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サントリー1万人の第九

サントリー1万人の第九(サントリーいちまんにんのだいく)とは、1983年より毎年12月の第1日曜日に大阪城ホールにおいて開催されている、一般公募により都度結成される合唱団を伴ってのベートーヴェン「第九」演奏をメインとする音楽興行である。英語表記は「"Suntory Presents Beethoven's 9th with a Cast of 10000"」。1983年(昭和58年)に大阪城築城から400年を迎えることを記念すべく、その前年にあたる1982年(昭和57年)に設立したばかりの大阪21世紀協会(現「関西・大阪21世紀協会」)が中核事業として「大阪築城400年まつり」を企画。当該企画への参加催事の一つとして、また当該企画の目玉的存在とされた、大阪城青屋門真向かいの大阪砲兵工廠本館跡地に建設された大阪城国際文化スポーツホール(のちの大阪城ホール)のこけら落としの一環として企画されたことが発端となった。但し、当初は1回限りの単発イヴェントとして企画されている。クラシック音楽を主として扱う音楽興行としては当時の常識では考えられないほどの巨大規模を誇っていたことに加え、合唱団メンバーの大半を「第九」合唱経験不問にて広く一般公募を行い集まった合唱参加者で占めていたこと、そして会場に居合わせた聴衆もまた合唱に加わったことから、クラシック音楽界はもとより社会的にも話題となった。当興行の成功は、翌年以降の継続開催につながったことだけに止まらず、のちに東京に於ける「5000人の第九」そして広島に於ける「第九ひろしま」の企画・創始に何らかの影響を及ぼす等、一般公募にて結成される大規模な合唱団をバックにしての「第九」演奏を主たる演目に据えるタイプの音楽興行開催の端緒を開く役割をも果たし、更には日本国内に於いて既に定着していた「第九」ブームに一層輪をかけることとなった。大阪に本拠を置く民間放送事業者の一つでTBS系列に属する毎日放送(MBS)が1983年(昭和58年)の創始以来一貫して当興行を主催。協賛者については、同じく大阪を発祥の地とする洋酒・飲料水メーカー大手のサントリー(現:サントリーホールディングス)が当興行創始以来第32回公演(2014年…平成26年)に至るまで一社単独で協賛し続けてきたが、2015年(平成27年)開催の第33回公演に於いて、中堅証券会社の岩井コスモ証券と菓子メーカーのカンロが新たに協賛者の一員に加わった。これに伴い、前年まで一社単独で当興行を協賛しイヴェントタイトルに自社の名前を冠し続けてきたサントリーは「特別協賛」に移行、前年に引き続き自社名をイヴェントタイトルに冠している。サントリーが当興行の創始以来今日に至るまで協賛し続けてきているのは、様々な文化活動に理解を示している同社の企業風土もさることながら、創始当時サントリー社長だった佐治敬三自身の音楽に対する造詣の深さも大きなファクターとなっている。そのことを示すかのように佐治自身も亡くなるまで合唱団の一員として加わり、聴衆への歌唱指導の際にバリトン・ソロを披露することもあった。一方、2015年に新たに協賛者として加わった2社のうち、岩井コスモ証券はサントリーと同じく大阪を発祥の地とする中堅証券会社で、その前身企業の一つである岩井証券が1915年(大正4年)に創業してから2015年で100周年を迎えることを記念する「岩井コスモ証券グループ創業100周年記念事業」の一環として、またカンロは2010年に発売された国立音楽大学との共同開発による飴製品「ボイスケアのど飴」のパッケージリニューアル並びに合唱学習者を主対象とするプロモーション活動を2015年に展開していることを背景に、それぞれ当興行への協賛参加を決めている。当興行のため大阪城ホールを使用するに際し、現在では公演期日の3〜4日前より設営を開始している。続いて2〜3日前に先ずオーケストラのみホール内に入れてのリハーサルを行い、公演前日にはオーケストラに加えて「第九」声楽パート(合唱団・ソリスト陣)をもホールに入れてのリハーサル(総合リハーサル)を実施、そして公演当日はゲネプロを経て本番へ───というスケジュールにて同ホールを運用してきている。ステージ設営に際しては、大阪城ホール運営サイドに於いて、コンサート等の各種興行に対応するため、大きく分けて3種類のステージパターンを提示している。本興行では、1983年(昭和58年)の創始以来2012年(平成24年)開催の第30回公演に至るまで、長辺方向の北側にステージを設える「ステージパターンA」に沿って設営してきたが、2013年(平成25年)開催の第31回公演では短辺方向の西側にステージを設える「ステージパターンB」に沿った設営方に変更している。プログラムは2部構成になっており、現在は概ね以下のような構成方となっている。前半の第1部では呼び物にできる演目が組まれるが、これは当初の企画・立案段階において、イヴェントとして何か呼び物となるものが必要、と舞台演出スタッフから提案されたことによる。山本直純が指揮を務めていた頃には、第1部において、作曲家でもある山本自身が書いた合唱曲の新曲を発表することもあった。一例として、第2回公演(1984年)で発表され、第3・4・12各回公演でも演奏された『友よ、大阪の夜明けを見よう』(藤本義一作詞)が存在する。この作品は、第1回公演後に翌年以降の継続が決まった際、何か新しいものをと模索していたときに、大阪の歌を創ろうという声が主催者内部から上がったことがきっかけとなって誕生したものである。これに対し、佐渡裕が指揮を務めるようになってからは、初めて佐渡がタクトを執った第17回公演(1999年)を除いて、毎年著名なアーティストを1人(又は1組)ずつ招き、そのアーティストのレパートリーを中心に第1部を構成するようになってきている(山本指揮だった頃にも、公演回により、海外の合唱団などをゲストに招いて同様のことを行ったことがある)。一方、後半の第2部では本興行のメインとして位置づけられているベートーヴェン「第九」演奏を中心に組まれている。過去の殆どの公演回に於いてはこの「第九」演奏と興行全体のフィナーレとしての『蛍の光』斉唱のみで構成されていたが、稀にこれら以外の演目が追加で組まれることもある《最近の例では、2013年(平成25年)開催の第31回公演に於いて、「第九」演奏の前にシラーの詩作品『歓喜に寄せて』の朗読が組まれていた》。指揮者名横のカッコ内表示は公式発表時の呼称。なお、初代指揮者の山本については、公演会場では「音楽監督・指揮」と呼ばれていた。具体的な構成など詳細はオーケストラ構成(第2部)の項を参照のこと。