龍龕手鑑(りゅうがんしゅかん、りょうがんしゅかん)とは、遼代に幽州の僧、行均(ぎょうきん)によって編纂された字書、4巻。997年(統和15年)に成立。見出し字は26,430余字を収録し、注の文字数は163,100余字に及ぶ。原名は龍龕手鏡(りゅうがんしゅきょう)であったが、宋で刊行される際に、翼祖(太祖の祖父)の諱である「敬」と同音の「鏡」を避けて「鑑」に改められた。他に見ない異体字を大量に集めていること、部首と文字の配列が検索に便利なように工夫されていることに特徴がある。題の「龍龕」は「龍蔵」と同じで、大蔵経を意味するという。『龍龕手鑑』は4巻からなっている。部首は242部で、これを部首の読みの四声により、平・上・去・入の4巻に分けている(平声97部、上声60部、去声26部、入声59部)。入声の最後の1つは「雑」部で、部首に分けるのが難しい字をまとめている。同じ部首に属する字もまた四声によって並べられている。部首は篆書の字源にこだわらず、楷書の偏旁そのままを採用し、検字に便利なように工夫されている。『龍龕手鑑』の部首を『説文解字』の540部首と比較すると、以下のような変更が加えられている。また、「攴」が「攵」と書かれる場合に「文」部に入るなど、造字の理を無視して見た目で部首を割り当てている。「攴・文・支」「瓜・爪」「ネ・衤」「門・鬥」などの区別がはっきりしないが、これは当時実際にあまり区別されずに書かれていたことを反映しているものと思われる。『干禄字書』に倣って異体字を多く収録し、毎字の下に正・俗・古・今および或体を詳しく列挙している点はむしろ字様書に近い。異体字以外に、仏教経典に使用される漢字の収集を目的としたため、難字を大量に掲載している。反切または直音注で音を示し、意味を注釈しているが、意味の書かれていない字も多い。引用書としては『玄応音義』『慧琳音義』などのほか、『川篇』など、現存しないおそらく当時の通俗的な字書を引く。『龍龕手鑑』につけられた智光序によれば「五音図式」という図が附属するはずだが、現在見られる『龍龕手鑑』にはこの図を含まない。等韻図『四声等子』の序にも「『龍龕手鑑』の巻末に附した」あるので、「五音図式」とは『四声等子』の元になった等韻図であった可能性がある。『龍龕手鑑』は遼から宋を経ずに直接高麗に伝わった。現存する高麗刊本は『龍龕手鏡』の題で、巻2を欠くが最良の本として知られる。現在は高麗大学校が蔵し、韓国の国宝に指定されている。のちに朝鮮では字を大幅に足して平声3巻・上声2巻・去声1巻・入声2巻の8巻本とした『増広龍龕手鑑』が作られた。これはもとの『龍龕手鑑』が難字を主としていたのに対し、常用字を増して使いやすくしたものだという。この本が日本に伝わって、江戸初期に古活字本が作られた。
出典:wikipedia
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