LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

モトリー・クルー

モトリー・クルー (Mötley Crüe) は、1981年にロサンゼルスで結成されたヘヴィメタルバンドである。結成以降、「セックス、ドラッグ&ロックンロール」を地で行くキャラクターでロックシーンを数々のゴシップで騒がせている。現在までに全米だけでアルバム総売り上げ2500万枚以上、全世界で8000万枚以上を売り上げている。1981年、ロサンゼルスのクラブシーンで活動していたバンドLondonから脱退したベーシストのニッキー・シックスは、自らのバンドを結成するべくSuite19のドラマー、トミー・リーを誘い、さらに雑誌広告を見てWhite HorseやVendettaなどの多くのローカルバンドでプレイしていたギタリストのミック・マーズと連絡を取る。ヴォーカリストにはRockandiのヴィンス・ニール(トミーの高校時代の友人でもあった)をマーズが気に入り、一度目のオーディションはすっぽかされたが二度目のオーディションを経て加入した。バンド名はマーズのアイデアMottley Cruをシックスが少し変えてMötley Crüeと決定。4月には自主制作シングル 'Stick Your Guns / Toast Of The Town' をリリース。12月に同じく自主制作による1stアルバム "Too Fast For Love" を発表。収録曲 '' はゲーム " に使用されている。この頃からドラッグ、アルコール漬けの日々を送っており、ヴァン・ヘイレンのデイヴィッド・リー・ロスやラットのスティーヴン・パーシー、ロビン・クロスビーらと共に自堕落なパーティを繰り広げていた。1982年、メジャーレーベルのエレクトラと契約、7月に "Too Fast For Love" をリミックスしなおし再リリースした。かつてのグラム・ロックのような派手なメイクにヘアスプレーで膨らませた髪、レザーのステージ衣装、ザクザクしたギターリフなど、彼らのスタイルは多くのフォロワーを生み出し「LAメタル」と呼ばれる一大ムーブメントとなった。1983年3月にキッスのサポートとしてツアーするもドラッグ・アルコール癖の酷さを理由に僅か数公演でクビになる。同年5月、『USフェスティバル』にヴァン・ヘイレン、オジー・オズボーン、スコーピオンズらと共に出演。この頃のステージ衣装は映画『マッドマックス2』や『ニューヨーク1997』からヒントを得たものだった。同年9月、2ndアルバム "Shout At The Devil" を発表。タイトル曲、ペンタグラムの描かれたアルバムジャケットから「彼らは悪魔主義だ」とPMRCから名指しで批判されたがバンドはこれを否定(ジャケットは後にメンバー4人の写真に変更)。アルバムは全米チャート最高17位を記録、プラチナムを獲得した。収録曲 '' はゲーム "Saints Row: The Third" に使用されている。1984年1月からオジー・オズボーンのサポートとして全米ツアー。4月からはサクソン、ラット、アクセプトなどをサポートにヘッドラインツアー。この頃シックスは友人であるラットのロビン・クロスビーと共同生活を始め、共にドラッグに溺れる生活を送っていた。8月、イギリスのドニントンで行われた『モンスターズ・オブ・ロック』にオープニング・アクトとして出演。10月、アイアン・メイデンのサポートとしてヨーロッパ・ツアー。12月8日、ニールが飲酒運転で起こした交通事故によりハノイ・ロックスのドラマーラズルが死亡。ハノイ・ロックス解散の原因となる。1985年1月、ニールが裁判所の命令でアルコールのリハビリセンターに30日間入所。6月、3rdアルバム "Theatre Of Pain" 発表。このアルバムは全米チャート最高6位を記録しプラチナム獲得。ステージ衣装はスパンコールをちりばめたグラマラスなものになりバンド・ロゴも一変した。(これ以降バンド・ロゴはアルバム発表ごとに変わっていく)この頃よりデビュー前から手を染めていたメンバーのドラッグ・アルコール問題が深刻になる。特にシックスのドラッグ中毒は深刻でヘロイン、コカイン等に金と時間を費やしていた。7月には初の来日公演。続く全米ツアーではY&Tがサポート。ツアー後半のサポート・アクトは日本のラウドネスが勤めた。1986年5月、リーが女優のヘザー・ロックリアと結婚。(1993年に離婚)6月、ニールが前年起こした事故のため入獄。(模範囚として19日後に出所)1987年5月、4thアルバム "Girls, Girls, Girls" 発表。メイクをやめステージ衣装もレザーを基調にしたワイルドなものになり、ブームとなっていたLAメタルからいち早く脱却したこのアルバムは全米チャート最高2位を記録。ワールドツアーではバック・コーラスに女性デュオ「ナスティ・ハビッツ」(ドナ・マクダニエル&エミ・キャニオン:1990年にマーズと結婚、1993年に離婚)を帯同、リーは360度回転するドラムセットで演奏。「ハイ・エナジー、ロー・IQ」と称されていて、本人も苦笑しつつ認めていた。ツアーのサポートは6月からホワイトスネイク、11月からはガンズ・アンド・ローゼズ。12月には二度目の来日公演。