『巨人の星』(きょじんのほし)は、原作:梶原一騎、作画:川崎のぼるによる日本の漫画作品。本項では、続編である『新巨人の星』についても併せて解説する。主人公の星飛雄馬は、かつて巨人軍の三塁手だった父・一徹により幼年時から野球のための英才教育を施される。プロ野球の読売ジャイアンツに入団後、ライバルの花形満や左門豊作らを相手に大リーグボールを武器に戦う。いわゆるスポ根野球漫画の走りともいえる作品。『巨人の星』(通称「左腕編」)は1966年から1971年まで『週刊少年マガジン』に連載され、『週刊少年マガジン』連載直後にKC(講談社コミックス)全19巻で刊行された。KCスペシャル版と1995年の文庫版では全11集である。その続編『新巨人の星』は1976年から1979年まで『週刊読売』に連載された。『巨人の星』・『新〜』ともによみうりテレビ系でTVアニメ化され、アニメ映画も7作品が製作されている。左腕編と『新〜』の間の時期を描いた『巨人の星・外伝〜それからの飛雄馬』も読みきりで『週刊少年マガジン』に掲載されており、飛雄馬失踪(5年間)の開始から3年後を扱っている。これは『新〜』の文庫版の巻末に収録されており、1978年掲載で『週刊読売』の『新〜』掲載期間と重なるが、河崎実の著書『巨人の星の謎』では「昭和48年」=1973年であるとしている。講談社漫画文庫『新巨人の星』で「新魔球の章」と『巨人の星・外伝』を収録した第6巻1996年版では、巻末に『新巨人の星』の初出が『週刊読売』1976年10月2日号 - 1979年4月15日号に掲載、『それからの飛雄馬』は『週刊少年マガジン』1978年2月12日号に掲載とある。ジェイムズ・P・ホーガン作のSF作品『"Giants Star"』の邦題は、本作との重複を避ける意味から『巨人たちの星』になっている。『巨人の星』が「巨人軍に属する星という名の選手」の意味であれば、英語の人名 Starr は最後の r が2つになるので、『空想英語読本』のマッシュー・ファーゴ(Matthew Fargo)は『Starr Of The Giants』という題名を提案している。しかし、『巨人の星』の英語のタイトルは『Star Of The Giants』が慣用らしく、「巨人軍を象徴する“夜空の星”」または「巨人軍の“スター選手”」という意味になっている。タイトルの『巨人の星』はこれらの全ての意味を兼ねている。作画担当は梶原の原作執筆後に選定が行われ、川崎のぼるが選ばれたが野球の知識の無い川崎は当初その依頼を拒否、説得に時間がかかったためプロ野球の開幕に合わせて4月に予定されていた連載開始は6月に遅れることとなる。川崎の作画により劇中のビジュアルが印象的に描かれ、大リーグボール2号の「高くあげた右足が土ぼこりを舞い立てる」コマを原作担当の梶原は絶賛したという。消える魔球の原理は、川崎のぼるが描く飛雄馬の投球フォームを見た梶原が思いついたものともいわれる。『新巨人の星』は、絵も一層緻密になり、人気漫画家となった川崎も他の連載をかかえながら作画を再開した。その分、投球や打撃のシーンはよく見ると複数のコマでコピーの流用が多く、コピーされた部分はしばしば、文庫版などで印刷状態が良くない。また、飛雄馬が手に巻いた包帯が途中のコマでなくなっている場面もある。アナウンサーや記者、観客、子供の顔はギャグマンガ風にデフォルメされており、川崎の別作品『てんとう虫の歌』や『いなかっぺ大将』の絵と共通点が見られる。『巨人の星』末期および『新巨人の星』以降はセリフが非常に長く、かつまわりくどくなっている。また、「なきにしもあらず」「思わんでもなかった」など、二重否定の肯定が頻出する。