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近鉄1600系電車

近鉄1600系電車(きんてつ1600けいでんしゃ)とは、近畿日本鉄道が保有していた一般車両(通勤形電車)である。なお本項では近鉄1800系電車・近鉄1810系電車も併せて記述する。1957年に登場した南大阪線用一般車6800系はWN駆動方式・片側4扉20m級車体を採用して急増する南大阪線沿線の通勤輸送に絶大な効果を発揮したが、名古屋線においては既に標準軌化工事が計画されていたため20m級車体ながら吊り掛け駆動方式・片側3扉とされた6441系が5編成投入されたのみであった。しかし、1959年に発生した伊勢湾台風による冠水・路盤流出といった大災害からの復旧工事と合わせて急遽繰り上げ実施された改軌工事によって、名古屋線でも大阪線と同等の20m級大型車が直通運転可能となった。この改良工事で最大の恩恵を受けたのは名阪間を直通する甲特急であったが、一般車にもその恩恵はもたらされ、16m級から19m級の種々雑多な中型車が運用されていた名古屋線に、20m級4扉車体を備えるWNドライブ車の開発が決定され、名古屋線に新製配置が開始された。それが1600系であり、改良増備型の1800系・1810系である。これらはラッシュ時輸送に絶大な威力を発揮したが、その新製ペースは遅く1959年から1966年までの8年間に41両が製作されたに留まり、1966年から1970年にかけて製造された1800系(計10両)や1810系(計43両)、1979年製造のサ1970形(計2両)を合わせても94両の製造に留まった。しかし、名古屋線には大阪線ほどの長距離急勾配区間は擁していないために発電制動・抑速制動が省略され、名古屋輸送統括部管内での限定運用を強いられたことから1990年代後半から順次新型車への代替が進行した。1959年に登場した名古屋線初の高性能通勤車。同線改軌後初の新形式でもある。車体は南大阪線6800系ラビットカーの近鉄標準スタイルを踏襲し、名古屋線初の片側4扉車となり、当時の近鉄社内では名古屋ラビットと呼ばれていた。電算記号(他鉄道事業者の編成番号に相当)が「R」だったのはこれに由来している。基本編成は宇治山田寄りからMc+Tcの2両編成で、初回製造分は5編成10両が投入された。なお、1961年製造の2次車まではモ1600形(奇数)とク1600形(偶数)を名乗ったが、1963年増備の3次車に合わせてク1600形はク1700形に改番された。1961年に基本編成が4本(1606F - 1609F)増備され、1963年から1964年には基本編成が6本(1610F - 1615F)と増結用の単独Mc車モ1650形が5両(モ1651 - モ1655)、1965年から1966年にはモ1650形4両(モ1656 - モ1659)と単独Tcク1750形2両(ク1751・ク1752)がそれぞれ製造された。その後、長距離急行や団体専用列車運用に対応するために、1967年に大阪線よりトイレ付きの1480系ク1580形3両(ク1581 - ク1583)を改番・編入してク1780形となったが、1973年にモ1601 - モ1603とク1780形の運転台を撤去してク1780形は付随車化されてサ1780形となり、1601F - 1603Fやモ1655 - モ1657と4両編成を組成した。最終的に本系列として在籍した車両は44両となる。1次車ではファンデリアと扇風機が併用されていたが、2次車以降では扇風機のみとなった。駆動装置はWNドライブで、主電動機は三菱電機MB-3020D (125kW) 、制御装置は日立製作所製超多段式VMC-HTB-10A(モーター4台制御)で電動車に搭載した。台車は近畿車輛製金属バネ台車であるが、製造時期によっては新造品のKD-36系とKD-51系、10100系の台車交換によって捻出された台車を金属バネ化して流用したKD-30系を装着する車両が混在する。集電装置はMc車連結側に1台装備した。ブレーキ(制動)方式はHSC-D電磁直通ブレーキである。空気圧縮機はモ1600形とモ1650に、補助電源装置はモ1600形(モ1610 - モ1615は除く)とモ1650形、ク1700形(ク1710 - ク1715のみ)に搭載した。運転台側連結器は密着形であるが、当初、電気連結器は搭載されていなかった。車両性能は、起動加速度が基本編成である1M1Tの2両編成および固定編成化された2M2Tの4両編成で2.5km/h/s、最高速度は110km/hである。肌色・青帯で登場した初・中期車は1965年からマルーンレッド1色に塗り替えられた。また、1次車のファンデリアが撤去されている。