公演回毎に一般公募で都度結成される混声合唱団に対し、2007年(平成19年)開催の第25回公演以降、上記の名称が付与されている《その前年開催の第24回公演までは「1万人の第九特別合唱団」という名称が付与されていた;合唱団結成の基となる公募方など詳細については、後記の合唱団員募集及びレッスンに関する各項目を参照》。現在の合唱団人員規模は約1万人で、これは「第九」演奏に参加する合唱団としては日本最大級の人数規模となっている。尤も現在の人員規模になったのは第10回公演(1992年;平成4年)以降のことであり、それまでの人員規模は、第1回公演(1983年;昭和58年)では約6,500人、第2回公演(1984年;昭和59年)から第9回公演(1991年;平成3年)までは7千人程度で推移していた。また第21回公演(2003年;平成15年)までは別枠で大阪フィルハーモニー合唱団も参加していたほか、ごく初期の公演回に於いては大阪音楽大学も別枠で合唱参加していた。当興行では現在、合唱団員募集に際して抽選により合唱出演の前提となるレッスン受講の可否を決定する“抽選制”が採られている。具体的には、まず一定の応募受付期間を設定した上で合唱団員募集を実施、その期間内に受理された応募者の中から抽選を行い、レッスン受講生を選出する。応募受付期間については、現在では6月1日(但し同日が土休日となる場合は6月最初の平日)より2週間少しの期間が設定される《第27回公演から。それまでは「6月最初の月曜日から2週間」に設定されていた》。応募形態については個人参加と団体参加の2通り存在し、現在では何れの形態とも郵送或いはインターネット(パソコン又は携帯通信端末)の何れかの手段により応募が可能となっている《“インターネット応募”に関しては後記参照。以下同じ》。応募手段のうち郵送応募については、当興行創始以来一貫して採られている手段であり、個人参加については往復ハガキにて、団体参加については封書(後記)にて、それぞれ行うことになっている《しかし現在では、主催者側に於いて、ネット接続環境を保有している場合はインターネットにより応募するよう呼びかけている》。個人参加による応募では、親子や友達同士など小グループで同じレッスンクラスに於いて受講することを希望する場合、一括して応募することも可能であり、5人までの小グループであればインターネットによる一括応募も可能である《郵送にて応募する場合は、各人それぞれ「個人参加による応募」の要領に従って往復ハガキに必要事項を記入、最後に全員分の往復ハガキを取りまとめて封筒に入れて送付する》。団体参加は、現在、20人以上100人以下の構成員を擁し、且つ混声四部合唱が可能な合唱団に対し、団体としての合唱参加応募が認められている。合唱団員募集に“抽選制”が導入されるようになったのは第21回公演(2003年)以降のことで、それまでは募集開始後に主催者側に応募書類(往復ハガキ又は封書)が到着した順番に受理された《先着順受付;当時は郵送応募のみ》。ところが第17回公演(1999年)に於いて、それまでの山本直純から佐渡裕に公演指揮者が交替すると、以前からの合唱出演経験者やこれから「第九」合唱に挑戦する初心者に加え、当時に於いても既に相当数に上っていた佐渡裕ファンもまた続々と合唱参加を申し込むようになり、応募受付開始から数日間で満員札止めになるという事象が示現するようになった。中でも女声、特にアルト・パートに於いて顕著に現れ、応募受付開始当日のうちに満員札止めになってしまうことも珍しくなかった。この事態に対して主催者側は、翌年開催の第21回公演に於いて“抽選制”を導入、併せて個人参加に限りインターネット応募も出来るようにした。当興行では、少なくとも第17回公演から、インターネット上(毎日放送Webサイト内)に公式サイトを開設している《それまでは募集開始前後に近畿圏内で発行される全国紙(日経を除く)の紙上に掲載される募集広告により合唱団員募集を告知していた;但し新聞紙上への募集広告掲載自体は第27回公演(2009年)まで継続した》。開設初期に於いては、合唱団員募集関係では合唱団員募集告知と応募状況公開(パート別・レッスンクラス別)にとどまっていたが、団員募集で“抽選制”に移行した第21回公演以降、公式サイトを利用してのインターネット応募受付を開始した《従前からの郵送応募受付も継続》。当初は公式サイトに於いて直接応募受付していたが、対応が個人参加での応募に限定されていた。第22回公演より個人参加扱いで応募可能な小グループでの一括応募にも対応するようになったものの、応募に際して以下に列挙する条件を全て満たしている必要があり、且つ応募手続きは代表者に於いて構成員全員について完結させなければならなかった。上記要件のうち一つでも満たしていないケースに関しては、郵送応募としなければならなかった。なお団体参加に関しては、従前通り郵送応募のみの対応とされた。ところが、第28回公演(2010年)の終了後、翌年(2011年)の第29回公演に係る合唱団員募集開始に備えて、主催者側に於いて大幅なシステム改修を実施、従前からの公式サイトとは別に「1万人のフロイデ倶楽部」と呼称される会員サイトを新たに開設し、合唱団員募集に係る応募受付機能を公式サイトから移転させた。これに伴って、「1万人のフロイデ倶楽部」への会員登録を合唱参加応募の資格要件とするよう改められた。しかし実際には、「1万人の第九」公式サイト上に設置された応募ボタンを押下することにより「1万人のフロイデ倶楽部」トップページに遷移し、その後画面表示に従って必要事項入力などを順次行うことによって合唱参加応募手続きと「フロイデ倶楽部」会員登録が同時に完了出来るようシステム構築が為されている。この大幅なシステム改修により、以下に挙げる場合であってもインターネット応募が出来るようになった。加えて、以下に挙げる機能も新たに備えられた。ところで、このシステム改修に伴い、特に5人以下の小グループによる一括応募について、応募手順が以下のように変更となった。先ず代表者が「1人で応募する場合」の手順に従って応募手続き(「フロイデ倶楽部」への会員登録)を済ませ、その後、以下に挙げる2つの方法のうちの何れかによって、残りの構成員の分についての応募手続きを完了させる。代表者が送付する招待メールを基に残りの構成員が各自応募手続きを済ませるという仕組みも用意されているあたり、新設された「1万人のフロイデ倶楽部」自体がSNS的なシステム構造になっていることを窺わせる。前記でも示しているように、現在は20名以上100名以下の構成員を擁し、且つ混声四部合唱が成立するコーラスグループを対象に、団体としての合唱参加応募を認めている。