『ルパン三世』(ルパンさんせい)は、アニメ『ルパン三世』の作品群の内、連続テレビシリーズとして1971年10月24日-1972年3月26日に本放送したシリーズ。後続するシリーズとの識別のため、タイトルに第1シリーズ・第1期などと付記することがある。また、製作会社のトムス・エンタテインメントはソフト化以降、『ルパン三世 1st series』としている。レギュラーメンバー全員が揃うことの方が少ない。初めに演出のオファーを受けたのは芝山努だったが、当時『天才バカボン』の製作に加わっていたため、『TV第1シリーズ』に先んじて製作されたパイロットフィルム版の制作のみに留まる。代わって人形劇などを手がけていた異色の演出家、大隅正秋に演出が依頼される。製作会社東京ムービーの当時の社長藤岡豊が、大隅の演出した『オバケのQ太郎』のオープニングを気に入っていたからである。藤岡より「初の大人向けのアニメを作ろう」と言われた大隅は意気投合し、「中学生以下の視聴層は全くターゲットにしていなかった」と語っていた。原作のアダルトな雰囲気が強く出た作風に、当初アニメ化に難色を示していた原作者モンキー・パンチにも、パイロットフィルムを見た後に「ぜひやってくれ」と言わしめた。大隅は絵が描けないため、作画監督として芝山努の元同僚、大塚康生が抜擢される。当時、東映動画に所属していた大塚は、東映を退社して東京ムービーの下請けをやっていたAプロダクションに移籍した。そして、大隅・大塚両者の話し合いでテレビ用のルパン三世や峰不二子の人物造形が決まった。パイロットフィルムでのルパンの声は、1969年製作の劇場用シネマスコープサイズ版を野沢那智が、1971年頃製作のテレビ用スタンダードサイズ版を広川太一郎が演じていたが、野沢・広川ともにスケジュールの都合上出演が難しく、新たにテレビ用の声優を選ぶことになった。演出の大隅が色々な芝居の舞台を見て回った結果、山田康雄が選ばれた。大隅のイメージするルパンは、「しらけ世代の人物」で、祖父の多くの財宝を受け継ぎ、大邸宅に住み、物や金でアクセクせず、倦怠(アンニュイ)をまぎらわすためにときたま泥棒をし、場合によっては敵対する相手を手にかける事にも躊躇しない、という設定だった。飄々としていながら時にニヒルで、どこか暗さのある舞台上の山田は、まさに大隅のイメージするルパン像にぴったりだった。パイロットフィルム製作から2年たち、ようやく大阪のよみうりテレビからTVアニメ化することが決定される。この様な試行を経て大人向けに製作され、そして新聞広告などにも大人向けとして広告されたそれまでにないアニメとしてスタートしたが、視聴率は厳しいものとなる。当時、アニメは作ればたいていの場合はある程度の視聴率が取れると考えられていた時代(例えば、同じ東京ムービーの作品の巨人の星などは20%を超えていた)だったが、初回6%、その後も3%などといった桁違いに低い視聴率をとり、即打ち切りも仕方ない状況だった(同局の歴代ワースト記録で、今も破られていない)。ひとつの原因としては、大人向けと広告したのが、1970年代の家庭での倫理観にそぐわず、意識的に子供に見せまいとした親側の圧力などが考えられていた。初回から峰不二子の衣装作画やルパンとのからみ、退廃的な世界観は現代の視点でも扇情的なものであったが、作品の内容そのものはそこまでアダルトではなかった。第3話の視聴率が出ると、よみうりテレビサイドやスポンサーは、東京ムービー社長藤岡と大隅を大阪に急遽呼び「この低視聴率はどういうことだ」「子供に人気がない」と問いただした。大隅は「大人向けのアニメを作ったまで」と率直に答えたが、対照的に藤岡は「今後は子供向けに改善して立て直す」と約束した。その帰りに藤岡が大隅に「今後、子供向けの内容でやってくれないか?」と依頼したが、大隅は「じゃあ子供向けにやって、人気が出る確証はあるんですか?」と反論し「それでは自分は降ろさせてもらう」と番組降板を切り出した。この日を境に、大隅はスタジオに全く入ってない為、引継ぎなどは全くされなかった。大隅は「誰もこのあと引き継ぐやつなんていないだろう」と考えていた。以降の話も見ず、十数年以上ルパンについての取材も断り続けた。岐路に立たされた大塚は、東映で一緒に子供向けアニメを作っていた高畑勲と宮崎駿(当時東京ムービーの専属下請け会社であったAプロダクション(後のシンエイ動画)に在籍していた)2人に演出を依頼した。両名は以後原作の影響の強いハード・タッチの作風を中盤以降、徐々に低年齢層向けに軌道修正していく。しかし、大隅降板時点ですでにほとんど完成していたフィルムや、それ以前に発注済だった脚本・絵コンテ・作画もあったため、どこまでが大隅演出でどこからがAプロダクション演出かは、厳密には区別できない。高畑・宮崎両名で出来うる限りコンテや脚本を見直したりしたが、時間的に変更が不可能だった話もあったためでもあった(一応、演出クレジットは1-6、9、12話が大隅正秋名義となっている)。4-8、12話は高畑・宮崎コンビによる部分直しやコミカルな演出で、一般的にはAプロ演出と思われている7話の後半は大隅の指示を受けた出崎統によるもの、6話と9話は基本的には大隅演出のままということである。ストーリー的には、犯罪者を主人公とすることを嫌う高畑にはどうしても6話と9話は大きく変えることはできなかったと本人が回想している。完全にAプロダクション演出になったのは、宮崎によるキャラクターの性格変更が行われた13話以降であるが、絵は大隅演出時代のものと思しきものも流用されている。宮崎は後年、大隅時代からAプロ時代のルパン像の変化を、“富裕の倦怠を紛らわすために泥棒をする退廃したフランス貴族の末裔から、常にスカンピンで何かオモシロイことはないかと目をギョロつかせているイタリア系の貧乏人への変化”と称している。