于山国(うざんこく)は、現在の鬱陵島を領土とし、太古に存在していたとされる国である。朝鮮半島に残る最古の文献三国史記に、512年に于山国が朝鮮本土の新羅により服属させられたとの記録がある。しかし、11世紀初頭には女真の海賊の侵攻によって滅びたと考えられている。史料が少ないため、「于山国」の詳細はよく分かっていない。ただし、山名と見なされる「于山」、および、島の名である「于山島」は朝鮮の史書・地理書には数多く登場する(于山島を参照)。1145年に編纂された朝鮮半島に残る最古の文献史料『三国史記』によると、太古に誕生した国家であったが三国時代の512年に朝鮮半島南東部にあった新羅の計略によって服属させられたとしている。『三国史記』巻第四 新羅本紀 智證麻立干紀『三国史記』巻第四 新羅本紀 智証麻立干紀このようにして、6世紀に于山国が新羅の属国となったことがたとえ史実であるとしても、新羅が于山国を直接支配しているわけではないことがうかがえる。また、『三国史記』編纂時期より500年も前のできごととして記されており、「獅子の像に、恐れ慄きすぐに降伏した」などの記述は史実というよりは、創作の可能性が高い。三国史記の記述に于山国が新羅に服属したとあるため、韓国では、于山国の領土を朝鮮の古地図に見られる鬱陵島と于山島であるとしている。また古地図に描かれている于山島は全て現在の竹島(韓国名・独島)であるとし、「独島は512年から朝鮮領になっている」と主張している。しかし、三国史記の記述には鬱陵島以外の島のことは全く記されていない。
出典:wikipedia
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