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JR東海キハ11形気動車

キハ11形気動車(キハ11がたきどうしゃ)は、東海旅客鉄道(JR東海)、東海交通事業、ミャンマー国鉄、ひたちなか海浜鉄道に所属するローカル線用気動車である。JR東海が保有するキハ30形・キハ28形・キハ58形の各気動車の老朽置き換えと、ワンマン運転の拡大用として投入された。JR東海の非電化区間および同社子会社である東海交通事業の区間に広く充当されたが、大半の車両が後継車両への置き換えとミャンマー国鉄やひたちなか海浜鉄道への譲渡が行われ、この2社にはJR東海や東海交通事業からの譲受車を保有している。そのため、本項では一括して記載する。非電化地方交通線向けに、初期費用および運用費用を抑制するため、新潟鐵工所製の軽快気動車を基本としつつ、JR東海の事情に合わせて仕様の変更を行っている。車体は、最大長18m(車体長17.5m)で、幅2.7mの普通鋼製(300番台以外)および幅2.8mのステンレス鋼製(300番台)で、日本国有鉄道(国鉄)時代の車両 (20m) と比べて小型である。出入口は、ワンマン運転に対応して車体両端に寄せて幅850mmの片引き戸を2ヶ所に設け、押しボタン式の半自動ドアとした。客室側窓は211系電車と同様の下降式の1枚窓である。2000年(平成12年)6月から伊勢車両区所属車両のみ車体前面のスカートが下方向へ拡大改造が開始された。0・100番台は前後とも延長されたのに対し、300番台は新宮方のみ延長されていたが、後に亀山方も延長された。2009年(平成21年)からは美濃太田車両区所属車両に対しても施工が開始されていたが、全車両には及ばなかった。腰掛は、ラッシュ時と日中の閑散時に対応するため、ロングシートとボックスシートを組み合わせたセミクロスシートを採用している。形状をバケットタイプとして座り心地の向上を図るとともに、ボックスシートは間隔を1,550mmとしている。定員は110名(座席60名〈ただし300番台は46名〉)で、従来のキハ40形よりも増加している。主に短距離路線で使用されることから、300番台を除きトイレは設置されていない。冷房装置は機関直結式のC-AU29を1基搭載する。また、一部車両にはドアチャイムと車椅子スペースが設置されている。エンジンは、キハ85系と同じカミンズ製のC-DMF14HZA (330ps/2,000rpm) を1基搭載するが、変速機に軽快気動車用のC-DW15を使用することから、出力を抑えている(キハ85系用は350ps)。車体の軽量化とエンジン出力の向上により、従来車に比べ走行性能は格段に向上しており、最高速度は95km/hで同等であるが、20‰の上り勾配で60km/h以上、25‰でも50km/h以上での走行が可能である。台車は、軽快気動車で実績のある大径心皿式の空気バネ台車のC-DT58(動台車)、C-TR242(付随台車)で、動台車は2軸を駆動する。変速機は新潟コンバーター製で、変速1段、直結2段式により、従来よりも加速・粘着性能の向上を図っている。※鉄道ファン2011年2月号に、キハ11形の紹介ページが記載されている。普通鋼製の0番台・100番台・200番台と、ステンレス鋼製の300番台が存在する。1988年(昭和63年)に新潟鐵工所で10両 (1 - 10) が製造された、暖地用の番台区分である。伊勢車両区に配置され、名松線・参宮線・紀勢本線で運用されていた。同線多気以南での運用は長距離列車が多いため、必ずトイレのある300番台と連結した2両編成以上で運用されていた。なお、名松線運用車両の一部には、家城駅の夜間留置の無人走行事故対策として予備ブレーキのシステムを変更した車両があった。10両のうち1両(9)は2007年(平成19年)1月の落石事故、2両(6・8)は2015年(平成27年)4月・8月の車両入れ替えのため、それぞれ廃車された。残る7両もキハ25形への置き換えに伴い同年9月をもって運用離脱し、10月に4両(1・2・4・5)が、2016年(平成28年)3月29日付で3両(3・7・10)が廃車され、全廃となった。1988年に新潟鐵工所と自社名古屋工場で23両 (101 - 123) が製造された。