宜賓市(ぎひん-し)は中華人民共和国四川省東南部に位置する地級市。「万里長江第一城」と呼ばれる。すなわち「長江の最初の街」であり、長江は宜賓より上流は金沙江と呼ばれ、岷江とこの地で合流し、ここから長江となる。また醸造業が古くから発達し、名酒・五粮液(、白酒)で知られ「酒都」の異名を持つ。宜賓は東は瀘州市,南は雲南省昭通市,西は涼山イ族自治州と楽山市、北は自貢市に接する。東西のもっとも広い部分は幅153.2km、南北の最大幅は150.4km。川南地方の中心で、四川盆地の西南の縁にある。地勢は雲貴高原へつながる南部と大凉山・小凉山のある西部が高く、北東は四川盆地内の海抜500m以下の丘陵地でありなだらかで低くなっている。海抜は500mを超え2000mまでの間であり最も高い地点(老君山)でも2008mである。市域の38%は森林であるがほとんどが人工林であり原生林は非常に少ない。東西に長江(金沙江)が貫き、南側は雲南省や貴州省と接している。岷江は北から流れ、合流点に宜賓市街地がある。その他のおもな支流には、南広河、黄沙河、越溪河、宋江河があるほか、南北方向に走る無数の支流がある。長江南岸は地形が急峻で川の流れも速く、沿岸の平地も狭い。亜熱帯気候に属し、年平均気温は17度、年平均降水量は1,050mmから1,168mm以上、四季ははっきりと区別できる。春は早く暖かくなり、夏は高湿で、秋は雨が多く、冬は霜が少ない。もともと僰(ほく、ボー)と呼ばれる少数民族が暮らし、農耕を行い果物を育て園芸などを営む地であったが、前漢高后の六年(紀元前182年)に現在の宜賓に僰道の城が築かれ、漢族が増え始めた。昭帝の始元元年(紀元前86年)に犍為郡の治所が置かれてから漢民族が多く住むようになった。前漢末期には犍為郡は12県を管轄し、僰道は四川盆地西南部の西南半壁を扼する拠点として、現在の四川・貴州・雲南の交わる付近の統治の政治・経済・軍事・文化の中心として栄えた。漢の崩壊後、四川省西部や南部ではモンゴル系などの民族の侵入で漢族による支配は途絶えたが、6世紀半ばに梁の武帝が異民族を討ち、北周は戎州を置き外江県を設置した。隋代に外江県は再び僰道県となったが、北宋の政和四年(1114年)に僰道県は現在の名称である宜賓県と改められ戎州も叙州に改められた。1911年12月5日、宜賓では清朝に対する反乱が起こり、「大漢川南軍政府」が建設された。2市轄区・8県を管轄下に置いている。漢族が主要民族だが、周辺の山地は彝族、苗族等の多い地区で、回族やモンゴル人もわずかに住む。この地域の言語は、彝語や苗語以外は、漢語の北方語系四川官話川南方言を使っており、漢語古音が多く残った方言である。改革開放以来、宜賓は大農業地帯から強い工業都市へと転換しつつある。宜賓市の主な企業は五糧液グループと龍頭的食品工業で、国有の製紙工場や石油化学工場を自社の傘下にして社名をグループの名を冠する名に変えている。特色ある業種は酒造で、その他食品工業、化学工業、軽紡、建材などが強い。宜賓の河川の水量は多く、広大な農地を灌漑し、水力発電もおこなわれる。天然資源は非常に豊富である。鉱物資源は44種類を数え、石炭、硫鉄鉱、岩塩、天然ガスの生産量・埋蔵量が非常に多く、石灰石、方解石、大理石、硅石、リン、銅、鉄なども豊富で、冶金工業の工業地帯を形成できる可能性がある。珙県の芙蓉鉱区は四川省の重要な炭田である。目下、四川省最大の筠連炭鉱の建設が進む。また種類の多い植物や天然香料植物の豊かさを生かした香料生産も盛んで、特に中国最大の樟油生産地区である。また市域で採れる茶葉生産量は省の4分の1を占める。宜賓は地理的に有利な位置にあり交通が整っている。内宜高速公路と成渝高速公路が通り、宜賓から水富(雲南省)にかけての高速道路工事も進む。また楽山-宜賓-瀘洲-重慶沿江高速公路も完成を控えている。内昆線はすでに開通し、宜賓から南シナ海へでる路線が確保された。成貴高速鉄道、成昆高速鉄道も計画中である。宜賓空港(宜賓菜壩空港)からは北京、上海、昆明、広州、深圳、三亜、宜昌などへの定期路線が設定されている。宜賓宗場空港という新しい空港も計画中である。宜賓の水運は金沙江、岷江、長江の三大河を幹線とし、6本の支流が市内各地を船で結んでいる。
出典:wikipedia
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