1982年6月1日実施の京都線急行の朝ラッシュ時5連化(新田辺駅 - 京都駅間)に伴い、増結用単独Mc車が必要となったためモ1651 - 1654が連結面簡易運転台取付け・連結器高さ変更などの改造を受け、京都線に転属した。その後京都線での奇数編成の需要減(大久保駅のホーム長の制約が高架化で解消された)から、モ1651・1652は救援車モワ51・モワ52に、モ1653は除籍後五位堂検修車庫の入替車に、1654は高安検修センターの入替車にそれぞれ改造された。1982年から1964年製3次車1610F以降の冷房改造と車体更新が行われ、車体内外装材交換や行先方向幕設置、モ1656形 - モ1659形はク1750形や1800系ク1950形と固定編成化された。1次車、2次車1601F - 1609Fとモ1655、サ1780形の全車は冷房改造・車体更新の対象外となり1988年より順次廃車となった。1992年から1994年にかけて1615F・モ1650形(モ1656 - モ1659)・ク1750形は狭軌化改造の上、養老線(現・養老鉄道)に転出し、名古屋線に残った編成は1997年までに全車廃車され、系列消滅している。廃車後、制御装置がモト94・96の機器更新用として転用されている。1966年に1600系の増備型として登場。編成はMc-Tcの2両編成4本8両と、1M2T編成を当初から想定していたため増結用ク1950形2両があった。翌年にはラインデリア装備の1810系に移行したため計10両の製造にとどまった。電算記号はH。車体関係は先に製作された大阪線2470系や2400系を基に各線で定められた車体共通規格が採用され、貫通路は広幅に、車内見付の見直しなどの改良が行われている。塗装はマルーンレッド一色を採用している。主電動機はMB-3110A形155kWが採用され、主制御器は直並列制御の多段式MMC-HT10E(モーター4台制御)となっている。台車は近畿車輌製KD-60系金属バネ台車を採用し、ブレーキ(制動)方式はHSC-D型である。空気圧縮機はモ1800形に、電動発電機はク1900形に搭載し、パンタグラフはMc車連結側に設置され、Tc-Mcの重量の均等化を図っている。性能面は1M1T編成においては2400系と同一の走行性能を有する一方、1M2T編成においては155kWモーターの大トルクを生かして限流値を上げ起動加速度は最低線の2.0km/h/sを確保したが、1両当たりの出力は200kW余りで高速性は名古屋線旧型車のMT比1:1編成並みに留まった。1979年から冷房改造が順次開始され、方向幕取付やパンタグラフの2基搭載が行われ、1804Fは下枠交差型のPT-48型に交換された。1984年からは車体更新が施工され、停止用電気制動の追設、主制御器が制動転換器付のMMC-HTB10Eに変更されたほか、増結用のク1950形は1988年の冷房改造と車体更新の際に1600系モ1650形と固定編成化された。後に1800系は養老線車両高性能化のため、1992年から1994年にかけて狭軌化の上600系・610系に編入されて全車両養老線に転属した。これにより現在1800系は系列消滅している。その際、余剰発生品となった主電動機と台車はモト97・98の機器更新用として転用されている。1800系にラインデリアを装備した系列で、1967年に登場した。1800系の限界設計をさらに進め1M2T固定編成を標準とした。もとより大半の区間が平坦線の名古屋線は当時まだ旧型車が主流で、急行・準急でもダイヤ構成上の最高速度は100km/hだったため、1M2Tで充分であった。初回製造分は3両編成が5本と2両編成が4本の23両が投入され、1979年までに43両が製造された。電算記号はH。1968年にサ1966が、1969年にサ1967が製造され1816F・1817Fが3連化となり、1979年にはサ1970形(当初より冷房装置付き)が製造され1826F・1827Fが3連化された。1970年製の1823Fからは側面に列車種別表示灯がつけられた。大阪線との車両転配を円滑にするため、1977年以降は大阪線・名古屋線共通設計仕様の2800系が名古屋線にも新製配備され、これが「1810系の増備車」の役割を兼ねる形となった。なお、2800系に相当する1810系の機器構成を踏襲した新製冷房車は、2800系サ2966・サ2967と同一仕様で製造されたサ1970形を除けば登場しなかった。基本的な車体デザインは1800系に準ずるが、ラインデリア取り付けの関係上屋根が1800系より120mm低いレール面から3530mmとなり、連結面の貫通路も狭幅に変更された。前面尾灯形状も変更されている。1979年に製造されたサ1970形では製造時から冷房装置を搭載していたため、車体断面は2800系に準じており、座席も2800系や8600系と同一の座面の低いものに変更されている。