デメトリオ・アルベルティーニ(Demetrio Albertini, 1971年8月23日-)はイタリアの元サッカー選手。ポジションはMF(レジスタ)。2005年12月引退。2006年7月にイタリアサッカー連盟(FIGC)副会長に就任した。10歳でイタリアの名門ACミランの入団テストに合格。ジャンニ・リベラの再来と言われ、その類まれなる才能を見出されたアルベルティーニは、わずか17歳5ヶ月でセリエAデビューを果たすが、当時のミランはルート・フリット、マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールト、フランコ・バレージ、パオロ・マルディーニら錚々たる顔ぶれが揃い、後にリーグ戦無敗優勝を含む3連覇を達成するほどのチームだったため、出場機会に恵まれず、1990-91シーズン11月にパドヴァにレンタル移籍される。しかし、パドヴァで経験を積んだアルベルティーニは、翌シーズンミランに戻ると、その年から中盤に君臨し、セリエAで3連覇を成し遂げるなど、チーム内で確固たる地位を築いていった。その後、ミランでの公式戦出場406試合、(セリエA293試合、コッパ・イタリア46試合、ヨーロッパ・カップ戦67試合)、28得点(セリエA21得点、コパ・イタリア2得点、UEFAチャンピオンズリーグ5得点)の記録を残し、獲得したタイトルは、スクデット5回、イタリア・スーパーカップ優勝3回、UEFAスーパーカップ優勝1回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝1回にものぼっている。ミランでの406試合出場は歴代8位の記録である。イタリア代表でも、94、98年W杯に出場。ユーロも96、00に出場。94年W杯では、サッキ監督がもう1人の守備的MFであるディノ・バッジョに対して「アルベルティーニの左10mに平行になるようにいろ」という指示を与えており、わずか22歳にしてサッキ監督から全幅の信頼を得ていたのである。02年W杯はアキレス腱の怪我によりメンバーから漏れる。代表での79キャップ(主将5試合)はイタリア歴代8位という記録である。イタリア代表伝統のアルファベット順の慣例に従い、バルセロナ五輪、ユーロ96で背番号10をつけたこともある。チェーザレ・マルディーニ監督をして「アルベルティーニがくしゃみをするとイタリア代表は風邪をひく」とも言わしめた。アルベルティーニはイタリアの心臓であった。2002-03シーズン、スペインの名門アトレティコ・マドリードへ電撃レンタル移籍。アウェーのマドリードダービーでは後半50分にフリーキックから同点ゴールを叩き込んだ。このゴールは専門誌のベストゴールに選ばれた。その後、2003-04シーズンにラツィオ、2004-05シーズンにアタランタとクラブを転々とする。2004-05シーズン冬、かつてのチームメイトであるライカールトが指揮をとるバルセロナへ移籍したが、怪我もあり、期待された活躍は出来なかった。2005年夏に契約が満了し、2005年12月6日に現役引退を発表。引退会見の式場にはアドリアーノ・ガッリアーニ、パオロ・マルディーニ、アレッサンドロ・コスタクルタ、ジョアン・ラポルタ、フランク・ライカールト、マルコ・ファンバステン、カルレス・プジョルなど親交の深い人々が駆けつけ、2006年3月15日にサンシーロで引退セレモニーが行われた。現在監督になるための勉強中である。ACミランの副会長、アドリアーノ・ガッリアーニが、最近20年間のミランで最も素晴らしい4人(フランコ・バレージ、アレッサンドロ・コスタクルタ、パオロ・マルディーニ、デメトリオ・アルベルティーニ)の選手の中の1人に挙げている。少年時代はユベントスのファンであった。
出典:wikipedia
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