生命の起源(せいめいのきげん、英:Origin of life)は、地球上の生命の最初の誕生・生物が無生物質から発生した過程のことである。それをテーマとした論や説は生命起源論という。生命は、いつ、どこで、いかにして誕生したのか?この問いかけとそれに対する説明は古代から行われていた。遡れば、人類は古くは神話において、それを行っていた。また、様々な宗教においても古くからそれは行われ、現在でも行われている。古来人々は、生命というのは無生物からわくようにして生じていた、と考えていたふしがある。古代ギリシアにおいては、神話とは異なった哲学的な考え方が行われるようになったとされる。「アルケー」つまり万物の起源・根源はなにか、という(現在の西洋の科学に通じる面ももつ)考察が行われた。それと同様に、哲学者によって、生物の起源に関する考察も行われた。アリストテレスは観察や解剖を行ったが、彼の説は動物は親の体から産まれる以外に物質からも生じることもあるとし、その見解はその後およそ二千年間も支持されることになった。また彼は世界には生命の胚種が広がっており、それが物質を組織して生命体を生じさせると考えていた。近代でも自然哲学者らが考察を行った。さらに19世紀になり科学者という職業が誕生すると、この科学者たちも同様の考察・研究を行い、生命の起源の仕組みを何とかして科学的に説明しようとする試みが多く行われてきた。現在、科学の領域における仮説の多くは、チャールズ・ダーウィンの進化論を適用することによって、おそらく最初に単純で原始的な生命が生まれ、より複雑な生命へと変化することが繰り返されたのだろうと推察している。また、われわれヒトの誕生(人間の存在)を分子生物学的に説明するという試みも行われている。また科学者の中には、宇宙空間には生命の種のようなものが広がっており、生命の誕生の場所は地球上ではなかったとする説(パンスペルミア説)を支持する人々もいる。つまり現在、地球上の生命の起源に関しては大別すると三つの考え方が存在する。ひとつは、超自然現象として説明するものであり、一例を挙げると神の行為によるもの、とする説である。第二は地球上の化学進化の結果と考える説である。第三は、地球外に起源があるとする説で、パンスペルミア説と呼ばれる。現代でも、第一の超自然現象説や第三のパンスペルミア説を発表する学者は多い。(自然科学者の間では)一般的には、オパーリンなどによる物質進化を想定した仮説が受け入れられているとされる。生物が無生物質から発生する過程は、自然、実験の両方で、観察、再現されていない。また理論的にも、生命の起源に関しては、決定的な解答は得られていない。なお、自然科学においては、ただ「生命の起源」と言っても、そこには、生命とは何か(生命の定義)、生命はどこから・どのように誕生したのか(狭義の生命の起源)、生命はどのように多様性を獲得したのか(種の起源)、という問題・テーマが関連してくることになる。この項では生命起源論を歴史に沿って追うこととし、中でも自然哲学や自然科学における様々な学説に重点を置いて説明することにする。各地の神話ではしばしば神が世界や生き物を造ったとされる。世界が造られたさまを説明する神話は創世神話と呼ばれている。例えばユダヤ教の聖書(旧約聖書)の『創世記』では天地創造が6日間で行われ7日目に神が休息したとされるが、神は3日目に植物を、5日目に魚と鳥を、6日目に獣と家畜そして神に似せた人を造った、とされた。旧約聖書の『創世記』の6章から9章にはノアの箱舟の物語が描かれている。その物語では、すべての生き物をひとつがいづつ船に乗せた、とされる。これは「別の生物は別に造られた」という考えを暗黙のうちに示している。ユダヤ教の聖書はキリスト教においても旧約聖書として引き継がれ、これらの生命観・世界観は広くキリスト教圏でも信じられることになった。「生命は神による天地創造以来連綿と続いている」とする説は「生命永久説」とも言う。古代ギリシアにおいては、神話とは異なった考え方が行われるようになり、哲学が行われるようになったとされる。「アルケー」つまり万物の起源・根源はなにか、という考察が行われ、哲学者によって、生物の起源に関する考察も行われた。紀元前4世紀のアリストテレスの時代には、すでに自然の観察による大量の知識が集積されていた。古代ギリシアでは動物が基本的に親の体から産まれることも、植物が基本的に種子から生まれることも、知られていた。生命の起源に関する最初の学説はアリストテレスが唱えたものだとされている。