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青島文化教材社

青島文化教材社 (あおしまぶんかきょうざいしゃ) とは、日本の模型メーカーである。アオシマブランドで自動車、艦船、航空機、アニメや特撮作品のメカなどのプラモデルを販売しているほか、スカイネットブランドでラジコン模型やキャラクター雑貨、DISMブランドでダイキャスト製ミニカー、ミラクルハウスブランドで金属製完成品模型、FunnyKnightsブランドでフィギュアなどを販売している。1935年に青島次郎が創業した「青島模型飛行機」を前身とする模型・プラモデルメーカーである。静岡県静岡市葵区に本社を置き、静岡模型教材協同組合に所属する。キャッチフレーズは「創造のプラモデル」、商標はアオシマ。プラモデルを中心に完成品模型、ミニカー、フィギュア、キャラクター雑貨などの製造および輸入、販売を行っている。アオシマでは一貫してユーザーを楽しませる、子供たちにプラモデルで遊んでもらうことを主眼におき商品開発を行なっている。しかし初期ウォーターラインシリーズでの考証不足や金型製造技術の低さ、人気TV作品に登場するメカによく似た製品や子供に人気の「合体」シリーズの存在などから、かつては同業他社より一段低く見られることもあった。「合体」シリーズではアニメ・特撮作品では考えられない分割やデザインの商品を生み出した。忠実に作品世界を再現しようとするスケールモデルの世界では、こうしたメーカーサイドが提案する「遊び」は道を外れている、とみなされる場合があった。しかし、余った部品を組み合わせて自分だけのメカを作る「合体」シリーズの有形ブロック遊びは、タカラのマグネモシリーズなどにも共通する、ユーザーに好まれる遊びであることは事実である。アオシマのキャッチフレーズだった「創造のプラモデル」はプラモデルを通した遊びを追求した結果生まれた理念でもあった。逆説的に言えば、上位メーカーと違い型や業界のセオリーに囚われない自由な発想の商品をリリースできるのが強みとも言え、他社にはできない、挑戦的な新ジャンル・新シリーズを度々発表し話題をさらっており、「ユニーク商品の常連」として知られている。1923年から飛行家として活躍した青島次郎は、1926年に飛行家を廃業した後も飛行機への愛着を捨てきれず、1932年から動力付き模型飛行機を発売し1935年に「青島模型飛行機」を創業する。1940年から日本軍と文部省の主導で模型飛行機は教材として正式な教育課程に組み込まれ、一気に需要が拡大する。終戦後、「青島文化教材研究所」として再出発したもののGHQへの配慮から1949年まで休眠会社状態となる。1950年から模型飛行機の発売を開始し、1961年には有限会社に改組した。これ以降プラモデルの開発に着手し、最初のプラモデルとして1961年に『スピードボート・ブルーバード』を発売。黄色い流線型の航空機風高速ボードで、SF風味のオリジナル商品だった。また1962年には海外SF人形劇『スーパーカー』の商品化も無版権であるが行なっている。その後人気作品の登場メカによく似たSFメカのプラモを次々と発売、飛行機や自動車などのスケールモデルと並ぶ人気シリーズとなった。1969年にアポロ11号を含む「アポロシリーズ」を展開。版権料の必要ないキットだったこと、人類初の月着陸ということで客層を選ばなかったことなどから大ヒットを記録、第4回モデル大賞のフロンティア賞を受賞している。1971年からはウォーターラインシリーズを発売、息の長いロングセラー商品となる。一方で『鉄腕アトム』、『オバケのQ太郎』、『赤胴鈴之助』などのアニメ、漫画キャラクターや『スペクトルマン』、『快傑ライオン丸』、『イナズマン』などの特撮キャラクターも手がけている。これらは単発で終わったが1974年に『マッハバロン』で初めて「合体」シリーズを発表すると一躍大ヒット商品となり、当時の関西模型小売商組合連合会から1975年度の、もっとも売れた商品に贈られる賞「プロフィット賞」を受賞している。