県千葉市において乗合バスを運行している京成グループのバス事業者である。京成電鉄のバス車庫である千葉営業所新宿車庫の分社化により設立された。1999年2月に設立され、京成電鉄(現・京成バス)の千葉営業所新宿車庫を引き継ぐことにより、2000年1月16日に営業を開始した。京成電鉄によるバスの地域分社化は、ちばフラワーバス、ちばレインボーバスに次いで3社目となる。営業開始時の路線は、千葉市西部の臨海地域を走る幸町団地線・幸町循環線、公務員住宅線であったが、その後京成よりさらに数路線の移管を受けるとともに、轟町循環線をはじめとする独自路線を開設し、営業規模を拡大した。一般路線は全線が千葉市内での運行だが、千葉市美浜区から千葉市中央区の東部まで、広範囲にわたっている。2005年初頭より各路線に系統番号が導入されたが、当初は「幸町12」・「新16」・「川戸19」のような終点ないしは経過地名と数字を組み合わせた方式であった。2006年の公務員住宅線短縮や星久喜線延長に際し、当該路線のみ「稲51」・「千21」のようにターミナル駅側の記号を用いた方式に変更され、2008年4月の本社移転の際に全ての路線に系統番号が付与された。また、千葉中央駅を起点に成田空港への高速バスの運行も行っているほか、2007年4月1日より同駅から羽田空港への運行も京成バスより6往復の移管を受けて開始、さらには2014年7月23日より館山線(南総里見号)の京成バスより移管を受けて運行を開始している。この他に千葉港地区の特定輸送も行っている。1999年2月1日に設立され、翌2000年1月16日に京成電鉄千葉営業所新宿車庫の移管を受けて営業を開始した。新宿車庫は、1964年から1998年まで京成電鉄の千葉営業所が置かれていたところで、多くの市街路線を長年担当してきた。しかし、千葉都市モノレールの開通や道路渋滞により利用者数が低迷する中で、京成は1990年代後半に市街路線の大半を廃止したり、他社に移管したりするなどの方法で整理することとし、千葉営業所も御成台車庫に移転させ、千葉市若葉区の郊外住宅路線や大学病院周辺の輸送に徹することとなった。その結果、新宿車庫の担当路線は年々縮小し、最終的には千葉市美浜区で初期に造成された地域を走る公務員住宅線、幸町団地線だけが残された。これらを新会社である同社がそのまま継承した。営業開始から1年の間に、ポートアリーナ線、作草部線、弥生線(その後廃止)を京成からの移管により運転を開始し、翌2001年には、同社独自の新路線となる幕張本郷循環線、轟町循環線を100円均一運賃によって開業した(前者はその後廃止)。同年9月には京成よりいずみ台線、星久喜線を移管され、千葉市の東側への乗り入れを開始すると同時に、この2線を担当する車庫として千葉市若葉区千城台東(旧・京成電鉄千城台車庫跡地)に千城台車庫を設置した。また、2002年には作草部線と並行区間の多い千葉中央線を京成より譲受、2005年には新路線として、ちば県民保健予防財団(旧・千葉県対がん協会)線を開設した。このように、路線数自体は営業開始から数年で大幅に増加したが、大半は京成電鉄本体で維持が困難であった路線を移管されたものである。このため、同社の運行となってからは大胆な運用効率化策がとられ、作草部線や公務員住宅線のように大幅に本数を削減されたり、弥生線・いずみ台線のように路線や一部の系統が廃止されたりした路線もある。一方、比較的利用者の多い星久喜線の本数を移管時に比べ倍以上に増やしたり、空港連絡路線に参入したりするなどして、新たな利用者の獲得を図っている。本社は、千葉市役所に程近い千葉市中央区千葉港の国道357号沿いにあったが、2008年4月20日に千葉市美浜区新港に移転した。営業所・車庫は本社併設の新港車庫のみである。2001年9月に星久喜線、いずみ台線が移管された際には、この2路線の拠点として千葉市若葉区に、同社千城台車庫が設けられたが、2004年3月に新宿車庫の敷地が拡張されたことで全車両が新宿に集約配置されるようになり、千城台車庫は、京成バスの折り返し場のみに戻った。