スーパー32X(Super 32X)は、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が1994年12月3日に発売したメガドライブ用の周辺機器である。価格は16,800円。開発コードネームは「Sega Mars」。北米では「Genesis 32X」、欧州では「Mega Drive 32X」、ブラジルでは「Mega 32X」として販売された。メガドライブに32XとメガCDを同時に接続した形態「スーパー32XCD」、Genesisとスーパー32Xの一体型ハード「Sega Neptune」(発売中止)、スーパー32Xの原型になったとされる「Sega Jupiter」(発売中止)、スーパー32X基板を内蔵した画像編集用ペンタブレット「Picture Magic」についても本項目で解説する。メガドライブのロムカセットスロットに差し込み、同梱の中継ケーブルを接続して使用することで32bitゲーム機として稼働させることが可能になる。セガサターンと同様、メインCPUとして32bit RISCのSH-2を2個搭載しており、スーパー32Xを接続した状態からでもメガドライブ・メガCDの両ソフトを使用可能である。北米でトップシェアを誇ったGenesisの延命と、当時の北米でのライバル機であった任天堂・Super Nintendo Entertainment System(SNES、北米版スーパーファミコン)に対するアドバンテージを企図してセガ・オブ・アメリカ(以下「米セガ」)の主導でリリースされたものである。しかし、すでにメガドライブの次世代機サターンを開発していた日本側との齟齬が生じ、マーケティングの混乱を招いた。日本ではメガドライブ自体が普及していなかったため、また欧州と南米ではメガドライブ自体は普及していたものの、32Xは現地価格でそれほど安価ではなかったため、それぞれで売れ行きは芳しくなかった。一方、Genesisが最も普及していた米国市場においては、販売面では成功を収めた反面低い評価を得たことで、それまで北米で大きな支持を受けていたセガブランドに致命的なダメージを与えた。1990年代前半、セガでは次世代機(第5世代にあたる)・セガサターンの開発が進んでいた一方、セガ・エンタープライゼス(以下「日本セガ」)の中山隼雄社長が米セガのR&D部門トップであるジョー・ミラーらに、北米で1994年末に発売予定の"Project Jupiter"と称するカートリッジベースの次世代機の構想を伝える。これは中山がGenesisとセガサターンの価格差によって、その間隙をライバル機のAtari Jaguarに奪われる懸念を抱いたためで、社長のトム・カリンスキを始めとする米セガの重役たちもその考えを支持した。Jupiterの設計はメガドライブの設計者でもある佐藤秀樹の担当によるもので、メガドライブ版『バーチャレーシング』用に開発されたセガバーチャプロセッサを搭載し、メガドライブとセガサターンの間を埋めるハードになる予定だった。しかし、ミラーはサターンの北米展開前にまったく別のプラットホームを推し進めることの懸念を表明し、「Genesisのアドオンにすべきだ」と主張する。この提案によってJupiterの開発は中止され、米セガ主導による「カートリッジベースのGenesis用周辺機器」へと方針変更し、企画も"Project Mars"と呼ばれることとなった。CPUにバーチャプロセッサではなくサターンと同じSH-2を搭載することになったのはミラーの提案であることから、カリンスキはミラーを「32Xの父」と呼んでいる。32Xの市販モデルは、1994年6月に開かれたコンシューマー・エレクトロニクス・ショー (CES) にて公式発表された。キャッチコピーは"poor man's entry into 'next generation' games"。Genesisに32Xを搭載することで、上述のようなサターンとの価格差を埋める存在になるほか、ライバルのSNESに対して劣勢だったグラフィック性能で優位に立ち、さらには当時の次世代機でフィーチャーされていた3DCGを扱うことが可能となった。しかし、ライバル機の3DOを展開する3DO社のトリップ・ホーキンスは、「32Xは値段がかなり高い、性能が低い、プログラミングが難しい、サターンとの互換性が無い、など“咬ませ犬”に過ぎないことはみんな知っており、'next generation'になり得ないのは明白だった」との見方を示していたことを後年に明かした。ソフトウェア供給は32X専用のROMカートリッジに加え、32XとメガCDを同時に使用する「スーパー32XCD」用CD-ROMが供給された。