団体としての応募は、第28回公演までは主催者側に於いて用意される所定の申込用紙を使用しての封書による郵送応募のみであったが、第29回公演からは、前記の通り、「1万人のフロイデ倶楽部」を通じてのインターネット応募が可能となった。団体参加が認められるコーラスグループの要件については、現在では前記の通り「20名以上100名以下の構成員を擁する混声四部合唱グループ」とされているが、第21回公演までは「参加メンバーが15人以上で合唱指導者のもと活動を行っていること」と、コーラスグループを組織している構成員の人数上限を定めていなかった上、グループ内で“混声四部合唱”が可能か否かも文言上問われていなかった。また応募に際して主催者側に於いて申込用紙を用意するようになったのは第23回公演以降のことであり、それまでは募集要項に於いて記入要領等が示されるのみで、主催者側に於いて所定の申込用紙を準備するようなことは為されなかった。前記で触れた合唱団員募集に応募し、抽選の結果当選となった応募者は、主催者側が用意した所定レッスン等の受講を経て、合唱団員として当興行に出演することになる。所定レッスン受講に至るまでの手順としては、まず応募時に於いて、募集要項の中で主催者側から示されたレッスンクラス一覧の中から受講を希望するレッスンクラス(後記)を申告、応募期間終了後に主催者に於いて抽選を行い、当選となった応募者には当選通知が送付されるが、そこには割り当てられたレッスンクラスの名称が記載されており、実際に受講を始める際には、当選通知等を携えて、割り当てられたレッスンクラスが会場として使用する施設に直接赴く《持参すべき物については当選通知に記載されている;現在では初めてレッスン会場に直接赴く前に参加料の支払いを済ませなければならない(詳細は「その他」項内に於ける“参加料など”項を参照)》。応募時に於いて受講希望申告出来るクラスの数は、第28回公演までは「最大3クラスまで」だったが、レッスン会場として使用する施設の異動によりクラス数が増加した第29回公演(2011年)では「最大5クラスまで」に増やされた。そして、割り当てられたクラスに於いて開講される所定レッスンに一定回数以上出席することにより、初めて公演への合唱出演権利を得ることが出来る《合唱出演に際しては、以上に加えて、「佐渡総監督レッスン」(後述)の受講ならびに本番前日に公演会場において行われる「総合リハーサル」への出席も併せて求められる》。ここで「一定回数」とは、配属されたレッスンクラスにおいて組まれている全授業回数から「許容欠席回数」を差し引いた回数のことを指す《「許容欠席回数」については後記》。なお、当選した応募者に対して送付される当選通知には、初めのところで「ご参加頂くことが決定しました」という文言が記載されているが、正確には所定レッスンの受講を許可したものに過ぎず、前記の要件を満たさない限り公演への合唱出演はできない。しかし、当選してレッスン受講許可を得ることは、公演への合唱出演を実現させるための大前提となっている。公演への合唱出演が許容される欠席回数のボーダーラインは主催者側に於いて規定されており、これを超えて欠席してしまうと公演への合唱出演が出来なくなる。このボーダーラインは、初心者向け「12回クラス」と経験者向け「6回クラス」で異なっている《「12回クラス」・「6回クラス」については後記「レッスンクラスのこと」項を参照。以下同じ》。現在のボーダーラインは、「12回クラス」で2回迄、「6回クラス」で1回限りと定められている《第25回公演(2007年)より;第24回公演(2006年)までは「12回クラス」で3回迄、「6回クラス」で2回迄となっていた》。更に、第21回公演以降、遅刻・早退2回で欠席1回としてカウントするという規定も追加されている。先に記した団体としての合唱参加応募要件を満たすコーラスグループが当選となった場合、個人参加の場合と同様に主催者が用意する所定レッスンへの出席を原則としているが、一定の要件を満たせば「佐渡総監督レッスン」(後記)を除く所定レッスンへの出席を省略することが可能となる。なお第20回公演までは、一定人数以上の構成員を抱える合唱団体および遠隔地で活動している合唱団体を対象に、主催者側にて合唱指導者を手配し派遣する「出張レッスン」の制度も別途用意されていた。主催者側に於いて用意する所定レッスンを実施するため設置されるレッスンクラスは、初心者向けの「12回クラス」と経験者向けの「6回クラス」の2つのカテゴリに分かれて設けられ、2015年(第33回公演)現在、大阪市内(大阪府)を初めとする近畿2府4県、北海道、宮城、東京、愛知、沖縄の各都道府県に両カテゴリ合わせて41クラスが設置されている。このうち、大阪市内と兵庫・東京両都県内に「12回」・「6回」両カテゴリ各々のクラスが設置されている他は、「12回」カテゴリのクラスのみ設置されている。「6回クラス」の受講対象者として定められている“(第九)経験者”について、主催者側では、第27回公演(2009年)以降、“「サントリー1万人の第九」3回以上経験レベル”と定義している。この主催者側による“経験者”の定義づけに関しては、第23回公演までは“『第九』合唱経験者が対象”、第24回公演から第26回公演までは“『第九』合唱経験が豊富な方が対象”というふうに曖昧な表記方が為されるのみだった。なお、合唱団員応募に際し、本興行に於ける過去合唱出演回数及び本興行を含めた「第九」演奏会の類への過去合唱出演回数総計の申告が必須となっている。当興行に於ける合唱参加者向けに設置されるレッスンクラスは、1983年(昭和58年)の創始時に大阪・京都・兵庫・奈良の各府県内に設置されたところから始まり、第3回公演が行われた1985年(昭和60年)には大阪設置クラスについてのみ初心者向け(初心者クラス)と経験者向け(経験者クラス)に分けて設置されるようになる。その後、和歌山・滋賀両県内にもレッスンクラスが1つずつ設置されるようになる。しかし、第17回公演が行われた1999年(平成11年)を最後に奈良県内設置クラスが消滅、その代替として翌2000年(平成12年)より大阪府東大阪市内にレッスンクラス(クラス名「東大阪」)が設置される。そして第21回公演が行われた2003年(平成15年)、関西圏外としては初めて東京都内にレッスンクラスが新設された。この時点では、大阪市内に於いてのみ「初心者クラス」・「経験者クラス」の両カテゴリにわたってレッスンクラスが設置されてきた他は、「初心者・経験者合同クラス」として残る各都府県内(及び奈良の代替先となった大阪府東大阪市)に1カ所ずつ設置されるという体制が執られてきていた。