現在では新宿車庫も廃止され、跡地にはマンションが建てられた。〔 〕は、共同運行会社。千葉県千葉市と、館山自動車道・富津館山道路を経由して、同県南房総市、館山市を結ぶ高速バス路線である。愛称は一般公募により制定(『南総里見八犬伝(作:曲亭馬琴)』から由来する)。元々は京成バスが運行していたが、京成グループ内での高速路線の再編に伴い、2014年7月23日に京成バスから移管された。今回の移管を機に、館山市のマスコットキャラクターである「ダッペエ」のイラストがプリントされた、座席頭部カバーを取り付け、同市のPRを図ることになった。〔 〕は、共同運行会社。本路線の基となった路線である公務員住宅線は、同社の営業開始と同時に移管された路線であり、もともとは稲毛公務員住宅への足として1967年頃に開通したものである。公務員住宅のある稲毛海岸は、千葉市美浜区域で最初に埋め立てられた地区で、当初はこの線と稲毛駅 - 浅間神社 - 稲毛団地という線が稲毛団地線の線名で運行されていたが、のちに稲毛団地発着便は稲毛陸橋経由となり、別々の線となった。1970年代に入ると沿岸に海浜ニュータウンが造成され、千葉海浜交通が多数の路線を運行するようになったため、乗客はそちらへと流れてしまった。これにより、稲毛団地線は1986年に廃止されたが、公務員住宅線は代替路線のない独自区間が多いことから運行を継続した。2000年代前半に京成が千葉市沿岸部の路線を整理していく中で、この線は新設の同社に移管された。しかし同じ頃、公務員住宅は老朽化のため撤去されることが決まり、住民の退去が始まった。これにより、終点付近の利用者が激減し、以後、土休日の運行が中止され、日中の便を検見川浜駅へ振り向けて新規利用者の取り込みを狙ったが状況は好転せず、大幅に減便されるという経過をたどっている。さらに、公務員住宅の退去が完了し、敷地が閉鎖されたことから、2006年4月に高洲プール前・歯科大入口を発着点とする路線短縮が実施された。その後、沿線に野村不動産による分譲マンション「プラウドシティ稲毛海岸」の分譲が進められた為、2012年2月23日より本路線はプラウドシティ線として路線網が再編された。本数も大幅に増便され、プラウドシティ街区内を片周り(反時計回り)の循環路線として周回し、稲毛駅、稲毛海岸駅、検見川浜駅を結ぶ系統となった。プラウドシティ街区周辺の路線については、西進方向が稲毛海岸4丁目→プラウドシティ・イースト→プラウドシティ・ヤオコー前、東進方向がプラウドシティ・ウエスト→稲毛海岸5丁目→歯科大入口の一方通行で路線が形成されており、稲毛駅と稲毛海岸駅を結ぶ「稲52」「稲53」は稲毛海岸4丁目から西進した後、プラウドシティ・ヤオコー前→プラウドシティ・ウエストと進み、東進して歯科大入口から抜ける反時計回りでの運行を行っている。このため、稲毛海岸4丁目→歯科大入口間は同じポールに稲毛駅行きと稲毛海岸駅行きの両方向が停車する運行形態となる。歯科大入口の停留所放送の際に「このバスは稲毛海岸駅(稲毛駅)行きです」という誤乗防止の放送が流れる。運行経路上では、歯科大入口から東進したバスは稲毛海岸4丁目の前を通過するが、東進方向にはポールが設置されておらず、バスが停車しない。また、「稲54」「稲55」は、稲毛海岸駅、稲毛駅からこの反時計回りの区間を1周して歯科大入口止まりの区間運転便に該当する。なお、「稲52」「稲53」は、プラウドシティ・イースト発の区間運転便が朝方に運転される。一方、「稲50」「稲51」は稲毛駅と検見川浜駅を結んでいるが、前述のような周回を行わず、検見川浜駅行きは西進方向のみを経由し、稲毛駅行きは東進方向のみを経由する。2012年11月16日実施ダイヤでは、運行の主体が「稲52」「稲53」中心となっており、稲毛駅 - 検見川浜駅については平日のみ各2本ずつの運行となっている。