野猿(やえん)は、フジテレビの『とんねるずのみなさんのおかげでした』から生まれた音楽ユニット。1998年4月29日デビュー、2001年5月13日に解散。とんねるずとその番組のスタッフから構成されていたため、解散のことを「撤収」と呼んだ。撤収理由は、本業の人事異動などによる。1997年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内で、TBS『うたばん』のパロディとして「ほんとのうたばん」という音楽コーナーをやっていた。その中で、KinKi Kidsのモノマネをするとんねるずの後ろで踊っていた番組スタッフを「ジャニーズシニア(?)」と名づけたことがきっかけ。これが好評となり、石橋がメンバーを「野猿」と命名。avex traxからCDデビューしたらカッコいいと盛り上がり、番組内でMAX松浦に電話で直接交渉。すると「もうそのつもりでいました」と返答、デビューが決定した。その後、メンバーの中からボーカルを決めようとオーディションを行うが(当時の予定では平山、神波、成井、飯塚)いまいちインパクトに欠けるということになり、秋元康が追加メンバーとしてとんねるずの2人を加えることを提案したことにより、石橋・木梨が加わり、男性メンバー13人でのデビューとなった。デビューシングル『Get down』がオリコンチャート初登場10位の大ヒットとなり、基本メンバーとなってからの2ndシングル『叫び』で自身で最高位の初登場2位を記録した。1999年と2000年にメンバーの人気投票を行い、人気のないメンバーは脱落していった。当初の予定では次々に脱退させていき最後は2人になると発表されたが、結果的に太田以降は正式脱退するメンバーは出なかった。人気投票では主に半田、高久、網野による最下位争いであった。2000年には、妹分の『女猿』という女性アイドルグループもオーディションの末に結成された。当初、女猿は当番組の女性スタッフのことを指しており、番組内「ほんとのうたばん」コーナーでモーニング娘。などのパロディ(スタッフの漢字書き間違いから「モーニング嫌。」と呼ばれていた)を行っていたが、後に全く別の形となってスタートすることとなった。オーディションから選ばれた『女猿』からは、小林紗貴が野猿のボーカルチーム(とんねるずの2人と平山・神波の計4人)をフィーチャーしたユニットyaen front 4men feat.sakiのボーカルに抜擢、また島田麻依子もソロとしてシングル「stardust」をリリースした。基本的にとんねるず以外のメンバーの野猿活動はノンギャラ(無給)であり、とんねるずがメンバーを焼肉につれていくことが見返りであったとされている。これ以降もトップ10圏内を維持し続け、売上も20〜40万枚の高水準であった。また、当時はその人気にあやかりゲストを呼ばずに「モジモジくん」やコント、スペシャル企画「アメリカちょっとだけ横切りウルトラクイズ」などにも出演して根本から番組を支えていた。しかし2000年頃から徐々に人気に陰りが見えだし、2001年に本業に専念するほか人事異動のためもあり「とんねるずのみなさんのおかげでした」内で撤収(解散)が発表され、同年5月に撤収となった。撤収後、ボーカルチームの平山・神波がWill Callを結成し番組内の企画の応援歌をリリースした。さらに、その流れで(野猿活動中からではあるが)石橋を中心とした3人組「関東裸会」が結成され、シングルを2枚リリースした後解散した。活動中はオリコンCDランキングにて一度も1位を獲得することはなかったが、撤収後の2001年7月に発売されたビデオ・DVD「完全撤収 四時間伝説」で初めてオリコンビデオランキング初登場1位を獲得した。現在でも『おかげでした』スタッフに数人のメンバーが残っており、大原、飯塚、網野、半田らが時折、スタッフたちの中に混ざって姿を見せていることがある。撤収してからメンバーが集まることはなかったが、2007年に木梨が主催したNORITAKE GUIDE IV ONEHALF LIVE 2007に飯塚、大原、半田がバックダンサーとして出演し、叫びを披露した。2009年4月9日の21周年スペシャルで解散後初めて再招集され、「Be cool!」を披露した。ただメンバーは歌うことを全く知らされていなかったため、終始グダグダな状態だった。2011年3月9日には、撤収から10周年を記念して携帯サイト「レコチョク」にて全50曲の着うた&着うたフルの配信が開始され、平山と神波からコメントが寄せられた。2011年10月27日で放送された石橋貴明50歳誕生日スペシャルでも元野猿のメンバーが出演した。PVの撮影で訪れたアメリカで、舞い上がっていたタカクがまったくダンスを覚えていなかったため、石橋が激怒し脱退を言いつけた事件。最終的にはタカクの男泣きで難を逃れる。実はとんねるずの2人以外には内緒の「ドッキリ」仕掛けであった。2ndシングル「叫び」の手売り販売会などのプロモーション期間中は禁酒が言い渡されていたのにも関わらず、ゴテが飲酒して「ロンリー・チャップリン」を熱唱していたことが発覚。坊主にしなければ解散と言い渡されるも、ゴネたため一気に解散の危機に。最終的にシュウなどのほかのメンバーが連帯責任で坊主にされている姿を見て、自分も坊主にした(なぜか木梨まで坊主になった)。1999年の紅白初出場の際、ダンサーの大原が急性胃腸炎で40度の熱を出してダウン。紅白出場が不可能かと思われたが、なんとか体調を取り戻し見事にステージで踊りきった(また翌年は石橋が体調不良を起こしたが、この際もなんとかステージで踊りきった)。「夜空を待ちながら」発売の際、オリコン1位にならなかった場合は、その順位によってメンバーが脱退になると発表。そして結果は6位だったため二人のメンバー脱退が決定。脱退となるのは赤玉を引いた人という抽選の結果、メインボーカルのテルとカンだったために野猿に激震が走る。石橋はそこでもボーカルだからといって免除にすることなく二人の脱退が決定。視聴者からは、「SMAPで言えば中居君と木村君が抜けるようなものです」といった抗議が殺到した。しかし、最終的に次のシングルで参加することになっていたCAが「二人が復帰しなければ歌わない」と条件を出して復帰。1ヶ月にも及んだ野猿の危機はここで終結した。※はユニット「アニマルズ」メンバー結成時及び1stシングル『Get down』当時のメンバー。1999年2000年2001年
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。