第24回公演が開催された2006年(平成18年)、レッスンクラスの再編が実施され、それまで大阪市内を除く各都府県内と東大阪市内に設置されていた「初心者・経験者合同クラス」は、大阪市内設置クラス群のうちの「初心者クラス」群と共に、新設された「12回クラス」カテゴリに編入されると共に、大阪市内設置クラス群のうちの「経験者クラス」群に関しては、同じく新設された「6回クラス」カテゴリに編入された。そして同年、「第九」経験者対象とされた「6回クラス」カテゴリに於いても東京都内設置クラスが新設され、これにより大阪市内に次いで東京都内に於いても「第九」経験の有無によって別々のレッスンクラスが設置されることとなった。第29回公演が開催された2011年(平成23年)、それまでレッスン会場の一つとして充当されてきた大阪市内に所在する一施設が閉鎖されたことに伴う充当施設の変更等を背景に大阪市内設置クラスが大幅増加、更に兵庫県内に於いて「12回クラス」1個、東京都内に於いて「6回クラス」1個、それぞれ増設された。これにより設置クラス総数は37となる。第31回公演が開催された2013年(平成25年)、兵庫県内に於いても「6回クラス」1個が新設される一方で大阪市内設置分のうち「6回クラス」カテゴリで1個減らされた。更に、大阪市内設置分のクラス名称について、これまで「大阪●」としてきた名称表記を充当施設の所在地(あるいは最寄り駅)に因んだ名称表記に改められた。第32回公演が開催された2014年(平成26年)、東京都内で「12回クラス」1個が増設されると共に、新たに名古屋市内(愛知県内)にも「12回クラス」1個を設置。その一方で、大阪市内設置分は「12回」・「6回」両カテゴリそれぞれ1個ずつ減じている。第33回公演が開催された2015年(平成27年)、「北海道(札幌)」・「宮城」・「沖縄」の各クラスが何れも「12回クラス」カテゴリ所属クラスとして新設されると共に、同じく「12回クラス」カテゴリに於いて「奈良」クラスが事実上再開設《公式には“新設”》。一方で、「12回クラス」カテゴリに属する「東大阪」クラスが消滅、代わりに「12回クラス」カテゴリに於いて大阪市内設置クラスの一つが増設される。レッスンクラス総数は41に増加。奈良県内におけるレッスンクラス(「奈良」クラス)設置に関しては、先にも記しているように、当興行が創始した1983年以来設置されていたものの、1999年をもって一旦消滅、その後、2015年に再度開設されている。上記2つの「奈良」クラスを比較すると、使用会場が異なっているだけでなく、運営形態も異なっている。当興行創始当初から開設されていた「奈良」クラス(以下“旧「奈良」クラス”)は、2015年新設の「奈良」クラス(以下“新「奈良」クラス”)と同様に初心者対応のクラス(当時の「初心者クラス」)の一つとして設置されたが、外部委託による運営となっており、近鉄学園前駅北側にかつて所在した「旧・西部公民館」をレッスン会場としていた。運営を受託したのは、地元・奈良で「第九」合唱一筋に取り組んでいた合唱団体「奈良県民第九合唱の会」で、当興行創始年である1983年時点で既に創立から15年となっていた。しかし、第17回公演が開催された1999年(平成11年)を最後に旧「奈良」クラスは事実上消滅、同クラスの運営を受託していた「奈良県民第九合唱の会」も、2001年(平成13年)12月23日に催行した自主公演を最後に解散した。この旧「奈良」クラスでは、レッスン運営を前記の通り地元合唱団体に委託していた関係で、その地元合唱団体が例年12月下旬頃に独自開催していた「第九」演奏会への出演義務も別途課されるという特別規定が存在していた。そのため、この奈良県内設置クラスに限り、所定の参加費等に加えて地元合唱団体が開く「第九」公演に関連する費用も負担するよう定められていた《新聞紙上に掲載された募集広告にもその旨の断り書きが為されていた》。一方、2015年に開設された新「奈良」クラスは、前記の通り初心者対応の「12回クラス」カテゴリに属するクラスの一つとして設置されたもので、運営面において特に断り書きを伴わない主催者直営クラスとなっている。そしてレッスン会場として、JR奈良駅西側に所在する「なら100年会館・中ホール」が充当されている。公演指揮者が現在の佐渡裕に交代して以降、従前からの所定レッスンに加えて「佐渡総監督レッスン」が別途設けられている。これは11月中旬或いは下旬から公演期日の数日前にかけての期間、公演指揮者の佐渡自らが合唱参加者に対し直接レッスンを行うものであり、一般の演奏団体(合唱団など)に於ける「指揮者練習」に相当する。個人参加・団体参加問わず、合唱参加者は1人につき1回、所定レッスンと共に受講することが求められる。本レッスンは、現在、東京都内で1日間、大阪(関西圏内)で2〜4日間それぞれ組まれており、毎年5月頃に発表される合唱団員募集要項の中でそれらの実施日程が発表されているが、基本的には、東京都内設置クラスの受講生は東京都内で、大阪市内を初めとする関西圏内設置クラスの受講生は関西圏内で、それぞれ受講することになっている。更に関西圏内実施分に関しては、幾つかのグループを設定し、関西圏内設置クラスをそれら設定されたグループに割り振った上で実施に移されている《このほか団体参加している合唱グループについても、主催者側に於いて振り分けられた上でグループ宛に直接通知されることになっている模様》。レッスンクラス毎にどのグループ(日時)にて本レッスンを受講することになるのかは、概ね9月終わり頃から順次、通常レッスンが行われる会場に於いて、出席者に対する「佐渡総監督レッスン」受講案内文書配布の形で発表される。この案内文書には出席票が付いており、本レッスン受講の際、必要事項記入の上、案内文書に記載された日時に指定された会場に赴き、出席票提出の上で入場することになっている。合唱参加者は、自身が属するレッスンクラスに当初割り当てられたグループにて本レッスンを受講することが基本であるが、やむを得ぬ理由でそれが困難である場合、原則として1度だけ他のグループに振り替えてもらうことが可能である。他グループへの振替には、所属するレッスンクラスに於いて、「佐渡総監督レッスン」受講案内文書を配布されて以降に到来するレッスン休憩時間帯に会場受付スタッフに申し出ると共に、既に配布された受講案内文書に付属する出席票欄に必要事項を記入し提出する必要がある。その際、空席が出ているグループが他に存在していることが前提となる《当初割り当てられたグループ以外で空席が出ていなければ、手続き出来ない》。