リベラル・アーツ()とは、本項では上の両者について述べる。リベラル・アーツという表現の原義は「人を自由にする学問」であり、それを学ぶことで一般教養が身に付くもののことであり、こうした考え方の定義としての起源は古代ギリシアにまで遡る。欧米、とくにアメリカ合衆国では、主に専門職大学院に進学するための基礎教育としての性格も帯びているともされている。なお日本語の「藝術」という言葉は元来、明治時代に啓蒙家の西周によってリベラル・アートの訳語として造語されたものである。古代ローマにおいて、「技術」(ラテン語: ars)は、「機械的技術」(アルテス・メカニケー、artes mechanicae)と、「自由の諸技術」(アルテス・リベラレス、artes liberales)とに区別されていた。後者を英語に訳したものが「リベラル・アーツ」であるが、その科目や定義の起源は、古代ギリシアにまで遡る。プラトンは、体育、ムーシケー(文芸や詩歌、古代ギリシャにおける音楽)とは別に、哲学的問答を学ぶための準備として、17、18才までの少年時代に、第1科目として数論(1次元)と計算術の研究である算術、第2科目として平面(2次元)に関する研究である幾何学、第4科目として円運動に関する研究である天文学の4科目を特別に訓練する必要があると説いた。プラトン自身によれば、上記4科目の訓練は、手工業者などのための機械的技術の訓練と区別されるだけでなく、少年に対しても決して強制してはならず、自由な意思に基づくもので、何より自身が理想とする哲人国家論における統治者のための教育としての意味を有しており、「数学的諸学科の自由な学習」という意味合いであった。ところが、古代ギリシア社会においては、自由人とは、同時に「非奴隷」であり、兵役の義務も意味していたことから(そのため今日的な意味で「自由」の概念を捉えると、「自由(人)の諸技術」の定義はわかりにくいものになる)、この「数学的諸学科の自由な学習」が「自由の諸技術」としてとらえられるようになり、その後、ローマ時代の末期の5世紀後半から6世紀にかけて、7つの科目からなる「自由七科」(セプテム・アルテス・リベラレス、septem artes liberales)として正式に定義されるに至ったのである。自由七科はさらに、おもに言語にかかわる3科目の「三学」(トリウィウム、trivium)とおもに数学に関わる4科目の「四科」(クワードリウィウム、quadrivium)の2つに分けられる。それぞれの内訳は、三学が文法・修辞学・弁証法(論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽である。哲学は、この自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた。哲学はさらに神学の予備学として、論理的思考を教えるものとされる。この自由七科の編成は、キリスト教の理念に基づき教育内容を整えるため、ギリシア・ローマ以来の諸学が集大成されたものと見ることもできる。13世紀のヨーロッパで大学が誕生した当時、神学部、医学部などの専門職を養成するための学部では、学部に進む前の学問の科目として自由七科は公式に定められた。ヨーロッパ中世の大学では、学生はこれらの科目を哲学部ないし学芸学部で学習した。このため現在でもヨーロッパやその大学体系を引き継いだオーストラリアの大学では、哲学は文学部でなく、独立の学部である哲学部で教えられることがある。英米の大学ではしばしば、それぞれの学問を象徴として、講堂(オーディトリアム)の高みにぐるりと7つの学科を代表する女神の立像が飾られる。なお、アメリカのリベラル・アーツ教育についてはリベラル・アーツ・カレッジを参照のこと。大口邦雄は、著書『リベラル・アーツとは何か——その歴史的系譜』の中で、東京大学教養学部と国際基督教大学 (ICU) 教養学部を日本におけるリベラル・アーツ教育機関の代表としてあげている。前者の東京大学は、戦前の旧制高等学校の伝統を受け継ぐものである。旧制高等学校は戦後になって4年制大学に改組されると、多くの大学において教養部(一般教育課程・教養課程)がリベラル・アーツ教育の役目を担ってきた。しかし東京大学においては、教養部ではなく教養学部を独立した学部として設置した点で特徴的である。後者のICUは、米国のリベラル・アーツ・カレッジを範として戦後作られたものであり、小規模ながら人文科学・自然科学・社会科学の3領域を包摂した教育を行う点、そして米国リベラル教育学会の認定を受けるなど世界基準の教育を行う点で、旧来の大学とは一線を画すものとなった。リベラル・アーツ教育と国際性の2つを特徴とするICUの教育システムは、その後多くの大学にも引き継がれるようになる。また旧制高等学校からの歴史を持つ大学群に関して事例を挙げると、浦和高等学校を継ぐ埼玉大学は、当初設置の文理学部を1965年に教養学部へと改組した。この他の旧制高等学校からの歴史を持つ大学は、その教養部を学際系学部に改組してきている。京都大学総合人間学部(第三高等学校)、名古屋大学情報文化学部(第八高等学校)、広島大学総合科学部(広島高等学校)などをはじめ、学際系学部として独立している。また、首都大学東京都市教養学部も系譜を辿れば、旧制府立高等学校を前身とする。加えて、師範学校を前身とする国立の教育大学は、GHQの指示で米国のリベラル・アーツ・カレッジを範として戦後に設立された大学である。これらの大学は、自然科学、社会科学、人文科学および芸術の専攻から成る少人数教育を行なっており、1970年前後に国の方針で教育大学教育学部に改組する以前は、リベラル・アーツの訳語である自由学芸から引いた学芸大学学芸学部という名称であった。なお、東京学芸大学は教養系を、大阪教育大学は教養学科を設置し、現代的なリベラル・アーツ教育を行なっている。同様に、リベラル・アーツ・カレッジに範をとった津田塾大学は、現在も学芸学部という名称を使用している。21世紀に入ってからは、社会科学及び人文科学の専攻やビジネスの専攻に限定した(自然科学を専攻対象としない)国際教養学部等の設置が目立ち、その事例として早稲田大学での学部設置や、公立大学法人の国際教養大学の設立が挙げられる。本来は人文科学・自然科学・社会科学の3領域すべてを包摂するのがリベラル・アーツの基本であるが、日本においては、戦前の旧制高等学校の「文科と理科」及び戦後の高等学校の「文系と理系」の分類が先行し、「リベラル・アーツ」を掲げつつもいわゆる文系分野が主たる領域となって、3領域すべてをカバーしないなど、取り扱う分野に偏りがある場合もある。特に自然科学については、専攻として設けられていないことが多い。上記のように、旧来の一般教育・教養課程を改組することでリベラル・アーツ教育(もしくはリベラルアーツと直接の関わりを必ずしも明示しない学際教育)を担う学部・プログラムを設置する大学が少なくない。その豊かな教員構成を活用して、これらから敷衍されうる分野も扱われるようになった。この他、全学での単位互換を行うといった制度への取り組みも挙げられる。なお一部で「教養学」という言葉を、学問の体系化された分野として用いることがあるが、「教養学」という名称を「学問の一分野」として用いた学術団体は、2012年時点で存在していない。例として2011年に設立された学術団体であるJAILA(日本国際教養学会)を挙げると、同会は会則で「学際的立場」を基礎としており、「学際的な学会」として研究活動を「哲学、歴史、社会科学、自然科学、芸術、教育、外国語、環境など」の多方面に広げている点を示しているのみである。東京経済・岡山・高知・九州の4大学のプログラムは独立した学部ではなく、全学部が協力して教育を行う特別なコースとなっている。学生には個別の学部ではなく、プログラム独自の学生証が発行される。東京都八王子市にある大学セミナー・ハウスのシンボルマークは白地に緑の切り株であるが、それについている7枚の葉は自由七科を表している。
出典:wikipedia
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