また、「女にはわからない男の世界」「男の世界のことに明子は口を出すな」などのホモソーシャル的な言い回しが多い。また原作では難しい熟語の言い回しが多く、登場人物のセリフも「この○○にも」などのように一人称として苗字を名乗る場合が多い。作中、「剛球」では「剛」の文字が使われるが、「豪速球」では「豪」という字が用いられる。アニメ主題歌の歌詞に「剛球燃えろ」とあるように、飛雄馬は当初、「剛球投手」というイメージだったが、辞書では「剛球」は速くて「重い」球という意味で受け取られることが多いらしい。後になって飛雄馬の「球質」が判明するあたりで彼の投げる「軽くて速い球」は「豪速球」または単に「速球」と表現されるようになった。「球質の重い軽い」に関しては今の科学では疑問視されている(詳細は大リーグボールの項参照)。『新巨人の星』で、右腕投手として復帰した飛雄馬の投げる速球は「剛速球」として表現されている。なお、安恒理(やすつね おさむ)著『「巨人の星」から「ルパン三世」まで"アフターストーリー"全掲載!!』(辰巳出版)に掲載された『巨人の星』の解説では「剛速球」となっている。1971年、『テレビマガジン』で、磯田和一の作画による漫画を掲載(12月創刊号から翌1972年3月号まで)。1978年には、同誌で井上コオの作画による『新巨人の星』のコミカライズを掲載。翌1979年には秋月研二作画による『新巨人の星II』のコミカライズが『月刊少年マガジン』に掲載された。詳細は巨人の星 (アニメ)参照。さらに2006年8月9日より『週刊少年マガジン』誌上で、梶原一騎・川崎のぼる原作、村上よしゆき作画で本作のリメイク『新約「巨人の星」花形』が連載を開始、2011年新年号まで連載された。副題の個所は必ずしも連載当時の区切りと一致しない。冒頭、飛雄馬が長嶋に魔送球を投げつけ、星一家が最初に描かれた章(アニメ第1話「めざせ栄光の星」に相当)ではサブタイトルがなく、そのあとに「大リーグボール養成ギプス」という最初の副題が出ている。また、有名な火だるまボールのノックは「火だるまボール」の章では描かれず、そこでは飛雄馬と王貞治の対決が描かれ、火だるまボールは「命をかけるねうち」で描かれる。また、KCからデラックス版、そして文庫になった段階で、1つの副題の話が巻をまたいでいる個所があり、後半が収録された文庫では目次に前巻の最後と同じ副題があるだけで、後半の本編では副題は書かれていない。『新巨人の星』の場合、「泥濘の章」、「鳴動の章」、「噴煙の章」、「青嵐の章」、「噴火の章」、「不死鳥の章」、「新魔球の章」の7章からなっており、『週刊読売』連載当時、大型の別冊単行本全7冊が出て、講談社コミックス(KC)では全11巻、講談社のデラックス版と漫画文庫で全6巻となっている。漫画文庫の第1巻には星の草野球代打稼業から伴の長嶋邸訪問までの「泥濘の章」と「鳴動の章」の前半、長嶋が星の右投げを見る場面を収録。長嶋茂雄の巨人軍入団(1958年)に始まり、中断をはさんで第一次長嶋政権の4年目(1978年)の中途、『新巨人の星』として完結した。この時代は、日本が敗戦の混乱期から立ち直り、高度経済成長を経て経済大国を自認し始める頃に当たっている。東京オリンピック(1964年)を前にした交通整備で、一徹のような日雇い労務者も仕事が急増し、収入が増えたことが描写されている。当時高級品だったTV購入も、いわゆるお坊ちゃま学校だった青雲高校への飛雄馬の入学も、こうした五輪景気の建設ラッシュ期における一徹の昼夜兼行の超人的な働きがなければ不可能だった。なお、インフラ整備や再開発はその後も続き、飛雄馬が生まれ育った長屋も取り壊されている。