『秀吉』(ひでよし)は、1996年1月7日から12月22日にかけて放送された第35作目のNHK大河ドラマ。原作:堺屋太一、脚本:竹山洋、主演:竹中直人。全49話。堺屋太一の小説『秀吉』、『豊臣秀長』、『鬼と人と 信長と光秀』(主人公:明智光秀と織田信長)の3作品を物語の基とし、脚本家の竹山洋自身が創作した逸話なども随所に取り入れてドラマ化した。豊臣秀吉を主人公にした大河ドラマは、1965年の『太閤記』以来、31年ぶり2作目。『八代将軍吉宗』の総集編が終わった後の予告で「これがドラマだ!」と強調、蓋を開ければ、竹中直人やおね役の沢口靖子のほか、信長役の渡哲也の重厚な演技、秀長役の高嶋政伸、なか役の市原悦子、足利義昭役の玉置浩二、千利休役の仲代達矢、光秀役の村上弘明などの脇役たちの存在感もそれぞれ光るものがあり、視聴率は当初の予想を大きく上回ることになる。平均視聴率30.5%、最高視聴率は37.4%と、歴代の大河ドラマの中でも上位に位置する高視聴率を記録した。この作品以降で平均視聴率・最高視聴率いずれも30%を越えた作品は存在しない。豊臣秀吉役の竹中直人が事あるごとに、右手で5文字を強調しながら言う決め台詞「心配御無用!」は、その年の流行語となった。その後この決め台詞は真田広之演じる石田三成にも引き継がれている。放送初回の第1話の大仁田厚演じる蜂須賀小六が秀吉を担ぎ上げる場面で、褌の横から竹中の陰部が露出していることが放送直後から話題になったが、NHK側は「放送前から承知していたが、モザイクを入れたらかえって不自然だと判断した」とコメントした。なおこの場面は総集編でもモザイクも入らずにしっかりと放送されている。渡は『勝海舟』の主役を病気で途中降板して以来久々の大河ドラマ出演となったが、渡演ずる信長に極めて強い反応があり、当初の予定を変更して渡の出演を4話延長する異例の処置をとった。番組終了後、大阪新歌舞伎座での自身の初舞台公演でも信長役を2回演じ、その後2002年には宝酒造の日本酒「松竹梅」のCMでも、信長のような役を演じている。久々の大河出演にあたって、所属する石原プロモーション専務の小林正彦は「渡哲也の完全復活のチャンス」と位置づけ、積極的なプロモーションを展開した。もっとも、渡の演技に注目が集まったために、番組としては回を追うごとにどちらが主役なのかわからない状態となり、信長死後の平均視聴率は32%から28%と4ポイントも落ちてしまった。また、30%を超えた回は信長生前は30話中24話だったが、信長死後は19話中5話であった。当時高級食品だった豆腐を百姓が食べている、当時日本にいなかったはずの犬種が出てくる、秀吉の母・なかが軍議の席に乱入するなど、時代考証を無視した描写が少なからず存在した。また、第6話で描かれた墨俣の一夜城伝説は歴史学者の間では後世のフィクションというのが定説となっているがそれを肯定してしまうと脚本自体が成立しなくなってしまうため、歴史考証を担当した小和田哲男は「立派な櫓や石垣のある城ではなく急ごしらえの砦に見えるようにしてほしい」と進言するに止めたという。本作では、秀吉の生涯を人間味を重視して描くとともに、秀吉の弟・秀長(小一郎)にも光が当てられている。秀長が主要人物として登場する大河ドラマは『おんな太閤記』以来15年ぶりであり、『太平記』で足利尊氏の弟・足利直義を演じた高嶋政伸が彼の実務面での奮迅振りを演じた。浪人時代の明智光秀も初回から登場し、秀吉との出会いと、織田家に仕官した後の互いに認め合う良きライバルとしての関係が描かれている。秀吉・信長に次ぐ準主役的な扱いで、その家族・家臣もストーリーの中で大きく取り上げられている。光秀が信長に虐げられて本能寺に至るまでの過程が詳細に描かれており、村上弘明が悲劇的な光秀を演じた。その一方で、徳川家康を演じた西村雅彦は自身の扱いに不満を漏らしていたが、局側から「これからどんどん膨らんでいきますから」と説得されていたという。しかし、西村は「そのまましぼんでしまった」と振り返っている。本能寺での信長の最期は、自ら太刀を振るっての殺陣で明智軍を震え上がらせ、燃え盛る炎の中で白装束の信長が「人間五十年」で有名な幸若舞「敦盛」の一節を謡った後、「神か…、神が死ぬか!」と叫び頚動脈を自ら斬り、大量の血を吹き出させながら絶命するという壮絶なシーンとなった。この最期は信長を演じた渡哲也自身の発案であると、後に民放番組に出演したとき渡本人が明かしている。