スーパー32XCD用ソフトは欧米とブラジルでのみリリースされ、日本国内では発売されていない。『GamePro』誌(1994年8月号)が「ゲーマーなら高い金をかけて日本からサターンやプレイステーションを取り寄せるよりも今すぐ32Xを買うべきである。それ以外の人も買って損は無い」などと熱狂的に書き立て、『Electronic Gaming Monthly』の1995年度バイヤーズ・ガイドなども4人の評価者が8点/7点/7点/8点(全40点満点)と肯定的に評価するなど、前評判は非常に高かった。日本では1994年12月、日本セガ主導によるサターンの発売(1994年11月)翌月に販売を開始した。前述のように、日本市場におけるメガドライブの普及度と比例して売り上げが伸びず、日本セガとしてもスーパーファミコンに大敗したメガドライブの周辺機器を強く推すことには消極的であり、1994年後半よりPlayStation(以下「PS」)との次世代機戦争が始まったサターンのプロモーションに完全に隠れてしまい、結果としてスーパー32Xは普及しなかった。1994年後半における日本の代表的なメガドライブ専門誌であった『Beep!メガドライブ』誌のみ、スーパー32Xをサターンと同程度の規模で取り上げていたが、同誌もサターンの発売と同月の1994年12月発売号より「セガサターンマガジン」と誌名を変更し、サターン専門誌となった。米国市場においては1994年11月に発売され、米セガが32Xを推す一方でサターンの北米発売もすでに1995年9月と告知されていた。このことから32Xへの参入を見送ったサードパーティも多く、ローンチタイトルこそ少なかったものの、『スペースハリアー』『アフターバーナーII』『バーチャレーシング』『モータルコンバットII』の史上初となるコンシューマ完全移植が用意された。米セガがサターンの発売を遅らせてまで32Xのプロモーションを仕掛けたことと、北米トップシェアハードであるGenesisの周辺機器ということもあって、クリスマスまでに50万台を売り上げた。前述のように32Xとサターンは同じチップが使われており、チップを日本市場向けのサターンへ回す必要があったため、32Xを十分に供給できなかったものの、ホリデーシーズンにおける32Xの受注自体は100万台を超えるほど好調だった。また、Atari Jaguarや3DO(共に北米で1993年発売)といった「次世代機」が軒並み苦戦していたことと、ライバルの任天堂が1994年の年末商戦で目玉としたのが、3DCGに対応した次世代機ではなく現行機の範疇で3DCGを扱った『スーパードンキーコング』だったこともあり、カリンスキは「もうしばらく現行機の時代が続く」と考えていた。シェアで猛追するSNESを振り切るためにも米セガは32Xに非常に力を入れており、一体機の「Sega Neptune」の開発も行われていた。Neptuneは当初1994年から1995年の間に200ドルでリリースされる予定で、旧来のGenesisを完全に置き換える方針であったが、1995年の春に完成したプロトタイプ機は400ドルと発表され、価格がサターン並みに跳ね上がった。一方、すでに北米のゲーマー・ゲーム会社にもサターンとPSによる日本の次世代機戦争の噂、さらにこの頃にはSNESの次世代機・NINTENDO64の噂が届いており、SNESやGenesisなどは眼中に無かった。32X用ソフトも依然揃わず、サターン(とPS)の北米発売を数か月後に控え、ローンチ直後の売り上げこそ華々しかった32Xの販売台数は1995年5月の時点で665,000台に留まった。このことから、セガは「2つの似たような製品をそれぞれセグメント化して、別々の価格帯で販売するゼネラル・モータースのようなやり方を取っている」などととジャーナリストに批判されたこともある。日本市場ではサターンの売り上げがPSより先に100万台を突破したことから日本セガは方針を転換し、カリンスキの頭越しに北米市場での32Xの販売拡張を切り上げ、1995年5月に開催されたElectronic Entertainment Expo (E3) においてサターンの発売日を「今週の土曜(Saturn Day)」と発表。サターンは急遽4か月前倒しで投入されることとなる。1994年の年末商戦の時点でサターンのみに絞ってプロモーションを行った日本に対し、北米では1995年の春の時点でいまだGenesis、Sega CD、32Xの3機種のプロモーションが平行していたほか、9月発売を目指してゲームを製作していたサードパーティはローンチにソフトを揃えられず、サターンはローンチ前の宣伝に失敗したうえに北米の有力サードパーティからの反感を買った。