幸町は、千葉市美浜区では稲毛海岸の次に入居が始まった地区であり、当初は京成電鉄によって幸町団地線(京成千葉駅 - 流通センター - 幸町団地)とこの線の前身である西千葉線(西千葉駅 - 千葉興銀本店 - 幸町団地)の2つのバス路線が運行されていた。しかし、どちらも団地の海側を主に走り、国道14号側にはショッピングセンター停留所(現・団地交通の幸町中央と同位置)が設置されていただけであった。このため、国道側の住民はこれらの路線を敬遠し、駅との移動はタクシーの相乗りによって行うことが多くなっていった。その後、タクシー会社であった団地交通(現:あすか交通)が住民の要望を受けて、団地内に小型バスをきめ細かなルートで運行するようになると、京成の路線は利用者が伸び悩み、1980年代には千葉市街方面への運行を小湊鐵道や千葉海浜交通に任せて廃止し、ショッピングセンター乗り入れも中止してしまった。一方、東京方面への通勤に有利な稲毛駅への乗り入れを1983年に開始し、稲毛と団地の海側を結ぶ輸送に力を入れるようになっていった。一方の団地交通も1997年に稲毛駅への乗り入れを開始するなど、幸町周辺における営業の拡張を続けたが、1999年に千葉駅北口バスロータリーの整備が完了したのを機に、両社間の路線調整が実施されることとなった。これにより、京成は公民館循環便を団地交通との共同運行により開業するとともに、千葉駅北口への乗り入れを開始し、約半年の運行を経てシティバスへの移管が行われた。循環便はあすか交通の時刻表にも記載されている。2008年4月20日の本社新港地区移転と同時にダイヤ改正が実施され、京成時代から運行されていた、JR稲毛駅発福祉センター発着便が廃止となり、ガーデンタウン止まりとなった。千葉駅北口発幸町第二行きは幸町団地行きとなった。西千葉駅を起点に轟町の市営住宅・千葉経済大学周辺を循環する路線である。短区間ということもあり、普通運賃が全区間にてICカード104円、現金110円に設定されている。同駅発時刻を基準に、午前は千葉経済大学先回り、午後は市営住宅(二丁目)先回りで運行する。系統番号は午前廻りが「西千51」、午後廻りが「西千52」である。同社設立後に開設された路線で、従来バスが乗り入れなかった狭隘道路を走行する。当初は専用のマイクロバスで運行されていたが、想定以上に利用者が増加したことから、まもなく一回り大きい中型車両に置き換えられた。JR千葉駅から郷土館経由で川戸へ向かう路線である。大学線を長くしたような路線だが、開通当初から一貫して広小路経由で運行している。稲辺田以西が特殊区間制に基づく運賃となっている。「星久喜」「仁戸名」「川戸」という停留所があるが、千葉中央バスが別ルートでこれらの町の中心部を走っており、本路線のルートはどちらかというと外れの方である。このため、千葉駅発着路線の割にはかなり本数が少ない時代が長く続いた。路線の特徴としては、川戸側の道路がやや狭隘であることが挙げられる。このため、この路線には中型車が使用されている。川戸の折返場には休憩設備がないため、休憩は千葉側で行われる。大昔は福祉センター - JR千葉駅を回送し、休憩は新宿車庫で行われていたが、1991年のモノレール改正で福祉センター - 川戸を通しで営業運行するようになった。その後、2000年1月16日に新宿車庫がシティバスとなったため、新宿車庫での休憩ができなくなった。そこで、営業運行を千葉駅 - 川戸に再度短縮し、休憩場所を千葉中央駅西口ターミナルに変更した(なお、1999年12月16日に、フラワーバスの千葉線が千葉中央駅から撤退しているので、同ターミナルに空きが生じたという背景もある)。この際、千葉中央駅→千葉駅という出庫便が設けられた(後にこの便は廃止)。2001年9月16日の運行移管の際は、当時の新宿車庫が手狭ということから、新たに千城台に車庫を設けられ、同日に移管されたいずみ台線(現在は廃止)とともに駐留していた。