エレファントカシマシ(THE ELEPHANT KASHIMASHI、ELEPHANT KASHIMASHI)は、日本のロックバンド。1981年結成。音楽誌ロッキング・オン・ジャパンにて、破格の新人衝撃のデビューの見出しで大々的に紙面に取り上げられる。アマチュア時代の楽曲を含むセルフタイトルが冠せられたファーストアルバムは、ストレートかつオーソドックスなメロディーとサウンドではあったが、洋楽ロックからの借り物でありながら日本語であることを不自然に感じさせないという点で新鮮味があり、宮本浩次というアーティストの才気を充分に感じさせる作品であった。セカンドアルバム以降、政治への強い関心や、文学作品からの影響を受けた宮本の独裁的とも言える姿勢をより顕著にバンドの楽曲に反映させることになった。2作目のアルバム「エレファントカシマシII」では、資本主義社会の中で追い詰められる人間の姿を真正面から取り上げ、社会の不条理をヘヴィーなサウンドと共に提示して見せた。3作目のアルバム「浮世の夢」では浮世絵収集家でもある宮本が、高度経済成長期がもたらした、故郷である東京への破壊行為とも言うべき変化への憤りと、当時の日本のバブル経済への不信から、敬愛する文学者である永井荷風的な思想を現代に持ち込み、日本風のメロディーと共に表現した。4作目「生活」では詩作の面でフランスの詩人、シャルル・ボードレールからの影響等が随所に見られる。一聴して詩を叫んでいるだけにしか聞こえかねない危険性をはらんでいる楽曲群であるが、ブルーズロックやフォークミュージックにわずかばかりのポップなメロディーを融合させた、エレカシ史上における最もアバンギャルドな作品となった。5作目「エレファントカシマシ5」では前作「生活」の歌詞において重要視された詩情の美しさではなく、身近な言葉で歌詞がつづられており、前作の実験的プログレッシブな音像をさらに推し進め、メロディーは格段に親しみやすいものとなった。6作目「奴隷天国」では、これまで発表されたアルバムの売り上げの不振により、レコード会社との契約の問題等、現実的な問題を突きつけられ、宮本浩次の理想主義的な作品作りが困難な局面を迎える。この為、表題曲「奴隷天国」を始め、歌詞の内容に攻撃的な要素が多く含まれる。レコード会社との契約切れが決定的なものとなった状況で、エピック時代に於ける最後の7作目のアルバム「東京の空」が発表される。歌詞の内容は哲学的、内省的な要素を含みながらも、より卑近になり、ポップな方向に振り切ったアルバムとなった。この作品が現在のキャリアまで続くバンド8作目の一大転機作「ココロに花を」の礎となった。7枚のアルバムを発表したエピック・ソニーとの契約切れ、再デビュー以降のポニー・キャニオン時代はポピュラーミュージックを目指し、親しみやすいメロディーから大衆にも受け入れられ、商業的に成果を上げた。また、多数のテレビ出演により、CDの売り上げ以上に知名度を獲得することに成功した。打ち込み主体のオルタナティヴ・ロックや、インダストリアル・ロック、また緻密なアレンジのポップスといった方向への転換など、アルバムごとにサウンドの印象を大きく変化させ、実験的な試みを作品の制作に常に導入している。バンド名は、漫才トリオのかしまし娘と、映画『エレファント・マン』のインパクト、音が気に入って遊び半分でつけられ、それ以上の意味はないような内輪ノリだったという。ROCKIN'ON JAPANの編集長山崎洋一郎や渋谷陽一らに常に高く評価されている(ちなみにこの両名は『CHERRY BOYS』と称してポニーキャニオン以降のアルバムのクレジット欄にSpecial thanksとして記されることとなる)。影響を受けたミュージシャンは多く、2003年にはトリビュートアルバム『花男』が発売された。日比谷野外音楽堂でのコンサートが定例行事となっており、1990年以来毎年行われている。公式ファンクラブは「PAO」。1981年に北区立赤羽台中学校1年6組の石森と冨永を中心とする中学の同級生で結成され、中学3年時に宮本が加入した(ギターとベース、女子のオルガンとマネージャー)。当初は6人編成であった。ディープ・パープル、レインボー、RCサクセションのコピーから初められた。翌年EastWestの地区予選に参加し、「デーデ」「やさしさ」等のオリジナル曲を演奏し、初ステージを踏む。