12月22日、シックスがラットのロビン・クロスビー、ガンズ・アンド・ローゼスのスラッシュらとのドラッグ・パーティーの途中、過剰摂取により心臓が一時停止してしまう。1988年1月、マシュー・ジョン・トリップなる男が「怪我をしたニッキーの代わりにベースを弾いていた、その間の報酬が支払われていない」と発言しバンドとマネージメントを訴え裁判になる(当然バンド側が勝訴)。1989年8月、ボン・ジョヴィ、オジー・オズボーン、スキッド・ロウ、スコーピオンズらとともに当時のソビエト連邦首都モスクワで行われた『モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル』に参加。9月にはメンバー全員がドラッグを絶ち、初めてシラフで制作された5thアルバム "Dr.Feelgood" を発表。エアロスミスのスティーヴン・タイラー、スキッド・ロウ、ブライアン・アダムスらがゲストとして参加したこのアルバムは遂に全米チャート第1位を記録し、アメリカだけで700万枚以上のセールスを記録した。収録曲の「ドクター・フィールグッド」と「キックスタート・マイ・ハート」はグラミー賞のベスト・ハード・ロック・パフォーマンスにノミネートされるも受賞は逃している。10月からのワールドツアーでは、ニールは白衣を羽織りナスティ・ハビッツはナース姿で歌い踊り、ナース姿の観客も見られることもあった。リーのステージ衣装は、ほぼTバックの黒のレザーブリーフ一丁というものであった。(サポート・アクトはホワイト・ライオン、スキッド・ロウ、ウォレント、ファスター・プッシーキャットなど)ツアーが始まる直前、出演した『MTV Video Music Awards '89』のバックステージでニールがガンズ・アンド・ローゼズのイジー・ストラドリンを殴り倒す。これを見て激昂したアクセル・ローズがメディアを通じてニールを挑発。険悪な仲となる。1990年5月には三度目の来日公演。シックスがプレイメイトのブランディ・ブラントと結婚。(1996年離婚)1991年8月、再び『モンスターズ・オブ・ロック』に出演。ヘッドライナーのAC/DC、この年に全米No1アルバム "Metallica" を発表していたメタリカの前の演奏だった。この年10月に結成10周年を記念したベストアルバム "Decade Of Decadence" 発表。全米チャート2位を記録。1992年2月、ヴィンス・ニール解雇。表向きの理由は「ヴィンスがバンド活動よりも趣味であるカーレースに没頭したため」であった。が、当時ニルヴァーナらグランジ勢によるヘヴィロックが音楽業界のメインストリームを席巻し始めていたため、これを意識したバンド側の音楽路線変更にニールが従わなかったことによる、と噂された。ニールは不当解雇の裁判を起こし、両者の中は険悪となった。ニールの後任にはのが決定。ニールはソロ活動を始め、1993年4月に1stアルバム "Exposed" を発表。全米チャート13位を記録した。1994年3月、メンバーチェンジ後初のアルバム(6thアルバム) "Mötley Crüe" を発表。全米チャート7位。明らかな当時の音楽シーンを意識した路線の変更、また新ヴォーカリストのコラビのイメージ、声質がモトリーらしさに合わなかったために、なかなかの佳作にもかかわらず今作はすぐにチャートから姿を消した。サウンドガーデンのキム・セイル は「彼らはこれを80年代に作るべきだった。」とコメントしている。6月から始まったワールド・ツアー(サポートはタイプ・オー・ネガティヴ、キングス・X)は不入りが続き途中で中止となった。11月、再びドラッグに手を染め始めたリーがドラッグの過剰摂取による緊急入院。12月、リーが付き合っていたモデルのボビー・ブラウンに暴力行為で訴えられ逮捕される。1995年2月、リーが女優のパメラ・アンダーソンと再婚。(2000年に離婚)8月、ニールが2ndアルバム "Carved In Stone" 発表。が直後にレーベルとの契約を失う。1996年12月、シックスがプレイメイトのドナ・デリコと結婚。(2007年離婚)1997年1月、ヴィンス・ニールがバンドに復帰。6月に7thアルバム "Generation Swine" 発表。(当初、ジョン・コラビのヴォーカルを前提として作られていたが、作業途中でニールの復帰が決定。ニールのヴォーカル・サポートとメンバー間の不仲を取り持つため、暫くはクビになった後のコラビもレコーディング作業に参加していた。)全米チャート4位。チープ・トリックとの全米ツアー中にニールが一時脱退するがすぐ復帰。1998年よりエレクトラ・レコードを離れ、自らのレーベルモトリー・レコードを設立。5月にリーが妻である女優パメラ・アンダーソンへの暴行容疑で投獄される。リー出所後の11月に2枚目のベストアルバム "Greatest Hits" をリリース。全米チャート20位。10月~99年3月までレイドロウ、ノイズ・セラピーをサポートに全米ツアー。ツアー中にリーが脱退をほのめかす。1999年4月、リーが正式に脱退。12月にリーはリンプ・ビズキットのフレッド・ダーストやキッド・ロック、ビースティ・ボーイズのミックス・マスター・マイクをゲストに "Method Of Mayhem" なるヒップホップ色の強いソロアルバムをリリース。