基本構造は0番台と同じだが、笛シャッタの取り付けや扉付近の保温対策などが施され、寒地向けとなっている。当初は全車が美濃太田車両区に配置されたが、後に107 - 112の6両が伊勢車両区に移り、残る17両は高山本線(主に岐阜 - 白川口間)と太多線で運用されていた。トイレがなく、なおかつ営業運転で他系列との混結ができない(回送運転でのみキハ40系と併結)ため単独運用を組まれ、高山本線の長距離列車には使われなかった。鈴鹿サーキットでF1グランプリが開催された際には美濃太田所属車が貸し出され、臨時列車にも用いられ、定期列車では見られない5両編成でも運転された。伊勢車両区に移った車両は0番台と共通運用された。この他、車外右側にあるバックミラーの取り付け方が配置区によって微妙に異なる。また、美濃太田所属車の左側ミラーには積雪を防止するためのカバーも取り付けられていた。2015年3月14日のダイヤ改正により美濃太田所属の全車が運用を離脱し、同月に7両(106・113・115・118 - 121)が廃車され、3両(101・104・105)が伊勢車両区に転属した。同年4月に美濃太田所属の7両(102・103・114・116・117・122・123)と伊勢所属2両(111・112)が、8月には伊勢所属の4両(101・104・105・108)が、10月30日付で伊勢所属の3両(107・109・110)がそれぞれ廃車されて、全廃となった。なお、伊勢車両区に転属した3両は在籍期間が4ヶ月と短かった。東海交通事業が1993年(平成5年)の城北線全線開業時に4両(201 - 204)を新製したものである。基本的な仕様は基本的にJR東海の100番台と同じであるが、2両(201・202)は城北線仕様として扉付近の保温対策の廃止やドア部のステップの廃止、外板塗色の変更(0・100番台に巻かれているオレンジと緑の帯に代わって、窓周りと前照灯周りにオレンジの帯が巻かれている)などの仕様変更が行われている。また、203・204の2両は城北線の線路使用料相殺のためにJR東海美濃太田車両区に貸し出された車両で100番台と全く同仕様となっており、同区に在籍するJR東海所有車(100番台)と混用されており、貼付されている社章も含めJR東海所有車と全く同様の外観となっている。203は、201・202のJR東海名古屋工場への検査入場時の予備車として城北線で使用されることがあるが、その際にはステップ部分に段差解消のための金属製の箱が置かれる。一方の204は城北線を走行したことがない。203・204は、2015年3月14日のダイヤ改正により運用を離脱し、ひたちなか海浜鉄道へ譲渡された(詳細後述)。また、城北線での運行に残っていた201・202についても同年9月8日に東海交通事業が城北線用車両として300番台2両をJR東海から購入することを発表しており、この発表の中で「現在城北線で運用しているキハ11形200番代2両」について300番台の運用開始後に順次ひたちなか海浜鉄道に譲渡されることが明記されている。1999年(平成11年)に増備された暖地向けの改良車。新潟鐵工所で製造された6両 (301 - 306) が存在する。それまでの普通鋼製からステンレス車体となり、車幅が2.7mから2.8mに拡大されている他、車椅子対応トイレの設置、側窓の固定化、貫通路上部への前照灯の増設が行われた。前面の行先表示器は左側上部に移されている。車内のカーテンは同時期に製造された313系電車と同様のフリーストップ方式となった。同年に増備されたキハ75形と部品の共通化を図るため仕様が変更され、エンジンはC-DMF14HZB (350ps/2,000rpm) 、ドアチャイムは313系とは異なり、同年に装備されたキハ75形200・300・400・500番台と同一のものを使用、台車はキハ75形からヨーダンパを省略したボルスタレス式のC-DT64/C-TR252を採用、運転台のマスコンハンドルは手前に引く横軸式になった。この他、座席の枕カバーが0・100番台の黒からベージュに変更された他、車外へのバックミラーの取り付け方も0・100番台とは異なるものになった。2016年(平成28年)4月1日時点では、4両全車が名古屋車両区に配置され、名松線で単独1両で運用されている。