性能面は1800系と同等で、駆動装置や主電動機、制動方式、集電装置を含む補機類の配置も同系に準拠する。制御装置は低圧回路にトランジスタ磁気増幅器を用いて継電器のほとんどを無接点化した日立製作所製NMC型(モーター4台制御)で電動車に搭載した。台車は基本仕様の1811F - 1827Fとサ1960形は近畿車輛製KD-65(電動台車)およびKD-65A(付随台車)、サ1970形は近畿車輛製KD-87Aで、いずれも車体直結型シュリーレン式の空気バネ台車である。2016年4月現在、基本編成である2両編成は1826F・1827Fの2編成が富吉検車区に、中間車のサ1976・サ1977は高安検車区に配置され、合計6両が在籍している。1984年から施工されていた1000系高性能化改造の際にク1910形とク1100形を番号交換の上振替え、1986年からサ1960形はサ1961以外の全車を電装・モ1050形に形式変更し1000系2連車と3両を組成した。この内、1825Fのク1910形は1000系1002F(新製時から冷房搭載車として製造)と交換されたためにTc車とMc車で異なる車体断面で編成を組んでいる。また1991年にはサ1961形及びサ1970形は2430系の4連化により、最小限に改造のうえ改番されずに同系列に組み込まれたため、同年以降は2両編成17本34両と付随車3両の37両が在籍することとなった。冷房改造は1979年から1982年にかけて順次開始され、1811F - 1813F・1826F・1827FはMcのパンタグラフが電動発電機のフラッシュオーバー対策で2基搭載とされ、1826F・1827Fは下枠交差形のPT-48形に変更された。また、他編成も同じく冷房化が進められ、1814F・1824F・1825Fも下枠交差形に交換された。1985年から1991年にかけて停止用発電制動および方向幕装置の取り付けと1811F - 1827Fの車体更新、1999年にサ1970形の車体更新が行われた。1996年から2000年にかけて1811F・1818F - 1823F・1826F・1827Fとモ1812形 - モ1817形に2回目の車体更新(B更新)が施工され、1998年以降にB更新が施工された1821F - 1823F・1826F・1827Fは雨樋の設置や乗降扉床面のノンスリップ化が行われた。2007年12月から2013年2月にかけて1822F・1823F・1826F・1827F・サ1970形に転落防止幌が設置されている。2002年からは本系列にも廃車が開始され、2013年6月までに31両の除籍車両が発生している。旧ク1100形と番号交換・組成変更された車両とサ1960形は全廃となっており、そのうち1822F・1823Fは高安へ自力回送されている。除籍車両の最終配置検車区については、1811F・1820F・1822F・1823Fは富吉検車区に、サ1961形は高安検車区に配置されていた。なお、1998年時点では2両編成車は全て明星検車区の配置であった。登場当時は名古屋線・神戸線→鈴鹿線、山田線で、直通の長距離急行から普通までに使用されていた。1964年の湯の山線の改軌以降や1970年の鳥羽線開業と志摩線の改軌後は、この3線でも運用されるようになり、1975年の大阪線全線複線化後は急勾配と曲線を緩和した新線に切り替えた東青山 - 伊勢中川間でも運用された。後年のワンマン運転化や車両運用見直しで鈴鹿線や湯の山線、志摩線、大阪線東青山駅以東の定期運用からは撤退した。増結用として京都線に転属したモ1650形モ1651 - モ1654は本来の5両編成運用の他にも、2両固定編成や3両固定編成に1両・2両連結した3両・4両編成に組成することもあり、この場合は京都線の新田辺以南や橿原線・天理線、奈良線大和西大寺駅 - 近鉄奈良駅間でも運用していた(電気制動が省略されたため、奈良線の大和西大寺以西には入線不可能)。名古屋線系統において急行の増結編成や準急・普通として運用されている。併結車両は特に限定されていないが2編成しか在籍しておらず、準急や普通列車よりも6両編成の急行運用が多くなっている。1990年に1600系モ1651・モ1652を救援用電動貨車に改造して登場した形式。名古屋側からモワ51ーモワ52の2両編成を組む。車体外観は冷房装置の有無とシルキーホワイト・マルーンレッドの塗装を除けば1600系時代と同様である。パンタグラフの配置は宇治山田側に菱形式を1基ずつ搭載している。明星検車区に配置されていた。既に廃車となり、現存しない。

出典:wikipedia

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