登場人物(花形、伴、川上監督夫妻、オズマ)たちが海外に出かける、あるいは戻る場面では、舞台は羽田空港。乗客は建物から徒歩で飛行機に向かい、タラップを使って乗降していた。機材もDC-8と思しきナローボディ機材だった。国内線での移動も多々あるが、ボーイング727は登場しない。主要登場人物の中では、星一徹、川上哲治、水原茂らが太平洋戦争への従軍を経験している。アニメ版オリジナルストーリーで水原のシベリア抑留時代の強制労働体験、沢村栄治、吉原正喜など戦没野球選手の逸話も描かれた。一方、主人公飛雄馬は、台湾の日本統治時代を知らないか、知識としては知っていても現地で日本語が通じることには驚いてしまう世代になる。劇中で中華民国側が飛雄馬たちを歓迎する文字「歓(歡)迎」「棒球団(團)」などはなぜか、戦後日本の当用(常用)漢字だった。一部の巨人選手は中華民国側の歓迎の印だった爆竹に驚いて、川上監督から説明を受けていた。台湾キャンプ当時(1968年)は中国本土との国交回復(1972年)の前。速水はメキシコオリンピック(1968年)の陸上競技で代表候補だった。なお、速水のキャラクター造形の参考にされたと推測される飯島秀雄もやはりメキシコオリンピックの代表選手である。星飛雄馬が左腕投手として巨人に入団した1967年当時、今の東京ヤクルトスワローズがサンケイアトムズ、横浜DeNAベイスターズが大洋ホエールズ、オリックス・バファローズが阪急ブレーブスと近鉄バファローズ、北海道日本ハムファイターズが東映フライヤーズ、福岡ソフトバンクホークスが南海ホークス、千葉ロッテマリーンズは東京オリオンズ(物語後半でロッテオリオンズ)、埼玉西武ライオンズが西鉄ライオンズだった。また、東北楽天ゴールデンイーグルスは2005年新規参入のため当時存在していなかった。原作では飛雄馬が青雲の面接を受け伴宙太と逢った場面(初期講談社コミックスKC2巻、文庫1巻)で、伴宙太の「なぜだまっとる、お前はおし(唖)か」の「おしか」が省かれ、飛雄馬の「だからおしになった」が「だからだまっていた」になっている。また飛雄馬が長屋で伴に「自分を投げろ」と言った場面では「かたわになってもかまわん」が「大けがをしてもかまわん」になっている。大リーグボールがオズマに打たれた後のオールスター(KC14巻、文庫8巻)で客からの左門への罵声の「百姓」が省かれ、「熊本に帰ってこえたごかついでろ」が「派手にプレーしてみろ」に、伴移籍の後のキャンプで長嶋が言った飛雄馬への助言(KC16巻、文庫10巻)で「めくら蛇におじず」が使われていたが、この諺が省かれ、セリフも大幅に書き換えられた。アニメでのセリフの変更は、アニメ版の項目参照。1967年末、花形の打撃練習を見た記者団の1人が「下手な記事など無用ノ介!」と言っている。この『無用ノ介』は当時、さいとう・たかをが『週刊少年マガジン』に連載していた時代漫画のタイトル。1969年の初め、飛雄馬が橘ルミ、続いて日高美奈と出逢った辺りで、一徹と飛雄馬が当時を形容した「昭和元禄」という言葉を使っている。飛雄馬が参加したボウリング大会の司会が大橋巨泉。同年、飛雄馬が大リーグボール1号で中日のオズマと対決した場面で、観客が「男なら投げてみな、大リーグボール!」と叫んだ。1969年の月面着陸に、飛雄馬は自身の挑戦精神を重ね合わせている。1969年末〜1970年初頭の伴トレードの時期には、登場人物の台詞で「アッと驚くタメゴロー」が出た。1970年、消える魔球を打たれて勝手に帰宅した飛雄馬がテレビをつけ、野球中継からチャンネルを変えると藤圭子が「圭子の夢は夜開く」を歌っていた。