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大同類聚方

大同類聚方(だいどうるいじゅほう)は、大同3年(808年)5月3日に成立した日本最古の医学書。薬品の処方など各地に伝わる医方が収録された。全100巻。漢方医学の流入に伴い日本固有の医方が廃絶の危機に瀕している事態を憂慮した桓武天皇の遺命によって、平城天皇の治世に安倍真直・出雲広貞らにより『大同類聚方』は編纂された。ただし後述する『勅撰真本大同類聚方』の上表文では、編者としてほかに若江家継・大伴乎智人・忌部恵美麻呂の名が記されている。大同3年5月3日(808年5月31日)に完成し、天皇に上奏された。同書の編纂にあたって諸国の豪族・旧家や神社に医方を献上させたと一般的には理解されているが、そのような通達が発せられた形跡を確認できないことなどから、典薬寮や内裏などが当時保有していた資料を基に編纂されたとする見解もある。同時に制定された「大同医式」によって、薬の処方は同書に基づくよう定められた。江戸時代に国学の台頭に伴って和方医学が興隆すると、『大同類聚方』は和方家の聖典とみなされるようになった。しかし1799年(寛政11年)に『日本後紀』の残巻が刊行されると、『日本後紀』の記述と当時流布していた『大同類聚方』の内容に矛盾が見られることなどから、流布本を偽書とする見解が現れた。和方家の中でも権田直助らは真書説、佐藤方定(佐藤鶴城・佐藤民之助・佐藤神符満と同一人物)らは偽書説を唱え論争となった。近代になると富士川游・服部敏良・和田英松・物集高見・物集高量らが佐藤の偽書説を支持したため、今日では現存する諸本は全て偽書であり真本は散逸したとみなすのが通説となっている。ただし佐藤方定は後述の典薬寮本などいくつかの写本について真書であると主張し『勅撰真本大同類聚方』を刊行している。1905年(明治38年)に刊行された『日本医学叢書』第1集第1巻では『大同類聚方』(全100巻)・『大同類聚方抜萃』・『大同類聚方寮本』(8-17巻分のみ)の3種が翻刻されている。このうち『大同類聚方寮本』は後述する『勅撰真本大同類聚方』のこととされる。1979年(昭和54年)には同書の翻刻を基に校注を付した『大同類聚方校注』が大神神社から出版されている。また1985年(昭和60年)には槇佐知子によって『大同類聚方全訳精解』が著されている。同氏の業績に対しては菊池寛賞とエイボン功績賞が授与されている。佐藤は1831年(天保2年)の著書『奇魂』(くしみたま)において、当時流布していた『大同類聚方』の伝本を明白な偽書であるとし、その論拠として以下の点をあげている。そして佐藤は、師にあたる本居宣長がこの伝本について鎌倉時代のあたりに著されたものと推定したことから、当時『大同類聚方』とは異なる書として著されたものが後代に改竄されたか、あるいは当時から偽書として著されたものではないかとした。1852年(嘉永5年)に著された花野井有年『医方正伝』には、のちに佐藤は後述する延喜年間の写本(典薬寮本)と延長年間の写本を発見したとある。佐藤は1856年(安政3年)から、この典薬寮本を底本とし前述の延長本および寛仁年間の写本との異同を示した『勅撰真本大同類聚方』(大同類聚方寮本)の刊行を開始した。1858年(安政5年)の著書『備急八薬新論』において佐藤は「流布印本ハ偽書ナル事奇魂ニ弁セリ正本ニ因ルヘシ」としている。『勅撰真本大同類聚方』所収の典薬寮本と『日本医学叢書』所収の『大同類聚方』(全100巻)には、以下のような相違が見られる。近世の刊本は日本古典籍総合目録データベースの情報による。以下は近代以降の活字翻刻本。

出典:wikipedia

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