紀元前4世紀ころのアリストテレスは、様々な動物に関して詳細な観察や解剖をした結果、「生物は親から生まれるものもあるが、物質から一挙に生ずるものもある」と考え、自著『動物誌』や『動物発生論』において、ミツバチやホタルは草の露から生じるなどと記述した。現代の科学史では一般にこれを「自然発生説」と呼んでいる。なお、アリストテレスは、世界には生命の基となる「生命の胚種」(=一種の種子)が広がっており、この生命の胚種が物質を組織して生命を形作る、と考えた。これは「胚種説」と呼ばれる。16世紀から17世紀、パラケルスス(1493または1494 - 1541)とJ. B. ヘルモント (1579 - 1644) は、ネズミ・カエル・ウナギなどが無生物から発生するとして、(彼らなりの)実験的根拠を主張しつつ、その処方を示した。(17世紀ではまだ患者の患部などにウジが湧くことで医師らは困っていた時代であったが)イタリア人外科医フランチェスコ・レディ (1626 - 1697) は、(現場での体験をもとにウジはハエが寄ってきた時のみに発生していると睨み)1665年に、ウジは卵によって生まれ、物質(無生物)からは発生しないことを証明するための実験を行った。レディは以下のような実験を行った。レディはこれによって、ハエをたからせない肉片にはウジが発生しないことを証明した。もっとも、レディは寄生虫については自然発生する、としていた。レディが証明しようとしたことは「ウジはハエが卵を生むことによって生まれている」ということであって、レディは「生命というのは卵から生じる」と考えていたともされる。この実験の素晴らしいところは、フタをしたビンのほかに、フタをしなかったビンを用意したことであり、この方法は対照実験と呼ばれ、現在でも応用がなされている。本実験と対照実験の中で違いを見つけていくことは、科学的方法に基づいたあらゆる実験の基礎とされる。オランダ人のレーウェンフック (1632 - 1723) は手製の顕微鏡を用いてさまざまな観察を行い、それまで知られなかった微生物の存在を明らかにし、細胞の存在も見たことで生物学に革命が起きた。微生物を見ることができるようになって、腐敗や発酵のようによく知られ自然に起きているように思えていた現象にも生物の存在が関係していることが明らかになると、そうした微生物は自然発生するのか、それとも種子にあたるものがあるのか、等々の議論が起きることになった。ジョン・ニーダム (, 1713 - 1781) は、肉のスープを加熱した上でビンの中に入れ、コルクで完全に栓をし、次にこのビンを熱した灰の中で加熱した(そして彼はそこにいる微生物は全て死んだと判断した)。だが数日後にこの肉汁を顕微鏡で観察すると微生物が生じていた。またニーダムは肉以外にも豆のスープでも同様のことが起きることを確認し、「微生物はスープの中から自然に発生した。生物の自然発生は実験によって証明された」とした。その実験を知ったラザロ・スパランツァーニ (1729 - 1799) は、ニーダムの実験に不備があったのだと睨んだ。1765年、フラスコに入れたスープに、コルク栓で蓋をしたもの以外に、フラスコの口を溶かして密封したものを複数作り、さらにそれらをさまざまな長さの時間熱湯にひたして比較する実験を行った。コルク栓をしたものや、密封したが熱湯につける時間が短かったものには微生物が生じたが、密封して熱湯に1時間ほどつけておいたフラスコには微生物が発生していなかった。それによって「微生物も物質からは生まれない(自然発生しない)」とした。これにより、ヨーロッパの学会で、どちらの説が正しいかについて大論争が巻き起こった。ニーダムは、「スパランツァーニの実験ではフラスコを密封し加熱したため、新鮮な空気が破壊され、微生物が生きられない状態になったのだ。コルクの栓で蓋をした場合は新鮮な空気が入ってくるから微生物が発生できるのだ」と反論した。こう言われてしまうと、スパランツァーニもうまく反論できなくなってしまった。ラマルク (1744 - 1829) やネーゲリ (1817 - 1891) は、無機物質のみから自然発生が行われると説いた。ルイ・パスツール (1822 - 1895) は微生物学の発展に貢献した中心的な人物であり、1860年代に微生物の発生について調べるために、白鳥の首フラスコを用いた実験系を考案した。実験の概要は以下の通りである。この実験は、空気中には眼には見えない微生物が多数浮遊していることを証明した(なお、この実験は空気中に浮遊する微生物(カビや細菌の胞子)が白鳥の首にトラップされてフラスコ内部まで侵入しないことを仮定している)。パスツールの成果は見事で、微生物学の基礎が開かれることになった。