本レッスンの会場として使用される(又は過去に使用された)施設について、東京都内実施分では2011年(平成23年)開催の第29回公演分まで東京・赤坂に所在するサントリーホール・小ホール(現在は「ブルーローズ」)が充当されてきたが、2012年(平成24年)開催の第30回公演分以降は東京・江東区に所在するティアラこうとう(江東公会堂)大ホールが充当されている。一方関西圏内開催分では、エル・シアター、梅田東学習ルーム体育館(現在は閉鎖)、メルパルク大阪イベントホール、尼崎アルカイックホール(現在は「あましんアルカイックホール」)、兵庫県立芸術文化センター大ホールなどが充当されてきている。例年、概ね公演本番の数日前に、通常のレッスンクラスとは無関係に、主催者側により別途1回のみ用意されてきているレッスン。出席すると、所定レッスンへの出席時と同様、出席1回としてカウントされる。このため、本レッスン自体は所定レッスンに準じた扱いであることが窺えるが、受講については任意となっている。本レッスン実施の有無については、例年、概ね11月以降に各レッスンクラスに於いて設定されているレッスン日当日に各レッスン会場にて順次告知されてきている。一方で、合唱参加者募集告知・期間中(概ね毎年5月〜6月中旬)や所定レッスンの開講時期(概ね毎年8月中旬〜9月上旬)に於いては、その存在自体告知されない他、ネット(公式サイト)上に於いては、合唱参加者募集要項発表段階から公演終了後に至るまで、一切告知されない。更に、本レッスンはこれまで大阪市内に所在する施設を会場として使用してきているが、東京都内など東日本・北日本地域内設置クラスの在籍者に対しても本レッスンが用意されているか否かについては不明である。以下、本レッスンが実施されることを前提に記述を進める。前記の通り、合唱参加者各自に割り当てられたレッスンクラスごとの許容欠席回数を超えて欠席すると公演本番への合唱出演が出来なくなってしまうが、言い換えれば、合唱団の一員として公演に出演するためには、合唱参加者各自に割り当てられたレッスンクラス毎に定められた「必要出席回数(=レッスンクラス毎の全授業回数-許容欠席回数)」分の出席が必要となる。本レッスンは、仕事など何らかの理由で、割り当てられたレッスンクラスに於いて実際の出席回数がこの「必要出席回数」を1回下回る合唱参加者を主たる対象としており、それに該当する合唱参加者が本レッスンを受講することで、前記の通り、出席1回を得ることから「必要出席回数」に於いて出演条件を満たすに至り、出演者用座席券交付を受けることが出来る。本レッスンへの出席には別途申込が必要となっており、例年概ね11月以降に順次実施告知されている各レッスン会場に於いて申込受付が行われる。各所属クラスに於ける所定レッスンにて既に公演出演条件をクリアしている合唱参加者であっても受講申込は可能であるが、レッスンクラス毎に受付人数枠が設定されており、「必要出席回数」を1回下回る合唱参加者が優先される。当興行創始以来、現在の「総監督・指揮」佐渡裕に公演指揮者の座が引き継がれて3年目の年にあたる2001年(平成13年)に開催された第19回公演までは、原則として、京阪神地域を活動本拠としている大阪フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、京都市交響楽団の各楽団員により管弦楽(オーケストラ)を構成していた(阪神・淡路大震災が発生した1995年(平成7年)に開催された第13回公演では、主要被災地の一つだった神戸市を活動本拠とする神戸フィルハーモニックの楽団員たちもオーケストラ構成員として参加した)。しかし2002年(平成14年)の第20回公演以降、佐渡の意向もあって、関西に所在する音楽大学の学生から選抜されたメンバーを中心に、日本国内で活動するプロ奏者数名、そしてウィーンから招待されたプロ奏者数名を加えた陣容にてオーケストラを都度結成し、新たに「1万人の第九ユースオーケストラ」という名称を付与した上で管弦楽を担当させるようになった《ウィーンから招かれたプロ奏者の中にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やウィーン交響楽団の各楽団員も含まれていた》。更に2005年(平成17年)に開催された第23回公演からは、同年に佐渡自身が芸術監督を務める兵庫芸術文化センター管弦楽団が結成されたことを受けて、その兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオケ)も参加するようになるが、その一方で、ウィーンからのプロ奏者招請は中断された。2008年(平成20年)開催の第26回公演に於いては、ウィーンからのプロ奏者招聘が再開されると共に、当公演以降、名称が「1万人の第九オーケストラ」に改められる。その翌年(2009年;平成21年)に開催された第27回公演から2012年(平成24年)開催の第30回公演にかけては、「1万人の第九オーケストラ」構成員の一部について、従前からの合唱団員募集と並行して一般公募を実施、オーディションにより選抜された若干名を構成員としてオーケストラに迎え入れていた。その一般公募実施初年にあたる2009年に於ける「1万人の第九オーケストラ」は、前出のPACオケを核として関西で活躍するプロ奏者たちを招き入れて構成すると共に、中国・北京生まれのヴァイオリニストでベルリン・ドイツ交響楽団のコンサートマスターを務めるウェイ・ルーをコンサートマスターとして招請している《ルーはその後、2010年(平成22年)・2012年(平成24年)両開催分に於いてもコンサートマスターとして招請された》。2010年開催の第28回公演ではPACオケに加えて京都市交響楽団も9年ぶりに参加。更に翌2011年(平成23年)開催の第29回公演では、それら2団体に加え、同年東北地方を中心に見舞われた東日本大震災による被害が顕著だった地域の一つ、宮城県内に活動本拠を有するプロオーケストラ、仙台フィルハーモニー管弦楽団の楽団員も参加、これにより“PACオケ・京都市響・仙台フィル”の3団体によるジョイントが実現した。プロオーケストラ3団体によるジョイントは、“大阪フィル・関西フィル・京都市響”の3団体ジョイントによる管弦楽の最終回となった2001年開催の第19回公演以来10年ぶりのことである。2012年開催の第30回公演からは再びPACオケのみの単独参加となっているが、観客向け案内上の表記は「1万人の第九オーケストラ」のままとなっている。当興行は、テレビ放送されることを前提に企画・準備されている《最初に当興行が発案された段階に於いても公演の模様を自局に於いて放送することを想定していた》。実際当興行の模様は、公演終了後、後日に公演主催者たるMBSに於いて、地上波及びBS向けに、それぞれドキュメンタリー形式のテレビ番組として制作・放送されてきている。