伍堂 輝雄(ごどう てるお、1906年1月1日 - 1993年12月16日)は、山口県出身の実業家。元日本航空(JAL)会長。元弁護士。山口県山口市生まれ。広島県広島市南区出汐育ち。第六高等学校、東京帝国大学卒業。卒業後、岩田寅造法律事務所に勤務。1933年、日本鋼管顧問弁護士。昭和鋼管勤務、鉄道大臣秘書官を経て1941年日本鋼管に入社。1949年取締役、1954年常務取締役鶴見製鉄所長などを歴任、1957年のジュネーヴILO総会では使用者代表顧問として出席。1963年に日本航空へ移り専務に就任。その後、副社長を経て1969年に日本航空会長に就任する。その他日経連理事などを務めた。1993年、体調を崩し永眠した。享年87。日本有数の閨閥地図を作り上げたともいわれた"永野六兄弟"の五男。弁護士だった永野法城が実父だが、海軍中将だった伍堂卓雄に養子入りした。運輸大臣を務めた永野護と新日本製鐵会長及び日本商工会議所会頭を務めた永野重雄、五洋建設会長を務めた永野俊雄は実兄。参議院議員を務めた永野鎮雄と石川島播磨重工(現IHI)会長を務めた永野治は実弟である。また、広島県知事を務めた永野厳雄、三菱マテリアル社長及び日経連会長を務めた永野健、大同鋼板社長を務めた永野辰雄は甥となる。
出典:wikipedia
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