高畑勲、宮崎駿演出のルパンは、視聴率は9%程度と序盤よりは安定していったものの、約半年後の全23話で放送が打ち切りとなった。しかし、数年後の各局での再放送で、夕方の放送枠にもかかわらず、局によっては20%台という異例の高い視聴率を叩き出し評価が高まり、その質が改めて評価されることとなった。ただし、大隅は後年、再放送の人気が高まった理由を当時のテレビ局で聞いた際、「余計な説明をしていない、新しさが未だにある」など、視聴率が低かった理由と全く同じであった、と語っており、再放送の人気が高まった理由は、必ずしも宮崎・高畑両名の参加による路線変更のみによるもととは言えない。そして本放送終了から約5年後、再放送時の人気を背景として新作アニメ(『TV第2シリーズ』)が製作される事になった。宮崎駿は、劇場版『ルパン三世 カリオストロの城』や『TV第2シリーズ』での2作は「第1シリーズでやったことの総棚ざらえ」と称している。『TV第1シリーズ』については「ぼくらはまぎれもなくハングリーだった。スカッとしたおもしろい仕事をやりたいという願望と気力はいくらでもあったのだ」と意欲が強かったことを語っている。しかし「放映中の路線変更は製作を混乱させ、テレビアニメーションの技法が停滞した時期もあって、画面は乱れ、完成度は低く、技術的に見るところのない作品であった」と評している。再放送で人気を得た理由を「ベンツに乗るルパンと大衆車のフィアットに乗るルパンがせめぎあい、結果として番組に活力をもたらしたのが原因では」と語っている。なお前番組の『巨人の星』からのスタッフが多く流れていた。そのためにスタッフの一人に峰不二子を描かせると同番組の登場人物であった星明子と瓜二つの容姿になってしまったという逸話も残っている。オープニングテーマおよびエンディングテーマのタイトルは、放送当時から長年にわたってファンを混乱させる元となっていた。放送当時のシングルレコードはテイチクと朝日ソノラマから発売されたが、テイチクではエンディングテーマに、朝日ソノラマではオープニングテーマに「ルパン三世その1」のタイトルが付けられている。後に様々なレコード会社から発売されるようになって以降も、発売元によってテイチクに準ずる場合と朝日ソノラマに準ずる場合があった。コロムビアに至っては、発売時期によってタイトルが逆転したこともある。なお、現在は以下の各欄に最初に記したものが正式なタイトルとしてJASRACに登録されているが、CDの種類によっては資料価値を考慮して意図的に旧タイトルを表記している場合もある。また、レコード用音源の編曲者は馬飼野康二で、放送当時のシングルには表記されていたのだが、その後表記されないことが多かったため、山下毅雄が自ら編曲したと誤解されていた時期もある(TV用は山下自身が編曲)。オープニングテーマは全23話の中で何度も変更され、再放送やビデオ化の際にも一部差し替えが行われていた。また、当時の資料が一部散逸しているため、初回放送時の正確な使用状況については、公式な記録が現存しない。以下に記した使用状況は、初回放送時に最も近いと思われるDVD版のもの。なお、作詞のクレジットは東京ムービー企画部で、個人名は記載されていない。近年、第15話にスチュワーデス役でゲスト出演した音楽評論家の吉見佑子が自身のツイッターにて「2万円だか3万円とかのギャラもらってバイトで書いた歌詞」と述べているが、詳細は不明。ちなみに、奥田民生によってカバーされている(シングル「イージュー★ライダー」のカップリング曲)。朝日ソノラマから録りおろしドラマ「魔術師パイカル」を収録したソノシート(品番AM-32)が発売された。第2話を元にしているが、パイカル役は村越伊知郎で、銭形が登場するなど展開が一部異なる。ドラマ部分はCD化されていないが、セリフが被っていなかったBGMが「ルパン三世 '71 ME TRACKS」に収録されている。山下毅雄によるサウンドトラックは、放送直後よりそのマスターテープが紛失しているため、完全な形でのレコード化あるいはCD化が不可能な状態となっている。それでも『TV第1シリーズ』を彩った音楽の音源化を望むファンは絶えず、代替案として過去に3つの企画盤が発売されている。ルパン三世officialマガジンでは、早川ナオヤによるコミカライズ版が連載されており、このうち、第1話から第4話と第17話がコミカライズ化されている。1話から4話は、アニメに忠実な作りになっている。ただし、第4話のコミカライズ版に関しては、一部の台詞に変更が加えられている。17話は、不二子の視点で描いたコミカライズ作品となっている。物語の構成自体は同じだが、印刷したお札が、ルパンの手によって紙幣として使い物にならないようにいたずらされていた事を知って、不二子が本気で悔しがるというシーンが最後のページに加えられている。放送系列は当時のもの。2004年7月、BS放送局・WOWOWにて日本で初となる高画質のハイビジョン・リニューアルマスター版が放送された。以前発売されたDVDでは当時の時代背景を考慮した上でオリジナルのまま収録されていたのに対し、ハイビジョンリマスター版では原版である32mmネガフィルムよりHDネガテレシネを行い、修復することでより鮮明のある画質になっており、これが後に『デジタルリマスター』と呼ばれるようになった。近年ではCS放送のキッズステーションや独立局で本作のHDリマスター版が放送されている。当アニメの放送開始は1971年であるが、この年は独立局の1つである千葉テレビ放送(チバテレ)が開局した年でもある。2016年の開局45周年にあたり、チバテレで2016年10月より記念番組として当アニメが放送されることになった。
出典:wikipedia
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