このことから、当興行を視聴者参加型番組の一つとして捉えることも出来る。番組自体の所要時間は、地上波向け・BS向け共に1時間弱(公称)となっている。ドキュメンタリー形式にて番組制作されるのは、1983年の第1回公演開催に前後して、当時のテレビ制作担当部署内に於いて、限られた放送時間枠の中でどこに焦点を当てて番組を制作するかをめぐって議論が繰り返され、最終的にコンサートの本質を追い求める形で番組制作することで決着がついたという経緯による。なお当興行に係るドキュメンタリー番組に於いては、地上波向け・BS向けとも、公演の模様は抜粋される形で紹介されている。そのため公演の模様をフルに楽しみたい向きに、ライヴ収録された音楽ソフト類が別途制作・販売されている《後記「ライヴ収録音楽ソフト・音楽配信」項を参照》。1983年(昭和58年)の当興行創始時から続く番組形態である。1999年(平成11年)に公演指揮者が現在の佐渡裕に入れ替わってからは、基本的に、佐渡や第1部ゲスト出演者など公演回毎に当興行のステージを踏んだ著名人が画面上に登場しているが、公演年によって、第1部ゲスト出演者を切り口に番組構成するケースもあれば、別の著名人の視点から番組を構成し第1部ゲスト出演者は公演当日のステージでの演奏場面を映すだけに留めているケースも存在する。更に「別の著名人」を主人公として登場させるケースでは、第1部ゲスト出演者と公演指揮者の佐渡を除いて公演当日のステージを踏んだ著名人を主人公として登場させる場合もあれば、番組制作に際して新たに起用した著名人をナビゲーター等(画面上に登場しないナレーター役を除く)として画面に登場させる場合も存在する。番組の放映は、例年、MBS(制作局。近畿広域圏)・北海道放送(HBC;北海道)・TBSテレビ(関東広域圏)・CBCテレビ(CBC;中京広域圏)・RKB毎日放送(RKB;福岡県)のJNN基幹局5局の同時ネットにより行われており、その期日は、当興行開催初期には12月の第2土曜日となっていたが、少なくとも2002年(平成14年)以降は、第30回公演が行われた2012年(平成24年)を除き、「12月23日」に定まっている《第30回公演が開催された2012年は「12月24日」に放映された》。更に2011年(平成23年)以降、東北地方太平洋側に位置する岩手・宮城・福島の3県各々を放送対象地域とするTBS系列民放局3局に於いても同時ネットによる放映を開始している《詳細は「東北合唱団と東北会場〜ドキュメンタリー番組放映、そして音楽(映像)ソフトへの収録」参照》。2015年(平成27年)の第33回のテレビ放送は、エッセイストでタレントの阿川佐和子と、この年の芥川賞を受賞した小説家でお笑いコンビ「ピース」の又吉直樹が案内役を務め、ロックバンド「BREAKERZ」のボーカルでタレントのDAIGOがナレーションを担当する。現在もインターネット上にデータとして残存している、2003年(平成15年)以降放送分に係る番組タイトルについて、付随して放送されたものも含めて、以下にて列挙する。2010年(平成22年)の第28回公演分から2012年(平成24年)の第30回公演分にかけて、それまでの地上波向けドキュメンタリーとは別に制作されていたもので、番組制作自体は地上波向けと同じくMBSが行うが、放映はBS-TBSにて実施していた。BS向けに制作されるドキュメンタリーに関しては、当興行の舞台裏に潜入したり、メインと位置付けられているベートーヴェン「第九」に纏わる話を展開させるなど、より当興行自体に真正面から向き合うことを目指す番組作りが為されている。地上波向け番組と異なり、公演指揮者の佐渡は画面に登場するが、第1部ゲスト出演者は基本的に登場しない《公演年により登場しているケースもある》。ただ、公演年によっては第1部ゲスト出演者以外のタレント等が登場するケースが存在する。地上波向けドキュメンタリー番組の放映局に関しては、例年主催者側より公式放映局として発表されている放送局(前記JNN基幹局5局など)に加え、一部のTBS系列民放局に於いても遅れネットの形で放映されてきている。ここでは、第28回公演分(2010年;平成22年)以降、公式放映局以外でドキュメンタリー番組の放映予定が組まれた放送局および放映日時を下表にて示す《上段「放映期日」・下段「放映時間(公称)」》。上表からも分かる様に公式放映局以外の放映局については毎年一定している訳ではないが、例えば北陸放送については少なくとも2008年頃から毎年放映してきている。当興行では、前記で触れたテレビ放映とは別に、コンサートの模様をライヴ収録した音楽ソフト類の販売も行ってきている。現在取り扱っている収録メディアはCD・DVD・BDの3種類で〔BDは第30回公演分(2012年)より取扱〕、かつてはビデオテープ(VHS)版も取り扱っていた。これらライヴ収録音楽ソフト類の販売については、一般のCD・レコードショップ店頭では一切行われず、公演前日からの一定期間、主催者であるMBSにおいて直接予約申込受付を行い、その予約受付期間内に集まった予約申込分のみ生産(プレス)して代金引換扱いにて申込者宛に発送するという方式が採られている《完全受注限定生産》。予約申込手段としては、公演会場に於いて配布される申込書付き案内チラシを使用する方法のほか、2013年開催分(平成25年;第31回)以降は、公演回毎の合唱出演者を対象に、MBS公式サイト内「サントリー1万人の第九」公式サイト附設『1万人のフロイデ倶楽部』サイトよりインターネット経由で予約申込出来るようにもなっている。さらに2009年の第27回公演分からは、「第九」終楽章など公演の模様の一部について、「iTunes Store」等の音楽配信サイトにおける有料のネット配信も開始した。前項で記したテレビ放映分と異なり、会場において予約販売されるライヴ収録音楽ソフト類には基本的にコンサートの模様がそのまま収録される《公演回によっては、これに加えてレッスン風景等も併せて収録されている》。尤も第1部演奏楽曲に関しては、著作権上の問題や第1部ゲスト出演者自身の意向等により、そのうちの全部または一部が収録されないことがあるほか、特定のメディア種別のみに演奏楽曲の一部が収録されるケースも存在する。また、演奏の合間に行われるインタビュー等は、基本的にカットされている《例外あり》。当興行の名称については、以下に示すとおり、創始以来現在に至るまで4度変更されてきている。実際に公演を開くにあたっては、例年、上記イヴェント名称とは別にテーマをひとつ定めてきている。但し、2008年(平成20年)から2012年(平成24年)までの5年間は「歌のある星へ」というテーマで、その表記をイヴェントロゴの中にも組み込む等して固定化される一方、公演回毎にテーマをいちいち定めることを取り止めていた。