また、この実験で論争は落ち着き、生物は(おおむね)自然発生はしない、と見なされるようになった。ちなみに、パスツールは生命の起源に関する実験は行なっていない。これは、生命の起源に関する問題は、実験的に証明できるものではないと考えたからだ、と言われている。E. H. ヘッケルは、その当時(つまり19世紀後半)までの実験的研究が全て、《有機物質の分解物を含む液中での自然発生》を扱っていたものであったと指摘して、これを「Plasmogonie プラスモゴニー」と呼び、その概念に対して《無機溶液中での生命発生》という概念を「Autogonie オートゴニー」と呼んだ。「かつて地球上に生命が誕生するまでは地球上には有機物は存在しなかったはずなので、最初に生じたのは無機栄養微生物だったはずだ」と考えられていた時代があった。だが、最初の生命発生以前に有機物が蓄積していたはずだ、と考える人たちが出てきた。化学進化説は、「無機物から有機物が蓄積され、有機物の反応によって生命が誕生した」とする仮説であり、現在の自然科学ではもっとも広く受け入れられているものである。化学進化説を最初に唱えたのはソ連の科学者オパーリンである。有機物の生成、蓄積を説明する実験や説としては、ユーリーとミラーによる実験に始まり、バーナルらによる表面代謝説や、彗星からもたらされた、とする説などがある。パスツール以降、1922年にオパーリンが『地球上における生命の起源』と題する本を出版するまで、生命の起源に関する考察や実験が行われたことはなかった。この本は生命の起源に関する科学的考察のさきがけとなった。彼の説は「化学進化説」と呼ばれる他、「スープ説」、「コアセルベート説」等と呼ばれている。これはこれらの「化学進化説」が生命の起源に関する段階で多くのものを含んでいるからである。化学進化説は最も理解が簡明かつ、基本的な生命発生のプロセスであり、これらの細かなプロセスごとに様々な仮説が提示されているが、その基本は化学進化に依る。オパーリンの生命の起源に関する考察は以下の要点にまとめられる。この化学進化説を基盤として、生命の起源に関する様々な考察や実験が20世紀に展開されることとなる。なお、化学進化説で論じられている初期の生命は有機物を取り込み代謝していることから「従属栄養生物」であると考えられている(栄養的分類を参照)。オパーリンの唱えた「化学進化説」ではその第一段階として「窒素誘導体の形成」が行なわれると仮説していた。それを実験的に検証したのが1953年、シカゴ大学ハロルド・ユーリーの研究室に属していたスタンリー・ミラーの行なった実験である。「ユーリー-ミラーの実験」として知られている。ユーリー-ミラーの実験の趣旨は以下の通りである。この1週間の間に、アルデヒドや青酸などが発生し、アミノ酸の生成に寄与したと考えられている。ユーリー-ミラーの実験の応用として、放電や加熱以外にも、様々なエネルギー源(紫外線、放射線など)が試験され、その多くの実験が有機物合成に肯定的な結果を示しているという。しかしながら、アポロ計画によって持ち帰られた月の石の解析結果から、地球誕生初期には隕石などの衝突熱により、地表はマグマの海ともいえる状態にあり、原始大気の組成は二酸化炭素、窒素、水蒸気と言った現在の火山ガスに近い酸化的なガスに満たされていたという説が有力になった。すなわち、還元的環境を前提としたユーリー-ミラーの実験は、地球における有機物の誕生を再現したものとは言えないことになった。 化学進化の第一段階である有機物合成には、当時の地球大気を再現していないユーリー-ミラーの実験に代わる過程が必要になるが、それには以下の様な過程が明らかになっている。1959年、ジョン・バーナルによって「粘土の界面上でアミノ酸重合反応が起きる」とした「粘土説」が提唱された。何らかの界面は化学反応が起き易くなっており、化学反応の触媒としての機能を界面が有することは当時から良く知られていた(詳しくは酵素の項を参照)。この説自体は、赤堀四郎によって提唱された「ポリグリシン説」を基にしている。こうした界面上で有機物が発生し、それらがポリマーに進化していく様子をさらに具体的に論じたのが1988年発表の「表面代謝説」である。論文の筆者はドイツ人弁理士ギュンター・ヴェヒターショイザー(ヴェヒタースホイザー; G. Wächtershäuser)である。表面代謝説の主な趣旨は以下の通りである。ほか、多くの主張が見られるが、単位膜系を有しない点、自己複製能力を有しない点で、表面代謝説は生命の定義から逸脱する。しかし、生命の定義というものを再認識させたと言う点で興味深い主張である。