さらにトイザらスなどごく限られた小売店でのみ限定販売するとしたため、サターンの先行販売から漏れたウォルマートやKBトイズなどの大手小売店は激怒。とりわけKBトイズは即座にセガ製品を店舗から全て撤去し、サターンの正式販売後も一切販売を扱わなかった。北米でのサターン発売以降、大半のサードパーティは32Xからサターン用ゲームの開発に切り替えたため、32Xのソフト不足は最後まで解消しなかった。また、セガは32Xを「32bit級」の性能であると主張していたが、サターンやPSなどの次世代32bit機が北米で出揃うにつれ、特に3D性能における32Xの性能不足が明らかとなった。日本においては、前述のように普及度が高まるサターンに対してスーパー32Xがまったく販売を伸ばせない状況が続き、発売から1年も経たない1995年10月、中山はサターンに力を集約するために(32Xを含む)旧世代のセガハードの生産を終了することを発表。スーパーファミコン/SNESにおける『スーパードンキーコング』相当のキラータイトルが登場しないまま、アメリカの32Xユーザーは切り捨てられ、同時にGenesisユーザーもサターンへの移行が不十分なまま切り捨てられた。日本では発売初日に17万台を売り上げたサターンの販売台数は、北米ではPSが発売された1995年9月の時点でわずか8万台に過ぎなかったが、PSは発売1か月で10万台を売り上げ、サターンをすぐさま抜き去る。加えて、次世代機への移行が始まった1995年度にも270万台を売り上げたSNESに対し、展開が終了したGenesisの販売台数は210万台であり、発売以来北米トップの売り上げを維持していたGenesisはその座をSNESに奪われる結果となった。最終的に全世界でリリースされた32X対応ソフトは、スーパー32XCD用ソフトを含めてわずか35本に留まることとなり、32Xはソフトの少なさ・次世代ゲーム機と比較しての性能の低さ・性能の低さに対して価格の高さ・ハードのライフスパンの短さ・アメリカにおける普及率の高さによって、世界最大のゲーム市場であるアメリカにおけるセガのブランディング戦略に致命的なダメージを与えた。1994年11月に159ドルで華々しく発売された32Xの販売価格は、1995年5月のサターン投入後に99ドルまで値下げされ、さらに1995年10月の生産終了後に19.95ドルで投げ売りされる結果となり、ユーザーの心証を非常に悪くした。『Electronic Gaming Monthly』の1996年度バイヤーズ・ガイドでは前年の高評価と打って変わり、4人の評価者が32Xに3点/3点/3点/2点(全40点満点)の低評価を与えている。欧州各国では1995年7月にサターンが発売。日本や北米と異なり8ビット機世代から成功を収めていた欧州では、その時点でメガドライブなどに加えてセガ・マスターシステムの市場が残存していたが、それらを切り捨てて投入されたサターンの普及台数は北米すら大きく下回ってしまう。北米以外の海外市場でも、サターンを推す日本セガと32Xを推す米セガの方針が食い違う中でマーケティングは混乱してサターンと32Xは共倒れとなり、PSとNINTENDO64に市場を奪われる結果となった。1996年4月15日、カリンスキが米セガの社長職を辞任。この頃には日本市場でもサターンはPSの後塵を拝する状況となり、1997年にはセガの経営が急激に悪化。1998年には中山も日本セガから辞任し、サターンの販売終了とドリームキャストの投入が行われた。カリンスキは32Xやサターンといったハードやマーケティングの失敗よりも、メガドライブ/Genesis初期から続く日本セガと米セガとの対立がその後のセガの零落を招いたと振り返っている。欧米で絶大な人気を誇ったGenesisの延命のためにリリースされ、結果として致命的なダメージを与えた本機は、欧米では後々まで最悪の周辺機器として知られている。また、旧世代機をアドオンで延命させることは長らく業界のタブーとなっており、Wiiに劣勢となった競合機のXbox 360とPlayStation 3が2010年にKinectとPlayStation Moveをリリースした際も、欧米のゲーム雑誌などで32Xが引き合いに出された。イギリスの代表的なゲーム雑誌「Edge」2010年9月号でKinectのリリースにあたり、「Kinectはゲーム新時代の触媒となるか、はたまた2010年の32Xとなるか」と題した巻頭特集を行った。日本では前出の『BEEP!