また、イヴェント名称が変更となる度に、同時に制定されているロゴマークも新しいものに置き換えられてきている。ここでは各々の公演回に於ける「第九」ソリスト陣およびゲスト出演者について、先に示した歴代のイヴェント名称毎にグループ分けした上で列挙している。「第九」ソリスト陣については、公演回により、メゾソプラノ歌手がアルト独唱を務めるケースが存在するが〔特に第16回公演以降は全てメゾソプラノ歌手がアルト独唱を受け持ってきている〕、ここでは楽曲としての「第九」を演奏するに際して必要となる楽器パートの譜面上に於ける表記方に従って“ソプラノ(S)・アルト(A)・テノール(T)・バリトン(Br)”のパート表記の下で列挙している。ゲスト出演者については、当興行に於いて公式に招請されたアーティスト(個人あるいは団体)のうち、主に公演前半(第1部)のステージを務めるため招請された者(第1部ゲスト出演者)を記載した。この第1部ゲスト出演者に関して、山本直純が公演指揮者を務めた1998年(平成10年)の第16回公演までは、公演回により個人あるいは団体で招かれており〔招き入れなかった公演回も存在〕、その大半は後半(第2部)の「第九」演奏にもそのまま参加しているが、公演指揮者が佐渡裕に入れ替わった1999年(平成11年)の第17回以降は、基本的に第1部のステージ限りとされている。当興行に於いてこれまでに公式に招請されてきているゲスト出演者は、その大半が主に前半(第1部)のステージを務める存在(第1部ゲスト出演者)として迎えられているが、公演回によっては「第九」演奏などが組まれている後半(第2部)のステージのため別途著名人が招かれることもあった。その大半は「1万人の第九特別合唱団」〔2007年(平成19年)開催の第25回公演以降は「1万人の第九合唱団」〕の一員として他の一般合唱参加者に混じって「第九」演奏に参加するために招かれているが、「第九」演奏とは別に用意された企画への出演のために招かれたケースも存在する。ここでは公演第2部のステージを務めるためのゲスト出演者を別途招請した公演回について、一覧にして示す。なお、第2部に於けるゲスト出演者の中には、当興行の主催者たるMBSの自社制作テレビ番組に於ける企画のため送り込まれたMBSアナウンサーも含まれている。氏名表記が斜字体となっているものは、開催時点に於いてMBSアナウンサーの職にあった者を示す。このイベントの構想が持ち上がったのは、創始前年にあたる1982年(昭和57年)のことであった。高度経済成長に続く安定成長期にあって着実な発展を遂げていた日本経済ではあったが、その一方で首都・東京への一極集中は戦後急速に進み、1980年代に入ってから、それは東京と地方との顕著な格差となって現れていた。このことは経済面のみならず文化・情報面においても同じことであり、めぼしい文化イベントが関西を素通りしてしまうなど、関西は取り残されている格好となっていた。こうしたことに対する危機感を背景にして、1982年4月に「大阪21世紀協会」が設立され、翌年(1983年)策定された“大阪21世紀計画”の中核推進機関としての役割を果たすことになる。この“21世紀計画”の中でメインとなったのは、この計画策定と年を同じくして大阪城の築城400周年を迎えることを記念して大阪市が企画した「大阪築城400年まつり」であり、そのメイン会場と位置づけられていたのが大阪城天守閣から北東約500mの大阪城公園内に当時建設中だった大阪城ホールであった。この新しいアリーナ形式文化施設をめぐり、様々な企画が生まれていた。「大阪21世紀協会」が設立された1982年4月、毎日放送社内では事業本部が設置され、当時同社テレビ本部長だった斎藤守慶(後に社長、会長を歴任)が事業本部長に就任。この当時、昭和50年代後半は第2次オイルショックのさなかにあり、放送メディア界は広告収入の低迷にあえいでいた。毎日放送も例外ではなく、テレビスポットの需要低迷に悩まされていた。そのような状況下ではあったが、「大阪21世紀協会」の音頭取りによる「大阪築城400年まつり」のメイン会場でまだ建設段階にあった大阪城ホールをめぐって、立ち上げられて間もない事業本部のところにも様々な企画が寄せられていた。それらの中の一つに、ラジオ制作部から出されていた「1万人の大合唱」というものがあり、事業本部長の齋藤がこれに注目していた。この企画案は「とにかく1万人の人々を集めてブラスバンド付きの大合唱大会を開く」という内容のものであったが、齋藤はそこで、大阪城ホールの完成が年の暮れになること、既に「第九」が日本の年の瀬を彩る国民的行事と化していたことに気づき、そこからベートーヴェンの「第九」を1万人の大合唱付きでやるという“1万人の第九”なるアイディアを思いついた。これがきっかけとなって一視聴者参加型番組としての「1万人の第九」企画立案へとつながったわけだが、この企画立案段階では、この後に記す「大阪築城400年まつり」の一環という位置づけとして捉えていて、いわば1回限りの単発イベントとして進行していた模様である。そしてこの年(1982年)の終わり近くに、大阪21世紀協会に「大阪築城400年まつり」への参加のための企画書を提出。同協会における企画の採用決定とスポンサー選定を経て、翌年(1983年)の3月に「1万人の第九実行委員会事務局」を設置した。なお、この企画構想の立案については、大阪と上海の年末「第九」交歓演奏会構想(1980年頃に企画されたが、頓挫していた)、ブラスバンドとコーラスを集めて球場で大きなイベントを開くという構想、そして大阪城ホールの完成、という3つの要素が重なったがゆえに誕生したとの見方も存在する。企画立案段階より、本コンサートが前代未聞の巨大規模の「第九」コンサートとなるゆえに、見込まれる予算の額も莫大なものとなることが予想された。そのためスポンサー探しは必須のものであったわけだが、「大阪築城400年まつり」の一環として実施される以上、在阪企業であることが望ましいとの考えがあった。そこで、大阪市内の堂島に本拠を構え、サントリー音楽賞を制定するなど、音楽文化に対する強い理解を示していることでも有名なサントリーに白羽の矢が立ち、1983年(昭和58年)の年明け早々、冠スポンサーとしての協賛を依頼した。これに対して、やはり音楽に対する造詣の深かった社長の佐治敬三は、これは文化の薫り高い優れた企画と直感、申し出を快諾したと言われている。指揮者の人選については、企画立案段階では、大阪フィルを日本有数のオーケストラに育て上げた関西音楽界の重鎮で、日本指揮者協会会長の朝比奈隆の起用を想定していた。