現在は新港車庫の担当となっている。2006年6月16日に終点が川戸から川戸都苑に1区間延長され、同時に系統番号が「川戸19」から「千21」に変更された。都苑は、支川都川沿いの老人ホームで、折返場は都苑に隣接する敷地に設けられている。これにより、終点と千葉中央バス川戸線の川戸停留所との距離が近くなった。2006年10月16日には大幅に本数が増やされ、利用客には「大増回」と案内された。始発が早まり、最終は20時台から22時台に繰り下げられた。これに伴い千葉駅の乗り場は7番から6番に変更された。バスの車体には、『このバスで「郷土館(千葉県文化会館)」・「千葉県立中央博物館(大学病院)」・「千葉市立青葉病院」に行くことができます。』という案内板が掲げられ、利便性をアピールしていた。2011年4月25日のダイヤ改正により千葉中央線の一部の便が平日のみ、星久喜線に乗り入れを開始し、川戸都苑(一部・千葉大学病院折り返し)まで運行されることになった。なおこの直通便に限り、千葉大学病院を経由する。これにより、スポーツセンター駅以北からの千葉大学病院への直通バスが、千葉都市モノレール千葉駅開通以来、約20年ぶりの復活となった。なお、千葉大学病院方向からの2本に限り、千葉中央線側の終点が(千葉都市モノレール)穴川駅となっている。2013年8月8日に千葉中央バスとの共同運行便にて千葉大学病院から既存の路線を延長する形で大宮団地までの路線ができた今まで川戸都苑が終点であったが千葉中央バスの星久喜台経由大宮団地行きの川戸(東)停留所をつなぐ形で1日4本運行されることになった。千葉中央駅(西口)から千草台団地を経由して草野車庫までの路線であり、系統番号は「千23」(本社移転前までは「中央18」)である。もともとは、京成により八千代台線(八千代台駅 - 広尾 - 長沼 - 千葉中央駅、および八千代台駅 - 畑小学校 - 穴川十字路 - 千葉中央駅)や横戸線(勝田台駅 - 横戸 - 長沼 - 千葉中央駅)として運行されていた。しかし、1991年に千葉都市モノレール(動物公園 - 千葉間)が開通したことにより、これらの路線は分割または短縮されることとなり、千葉中央駅側は、スポーツセンター駅 - 千葉中央駅を運行することとなった。その後、草野車庫まで延長され現在に至っている。多くの区間がモノレールと並行しているものの、千草台団地付近やスポーツセンター駅以北等、独自区間も若干存在し、本数もあまり多くないながらも運行が続いている。千草台団地-千葉駅間は比較的利用者がある。2008年4月20日の本社移転によるダイヤ改正で系統番号の本格導入と運行本数の減便、土休日の終車繰り下げが行われた。2011年4月25日のダイヤ改正により平日の一部の便が、千葉駅より星久喜線に乗り入れ川戸都苑(一部、千葉大学病院折り返し)まで運行されることになった。なおこの直通便に限り千葉大学病院を経由する。これによりスポーツセンター駅以北からの千葉大学病院への直通バスが千葉都市モノレール千葉駅開通以来約20年ぶりの復活となった。星久喜線方向からの2本に限り千葉中央線側の終点が(千葉都市モノレール)穴川駅となっている。千葉市美浜区新港にある保健予防財団(診療所)へのアクセス路線である。おおむね20分おきの運行で、休日は運休となる。同財団はかつて千葉市中央区の京成バス沿線にあり(旧・千葉県対がん協会)、財団の移転にあたっては、同社の新線利用を促す掲示が千葉駅の京成バス停留所に出された。2008年の本社移転により循環運行に改められたその後のダイヤ改正で現在は千葉駅 - 新港車庫間の運行が基本になっている。運行経路は稲毛駅を出て黒砂陸橋を通り勝又自動車学校の角を曲がりM.N.Rの前を通り新港車庫に入る。運賃は通常の初乗り運賃である一律160円とされている。運行開始時は機器更新が行われていなかったためか放送は無く行き先表示は「ちばシティバス」と表記され、フロントガラス上部に行き先が表示されていた。