ムラート(Mulatto, Mulato)は、ラテンアメリカおよび北アメリカでヨーロッパ系白人と、アフリカ系の特に黒人との混血を指す言葉である。ムラットともいう。なお、女性だけを指していう場合はムラータ(Mulata)という。元々は、片方の親がヨーロッパ系でもう片方の親がアフリカ系の子供のことを指していたが、現在ではある程度両方の血統が混じっている人々のことを指すようになった。「黒人と白人の混血者」と説明されることも多い。なお、ヨーロッパ白人系とインディアンやインディオとの混血をメスティーソ、アフリカ系とインディオの混血をサンボという。アメリカ合衆国ではインディアンと黒人との混血がムラートと呼ばれ、ヨーロッパ系とアフリカ系との混血は、により黒人と呼ばれた。この言葉は、スペイン語およびポルトガル語で雌ラバ(馬とロバを掛け合わせた品種)を意味する"mula"から来ており、強く侮蔑的な意味を含んでいる。ムラートの多い国は、ドミニカ共和国やキューバ、プエルトリコなど、カリブ海の国と、南アメリカのブラジル、コロンビア、ベネズエラ、中央アメリカのパナマ、エクアドルなどであり、アルゼンチン、ウルグアイ、チリ、ボリビア、メキシコなどにも少数が存在する。西インド諸島の国家でも「世界初の黒人共和国」と呼ばれるハイチでは、独立以来国民の約5-10%に当たるムラートがエリート層を形成し、フランス文化を受け入れてその他大勢の黒人に対して文化的、経済的に圧倒的に優位に立っている。ポルトガル語圏アフリカ諸国では、メスチーソ("mestiço")の用語が、公式にヨーロッパ人とアフリカ人の祖先を併せ持つ人々を表すのに使用されてきた。しかしながら、ムラートとの用語は広く用いられ、もはや侮蔑的な含みを持たない。サントメ・プリンシペの193,413人の住人の大部分はメスチーソと定義される。カーボ・ヴェルデの人口の71%もまた同様に定義される。現在のその地の大多数の人口は15世紀の少し後に初めて諸島に定住したポルトガル人と、アフリカ大陸本土から奴隷として働かせられるために連行された黒人の混血を遺伝している。アンゴラとモサンビークでは、彼等は少数派だが、未だに重要なマイノリティを構成している。アンゴラでは人口の2%を占め、モサンビークでは人口の0.2%を占める。アフリカ唯一のスペイン語を公用語とする国家である赤道ギニアには、フェルナンディノと呼ばれるムラートの集団が存在する。ムラートは1930年まで公式のカテゴリとしてセンサスに存在していた。アメリカ合衆国南部では、ムラートは母親が黒人奴隷だった場合、奴隷としての地位を受け継いだ。自由ムラートとして、南部の南北戦争より先にスペインとフランスの影響を受けた地域(特にニューオーリンズ、ルイジアナ)では、多くのムラート達は自由身分で、奴隷を所有していた。けれどもヨーロッパ白人とアフリカ黒人の遺伝を持つ個人を見出すことは容易であり、当初は誰もが混血エスニシティについて言及した、事実、アメリカ合衆国では、初期のセンサスの間では「ムラート」はしばしば白人とインディアンの血統を持つ人を指す用語としても使われたムラートはまた「ターク」(turk)-多くの北アメリカ人と中東人を言及する際に更なる曖昧さを導く用語-のような用語と交換が効く言葉として使われた加えて、「ムラート」は東インド会社によってイギリス領アメリカ植民地にもたらされた南アジア人の年季奉公人と国際結婚した白人の子孫についてもまた用いられた。例えば、東インド人の父とアイルランド系アメリカ人の母の間に1680年のメリーランドで生まれたユーラシア系の娘は、「ムラート」として分類され、奴隷として売り飛ばされた。また奴隷解放後の19世紀後半からは、ある白人至上主義者が白人と黒人の混血であっても、たとえ「一滴(1/32-1/64)」でも黒人の血を引いていれば、法律上は黒人だという意見から「一滴規定」が各州で適用されていたこともあった。
出典:wikipedia
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