新宿JAMなど」でライヴ活動を展開していた。1986年、冨永の高校時代の同級生だった高緑が加入し、現在のメンバーとなる。同年12月、CBS SONY SDオーディションに入賞。デビューのきっかけをつかみ、双啓舎と契約。デビュー前に行われたイベントでは、観客が拍手をしたり声援を送ったりすると、「うるせぇ!」などとボーカルの宮本浩次が観客に毒づく場面があり、来場していた観客も戸惑いを隠せなかった。イベントで共演したHOUND DOGからTシャツにサインを求められた際、ロゴマークを塗りつぶした挙句、「バカ」とサインしたうえ、ライターで火をつけて投げ返すなど、ステージの内外によらず傍若無人の振る舞いでデビュー後も異彩を放つことになる。これに関しては酔っ払っていたこともあり、後に宮本は謝罪に行ったという。1988年、エピック・ソニーよりシングル「デーデ/ポリスター」、アルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』でデビュー。ロッキング・オンの渋谷陽一が個人的な感想として、サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」を聴いた時以来の衝撃だと紙面で語っている。主にローリング・ストーンズ、T.REXなどの洋楽ロックから日本のロックバンドであるRCサクセションの影響と見られる楽曲が並ぶ。中には忌野清志郎そのものを彷彿とさせる様な歌唱を披露する曲も登場する。歌詞の面ではロックの定型文的な反語表現も散見されるものの、日常の根源的なテーマを見つめ歌にする姿勢が非常に高いレベルで表現されていることは驚異である。宮本本人もインタビューで、今でもファーストアルバムの曲を作った10代の頃と全く同じ気持ちで歌うことが出来る、それぐらい俺の作る曲はクオリティーが高いと豪語する程である。これらの曲は現在でもコンサートで頻繁に演奏されるが、近年のエレファントカシマシの音楽プロデューサーであり、サポートメンバーとしてステージに立つ蔦谷好位置のキーボードの演出によって華やかな彩りが加えられている。また、曲の性質を鑑みればある意味では当然と言えるものの、1960年代のイギリスやアメリカのロックバンドがコンサートの終わりに必ずチャック・ベリーの曲を演奏した時代の様な雰囲気を想起させる、観客一体型となる大円団の好もしい印象を与えている。これらの事実はバンドの長年に渡る継続的な活動で獲得された貴重な財産であり、一朝一夕のロックバンドに出来る芸当ではない。アルバムのラストを飾る「花男」での内に籠ったエネルギーを爆発させるような宮本の歌唱はエレカシの特異なスタイルの最初の完成であり、オリジナリティーという点で傑出している。また、ライヴで披露される溜め歌唱はエレカシならではの独特のステージングとしてファンに認知されている。この後のセカンドアルバムに繋がる萌芽が見られる曲である。2作目のアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI II』はファーストアルバムにあった思い切りのいい、ストレートなロックナンバーは影を潜め、内面の苦悩を吐露するような激情や沈鬱な曲で占められたアルバムとなった。しかし、作者である宮本浩次にはアルバム1曲目に収録された「優しい川」で描かれたような困窮した生活を強いられた形跡は無く、歌詞の重要な部分である「とどのつまりはすみに追いやられ訳もわからずただ泣き寝入り」というフレーズから、曲の主人公に明確な迫害者は存在せず、社会システムという曖昧な存在によって迫害されていることを示唆している。また、この歌詞の内容は決して他人事ではなく聴き手自身へ向けられた問題提起だと強く訴えかける意図がある曲である。宮本曰く「人を不幸のどん底に叩き落としてこそ、はじめて光が見える」ということである。2曲目に収録された「おはようこんにちは」と共に感情を叩き付けるかの如きヘヴィーなギターリフと宮本の絶叫歌唱が聴く者に畏怖の念を抱かせる。また、このアルバムはアメリカのシアトル出身のオルタナティブ・ロックバンド、ニルヴァーナより先んじていたと評されることもあり、エレカシ最高傑作の呼び声も高い。3枚目のアルバム『浮世の夢』から歌詞に文語が入り、厭世的な歌が多くなっていった。1990年に、ボーカルの宮本自身が青春と語る4枚目のアルバム『生活』を発表。