新車情報(しんしゃじょうほう)は、1977年(昭和52年)7月6日から2005年(平成17年)4月3日まで約28年間放送されていたテレビ神奈川(tvk)の自動車情報番組。年末年始の数週間を除いて(TVKで年末に放送した番組がネット局によっては新年の年始に放送される局があることを考慮したため)、公式な題名には「新車情報」の後ろに西暦年(1977年から1999年は下2桁=例「新車情報'77」。2000年以後は西暦4桁=例「新車情報2000」)をつけていた。出演者は司会者の三本和彦(放送開始時から出演。代理の回もあった)、女性アシスタント、そしてゲストとしてその回で紹介する自動車の開発責任者(輸入車の場合は日本の販売代理店または日本法人責任者)の計3名(後半4名)で進行していた。1976年頃、テレビ神奈川(TVK)は他の独立UHF放送局同様、スポンサーがあつまらず、財政難に陥っていた。当時のテレビ神奈川(TVK)の役員が三本和彦に「予算をなるべくかけないで番組を作りたい」と頼んだ所、三本が「新車発表会を番組にすればよい」ということで企画を持ち込んだ。また、スポンサーは曙ブレーキ工業の社長に音頭をとってもらい、「金は出すが番組内容に口出ししない」という約束でTVKの放送エリアである神奈川県に本社または事業所を構える(構えていた)部品メーカーを中心に約40社も集まった。「新車情報」は、27年9ヶ月放送された人気番組で、放送回数は1,400回を超え、自動車情報番組としては異例の長寿番組だった。三本は、「この番組はいつでも他の番組にとって変えられる"ゲリラ番組"であり、なおかつ長い間番組の進行や方式等に大々的な変化を伴わない"偉大なるマンネリ番組"である」と自ら評している。しかしその一方で、独立UHF放送局の制作番組にもかかわらず全国14局にネットされ、tvkのウェブサイトのアクセスランキングでは常に上位に位置するなど、同局の看板番組として、また庶民派で硬派な乗用車紹介・解説番組作りが視聴者から評価されていた。本番組で紹介されるクルマは商用車・大型車を除くモデルチェンジ間もない国産車を軽乗用車から(センチュリーとプレジデントを除く)高級車まで漏れなく取り上げていた(ネタがない時、2,3年に一度くらい商業用バンを取り上げていたこともある)。また"新車情報"(この場合シン・クルマ情報と呼んでいる)として新車以外の、例えば日産自動車の社長にインタビューをしたり、マツダのロータリーエンジンの特集といった車に付随する新車以外の特集も組まれた。外国車はコンパクトクラスからミディアムクラスまでを取り上げ、車両本体価格が1000万を越えるような高級車やスポーツカーなどは取り上げなかった。また、たとえ現地でモデルチェンジして雑誌等で大きく話題となっていても日本国内で販売開始されない限り取り上げないが、例外として日本未投入のサムスン自動車のSM5を紹介した時がある。紹介優先順位も国産車が外国車よりやや上の傾向があった。しかし2004年上半期のように、国産車にモデルチェンジの動きがまったく無いために、外国車ばかり取り上げている時期があった。また、一度だけ、同様の理由でいすゞのトラック(エルフ)を取り上げたこともあった(さすがにスタジオにトラックを持ち込むことはできず、神奈川県内にあったいすゞのテストコースで番組全編の収録を行った)。この番組は実際にクルマを購入しようと検討中のユーザーが比較や検討の材料に出来るような身近な番組として好評を博していた。番組開始時に、企画、構成、司会(出演)を自ら手掛けた三本和彦の辛辣、辛口コメントが庶民的ユーザーの共感を得ていた。具体的には説明に招かれたメーカーの責任者や担当者に対して他の評論家であれば尋ねられないような鋭い質問が出されると返事に窮することが多く、次期車種への宿題や課題として持ち帰る責任者もいた。さらにこの三本の声が実際に採用された事例も存在する。それだけではなく、メーカーの内情や会社体質を皮肉ったブラックジョークを三本が発言することもあり、その際は登場したそのメーカーの担当者が苦笑したり、慌てふためく場面もあった。放送第1,444回(アウディ・A3スポーツバック)で「あと4回で引退する」と三本自らが勇退を発表。この時三本は、「僕より年上なのはスズキの会長だけになってしまいました。」