同年、大リーグボール3号を開発した飛雄馬が文字通り巨人のスターとなっていた当時、『スター千一夜』で当時の有名人と対談(司会者は石坂浩二、共演者は藤圭子と沢村忠)、作中のマスコミ関係者が引田天功や吉沢京子と飛雄馬の対談を希望する場面もある。吉沢京子は当時、梶原一騎原作の『柔道一直線』に出演中だった。連載初期にはテレビは相当な高級品として描かれていた。星家の家計のひっぱくさが誇張して描かれていたためもあるが、花形や伴ら富裕層の自宅にも複数台のテレビがあった描写はない。星家のテレビ購入により一挙に親密になった長屋の住人達は、それ以降も星家を訪れ、ブラウン管を通して飛雄馬を応援した。夏には明子がスイカをふるまったりするなど、星家はいつの間にかコミュニティの核となっていった。ビデオが登場するのは『新〜』の時代からで、花形が大リーグボール1号を本塁打した際、ビデオのスロー再生を行うに際して「分解写真」という言葉が使われている。原作では左門も花形も飛雄馬攻略にコンピュータを駆使することはついになかった。アニメの花形は親の会社の研究班に頼んで、飛雄馬の大リーグボール3号の投球フォームを分析させ、同じ魔球を投げるピッチングマシンを作らせている。花形はさらに、アニメ『新・巨人の星』でヤクルトに入団した直後、コンピュータを使っていた。後の野球漫画で必ずといって良いほど登場するスピードガンも当時実用に耐えるものはなく、飛雄馬の球速が具体的に示されることはなかった。作品でボールの速度が数字で示されたのは、一徹が花形のノックアウト打法について飛雄馬に説明した際、テニスと野球の球速を比較した場面くらいだった。劇中で星飛雄馬の投球する姿を映した動画が出てくるが、大きなフィルムを使い、旧式の映写機(家庭用の8ミリフィルムタイプと推測される)で暗い部屋で見るタイプだった。アニメ『新・巨人の星』で左門は「右投手飛雄馬」の攻略のために8ミリフィルムを使用したが、その再生の際、通常の映写方向だけでなく、反対側にも画像が出てしまっていた。このとき、劇中画面では左で投げる「右投手飛雄馬」の様子が出ていた。牧場の担当編集者が病院(診療所)で飛雄馬の「破滅」の秘密を録音したテープレコーダーも古い大型のオープンリールだった。ストーリー展開上の演出のためもあるが、1969年末または1970年初頭の村山実の自宅では火鉢が使われていた。星一家が住んでいた長屋(東京・町屋)の家には固定電話もなく、周囲の店の電話を経由するなど、不便な様子だった。一徹が球場に電話して飛雄馬にアドバイスしようとしたときも、電話のあるらしいラーメン屋まで走るが間に合わず、飛雄馬は左門に本塁打を打たれてしまう。9連勝の際、新聞記者が見出しにすると口にした「輝き渡る巨人の星」に感動した飛雄馬がその喜びを伝えようと、遠征先から寿司を注文してついでに折り返し電話するように伝えて欲しいと依頼する。近所の公衆電話(タバコ屋らしい)から折り返すが、かなりの長話となり、十円玉が何枚必要だったかは不明。飛雄馬と明子はマンションに引っ越して初めて「自宅に電話のある生活」を経験する。原作で飛雄馬のマンションの部屋に電話がかかってきたのは川上監督からと京子から。ただし、星一家の過ごした長屋が作中で取り壊されたとき(「青春のぬけがら」KC18巻、文庫11巻)、その工事現場のすぐそばに電話ボックスがあった。旧作の頃(1968年)台湾キャンプで四苦八苦していた飛雄馬も『新』の末頃(1978年初頭)には自費でハワイへ自主トレに出かけるくらいになっていたほど、この10年間で海外旅行は日本人にとって身近なものになっていた。『新巨人の星』の登場人物を含め、本作に登場する主な登場人物を挙げる。 