オパーリンの化学進化説の主張によると、初期の生命体は有機物スープを資化していった従属栄養生物だったが、表面代謝説では炭酸固定を行なった独立栄養生物であるとの主張がなされている。その証拠として、以下のギ酸生成式があげられる。1行目は吸エルゴン反応(非自発反応)でありエネルギーの外部からの投入を要求する。2行目は黄鉄鉱上でのギ酸生成反応であるが、これは発エルゴン反応(自発反応)であり、黄鉄鉱上で有機物の生成がおきやすいことを示している。さらに、こうした有機物生成反応のみならずグリセルアルデヒド-3-リン酸およびジヒドロキシアセトンリン酸は、リン酸基(負に荷電している)が黄鉄鉱界面(正に荷電)に吸着され、配向を保ったお互いの分子が重合するという反応が発生し、生成物としてリン酸トリボースという、そのままDNAやRNAの材料となる糖新生反応が起きる。このトリボースにイミダゾール環であるプリン、ピリミジン塩基が結合することによりTNA(トリボ核酸)が生成し、DNAやRNAの雛形となる。グリセロリン酸を基点として各種アミノ酸が生じるモデルも提唱されている。膜脂質については、前述のイソプレイノイドアルコールの生成モデルがある。イソプレノイドアルコールは脂肪酸に比べて、界面に吸着しやすいため重合反応が見られる。極性脂質誕生以降、ある濃度で脂質がミセル化し、同時に生じたRNA、DNA、タンパク質なども同時に遊離し、そうしたミセル化した脂質の袋こそが、祖先型の古細菌であるとヴェヒターショイザーは主張している。表面代謝説は、一見非常に理論的で明快な結論を引き出しているようだが、以下の説明が不十分であるために不完全な理論であると言える。しかしながら表面代謝説は深海熱水孔周辺に黄鉄鉱が多く見られることから、熱水孔を生命の起源と支持する学者の間では人気のある仮説の1つである。事実、黄鉄鉱上で酵素の関与無しに代謝系が生じる可能性を示唆した点は非常に興味深い。また、生命の定義にも議論を投げかけた点において、生命の起源に関する説得力ある仮説として支持され続けている。DNAを遺伝情報保存、RNAを仲介として、タンパク質を発現とする流れであるセントラルドグマは一部のウイルスの場合を除いて、全ての生物で用いられている。1950年代から、化学進化後の最初の生命でこれら3つの物質のいずれが雛形となったのかが、論じられてきた。そうした説の名称がDNAワールド仮説、RNAワールド仮説、プロテインワールド仮説である。この3つの説を統一するような見解は得られておらず、情報の保存、触媒作用を争点にいまだ論争が絶えない。なお、これらの説を一部融合させたDNA-プロテインワールド仮説のような説も存在する。セントラルドグマが生命誕生以来、原則的なものであれば、まずはじめに設計図が存在していたと考えるべきであるが、DNAワールド支持者はRNAやプロテインワールドに比べて分が悪い。なぜならDNAは触媒能力を有しないとされていたからである。2004年にDNA分子を連結させるDNAリガーゼ機能を持つデオキシリボザイムが発見された。デオキシリボザイムは、遺伝情報の安定性と触媒能力を有するが、触媒効率は非常に低い。触媒効率の高いデオキシリボザイムが発見されれば、DNAワールド仮説の復権が期待できると思われる。RNAワールド仮説は、「初期の生命はRNAを基礎としており、後にDNAにとって替わられた」とするものである。1981年、トーマス・チェックらによって発見された触媒作用を有するRNAである「リボザイム」がその根底にある。また、レトロウイルスによる逆転写酵素の発見もその拍車となった。RNAワールド仮説の趣旨は以下の通りである。RNA自体が触媒作用と遺伝情報の保存の両者をになう点は、生物学者に大きなインパクトを与え、RNAワールド仮説は、いまだ生命の起源の論争の中でも主たる考察であると言える。しかしながら、RNAワールドを否定する意見としては、以下の点があげられる。しかし、特異性に関しては近年ではハンマーヘッド型リボザイムを筆頭に顕著な改善が認められる。プロテインワールド仮説は、「タンパク質がまずはじめに存在し、その後タンパク質の有する情報がRNAおよびDNAに伝えられた」とする仮説である。RNAワールド仮説と双璧をなす生命の起源に関する考察のひとつであり、近年プロテインワールドを支持する化学進化の実験結果が多く得られている。プロテインワールド仮説の趣旨は以下の通りである。GADV仮説は奈良女子大学の池原健二教授によって提唱されたプロテインワールド仮説を支持する新説である。この説により、プロテインワールド仮説がより重みを増したと言える。しかしながらプロテインワールド仮説にも以下の反証があげられる。