1992年、宮本の生活の変化が反映された5枚目のアルバム『エレファントカシマシ5』を発表する。1枚目のアルバムと同様の勢いを求め、ディレクターやメンバーは宮本に対し激しいロックチューンを要求する。それに対し宮本が答えを出したアルバムが1993年発表の『奴隷天国』である。売り上げ不振で契約が危うくなる反面、多くのリスナーへ自分たちの音楽を届けたいという思いが強まり、バンドの士気も高まっていった1994年、近藤等則、Dr.kyOn(ボガンボス)らのゲストミュージシャンを迎え、オーケストラやオーバーダビングなどを取り入れた7枚目のアルバム『東京の空』を発表する。バンド初となるプロモーション・ビデオを制作するなど宣伝活動にも力を入れたが、これを最後にエピック・ソニーとの契約を打ち切られる。その後しばらく存続していた所属事務所「双啓舎」も、レコード会社数社から新たな契約の打診があった矢先、解散となる。デビュー当初の彼らのライブにおけるスタイルは、客を座らせ、SEはなしという非常に簡素かつ異質なスタイルであり、客電をつけたままライブが行われたことすらあった。当時のグッズとしてはしりあがり寿のイラストによる歌詞集『エレファントカシマシの詩』や手ぬぐい、シャツなどが有名である。エピック時代のバンド名は、正しくは「エレファント カシマシ」と間には半角スペースを入れる。こうして一旦メジャーから遠ざかるが、その間も曲作りやライブは地道に行っていた。そしてロッキング・オンの渋谷陽一や山崎洋一郎の協力により、新事務所FAITH A&R(現フェイスミュージックエンタテインメント)と契約、1996年、ポニーキャニオンよりシングル「悲しみの果て/四月の風」をリリースして再デビュー。エピック・ソニー時代とは打って変わったタイアップ路線や、宮本浩次を中心としたメンバーのメディアへの積極的露出により売り上げを伸ばす。なお、『悲しみの果て』以降のバンド名は「エレファントカシマシ」とスペースなしのものになっている。1997年にフジテレビのドラマ『月の輝く夜だから』の主題歌として発売された「今宵の月のように」は80万枚を超える大ヒットとなる。「今宵の月のように」が収録されたアルバム「明日に向かって走れ-月夜の歌-」は50万枚を売り上げた。ポニー・キャニオンからは『ココロに花を』「明日に向かって走れ-月夜の歌-」『愛と夢』の3枚のアルバムを発表。当時のエピソードとして、ミックスの済んだ曲をウォークマンで聞きながら渋谷を歩いていた宮本が、整然とトリートメントされた、いかにもメジャーというような音質にいらだち、その場に叩き付けたという。1999年、フェイス傘下のバリアフリーレーベルとポニーキャニオンとの契約が終了したのに伴い、バリアフリーレーベルごと東芝EMIに移籍。1999年にはシングル「ガストロンジャー」、2000年には、ほぼ宮本のソロアルバムとも呼べる打ち込みを多用した『good morning』を発表。またこの時期の宮本は音楽活動と平行して執筆活動やドラマ『フレンズ』出演などを精力的にこなし多彩な才能を発揮した。2002年には小林武史をプロデューサーに迎えたアルバム『ライフ』を発表。緻密なアレンジによる、穏やかで色彩豊かな世界を作り上げた。しかし同年末には再びセルフプロデュースに戻り、よりシンプルなバンドサウンドへと回帰した、初のミニアルバム『DEAD OR ALIVE』を発表。またこの頃から「音楽バラエティ番組での面白いキャラクター」へと定着したことへの反省から、メディアへの露出を極力控えるようになる。2003年にはセルフプロデュースによるアルバム『俺の道』を発表、バンドサウンドへの回帰は決定的なものとなる。2004年にはシングル「化ケモノ青年/生きている証」、熊谷昭を共同プロデューサーに迎え、アルバム『扉』を発表。そのアルバムの製作過程を密着取材したドキュメンタリーフィルム『扉の向こう』(是枝裕和プロデュース作品)は、テレビやミニシアターで上映され、DVDでも発売された。同年9月にはアルバム『風』を発表。2005年には初のライブアルバム『野音 秋』『日本 夏』をそれぞれファンクラブやインターネットを通じて発売。2006年3月に冨永義之が慢性硬膜下血腫を発症、3月2日に手術し完治。3月29日、佐久間正英プロデュースによるニューアルバム『町を見下ろす丘』を発売。