ところが、実行委員会事務局のメンバーからの要請を受ける形で行われた朝比奈と、当時大阪フィル理事兼運営委員長だった野口幸助の両者の話し合いの中で、このイベントにはお祭りの要素を含んでいる、として朝比奈には不向きとの考えを示していたという。そして、どちらかといえば大きなステージに向いている山本直純が適している、との結論に達し、朝比奈からの推薦等を経てその山本が指揮台に立つこととなった。ちなみに山本は、当時既にテレビ番組・CMへの出演を通じて一般大衆の間でも広く知られる存在となっていた。朝比奈の推薦を受けて実行委員会事務局のメンバーが当時山本の所属していた東京の音楽事務所を訪問、山本に公演指揮者への就任を要請、これに対して山本は、当時たまたま自身が司会進行役を務めていたテレビ番組『オーケストラがやってきた』が終わった直後ということもあり、その番組の延長線上にあるものと自ら捉えていたのだが、一方で一般公募で結成された素人による大合唱団を公演指揮者として向き合うことに大きな不安を抱いていた。とはいえ「朝比奈からの勅命」とも捉えていた山本は、最終的に事務局メンバーからの要請を受諾したわけであるが、のちになって山本自身が信頼を置く人物に完成したばかりの大阪城ホールで行われたオープニング・コンサートに聴きに行かせて音質を確かめさせるなど、不安は尽きなかった。以上の経緯から、過去に本イヴェントに於いて朝比奈を“「1万人の第九」生みの親”と紹介したことがある。「1万人の第九実行委員会事務局」を設置してから2か月後の5月30日、大阪キャッスルホテルにて記者発表が行われ、主催者側の出席者たちと共に公演の指揮を務める山本や、出演予定の宝塚スターの面々が顔を揃えた。この模様は翌日の新聞各紙にて一斉に報じられたが、産経新聞が写真入りで最も大きく取り上げている。そしてこの記者発表の翌日から合唱団員募集が始まったわけであるが、当時設定された応募締切の2日後にあたる7月17日の時点で応募者数が5,000人に達していた《この時既にアマチュア合唱団やプロ、セミプロの合唱団などから2,000人分の参加約束をとり付けていた》。なお、この合唱団員募集については読売系列のスポーツ紙であるスポーツ報知(報知新聞)が最も詳しく報じている。このように、大阪キャッスルホテルで開かれた記者発表の模様にせよ、そしてその翌日から始まった合唱団員募集の内容にせよ、一番大きく取り上げたのが、後援に名を連ねる毎日新聞系列以外の新聞メディアであったことが興味深いところである。このあとレッスンクラスの開講を迎えることになるわけであるが、第1回公演当時のレッスンの受講は、今と若干異なるもので(現在のレッスン受講の仕組みについては前記「レッスン受講のこと」の項を参照)、まず前記の参加者募集を行い、その募集結果等をふまえて、レッスン会場を確保してレッスンクラスを設定、参加申込者が自らの経験・スケジュール等から最も都合のいいレッスンクラスの受講者登録を、そのクラスが開講されるレッスン会場に直接出向いて、行うというやり方であった。その他、50人以上の団体参加者を対象に、事務局から指導者を派遣する「出前レッスン」(出張レッスン)も用意した。レッスン開始を前にして、7月の終わりに合唱指導者たちを毎日放送のミリカホールに集めて「モデルレッスン」を実施。その狙いは、公演指揮者の山本が大フィル合唱団と高槻市民合唱団を直接指導することで、合唱指導者たちに指導法の統一と要点確認をさせることにあった。そして8月21日より順次レッスンは開始された。コーラスグループから参加した人は別にして、個人で参加していた人のほとんどは「第九」未経験や合唱自体が未経験の人も多かった。それでいて公演では原語(ドイツ語)でかつ暗譜で歌わねばならないという主催者からの要求もあり、約3か月というレッスン期間の中で、参加者はもちろんのこと、合唱指導者でさえも苦労の連続だったと言われている。そのためもあってか、レッスンクラスによっては最終的に受講者数が5分の1にまで激減したところもあった。それでも所定のレッスンを堪え抜いてきた6千数百人が、晴れて本番のステージへと進むことができた。なお指揮者の山本自身も、このレッスン期間中、計3回レッスン会場を巡回していた。音響面についても苦労の連続だった。公演会場としてアリーナ式体育館を使うという、それまでのクラシック音楽のコンサートの常識からでは到底考えられない巨大な空間での演奏会となったために、特に会場内の残響時間の問題は切実なものだった。一般にクラシック音楽、それもこのイベントのように、オーケストラを使った演奏に適した残響時間は2秒程度とされている。ただし、この適正な残響時間というのは、会場の容積に左右されるとも言われ、主催者サイドの音響技術陣は、大阪城ホールのような巨大な空間では3秒前後の残響時間で自然な音場が作られると考えていた。工事段階で聞かされた、大阪城ホール自体の完成時初期状態における仕様上の残響時間は1.6秒だったが、舞台等の設営と聴衆の入場により、公演時点において予想される残響時間は、その仕様上の残響時間を下回る「1秒以下」であったという。ポピュラー系のコンサートならばスピーカーによる増幅で乗り切ることが可能だが、楽器等の生の音を楽しむことが前提のクラシック音楽系統のコンサートではスピーカーの増幅だけでは音が濁ってしまう。加えて巨大空間の中では、オーケストラと合唱団との距離の遠近により、客席にはバラバラに音が届いてしまうことも予想された。そこで音響技術陣は、電気的音響技術を駆使して、巨大空間にあってもクラシック音楽の演奏にふさわしい音環境に極力近づけるべく、毎日放送社内施設を使って実験を重ねるなど、試行錯誤を繰り返していた《音響心理的現象の一つである「ハース効果」をシステマティックに応用することを考案していた》。そして本番1週間前(11月27日)、完成して間もない大阪城ホールに於いて実施したリハーサルの場で、バラバラに聞こえていた音を見事一つの音にまとめることに成功した。公演会場で行われる日程としては、現在では本番前日にリハーサル(総合リハーサル。ただし一時期、新聞紙上に掲載された合唱団員募集記事の中では「総合レッスン」と紹介されたことがあった)、当日に「ゲネプロ&本番」というパターンとなっているが、第1回公演では、本番に向けての様々な準備や、リハーサルで生じる諸問題の解決の時間を考慮し、前記の通り、本番1週間前(11月27日)にリハーサルを設定していた。1983年12月4日、迎えた第1回公演の本番当日、指揮台に立った山本は、その場に居合わ

出典:wikipedia

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