同社は黒砂陸橋経由便のみ運行。同社の一般路線で海浜幕張駅に乗り入れる路線は後述のイオンモール幕張新都心線の運行開始まで本路線が唯一である。京成バスがイオンモール幕張新都心のオープンに伴い、2013年12月17日から運行開始した路線で、当社の運行路線は系統番号60番台の海浜幕張駅発着系統である。現金100円・ICカード160円の均一運賃制となっており、現金の方がICカードよりも安くなっている。2000年9月に京成電鉄から移管された路線で、千葉駅からモノレール沿いを穴川まで走り、京成稲毛駅に至っていた。この路線の原型は、京成が終戦直後から運行していた市街線または千葉寺線と呼ばれた路線で、昭和の末頃までは千葉駅および千葉寺と京成稲毛駅を結んでいた。モノレールが開業していなかった時代は、当時の国道16号沿線(穴川 - 椿森付近)から千葉市街方面への利用者が多く、千葉市街地における幹線バスの1つとなっていた。このうち、千葉駅から千葉寺に至る区間は、戦前に千葉市街自動車が開設した路線を京成が引き継いだものである。同区間で競合する千葉中央バスや小湊鐵道の路線より古い歴史があったが、昭和の末頃になると両社の路線の勢いに押されて需要が低下していた。また、1991年にモノレールが千葉への乗り入れを開始すると、千葉駅 - 穴川十字路間でも乗客の減少が見込まれた。こうしたことから、1990年代に入り、千葉駅 - 千葉寺間の廃止と、稲毛側でモノレールを意図的に避ける形での大胆なルート変更が実施された。しかし、京成時代の末期には結局もとのルートに戻され、一部の便で大学病院まで直通運転をしていた時期もあったが、シティバス移管に伴い直通は廃止され、再び千葉駅と京成稲毛駅の間を往復する運行となった。千葉側ではモノレールと、稲毛側では京成バスの路線群と競合していたため減便が繰り返され、2007年7月の改正で土休日が運休となり、2008年4月20日の本社移転による改正で大幅に減便された。末期は平日1往復のみとなっていたが、2010年3月15日より運行休止となった(最終運行12日)。千葉県北東部の銚子や八日市場方面と幕張にある免許センターを千葉東金道路、銚子連絡道路、国道126号を利用して運行されていた路線である。運行開始当初は、千葉交通単独で幕張免許センターと銚子地区を結ぶ路線として、平日のみ1往復であった。その後、2002年に千葉市内を経由するよう改められ、同時に毎日8往復に増発するとともに、同社が参入して共同運行となった。しかし、一般道路(特に飯岡バイパス前後の国道126号)を走行する区間が長く時間がかかること、また千葉と銚子を結んでいる鉄道(総武本線)運賃とバスの運賃がさほど変わらないことから、他の高速バスにみられるような料金的または時間的な利点がないことも相まって利用客が少なく、2003年8月に休日について、4往復に減便することとなった。そして、12月に同社は当路線の運行から撤退し、再び千葉交通の単独運行路線となった。国道126号北谷津の近くにあるいずみ台ローズタウンと最寄り駅のモノレール千城台駅を結んでいた路線である。もともと前・京成千葉駅から京葉ゴルフ場への足を確保するために誕生した路線だが、同ゴルフ場のすぐそばに団地が完成し、北谷津側から入る新道も開通したため、こちら側にルートが切り替えられた。その後、1991年のモノレール千葉駅開業時に千城台駅発着便が追加され、千葉駅発着便との2本立てで運行していたが、2007年4月1日を以って後者は廃止され、残った千城台駅発着便も1年弱の運行を経て2008年3月1日に廃止された。JR千葉駅発着便は、ちばフラワーバスの千葉線(京成時代の線名は東金線)の支線的な側面もあり、国道126号を走り、末端部のわずかの区間だけ別の道路を走っていた。前・京成千葉駅発着から国鉄(JR) 千葉駅発着に切り替えられた時期は不明である(1980年時点では国鉄駅発着になっているが、それ以前が不明)。