その際、「シグナル/今をかきならせ」が初の配信限定シングルとなった。2007年よりユニバーサルミュージックへ移籍。これについて宮本浩次は「新しいレコード会社のスタッフと出会うことにより、バンド内の空気も攪拌され新たな気持ちで活動することが出来るようになった」等と述べている。11月21日に移籍第一弾シングル「俺たちの明日」をリリース、同曲はYANAGIMANがプロデュースを手がけ、ハウス食品の「ウコンの力」のCMのタイアップ曲となっている。またC/Wの「さよならパーティー」は蔦谷好位置がプロデュースを務めている。所属レコード会社の意向もあり、東芝EMI所属時代の後期に比べると、積極的なプロモーション活動を行うようになっている。2008年1月1日にシングル「笑顔の未来へ」を発表。同曲は引き続き蔦谷好位置がプロデューサーとなっている。1月30日にレーベル移籍後初のニューアルバム『STARTING OVER』を発売。さらに3月5日には亀田誠治をプロデューサーに迎え、桜をモチーフとした作品「桜の花、舞い上がる道を」を発売。10月1日に引き続き亀田誠治プロデュースによる「新しい季節へキミと」を発売。2009年3月18日にはシングル「絆」を発売。この作品は映画『相棒』のスピンオフ作品である『鑑識・米沢守の事件簿』の主題歌となる。同年4月29日にはアルバム『昇れる太陽』を発表し、オリコン週間チャート3位を獲得。2009年9月16日、日比谷野音でのライブが20周年を迎えることを記念し、移籍前の3社からそれぞれ選曲したベスト・アルバムを3枚同時に、また2009年4月11日に8年ぶりに行われた武道館ライブを完全収録したDVD『桜の花舞い上がる武道館』を同時に発表。2009年9月30日、廃盤・生産中止となり入手困難となっていたアルバム『奴隷天国』、DVD『コンサート1998 日本武道館"風に吹かれて"』『ビデオクリップ集 "クリップス"』、ポニーキャニオン時代のオリジナルアルバム3作のHQCD仕様、当初CCCDで発売されていた『DEAD OR ALIVE』『俺の道』のCD-DA盤が、各社より連続再版、発売された。2010年3月17日、2009年に行われた日比谷野外大音楽堂の2日間のライブを収録したDVD、『2009年10月24,25日 日比谷野外音楽堂』を発売。エレファントカシマシにとって日比谷野音の映像化はこれが初めてである。5月12日、シングル「幸せよ、この指にとまれ」を発売。11月17日、20作目のアルバム『悪魔のささやき〜そして、心に火を灯す旅〜』を発表。2012年5月9日、映画『のぼうの城』の主題歌(エンディング)を担当することが発表された。5月30日、21作目のアルバム『MASTERPIECE』発表。2012年9月1日に宮本の左耳が聞こえなくなり、急性感音難聴と診断された。同月5日に手術を受け回復し、日常生活に支障はなかったものの、聴力が安定していないことなどを理由に、10月2日、グループの公式サイトでライブ活動休止の報告をした。これによって、2013年の日本武道館での公演を含め、当面のライブ活動は休止となった。2013年9月14日、日比谷野音劇場にて「復活の野音」を開催し活動再開した。シングル「あなたへ」リリース。2014年1月11日、デビュー25周年記念ライヴとして、自身の最大規模であるさいたまスーパーアリーナにてワンマン開催された。2014年4月9日、TBS系列の月曜ミステリーシアター 『ホワイト・ラボ〜警視庁特別科学捜査班〜』の主題歌を担当することが発表された。2000年に発売された「so many people」以来、約14年ぶりのドラマ主題歌となる。6月11日、その主題歌「Destiny」がリリースされた。2015年1月3日・4日、2デイズ公演としては15年ぶりである日本武道館新春ライブが開催された。2015年9月23日に発売された47thシングル「愛すべき今日」がオリコン10月5日付 週間シングルランキング9位を獲得した。シングルTOP10入りは、15thシングル「今宵の月のように」が1997年9月29日付で8位を獲得して以来、18年ぶり2作目となった。※最高順位空白は100位圏外
出典:wikipedia
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