なお、イタリアに輸出放映されたアニメ版"Tommy, la stella dei Giants"シリーズにおける登場人物名は、現地の視聴者の理解のため星飛雄馬がトミー・ヤング、一徹はアーサー、花形はアレクサンダー・ミッチェル、左門はサイモン・ホールデン、伴はチャーリー・ベン(『チャーリー・レッド』説もあり)などと置き換えられている。主人公星飛雄馬の駆使する一連の魔球。詳細は大リーグボールを参照。ここでは簡略化した記述にとどめる。文筆家で漫画家でもある夏目房之介は、自著『消えた魔球』(双葉社)の中で本作と『ちかいの魔球』(原作福本和也、作画ちばてつや)との類似点を指摘している。『ちかいの魔球』の主人公が最初に投げた魔球は、ボールの後ろの空気の渦でボールが一瞬引き戻され、バッターの間合いを崩してしまうというもの。次いで生まれた魔球は、ボールの残像により、ボールが4つに分身して見えるというもの。3つめの魔球は、主人公が足を高く上げて投球すると、なぜかバッターの前でボールが消えてしまうというもの。大リーグボール1〜3号の内容によく似ている。『ちかいの魔球』作中では変化のメカニズムの説明はなく、夏目は、大リーグボール2号は『ちかいの魔球』の消える魔球を理論的に説明したもの、と評している。こういった魔球の内容に加え、主人公がジャイアンツ所属の左投げ投手である点、主人公が魔球の開発にばかり執心な点、クライマックスで完全試合達成のために魔球を投げすぎて倒れる点、ライバルのバッターがタイガース所属で長髪が特徴な点など、両作品の内容が非常に似通っていることを指摘。『ちかいの魔球』(1961年 - 1962年)と『巨人の星』(1966年スタート)の両方をリアルタイムで読んでいたことを踏まえ、「はっきりいって『巨人の星』は『ちかいの魔球』のいただきです」と述べている。当時の夏目は『巨人の星』が『ちかいの魔球』の「いただき」(パクリ)であることに気づいていたため、『巨人の星』に対し良い感情を持っていなかったという。その一方で夏目は、『ちかいの魔球』にない「梶原一騎的」な部分こそが『巨人の星』の名作たる所以と本作の価値も認めている。なお、『週刊少年マガジン』の元編集長である宮原照夫は自著『実録!少年マガジン名作漫画編集奮闘記』の中で自分が『ちかいの魔球』と『巨人の星』の企画者で、漫画家・原作者のプロデュースも行ったと書いており、両作に共通点があるのは担当者が同一だからとも考えられる。梶原一騎原作のスポ根漫画の特色として、特訓が挙げられる。とりわけ、『あしたのジョー』と並んでスポ根漫画の代名詞的作品である本作は、作中に特訓という要素を組み入れる手法によって連続する対決のマンネリ化を打破し、長期に渡るストーリー展開でも持続性と緊張感を維持した。この手法は、となり、「次の展開」からまた「特訓」に戻るという勝負の循環サイクルとなっている。これによって、主人公(飛雄馬)とライバル(花形・左門)との連続する対決も、互いに特訓を繰り返すことで切磋琢磨し、緊張感の維持を可能にした。また、「次の展開」の場面で新たな強敵(オズマ)を登場させることによって、対決のステージをさらにレベルアップさせることも可能とした。柳田理科雄が指摘しているように、普通の練習が目標に向かってレベルを上げるのと違い、本作に限らずスポーツ漫画の特訓は最初から本番以上の負荷をかけ、しかもスポーツジムや球場などだけでなく冬山や原生林、海、工場などが舞台になることが多い。星飛雄馬が最初に雪山にこもったのは長嶋茂雄の前例に倣ったものらしい。大リーグボール1号開発の特訓は、ボクシングジム→剣道場→射撃訓練場→野球の練習場→川に浮かぶ小舟の上となり、消える魔球は終始一貫してグラウンドでの投球練習。3号は原作ではグラウンドでの投球だけだが、アニメでは一時、無断で失踪して竹やぶで投球練習している。