「合体」は同社の十八番となりその後「合体マシン」、「合体ロボ」というブランドでアニメ・特撮キャラクターモデルを発売することになる。1976年からは映画『トラック野郎』シリーズのヒットに合わせてデコトラシリーズ、スーパーカーブームに合わせてスーパーカーシリーズを発売。スーパーカーはブームが去ると次第に廃れたが、デコトラシリーズはロングセラー商品となった。1980年からガンプラブームが始まった。その前年のガンダム放映中に、玩具の売り上げ不振を補うため、制作サイドはメインスポンサーのクローバーの了解を得てプラモデルでの模型化をアオシマに打診している。しかし、すでに打ち切りが決まっているという話から、次回作のトライダーG7より模型化するという話でまとまり、アオシマからの発売はならなかった。結局、ガンダムの模型化はバンダイが放送終了後に行なうことになる。ガンプラがブームとなり始めた頃、アオシマはガンダムに次ぐ富野作品である『伝説巨神イデオン』の商品化を手がけ、1981年秋からは1/600の統一スケールで、全ての重機動メカを模型化している。1984年にはまだ黎明期だったガレージキット分野に進出。『みゆき』や『キャッツ・アイ(キャッツ♥アイ)』のレジン製キャラクターフィギュアを発売した。その後、専門ブランドとして「アルゴノーツ」を1991年に立ち上げ『ターミネーター』、『ロボコップ』などのソフトビニールフィギュアやレジンキットを手がけた。1989年6月に株式会社に改組し、同時にCIマークも現在の青地に「Aマーク」に変更。なお、1980年代後半から1990年代にかけては、TVアニメ作品のプラモデル化を行なっていない。この時期、模型業界はガンプラブームの後追いの失敗の後遺症による冬の時代を迎えていたためである。1980年代の前半、ガンダムの成功を受けて多数のリアルロボットアニメが作られ、多くのメーカーがプラモデル化を行なった。いくつかの作品はプラモデルの売り上げもよく成功を収めたが、期待した売り上げの得られない作品も多く、1980年代の半ばにはバンダイ以外のほとんどのメーカーがキャラクターモデルから撤退し、売り上げ不振によるダメージが残されたメーカーも少なくなかった。1997年の『新世紀GPXサイバーフォーミュラ』、1999年の『勇者王ガオガイガー』からTVアニメ作品のプラモデル化は徐々に復活し、デコトラや現用車両のスケールモデルと合わせて主力商品となった。また、1997年に主に塗装済み完成品を扱う「スカイネット」ブランド、1999年に主に合金トイを扱う「ミラクルハウス」ブランドを立ち上げている。2002年には、同年2月20日に会社解散したイマイから発売されていたプラ帆船、『サンダーバード』などのキャラクターモデル、エアコッキングガン、BBアクションガンの金型を購入し、自社製品として発売した。なお、一部製品は金型の改良が行なわれている。2005年からダイキャスト・ミニカーを「DISM」ブランドで発売。これまでモデル化に恵まれなかった1970 - 1980年代の自動車を中心として展開している。特に2006年に発売された「F31レパード」は即日完売し、一時は市価の2 - 3倍の価格で取引されるという爆発的ヒット作品となった。またこれらの金型を生かした劇中車 (『あぶない刑事』など) もプラモデルと同様に発売されている。2008年には、痛車を再現するためのキャラクターデカールを付属したプラモデルをいち早く商品化、同年に「痛車」を商標登録している。2009年には、中国(香港)の玩具メーカーハッピーウェル製の変形ロボットシリーズ「ロードボット」の輸入・販売を第二期まで行った。2010年2月より、中国(香港)の模型メーカードラゴンモデルズの輸入代理店となり、2014年12月までドラゴンブランドのプラモデルの取り扱いを行った。

出典:wikipedia

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