黒田 鉄山(くろだ てつざん 1950年 - )は、埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれの武術家。第15代振武舘宗家。幼少より祖父(黒田泰治)や父(黒田繁樹)から家伝の古武道5流派を学び、現在でも伝承している。「動きを消すこと」をキーワードとして古武道の研鑽と研究を積む。『月刊秘伝』の連載『鉄山に訊け』で読者の質問に答えるコーナーが人気を博している。1950年、埼玉県大宮市(現さいたま市)で、父・黒田繁樹の元に生まれる。曾祖父の幼名「鉄之助」や祖父の号「鉄心齋」や永田鉄山に「鉄」の文字が使われていたことから、それにあやかって「鉄山」と名づけられた。幼い頃から大人に交じって稽古に参加しており、本人も具体的にいつから稽古を始めたかは覚えていない。少年時代は、厳しく育てられることもなく、成績もいたって普通だったという。この頃は、武術よりも漫画に興味を持ち、自分で漫画を描くほどだった。中学、高校時代は剣道部に所属していたが、自身の学んでいた振武舘の剣術とは違っていたため、最初は苦労したという。試合のときも、軽い打ち方があだとなり、審判になかなか一本をとってもらえなかった。ただ、本人は剣道に対して本気で打ち込んでおらず、中学時代は練習をサボることが多かった。また、剣道部も高校2年のときに退部してしまった。さらに受験勉強の忙しさから、自宅での武術の稽古にも参加しなかった。結局、武術の稽古を本格的に始めるのは大学進学後になってからになる。本人によれば、この頃、勉強や稽古を強制されたことはなかったという。1968年に法政大学の法学部に進学したが、大学紛争が頻発したせいで授業が休講になることが多くなったため、武術の稽古に参加するようになった。この頃は、力任せの厳しい稽古が多く、道場を辞めるもの多かったが、逆に厳しい稽古が評判になり、生徒は集まっていた。同年3月、先輩の知り合いの道場開きに祖父と共に招かれた為、そこで剣術と居合の型を披露した。しかし、切附を抜いたときに、柄に左手を沿えることが出来なかった。鉄山本人は、その失敗をすぐに忘れてしまったが、帰宅前に立ち寄った飲み屋で祖父・泰治にそれを指摘されてしまう。鉄山は、型の披露で失敗しながらも、その場を誤魔化して他人に褒められて得意になっていた自分に腹を立てた。これが切っ掛けで、本格的に武術の稽古に邁進するようになった。自身の失敗を指摘された翌日、鉄山は道場の雑巾がけをはじめた。そして、掃除を終えて改めて刀を抜くと、どうしても刀の切っ先が鞘に引っかかってしまうことに気づいた。その後は、刀を抜く動作だけを繰り返し稽古するようになった。その稽古は厳しく、刀が汗で錆びてしまうほどで、錆び落としが毎日の習慣となっていた。そして、鉄山に実力がついてくる様子を見た泰治はそれを喜び、大日本武徳会に推薦状を送り、鉄山に古武道の称号を取らせてしまった。そして鉄山は、19歳のときに教士号を、20歳のときには古武道八段範士号を賜った。ただし、発行した大日本武徳会は戦前の大日本武徳会とは関係がない任意団体である。また、鉄山自身、自分の稽古に全く納得していなかったという。40代半ばになると、弟子から自身の動きがあまりにも速すぎると指摘されるようになった。その後、祖父・泰治の動きが撮影された8ミリフィルムを見た際に、物理的な速さではないことに気づいた。その後、柔術にも力をいれるようになり、体が柔らかくなっていくことにも気づいた。そして、弟子からは気配が消えたと指摘されるようになった。本人によれば、そこまで到達できたのは祖父の残した型があったからだという。黒田鉄山は勝負事や強い弱いには関心が薄いと自ら述べている武術家である。彼の関心は家伝の武術を通した武術的身体の探求にある。彼は武術的身体を次のように定義している。武術的身体の獲得を可能にするのが型の稽古である。黒田は「型は実戦の雛形ではない」という。戦いの中で型の順序そのままに動くことには意味がない。型は身体の運用理論であり、実戦に対応するための動きを作り上げる手段(方便)である。型には一般的、日常的な動作から離れた身体運動を要求してくる部分がある。慣れてしまった日常的な動きから離れるのはとても難しいことであるが、型の要求どおりに正しく動こうとすることで動きの質が変化する。逆に、表面の動きだけを似せて自分の動きやすいように動いてしまうと、型は形骸化する。黒田が道場主を務める振武舘においては剣術、柔術、居合術が三位一体であるとされている。順体、無足、等速度などの身体操作をそれぞれの武術の中で学んでゆき、それらが一体となって武術的身体が形成される。振武舘の柔術は相手を投げる、極めるという結果を重視したものではない。剣を相手にした身体の使い方及び剣を扱うための「斬りの体捌き」を学ぶことを重視している。「柔術が先行して剣術を引っ張っていく」とも言われる。剣の世界においては、ふんばったり居付いたりすることは斬られることになるため避けねばならない。そのため絶対に力をいれず、相手の力にぶつからず柔らかく相手を崩すことを訓練する。基本となる稽古法に、床を蹴らずにその場で前回り受身を行う「無足の受身」がある。床を蹴らなければほとんど前進しないため、たたみ一畳で何十回と回転することができる。一畳での回転数を徐々に増やしてゆくことが稽古の指標になる。剣術では太刀だけでなく、十手、小太刀、薙刀など様々な武器の扱いを学ぶ。これらの武器を手先で振り回したり叩きつけたりすることを否定し、無拍子の斬りの体捌きで扱う術理が剣術の根底に流れている。居合は剣術中の精髄とも言われ、難度が高い術技である。刀の抜き方は「右手で抜かない」ことが基本となる。右手で抜かず体捌きで抜くことが大きな斬撃力を生み出す。しかし居合術は単に鞘から刀を速く抜くだけの技術ではない。相手は既に刀を抜いており、自分は未だ抜いていないという居合の想定する条件は、自分に不利なものである。また基本となる座構えも、動きが制限されて不利であるかに見える。不利を覆す術理を型の中で学ぶのである。最終的には刀を抜かずに相手を制する(太刀を捨てる)ことを目指す。剣を持った相手を棒で制御する体捌きを訓練する。棒で剣を受けないという特徴がある。極め技や当身などの殺法と、身体の不具合を矯正する活法。一般には教授されていない。
出典:wikipedia
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