花形は1号打倒が自動車部品工場での特訓で、消える魔球に対する特訓は雪山だった。蜃気楼の魔球を打つためにグラウンドで3つの球のうち、黒く塗ったものを叩く特訓をしたが、これはマスコミに非公開だった。左門が飛雄馬の速球を打つためにやった「グラウンドで投手の位置を前にずらして打撃練習」は花形にもヒントを与えた。その後、消える魔球を打つ練習は冬の九十九里浜で行った。アニメでは3号打倒のため、弟・妹の協力で花形の鉄球・鉄バット特訓に近い訓練をしている。オズマが1号を打つための「ギプス装着3連打」と、伴が2号を打つための「サッカーボール打ち」は普通のグラウンド。星飛雄馬が1号を改良するためにやった特訓のうち、「川面に浮かぶ舟の上」、「霧の中」、「釣り糸につるして揺らした硬貨の的」は単に「悪条件」に入るもので、飛雄馬と伴はこの「悪条件」だけのために門限破りをし、日本シリーズ前半から外された。特訓の目的は「グリップヘッドを狙う」ためで、「的が小さいから制球力を磨く」のが目標である。飛雄馬はこれを事前に球団首脳に説明せず、特訓もグラウンドでしなかった。特訓の「負荷」と「場所」の特殊さのために、星飛雄馬は勝手に行方不明となり、花形もスランプになって一度はメンバーから外れている。勝手な挫折から特訓まで、左腕時代の星飛雄馬は思慮の足りなさと勝手な判断による規則違反、勝手な失踪がついてまわる男だった。飛雄馬が「破滅と引き換えの一瞬の栄光」にこだわる余り、プロ入り3年で10歳代の内に引退し短命投手として終わっている。だがそれも右腕投手として復帰したときは少し是正されていた。本作以降の野球漫画の第一人者である水島新司は、本作を「野球を知らない人間のかいた話」「ああいう漫画だけは描くまいと思った」としている。野球漫画の第一人者の地位を不動にしてからも、度々『巨人の星』批判を繰り返している。その趣旨はおおよそ以下のようなもの。ただし、かく言う水島も野球漫画家としてスタートするに「打倒・巨人の星」が目標だったと語っており、決して無視できない先行のヒット作だったのは確かである。特に『球道くん』においては、主人公が父親から野球の教育を受けるという点で(実父と義父の違いはあるが)共通点が見られる。また「ドリーム・ボール」や「スカイ・フォーク」など結局は魔球に頼ったストーリーを描いたりしている。手塚治虫はスタッフに『巨人の星』を見せ、「この作品の面白さを私に教えてください」と頼んだ。ただしこれは『巨人の星』の面白さが分からなかったわけではなく、研究しようとしたからとアシスタントは語っている。そのため手塚と梶原により1969年に『巨人の星対鉄腕アトム』という企画が誕生した。『巨人の星』ファンである河崎実と豊福きこうは、星飛雄馬の勝手な「簡単に絶望し、戦線離脱」の癖を指摘し、「プロ失格」「プロ意識が薄い」と批評している。特に大リーグボール1号をオズマに打たれた後、飛雄馬が川上監督の登板命令に逆らったことや、消える魔球を花形に打たれてそのままマウンドを降りて帰ってしまったことがその例である。しかし、続編の『新・巨人の星』では飛雄馬の身勝手さは改善されており、豊福きこうも「飛雄馬の人間的成長」と評価している。梶原作品のファンである柳田理科雄も、『巨人の星』の筋を要約して「元野球選手の息子が巨人に入り、変化球を3つ開発するが、投げすぎで腕を壊し、若くして引退する話」と解説しており、彼が協力した空想科学シリーズの『英語読本』(著者はアメリカ人)では「星は野球を続けるために魔球を開発したと言いながら、魔球を投げすぎてたった3年でやめるなんてどうかしている」という突っ込みが書かれてある。