『醉いどれ天使』(よいどれてんし)は、1948年(昭和23年)4月27日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明、主演は三船敏郎・志村喬。モノクロ、スタンダード、98分。闇市を支配する若いやくざと、貧乏な酔いどれ中年医者とのぶつかり合いを通じて、戦後風俗を鮮やかに描き出したヒューマニズム溢れる力作。黒澤・三船コンビの最初の作品であると同時に、志村が黒澤作品で初主演した。第22回キネマ旬報ベスト・テン第1位。反骨漢だが一途な貧乏医師・真田は、闇市のやくざ・松永の鉄砲傷を手当てしたことがきっかけで、松永が結核に冒されているのを知り、その治療を必死に試みる。しかし若く血気盛んな松永は素直になれず威勢を張るばかり。更に、出獄して来た兄貴分の岡田との縄張りや情婦を巡る確執の中で急激に命を縮めていく。弱り果て追い詰められていく松永。吐血し真田の診療所に運び込まれ、一旦は養生を試みるが、結局は窮余の殴り込みを仕掛けた末、返り討ちで死ぬ。真田はそんな松永の死を、毒舌の裏で哀れみ悼む。闇市は松永などもとからいなかったように、賑わい活気づいている。真田は結核が治癒したとほほ笑む女学生に再会し、一縷の光を見出した気分で去る。本作は、黒澤明と三船敏郎が初めてコンビを組んだ作品である。三船は1947年(昭和22年)の第1期東宝ニューフェイスで補欠採用され、同年公開の『銀嶺の果て』(黒澤脚本・谷口千吉監督)でデビューした。この作品で見せた野性的な魅力とスピーディーな演技に驚嘆した黒澤は、三船に惚れ込んで本作の準主役・松永役に起用した。この作品の主人公は医師の真田役・志村喬であるが、準主役・三船の強烈な魅力が主役を喰ってしまっている。その志村は黒澤作品としては本作が初主演であった。さらに、作曲家の早坂文雄も黒澤と初めてコンビを組んだのも本作である。黒澤は「ここでやっと、これが俺だ、というものが出たんだな。『素晴らしき日曜日』ではそれが出かかって出なかったような気がする」と述懐しており、黒澤作品の個性的なテーマや技法を確立した作品といわれている。闇市のオープンセットは当時としてはかなり大がかりのものであるが、これは元々黒澤の師である山本嘉次郎監督の『新馬鹿時代』の闇市のオープンセットを再利用したものであった。また、黒澤はリアルに見せるために撮影所のオープンにドブ池を作り、メタンガスに見せるためにホースで空気を送り込んだりもした。中北千枝子演じる美代役は折原啓子が演じる予定だったが、病気療養のため変更となった。当初、脚本の植草圭之助は、松永が苦悩の末に街娼と心中に至る筋書きを提案したが、黒澤はそのようなロマンチシズムではなく「やくざ・暴力否定」の主題を重要視、暴力に訴える人間の末路として松永は抗争の果てに自滅するよう書き改められた。当初は、やくざの親分は岡田だけでなく松永も一緒に葬儀を行い、その場に乗り込んだ真田が暴れてそれをめちゃくちゃにするというものだったのを、労働組合から「暴力否定の作品なのにおかしい」との指摘を受けて脚本は変更された。当時、戦争帰りの若者には社会復帰出来ず自暴自棄的傾向(アプレゲール)に陥る者も多く、黒澤はそれに対して警鐘を鳴らす意味を込めたかったのである。だが三船の野性味あふれる強烈な存在感は半ばそれを吹き飛ばし、黒澤の意図とは逆に暴力とニヒリズムの魅力をスクリーンいっぱいに吐き出し賛美されたのは皮肉である。また、そのような松永との好対照として、同じ結核に罹りながらも真田の言い付けを守り着実に治癒していく女学生(久我美子)という役を配し、混沌の中に秩序が萌芽するかの如き一面があり、本当に強い人間とは、といった黒澤監督ならではの明確な倫理観が垣間見られる。ラストシーンの真田と女学生との邂逅には、ほのかな人間愛と希望を明日へ繋いでいこうする生き方の提示的な面も見られる。医師・真田に関しては、当初は若く理知的な、医療を天職としてその使命に燃える理想的人物という設定だった。しかしそのせいでか、脚本の執筆はその初期段階で頓挫し、一向に進まなくなってしまった。黒澤と植草は半ば諦めかけたが、かつて製作前の取材で出会った婦人科医師を思い出しイメージしたことにより、一挙解決へ向かった。その人物は、横浜のスラム街で娼婦相手に無免許の婦人科医をしており、中年でアル中・下品を絵に描いたような人間だったが、会話中に時折見せる人間観察・批判、そして自嘲するような笑い方などに哀愁と存在感があったという。映画中の医師・真田はそんな実在の人物を元に描き出されたキャラクターであるが故に、三船のやくざに対抗しうる反骨・熱血漢に成り得たともいえる、そんなエピソードも残っている。実際、志村の演技には三船に劣らない気迫があり、志村も本作品以降の黒澤映画において大変重要な俳優として活躍を見せ、名実共に志村主演の黒澤作品『生きる』でその真骨頂を披露することになる。本作では、悲しい場面で明るい歌を挿入する〈音と映像の対位法(コントラプンクト)〉を試みており、落ちぶれた主人公が結核に苦しみながら闇市をさすらう陰鬱な場面にあえて「カッコウワルツ」を流すことで、主人公の惨めさを強調させている。この手法は『野良犬』でも試みている。クラシックに造詣の深かった黒澤は音楽にもこだわり、山本礼三郎が登場するシーンで「人殺しの歌」をギターで弾くが、脚本段階ではここでクルト・ヴァイルの『三文オペラ』で主人公のメッキースが歌う「マック・ザ・ナイフ」を弾く予定であった。しかし製作途中でこの曲の音楽著作権料があまりに高すぎることを知り、使用を断念した。苦肉の策で、早坂文雄が似通った雰囲気のオリジナル曲を作曲して代用したが、オリジナル曲では観客にその「人殺しの歌」の意味が通じるべくもない。悪党の自己宣伝の歌を引用してヤクザの登場を強く印象づけるという、黒澤が狙った音楽的効果は完成した映画では失われてしまった。劇中で笠置シヅ子演じる歌手が歌う「ジャングル・ブギー」は、黒澤が作詞・服部良一が作曲したもの。はじめ黒澤は「腰のぬけるほどの恋をした」という歌詞を提供したが、「こんなえげつないの、わて、歌われへん。」と笠置がごね、やむなく「骨の溶けるような恋をした」と書き改めた。このシーンは身体全体を使って歌うステージが延々と続き、当時の笠置のエネルギッシュな芸風がうかがわれる貴重な資料でもある。
出典:wikipedia
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