西野山古墓(にしのやまこぼ)は京都府京都市山科区西野山岩ヶ谷町にある平安時代初期の貴族の墓。大正8年(1919年)に地元住民が竹林に土入れ作業をしていたところ、偶然に上部と周囲が木炭で覆われた木棺墓を発見、京都大学により発掘調査が行われ、金銀平脱双鳳文鏡、金装大刀、鉄鏃などの副葬品が発見された。周辺が中臣氏の根拠地であることから、被葬者はその一族とされていたが、昭和48年(1973年)に地元の歴史考古学研究家である鳥居治夫は、条里制の復元研究結果にもとづき同墓が坂上田村麻呂(758年~811年)の墓である可能性を指摘した。平成19年(2007年)、京都大学大学院文学研究科の吉川真司教授が清水寺縁起の弘仁2年(811年)10月17日付の太政官符表題の記述と当時の地図(条里図)を基にした山城国宇治郡山科郷古図(東京大学蔵)とを照合することで坂上田村麻呂墓説を裏付けた。金銀平脱双鳳文鏡1面、金装大刀1振、鉄鏃、鉄刀子、鉄釘、鉄板2枚、用途不明鉄製品、硯1点、水滴1点、石帯破片、漆箱、桐箱。これら副葬品は第1発見者から京都大学に寄贈され、昭和28年(1953年)に山科西野山古墓出土品として一括して国宝に指定。現在は京都大学総合博物館所蔵で、平成18年(2006年)に保存処理された。この際、鉄板2枚は墓誌である可能性を考慮してX線撮影による調査が行われたが、新しい発見はなかったとされている。(2007年に京都大学総合博物館で開催された「京大の至宝 蘇る宝たち」の展示解説より)現在、古墓そのものは竹藪に覆われ、位置の特定ができていない。京都市教育委員会が1970年代に調査を行った際にも発見できなかったとされる。昭和60年(1985年)、地元ライオンズクラブが周辺道路際に「この付近西野山古墓」の石標を建立したのが唯一の痕跡である。
出典:wikipedia
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