メガドライブ』誌における(一般的なマスコミ露出とは無関係な)スーパー32Xのプロモーションの結果、一般的な普及度とは別に「メガドライバー」と称する熱狂的メガドライブユーザーに愛好されており、メガドライブにメガCDとスーパー32Xを接続した「メガタワー」(後述)は後にセガが発売したゲーム『セガガガ』にも登場する。『セガサターンマガジン』ではサムシング吉松によるメガタワーを擬人化した主人公の漫画『セガのゲームは世界いちぃぃぃ!』が、後身となる『ゲーマガ』が休刊する2012年まで連載が続けられた。セガが2013年から展開するコンテンツ『セガ・ハード・ガールズ』にも登場し、スーパー32Xの20周年となる2014年にはアニメ化された。2014年にはカリンスキの伝記『Console Wars』が出版されるなど、2000年代以降には複数の関係者の証言が出ているが、当時の米セガの関係者の間でも32Xに対する見方は複雑である。米セガの元プロデューサー、スコット・ベイレスは、KinectやPlayStation Moveを念頭に「リスク分散のために旧世代機向けアドオンをリリースするのは誤りだ」という“業界への戒め”だとしている。セガの技術副部長だったマーティ・フランツは「32Xをアドオンとして出したのが失敗の元」と考え、「メガCDを搭載した単体のゲーム機として出すべきだった」とする。一方、カリンスキは「16bit機にはまだ可能性があり、サターンの投入が拙速だったことから、たとえシェアを減らすことになってもGenesisを32Xで延命して継続すべきだった」との考えであり、「せめてもう1年Genesisを続けていれば」と、米セガに対してGenesisの打ち切りやサターンの前倒し投入を決めた中山と、32Xを噛ませ犬呼ばわりする者を批判している。このほか、“32Xの父”であるミラーは「ハードとしては悪くなかったがリリースしたタイミングが悪かった」としている。メガドライブ本体(メガドライブ2本体)・メガCD(メガCD2)・スーパー32Xを組み合わせた、メガドライブの最終形態(ワンダーメガ・スーパー32X及びマルチメガ・スーパー32Xを組み合わせた最終形態もある)。Z80×1、MC68000×2、SH-2×2と、CPUを5個も搭載した複雑なシステムになり、ACアダプターも各部に独立して必要となるが、性能では完全な新規設計のセガサターンに大きく劣る。本来ならSega Neptune+メガCDの構成となるはずであった。なお、メガCDは北米において"Sega CD"、欧州および南米では"Mega-CD"の名称が用いられていたため、欧州および南米ではSega Mega-CD 32X、北米ではSega CD 32Xと呼ばれる。全部で7本のゲームが確認されている。うち北米市場でリリースされたソフトは5本(うちセガによるリリースは1本)、セガが開発しブラジル市場でのみリリースされたソフトが2本(ともにTectoyによるリリース)。ちなみにメガドライブ(1・2)とメガCD1とスーパー32Xを組み合わせた形態は、日本ではタワーのような形態から俗にメガタワーと呼ばれる。日本市場における対応ソフトは0本であるが、販売自体は予定されていたらしく、日本版スーパー32Xの外箱の裏面にスーパー32XCDに関する記載がある。米セガ主導で開発が行われていたGenesisと32Xの一体型ハード。プロトタイプ機も製作され、メガドライブ専門誌を介して当時北米未発売のサターンとともに紹介されたが、前述のように価格がサターン並に跳ね上がることで、市場に受け入れられる見込みがなくなったこと、サターンの発売を予定している日本セガとの兼ね合いから、最終的に発売が断念され、幻のハードとなった。なお、当時製作されたプロトタイプ機は2011年度のE3にて行われたレトロゲーム機関連の企画に出展されており、2011年現在で少なくとも1台は現存する模様。メガドライブ2(Genesis2)とよく似た形をしている。日本セガが開発していたとされるメガドライブの次世代機。北米の各ゲーム雑誌によってメガドライブの後継機、あるいは上位互換機とも噂された。サターンの公式発表後も「ROMカートリッジスロットのみを搭載したサターンの下位互換機として、サターンと同時発売される」などと噂された。例としてはイギリスの大手ゲーム雑誌である『』において、「Sega Jupiterは日本円で約30000円で、別売のCD-ROMドライブを購入することでサターンにアップグレードできる」などとかなり具体的に報道されている。