これは10代の頃の飛雄馬が「父親に認められたい」という一心だけで野球をしていたため、一徹相手に完全試合を達成し玉砕する道を選び、選手生命を自ら縮めた結果である。また、『新〜』では20代後半の飛雄馬は一徹のためではなく長嶋巨人のために戦うようになり、もはや、一徹の「作品」ではなくなっている。また、『巨人の星』では、一徹の「しごき」の是非や、大リーグボール1号のルール上の問題、飛雄馬の極端な性格の問題について、作者が作中で世間からの批評、批判に答えているような節がある。『巨人の星』、『新・巨人の星』、『新・巨人の星II』としてTVアニメ化され、毎週土曜日の19時から19時30分までの30分番組として日本テレビ系列で全国放送された。また、2002年10月には花形満の視点でテレビアニメ『巨人の星』全182話を再構成した『巨人の星【特別篇】 猛虎 花形満』がWOWOWで放送され、2007年4月から日テレプラス&サイエンス(現・日テレプラス)で、星一徹の視点で上記3シリーズを再構成した『巨人の星【特別篇】 父 一徹』が放送された。 1969年7月21日から8月29日まで、芸術座で「東宝みどりの会第一回公演」として上演された。(『芸術座 25年のあゆみ』東宝、1984)による)歌舞伎評論家で、当時東宝の演劇部に勤めていた渡辺保は、『私の歌舞伎遍歴』(演劇出版社、2012)で、菊田一夫の下でこの仕事にたずさわったと書いている。2012年12月から、インドの放送チャンネル「カラーズ」で、本作をベースにしたアニメ『スーラジ ザ・ライジングスター』 が放映された。インドで作られることになったのは、急速に経済成長を遂げ、原典及びアニメが作られた日本の高度経済成長期に近しい国内情勢となっており、本作のような「スポ根もの」が当たる可能性を見出したため、とされる。また、現地に進出している日本車や日本の家電メーカーの看板が劇中に登場するなど、日本製品のPRとしての側面もあり、スズキ自動車や日清食品などインドに進出している企業のスポンサーだけでなく、経済産業省も支援を行っている。リメイク版は当初からインドで放送することを念頭に置いたためなど現地に合わせて設定を変更しているが、「元選手の父から、主人公が猛特訓を受ける」というストーリーラインや「裕福で才能のある美男子のライバル」「魔球」「養成ギプス」「ちゃぶ台返し」などの特徴的な要素が再現されている。インドでの放送に先駆けて、2012年11月26日、日本のバラエティ番組『世界まる見え! テレビ特捜部』で、本作の一部映像が放送された。NHKラジオの特別番組「あざやかにスポーツシーン」内でが放送された。いまだ現役の飛雄馬がオールスターでイチローと対戦する内容。古谷徹、加藤精三らが声優を務めた。「こひゅうま」と一徹が呼ぶ、飛雄馬の子供が登場するが、花形や左門は登場しない。パチンコ・パチスロシミュレーターアプリの配信も携帯電話端末向けにはされている。NTT番号情報株式会社が運営するiタウンページのプロモーションキャラクター(2010年)として、星一徹を宣伝大使とした「巨人の星」の登場キャラクターを使用している。また、プロモーション用の特設サイトを用意、巨人の星の原画をもとに、星飛雄馬、花形満、左門豊作、伴宙太、星明子等、各登場キャラクターが困ったときに、一徹が「iタウンページで検索じゃ!」とiタウンページで検索することを強烈に勧めるオリジナルコミックをパソコンおよび携帯電話上で展開している(全50話)。また期間限定で同じく原画をもとにしたオリジナルテレビCMも全国で放映している。
出典:wikipedia
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