とコメントしたが、実は三本とtvkとの確執が背景にあったとされている。この件については、番組終了後に三本が記したコラムに詳細がある。「新車情報大賞2005」(放送第1,448回)をもって番組は終了となった。これによって、27年9ヶ月の長寿番組の歴史に、また、日本初の本格的自動車情報番組の歴史に幕を下ろされた。なお、「新車情報」はtvkの制作番組としては「緑への歩み」(2008年3月をもって放送終了)に続く歴代2位の長寿番組である。トランク荷室の寸法を測るために作られた長さ1mの棒は、一部インターネット掲示板で「不躾棒」(ぶしつけぼう)と呼ばれ、「ゴルフバッグいくつ分」という具体的な容量表現とともに親しまれた。この愛称については三本もアシスタントの野中アナも以前から知っていて、番組終了後発売されたDVDの特典映像中、野中との歓談で三本本人が「不躾棒とは(よく)付けたもんだね」と笑いながら語っている。「新車情報」終了後、同放送枠は、自動車紹介番組「新車ファイル クルマのツボ」に引き継がれた。出演者が代わり、タイトルも変わった新番組だが、番組構成、内容、放送フォーマットも含め「新車情報」の番組スタイルに近い。また、ホームページでは「新車情報」の後継番組だとしている。番組の初期には、テストコースでのパイロンスラロームや急制動の様子を高速度撮影した映像を使用して、取り上げた車種の性能を論じていた。新車情報大賞は同番組の名物企画。大賞発表は毎年3月末の放送(tvkの場合)に行われた。前年1月〜12月に取り上げられた車種から1位(大賞)を決定するものである。毎年1月にノミネート車一覧とともに応募方法が放映されている。はがきまたは新車情報のホームページで応募が可能。毎年三本が同じことを何度も言っているが『ノミネート車の中で感銘を受けた車』+票と、同じく『ノミネート車の内、この車は総合面で劣るから良い車とは言えない』-票の車の車名・理由を記入しないと無効になる。締め切り後に、プラス票の合計からマイナス票を差し引いたポイントを累計し、最多プラス票を得た自動車に「新車情報大賞」として表彰し、それを開発した関係者に記念のトロフィー、また視聴者にも協賛の自動車メーカーや自動車関連製品メーカーなどから提供された賞品が贈呈された。なお、この大賞の投票と、前述の雑誌プレゼントの応募は一緒にせず、主旨を分けて葉書を投函するように。という旨の注意が毎年くどいぐらいに施された。 第一回のみ、視聴者の投票ではなく、軽バンに4WDを取り入れたことを評価して、三本の考えで決定した。テーマソングは時代によってかなり変化があるが、一例としてタイトルバックでは本田雅人のStep Up Action(2001年頃)、三原善隆のWinning Cup(2002年頃)、青木智仁のFinger Tough(2003年頃)、T-SQUAREのFuture Maze(2004年頃〜最終回)等が短く編集されて使われ、同じくオープニングにはKim PensylのSweet Spot(番組後期に比較的長期間使用)等が使われていた。初代オープニングテーマ曲は不明。2代目テーマ曲は竜童組の「韋駄天」、3代目テーマ曲はtower of powerの「Mr. Toad's wild ride」※系列表記がないところは独立放送局(本項順序はNo.537放映時のネット局一覧テロップの表示順に拠る。前記3局が上段、後記3局が下段に表示)一部地域ではケーブルテレビでも視聴可能であった。また、ビクトリーチャンネルでも放送されていた。ただし後番組の「新車ファイル クルマのツボ」は専門チャンネルでの放送を行っていない。上記以外の独立放送局で、東京メトロポリタンテレビジョン(MX)、びわ湖放送(BBC)では今までに放送された事はない。また、「新車情報」のネット局はテレビ神奈川で放送を開始した当初はテレビ神奈川の単独放送だったが、1978年から千葉テレビ - テレビ埼玉(TVS)の3局ネットに増え、1985年以降ネット局が更に増えていった。注目すべき点はテレビ神奈川が"独立放送局"という位置付けのテレビ局であるため、ネット系列の枠に関係なく番組販売が行われたところである。
出典:wikipedia
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