しかし、サターンの日本発売が近づいてもJupiterに関してセガから公式の発表がなかったため、北米の大手ゲーム雑誌である(1994年6月号)がゲーム機事業を統括する日本セガの岡村秀樹に直接インタビューを行ったところ、存在そのものを否定した。セガ日本本社から公式には否定されたが、Jupiterに関しては1994年当時の各国の複数のゲーム雑誌で報道されていた。米セガから最終的に発売されたのが32Xであることから、Sega Jupiterは32Xの原型とされたが、32Xの原型であるproject Marsとはまったく無関係のプロジェクトであったという説もあった。また、Jupiterはサターンの原型であるという説や、逆にサターンがJupiterの原型であるという説もある。2001年当時、セガの社長であった佐藤秀樹のインタビューよると、メガドライブ後継機として開発していたゲーム機のうちROMカートリッジを採用したものを「ジュピター」、CR-ROMを採用したものを「サターン」と社内で呼称していたとしている。いずれにせよ当時は詳細が不明であり、各ゲーム雑誌の想像にとどまっていたが、2010年代にイギリスのレトロゲーム専門誌『Retro Gamer』(77号)がその実態を明らかにした。スーパー32Xの販売中止後、セガが1996年12月に発売した画像編集用ペンタブレットである。1996年9月に日本で発売したデジカメ「DIGIO」(コードネーム:JANUS)の周辺機器として発売された。価格は24,800円。スーパー32Xの基板がそのまま流用されており、スーパー32X基板の端子をPicture Magicのメイン基板に設けられたスロットに挿入する形で接続されている。Picture Magicのメイン基板はスーパー32Xと接続できる点からもメガドライブ基板のカスタマイズ品と推測され、実際にメガドライブ2の基板といくらか似た特徴を持つが、FM音源チップを搭載しない、スマートメディアのスロットを持つなど大きくカスタマイズされていることもあり、メガドライブとしては機能しない。Picture Magicのカートリッジスロットはスーパー32Xのカートリッジスロットそのものであり、異なったカートリッジを差し込むことでPicture Magicの内部ソフトを交換することが可能であった。本体に付属の「合成編集ソフト」の他に、モーフィング機能や絵日記ソフトなどの発売が予定されていた。「合成編集ソフト」のカートリッジの外観はスーパー32Xのものとまったく同じであり、ソフトのROMのヘッダもスーパー32Xのものとほとんど同じであるが、「JANUS INITIAL PROGRAM」と称するヘッダが付け加えられた、Picture Magic専用ソフトとなっている。そのため、スーパー32Xの本体はそのままでもBIOSが変更されている可能性がある。DIGIOの周辺機器の内部に失敗ハードの不良在庫の基板を流用するなどしてはいるものの、1996年当時のセガはDIGIOに対してかなり注力しており、セガのデジタル技術を総結集し、DIGIOの後継機と合わせてデジカメ市場の30%を取ることを目標としていた。サターンとの連携を念頭に置いて土星(サターン)の衛星ヤヌスのコードネームをあて、「プリント倶楽部2」にDIGIOのスマートメディア用スロットを設けるなどしていた。セガは1995年にビデオプリンター「ハイテクホビーピリンター プリファン」(「ピコ用」と明記しているが普通のビデオプリンターであり、AV接続が可能なら他の機器でも利用可能)を発売しているが、それと連携することでテレビの画像を直接印刷することも可能である。しかしDIGIOは商業的に失敗し、サターンとの連携も実現しなかった。Picture Magicも「合成編集ソフト」のカートリッジ以外にソフトは発売されず、スーパー32Xの命脈はこれで潰えることになった。メガドライブ/メガCDの機能を合わせて使用可能。スーパー32XCD用タイトル(全7本)を含む。日本国内発売タイトルなし。なお、ブラジルでの発売タイトルは国外のコミュニティにとっては不明な点が多く、『Surgical Strike』に関しては2015年に英語圏のセガマニアのコミュニティSega-16がTectoyの関係者から「500本発売した記録がある」との証言を得たものの、『Midnight Raiders』は発売されたかどうかすら不明であり(日本には現物を入手した者が1人いる)、「SEGA RETRO」など英語圏のセガマニアのコミュニティは未発売説を取っている。
出典:wikipedia
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