道摩法師(どうまほうし)は、平安時代の呪術師、非官人の陰陽師。一般的には、蘆屋道満(あしや どうまん、蘆屋は芦屋とも書く)として知られる。なお、蘆屋道満は別人であるという説も存在する。江戸時代の地誌『播磨鑑』によると播磨国岸村(現兵庫県加古川市西神吉町岸)の出身とされる。また播磨国の民間陰陽師集団出身ともいわれる。陰陽道の祖とされる安倍晴明とライバル関係にあった。晴明に勝るとも劣らないほどの呪術力を持つとされ、安倍晴明が藤原道長お抱えの陰陽師であったのに対し、蘆屋道満は藤原顕光お抱えの陰陽師であった。道満は藤原道長の政敵である左大臣藤原顕光に道長への呪祖を命じられたとされる。式神対決で晴明に敗れ、播磨へ追放された。室町時代の播磨の地誌である『峰相記(ほうしょうき)』には、藤原顕光に呪詛を依頼された蘆谷道満は安倍晴明にこれを見破られたために播磨に流され、道満の子孫が瀬戸内海寄りの英賀・三宅方面に移り住み陰陽師の業を継いだと記されている。阿倍晴明伝説が全国的に拡散したのと同様、蘆谷道満伝説も大規模に拡がっており、日本各地に「蘆屋塚」「道満塚」「道満井」の類が数多く残っている。歌舞伎・浄瑠璃の作品では竹田出雲の「芦屋道満大内鑑」(葛の葉で知られる)が有名である(全5段)。蘆屋道満は悪役として描かれることが多い。安倍晴明の父である安倍保名と芦屋道満はともに天文博士・賀茂保憲(917-977)を師匠としているが、二人による後継者争いが物語の枠である。しかしこの後継者争いのモデルとなった事実は、『続古事談』に記載のある出来事で、それによれば、賀茂保憲が陰陽道のうちの暦道をその子の賀茂光栄に、また天文道を安倍晴明に継がせたことが、陰陽道宗家を二分する結果になり、安倍晴明と賀茂光栄がどちらが師匠の賀茂保憲に器重されたについての論争をしたということである。
出典:wikipedia
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