イレネー記念(イレネーきねん)は、帯広市が帯広競馬場で開催するばんえい競馬の重賞競走である。競走名の「イレネー」は、現在につながるばんえい競走馬の礎を築き「ばん馬の父」とも称されている種牡馬(後述)。正賞は北海道知事賞、十勝農業協同組合連合会賞、独立行政法人家畜改良センター十勝牧場賞、農業法人鎌田きのこ株式会社賞。1969年に創設され、デビュー初年度の2歳(明け3歳)世代チャンピオンを決定する重賞競走として定着している。2歳(明け3歳)馬による競走としては唯一、BG1に格付けされた。施行場は創設時より帯広競馬場で定着しており、他場で施行されたことは一度もない。競走名の由来となったイレネー(1908年3月14日 - 1928年5月22日)はフランス生まれのペルシュロン種牡馬。父ダミアン、母デース。毛色は青毛、特徴は流星・珠目上・鼻白・後二白・全身刺毛。1910年、馬政局馬政官の丹下謙吉・土肥原鑑がフランスにて購入し日本へ輸入されると、十勝種馬牧場(現・家畜改良センター十勝牧場)にて種牡馬として供用された。イレネーは1928年に事故で死亡するまでの18年間に1074頭と交配され、597頭の産駒を出した。そのうち196頭が種牡馬となり、直系子孫まで合わせると559頭が種牡馬となるなど大正時代から昭和初期にかけて大いに繁栄し、十勝地方における馬産の礎になったといわれている。ただ、当時は軍馬や農耕馬としての需要が主であった。1930年には十勝畜産組合がイレネーの功績を称え銅像を帯広市の十勝会館前に建立、当時の動物彫塑の最高権威として知られていた帝室審査員の池田勇八が、とくにイレネーの体型に酷似すると言われていたイレネーの直仔第28イレネーを参考に製作し、同年8月10日に除幕式が行われた。太平洋戦争の戦局悪化に伴う金属供出により1943年に一旦消失したが、1963年に十勝農業協同組合連合会が創立15周年を記念して、帯広競馬場の前庭に再建することを決定。当初は再度池田勇八に制作を依頼したが、折衝中に池田が急逝したため彫刻家の加藤顕清が製作し、1964年7月27日に除幕式が行われた。イレネー記念は、現在ばんえい競馬で行われている競走では唯一、馬の功績を記念して名前を冠したレースとなっている。このほか、過去には以下のような重賞・特別競走が行われていた。
出典:wikipedia
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