この便は1973年の開通から2000年1月16日改正まで平土休同一ダイヤであった(ダイヤ改正はあった)ことが特筆すべきことの一つとしてあげられる。2001年にシティバスに移管されたが、その後、千葉駅便は若干の増便が行われた反面、千城台駅便は減便された。千葉駅発着便の廃止に伴い、代わりにちばフラワーバスが千葉線の一部便をいずみ台ローズタウン経由に変更して運行することとなった。これにより、北谷津ゴルフ乗馬クラブ入口経由の、国道126号線上を走るバスの本数が減少した。また、千城台駅発着便の廃止に際しては、代替路線として千葉市がコミュニティバス路線「いずみバス」を新設した。千葉四街道線は臼井線時代も含めて従来から千葉中央駅を発着していたが、ほとんどの利用客が千葉駅で乗下車してしまい、千葉中央駅に至ることがなかったため、京成はこの区間を廃止し、短縮することとした。その代わりに、短縮区間をシティが引き継ぐこととなった。このような経緯で開通した路線ゆえ、運行本数も非常に少なかった。なお、千葉駅 - ポートアリーナは海浜バスと小湊バスがそこそこの本数を走らせており、この線独自の停留所はホテルグリーンタワー千葉の前におかれていた問屋町だけであった。2008年4月20日の本社移転に伴い、廃止となった(最終運行18日)。同社では、いすゞ自動車、日野自動車、三菱ふそうの3メーカの車両を使用している。京成電鉄(現・京成バス)の分離子会社であるため、車両の多くは同社または京成バスグループの会社から譲渡されたものである。一般路線車は、大型車から小型車まで様々な車種が配置されている。道路幅の狭い星久喜線と轟町循環線は中型車限定運用となっているが、その他の路線では両者の運用が明確に区別されているわけではない。 小型車については、2001年の幕張本郷循環線・轟町循環線開業時にマイクロバス(三菱ふそうローザ)が導入されたが、幕張本郷循環線は利用者減少により2003年に路線廃止、轟町循環線は利用者が増加し中型車に変更されたため同車は役目を終え、2005年にグループ会社の千葉内陸バスに移籍した。その後、京成バスより小型車(日野リエッセ)が譲渡され、いずみ台線などの閑散路線で使用されていた。また、当社の特徴として、会社設立以来さまざまなカラーリングの車両を使用していることが挙げられる。設立間もないころにはピンク色を基調としたデザインであったが、2003年度の新車からは薄い青色に変更となった。しかし、在籍する他の車両にまで塗装を変更する経済的余力が無かったため、2005年後期にちばフラワーバスから移籍した車両は、フラワーバスのデザインを活かしたまま一部を濃紺色に塗り替え、これに金色のアクセントを加えたレトロ調の色彩となっている。また、京成バスから移籍した車両については塗り替えを行わず社名表記の変更のみで対応、グループ他社からの移籍車両はカラーパターンの変更で対処する車両があるなど、車両塗装については極めて混在したものとなっている。さらには、京成バスシステムからの移籍車も存在していたこともあり、こちらは京成バス塗色。当初は東京ベイシティ交通で使用されており、京成バスシステム移籍と同時に京成バス塗色に変更(新習志野駅からのシネックス特定輸送に使用されていた。2010年9月下旬から同社に受け持ちが移動。)。2012年にも東京ベイシティ交通からの移籍が出ており、帯色を変更したものもあれば、変更がなく、「東京ベイシティバス」の表記については「東京ベイ」の文字を隠して「ちば」に直しただけの車両まで出ていた。高速用は三菱ふそうエアロバスの最終モデルとエアロエースを1台ずつ新車で希望ナンバーで導入した以外は中古車でエアロバスといすゞ・ガーラがある。ちばシティバスの車番表記は京成バスなどと同じく4桁表記で、千の位はシティを示す「C」、残りの3桁で数字を表記している。
出典:wikipedia
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