2015年7月までは唯一トイレを持つ利点を活かして主に長距離列車の多い紀勢本線の多気以南で限定運用されていたが、同年8月よりキハ25形に置き換えられ本形式は紀勢本線や参宮線の運用から撤退した。紀勢本線の長距離列車で運用される時は、0・100番台と組み合わせ2両以上で使用されていた。同年3月ダイヤ改正時点において、ステンレス製が故に2015年度ではキハ11の中で唯一置き換え対象外になっている車両でもある。6両のうち2両(301・302)については2015年9月8日に東海交通事業が購入することを発表しており、301は同年9月11日付でJR東海から廃車となり、9月24日から城北線で運行が開始された。302も2016年3月11日付でJR東海から廃車となり、同年3月22日から城北線での営業運転を開始した。その302は、同年6月15日から側面を200番台と同じ車体色に変更している。2014年(平成26年)4月時点で、美濃太田車両区に17両、伊勢車両区に21両在籍し、東海交通事業が4両保有していたが、2015年3月1日の武豊線の直流電化に伴い、同線で使用していたキハ25形およびキハ75形について「主に高山線・太多線に転用する」とJR東海より発表があった。その後、2013年(平成25年)3月には、2014年度から2015年度にかけてキハ25形の2次車52両を順次投入し、国鉄時代に製造されたキハ40系列およびJR発足初期に製造された当系列を置き換えていく方針が発表された。太多線の運用はキハ40系列とともに2015年をもって消滅し、同線を走る列車はすべてキハ25形およびキハ75形に置き換えられた。運用を離脱したキハ11形のうち、廃車予定だった16両はキハ40系列共々ミャンマーへ譲渡されることになり、2015年3月のダイヤ改正後は、美濃太田車両区所属の100番台が伊勢車両区への転属目的やミャンマー鉄道省への譲渡目的での回送が始まった。同月22日に101・104・105の3両が伊勢車両区へ回送され、24日付で転属となり検査期限切れ間近な車両を置き換えた。同日に106・113・115・118 - 121の7両が名古屋臨海鉄道東港駅へ回送され同日付で廃車、31日にそのうちの6両がミャンマー鉄道省への譲渡のために名古屋臨海鉄道ND5529の推進運転により名古屋港岸壁に搬入された。また、8月1日にキハ25形2次車の紀勢本線・参宮線での運用が開始されたが故に、伊勢車両区で運用されていた5両(8・101・104・105・108。うち3両は美濃太田車両区からの転属車)も置き換えとなり、ミャンマー鉄道省への譲渡のために笠寺まで回送され、同月6日に東港・東名古屋港を経て名古屋港大江埠頭に搬送され同日付で廃車された。10月29日にも同じく伊勢車両区で運用された7両(1・2・4・5・107・109・110)が余剰となり、伊勢市→亀山→名古屋車両区の経路で回送され、同月30日付で廃車された。こちらも全車がミャンマーに譲渡されている。この他にも、後述のひたちなか海浜鉄道譲渡車 (123) を除き、2015年度に廃車された0番台・100番台はすべてミャンマーに譲渡された。ミャンマーにおいては、車両限界の違いより、冷房の室外機の部分のみ屋根の高さが下げられており、車両側面の中央上部に室外機からの通気口が設けられている。100番台の1両 (123) と、東海交通事業所有の200番台4両については、ひたちなか海浜鉄道へ譲渡された。2015年4月22日に123が美濃太田車両区から愛知機関区へ輸送され(同日付で廃車)、側線でヨ8925と203・204の2両とともに留置されていたが、3両が28日から30日にかけて陸送され、同日、ひたちなか海浜鉄道湊機関区へ到着した後にはミキ300 - 103にけん引されて機関庫に搬入された。同社は5月7日に購入を公式発表した。塗装がJR東海時代のオレンジと緑の帯から少し濃い目のオレンジ一色帯に変更されている。その後、必要最低限の改造工事ならびに整備・試運転、車番の改番(キハ11-123→5、203→6、204→7)を行い、12月30日の始発から順次営業運転を開始した。

出典:wikipedia

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