バンドはリーの後任に元オジー・オズボーン・バンドでプレイしていたを迎え、『マキシマム・ロック・ツアー1999』でスコーピオンズとともに全米ツアー。2000年、5月にシックスのサイド・プロジェクト58、1stアルバム "Diet For A New Amrica" をリリース。6月、加入したばかりのランディ・カスティロが緊急入院。癌と診断される。7月にはカスティロ加入後初となるアルバム(8thアルバム) "New Tattoo" を発表。しかし全米チャートは41位と振るわなかった。サポート・ドラマーとして元ホールのを帯同し『マキシマム・ロック・ツアー2000』でメガデス、アンスラックスとともに全米ツアー。2001年バンドの自伝本、"The Dirt" 発売。2002年3月にカスティロが癌により死亡。5月、リーの2ndソロ・アルバム "Never A Dull Moment" リリース。2003年シックスは元L.A.ガンズのトレイシー・ガンズとともにブライズ・オブ・ディストラクション(Brides Of Destruction)を結成。モトリー・クルーの司令塔でもあるシックスが新バンドを結成したためバンドはほぼ解散状態となってしまう。ブライズは3月に1stアルバム "Here Come The Brides" 発表。がシックスはツアー終了後の12月に脱退。2004年にリーが復帰、2005年2月に3枚目のベストアルバム "Red White & Crue" をリリース。全米チャート6位。ツアー後半ではSum 41、シルバータイド等がサポートについた。10月、ローリング・ストーンズの『ア・ビガー・バン・ツアー』に2公演だけオープニング・アクトとして出演。2005年8月、リーの3rdソロ・アルバム "Tommyland:The Ride" リリース。9月、アメリカ南部を襲った超大型ハリケーン・カトリーナの被災者救済イベント『ReAct Now:Music&Relief』に賛同。リンキン・パークのチェスター・ベニントンをゲストに向かえた 'Home Sweet Home' を発表。 2006年4月、ライブアルバム "Carnival Of Sins" をリリース。9月にはエアロスミスと『ルート・オブ・イーブル・ツアー』で全米各所を廻る。2007年シックスが1986年~1987年までのドラッグ中毒だった自身の日記 "The Heroin Diaries : A Year In The Life Of A Shatterd Rock Star" を発表。同年8月にそのサウンドトラック "The Heroin Diaries Soundtrack" をDJアシュバ(現ガンズ・アンド・ローゼス)とプロデューサーのジェームス・マイケルとバンドを結成しリリース。2008年6月、8年ぶりとなる9thアルバム "Saints Of Los Angeles" リリース。オリジナルメンバーによるフルアルバムとしては、1997年発表の "Generation Swine" 以来、実に11年ぶりとなるこのアルバムは、全米チャート最高4位に。表題曲「セインツ・オブ・ロスアンゼルス」はグラミー賞のベスト・ハードロック・パフォーマンスにノミネートされた。7月からバックチェリー、パパ・ローチらと共に全米主要都市をツアーする『クルー・フェス』を開催。2009年7月からはドラウニング・プール、ゴッドスマックらと『クルー・フェス2』を開催。2010年6月ニールが3rdアルバム "Tattoos & Tequila" リリース。8月にはオジー・オズボーン、ロブ・ハルフォードらとオズフェストに出演。2011年3月シックス率いるSixx:A.M.が2ndアルバム "This Is Gonna Hurt" リリース。結成30周年を迎えたモトリー・クルーは同じく結成25周年のポイズンと共にニューヨーク・ドールズをゲストに迎え全米ツアー。9月には10度目の来日公演を行った。2012年2月、ラスベガスにて常駐公演。7月、新曲 'Sex' を配信限定で発売。キッスとダブルヘッドラインを組みアメリカツアーを開催。2013年8月、インタヴュー内で翌年度のツアーを以て、バンドの活動を終了することを仄めかした。ニールは、その理由を「デカいことがやれる最高の状態のうちに止めておきたいんだよ」としているが、一部には、マーズの健康上の問題と言う説も流れている。なお、再結成の可能性は示唆してはいるものの、キッスのように頻繁に行うつもりはないとも付け加えている。同年10月には、シックスからも解散についてのコメントが出されているが、解散ツアーの予定については、まだまだメンバー内で相談中であるとのことである。シックスは、解散する理由を「オリジナルメンバーが一部欠けたまま、客足が少ない状況で活動を続けるよりも、オリジナルメンバーがそろったままで解散するほうが、もっと嬉しいから」と説明している。2014年1月、7月からファイナルツアーを行うことが正式に発表された。当初は解散と報道されたが後に否定された。オリジナル・アルバムベストアルバムライブアルバムシングル

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。