数ある本能寺の映像作品の中で、切腹以外の方法で死ぬ信長の描写は初めてであるという。頸動脈を斬って死ぬ信長は、後年の大河ドラマ『功名が辻』『軍師官兵衛』でも見られる。本能寺に至る理由として、本作では信長による光秀への冷遇(敵地への領地替えや、光秀の母・美が八上城に人質に取られているにも関わらず、信長が八上城主・波多野秀治・秀尚を殺害してしまう等)と共に、信長によって長男・信康と正室築山を失った徳川家康、および信長に茶道を冷遇された千利休の二人が、光秀に謀反をけしかけるという陰謀説を採用している。なお、ストーリーブックに収録されていたあらすじでは、明智光秀が小栗栖で死なずに天海と名を変え徳川家康に仕えたことを示唆する展開がなされていたが、実際に放映された作品では史実どおりに光秀は小栗栖で死んでいる。なお、作中では石川五右衛門が光秀の首を坂本城に届け、届けられた光秀の首を抱えてひろ子が琵琶湖へ入水自殺するという顛末となっている。また翌週の8月4日のアトランタ五輪・男子マラソンはNHKで放送されるため、休止の予告として放送の最後に、鎧姿の秀吉が「がんばれニッポン、心配御無用!ニカッ!」と語り掛ける特別なスポットが放映された。そのため第31話の予告はカットされた。織田信長の死までは秀吉の光り輝くサクセスストーリーが展開されるが、天下人となった後は朝鮮出兵や千利休の切腹など、秀吉の陰の部分にも注目する展開になっている。しかし、話自体は秀吉が栄華を極めていた時期、史実からすると小一郎秀長や、母・なか(大政所)が亡くなった時点で終了し、甥・秀次一家の惨殺や朝鮮出兵の失敗などの晩年部分は描かれなかった。なお、竹中本人は2003年の再放送でのインタビューの際「天下を取った後の堕ちてゆく秀吉を演じたかった」と発言している。本編の最終回は、秀吉がおねのご機嫌を伺う為に大坂城で催した架空の花見と、そこに顔を出した豊臣家の人々や家臣・大名たちが華やかに描かれる。そして最後には一人となった秀吉が亡き母に辞世を伝え、不意に現れた段々畑に挟まれた坂道を、沈みゆく夕日に向かい一人光に包まれて駆け登っていく、という彼自身と一族の最期を暗示する様なラストシーンが描かれた。ただし、総集編では描き方が変わり、秀吉が同じ道を「さよなら!あぁ~~~!(花吹雪で飛ばされる)来年の大河ドラマ・毛利元就もよろしく!心配御無用!」とアドリブを入れたバージョンで完結し、ラストの印象自体が本編と総集編とでは大幅に変わったものになっている。2003年の再放送では、翌年の大河ドラマに関する部分がカットされ、「さよなら!」の挨拶と、「心配御無用!」の決め台詞のみのバージョンとなっている。尾張国中村の百姓の子として生まれた日吉(後の秀吉)は、松下家に仕えていたが、買い付けの最中に高野聖に金を盗まれてやむなく逐電する。傷心のままに故郷に戻ったときに、たまたま諸国流浪中の明智光秀に出会い、光秀に触発され改めて武士になる夢を抱く。やがて織田信長の下に小者として仕官した秀吉は、足軽昇進後に拝み倒して家臣になってもらった弟・秀長との絶妙なコンビネーションで、一夜城の建設や竹中半兵衛の調略等に成功し、織田家中の中でめきめきと頭角を現わしていく。一方、一浪人にすぎなかった光秀も縁あって、朝倉家に身を寄せていた流浪の足利義昭に仕えるようになるも、将軍位奪還のために信長の元に使者として送り出された際に、その才覚を見抜いた信長が、光秀を破格の厚遇をもって家臣として迎える。秀吉はそんな光秀にライバル心を燃やし、二人の出世競争が始まった。※総集編はNHKアーカイブスで視聴可能。本作も通常放送回・総集編のマスターテープは全て保存されているが、総集編が2003年の正月に総合テレビで一括放送されたのを除き、通常放送回は長年にわたりスカパー!の有料専門チャンネルでも再放送されず、NHKアーカイブスでの視聴も不可能であった。背景に出演者の権利問題などが噂され映像ソフト化も完全版・総集編共に行われてこなかったが、放送開始から16年経った2012年1月25日に前半部を収めた『完全版第壱集』、同年3月には後半部を収めた『完全版第弐集』と『総集編』のDVDが発売された。併せてレンタル盤もリリースされ、チャンネル銀河では2012年2月13日、2014年2月3日より放送が開始された。
出典:wikipedia
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