第一の点に関しては鋳型とモノマーを材料としたポリマライゼーションのみを自己複製とするなら指摘の通りだが、広義の自己複製ならその限りではないパンスペルミア仮説とは、「宇宙空間には生命の種が広がっている」「地球上の最初の生命は宇宙からやってきた」とする仮説である。この用語は元はギリシャ語「」で、「」(汎)と「」(種、タネ)という語の構造になっている。「(宇宙)汎種説」「胚種広布説」「宇宙播種説」などと訳されている。この説のアイディア自体は元々は1787年ラザロ・スパランツァーニ(スパランツァーニも自然発生説を否定した実験で有名である)によって唱えられたものである。この後、1906年にスヴァンテ・アレニウスによってこの名前が与えられた。この説の現代の有名な支持者としてはDNA二重螺旋で有名なフランシス・クリックほか、物理学者・SF作家のフレッド・ホイルがいる。アレニウスは以下のように述べた。パンスペルミア説はオパーリンの論じた化学進化よりも時代的に先行している生命の起源に関する仮説の一つであるが、仮説とするには余りにもブラックボックスが多いと考える学者は大勢いた。この説は化学進化と同様現在でも支持されている学説の一つである。このパンスペルミア仮説を支持する点は以下の通りであるという特に、地球誕生後数億年で生命体が発生したと言う点で、パンスペルミア仮説が支持されることが多い。2011年、日本の海洋研究開発機構で、大腸菌など、5種類の細菌を超遠心機にかけ、超重力下での生物への影響を調べる実験が行われた。その結果、5種とも数千から数万Gの重力の下でも正常に増殖することが確かめられ、中には40万3627Gもの重力下でも生育した種もあった。地球に落下する隕石の加速度は最大30万Gに達すると予測されており、この実験は、パンスペルミア仮説の証明とはならないが、このような環境を生き延びる可能性を示している。化学進化説に関する考察や実験は、無機物から生命への進化を論じたものであり、1980年代まではそのような流れが支配的であった。1977年、カール・ウーズらによって第3のドメインとして古細菌が提案されると、古細菌を含めた好熱菌や極限環境微生物の研究が進行した。これらの研究から、生命の起源に近いとされる生物群の傾向が明らかになってきた。これにより生物進化から生命の起源を探るというアプローチが可能となった。生命誕生以降の生物進化から生命の起源を探る試みは、化学進化とは異なり非常に多くの生命のサンプルを要する。多くのサンプルを用いながら、真正細菌、古細菌、真核生物の系統樹を描くことから、そうした試みが始まったと言える。進化系統樹を描く試みは従来、低分子のタンパク質アミノ酸配列(フェレドキシン、シトクロムcなど)を元にしたものが多かったが、DNAシークエンシング法やPCR法の確立などにより、より大きなデータを取り扱うことが可能になってきた。16S rRNA系統解析によれば、共通祖先に近い原始的な生物は好熱性を示すものが多く見られることが判った。 しかし、最初の生物がどのようなものであったかを明らかにするには、なお研究が必要である。生命の起源の考察の中に、最初の生命は独立栄養的か従属栄養的か(炭素源は無機化合物であるかどうか)という論争は絶えない。しかし1970年代に深海熱水孔がアルビン号によって発見されたときから独立栄養生物を支持する説がいくつか上がってきている。深海熱水孔の発見は当時、深海はほとんど生物の存在しない世界であるとされていた学説を一変するものであった。太陽エネルギーの存在しない深海で、原核生物や多細胞生物を含めた真核生物が独自の生態系を形成している様子は、多くの学者を驚かせた。地上の生態系は、植物が一次生産者となり、動物を消費者、細菌や菌を分解者とする太陽エネルギーに依存した物質の流れが基本である。しかしながら深海熱水孔においては、熱水孔から排出される還元物質を酸化しながら炭酸固定をしている化学合成独立栄養生物(硫黄酸化細菌など)が一次生産者であった。こうした、太陽エネルギーに依存しない生態系の発見から、生命の起源は還元的物質が地球内部から発生する深海熱水孔に由来するのではという説が現れるのは自明の理であった。また、深海熱水孔のみならず、海底あるいは地上を掘削すると地下5km程度まで化学合成独立栄養細菌群の支配的な生物圏が存在することが明らかになった。これが「地下生物圏」の発見であり、地下数kmで発生した化学合成独立栄養生物を生命の起源とする新たな説も現れている。
出典:wikipedia
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