第75回東京箱根間往復大学駅伝競走(だい75かいとうきょうはこねかんおうふくだいがくえきでんきょうそう)とは、1999年1月2日から1月3日までに開催された第75回目の東京箱根間往復大学駅伝競走である。前回大会でシード権を獲得した9校及び前年の10月25日に大井埠頭で45大学が参加して行われた予選会で上位6校となった東海大学、帝京大学、東洋大学、中央学院大学、日本体育大学、法政大学が出場した。箱根駅伝の常連校であった専修大学は10年ぶりに出場を逃した。大会前は、山梨学院大学、3連覇を狙う神奈川大学、前哨戦となった前年の出雲駅伝、全日本大学駅伝をいずれも制し、初の総合優勝かつ史上2校目の大学駅伝三冠を狙う駒澤大学が優勝候補として挙げられ、YKK対決と評された。1区では混戦の中から拓殖大学4年の東勝博が区間賞を取った。拓殖大学は大学史上初めての区間賞獲得し、鶴見中継所をトップでタスキリレー。優勝候補の目された3校のうち神奈川大は3年小松直人が3秒差の区間2位、駒澤大も3年西田隆維が同タイムの区間3位でタスキリレーを行う。2区では順天堂大学4年の三代直樹が1年岩水嘉孝から8位でタスキを受け取ると、日本大学3年の山本佑樹や山梨学院大学3年の古田哲弘との対決を制し、1995年に早稲田大学の渡辺康幸が出した区間記録を4年ぶりに更新した。この走りで7人抜きも果たし、先頭争いをしていた駒澤大4年の佐藤裕之を17キロ過ぎで突き放し、戸塚中継所を7年ぶり4回目のトップでタスキリレー。山本は順位を7位から4位に上げたものの、区間6位と不本意な成績に終わり、古田に至っては不調だったためか区間最下位に終わり、14位にまで順位を落とし、山梨学院大は優勝争いから脱落した。また、神奈川大も渡辺聡が区間12位のブレーキで10位にまで順位を落としてしまう。反対に、法政大学3年の坪田智夫は区間3位、5人抜きの快走で5位に浮上。早稲田大学4年の山崎慎治も区間4位、5人抜きの快走で6位に浮上するなど、それぞれ健闘した。順大は3区で1年の入船満が区間3位の力走でトップで平塚中継所に入った。ここで2位の駒澤大との差を2分19秒に広げた。神奈川大の野々口修が区間賞を獲得し、6位に浮上する。しかし、4区ではエース区間の2区でなく4区にエントリーした駒澤大4年の藤田敦史が15キロ過ぎで順大4年の大橋真一を一気に交わして、トップに立ち、小田原中継所では逆に順大に1分7秒差をつけ、1995年に早大の小林雅幸が出した区間記録を更新した。なお、この記録は2005年まで更新されず、2006年に4区のコースが短縮されたため、藤田の記録は事実上不滅の記録となった。山梨学院大学の西川は6人抜きの快走で、8位に浮上。5区では駒澤大は1年神屋伸行が区間2位の力走で、そのままトップを守り大学史上初の往路優勝を果たし、2位順大とは1分50秒差をつけた。3位には5区で1年柴田真一が区間賞を取った東海大学が3分21秒差で入った。3連覇を目指した神奈川大は前年5区を走り往路優勝の立役者となった2年勝間信弥が序盤からペースが上がらず区間12位に終わり、6位で8分6秒差と大きく離された。また、山梨学院大も前年区間賞を獲得している横田一仁が区間8位と振るわず、8位となった。なお、8位の山梨学院大から15位の中央学院大学までの8大学が駒澤大から10分以上の差が付いたため、復路繰り上げ一斉スタートとなった。6区では駒澤大は4年連続の山下りとなった4年河合芳隆が堅実な走りで初めて小田原中継所をトップでタスキリレー。前回区間新記録を出した神奈川大の4年中澤晃が自身の記録を30秒以上縮める区間新記録を樹立した。一方、7位でスタートした早稲田大は4年新妻明が足の故障のアクシデントで最高点付近で一斉スタートの8大学に一気に抜かれて、小田原中継所まで何とか走り切ったものの、見た目順位で最下位に転落、タイム上の順位でもシード権外の10位にまで順位を落としてしまう。一方、一斉スタート組では東洋大学の3年多田裕志が区間2位の力走で、タイム上の順位は12位のままであったが、早稲田大、日大を抜き、見た目順位を6番手にまで順位を上げ、大東文化大学も1年金子宣隆が区間3位の力走で、見た目順位を7番手、タイム上でも7位に順位を上げる。7区では、駒澤大は3年前田康弘が区間3位の力走で初めて平塚中継所をトップでタスキリレー。この時点で2位順大と1分52秒差をつける。往路で大幅に出遅れ、6区でも振るわなかった山梨学院大はケニアからの留学生で4年のソロモン・ワチーラを起用したが、トップから既に10分以上の差がついていた。なお、ワチーラは3度箱根駅伝を走ったが、ついに1度も区間賞を獲得することが出来なかった。7区では、拓殖大の吉田行宏が区間賞を獲得した。駒澤大学は8区でも史上初めてトップでタスキリレーを実施。しかし、2位の順大1年奥田真一郎が駒澤大との差を58秒差にまでつめる。8区では、神奈川大の1年相馬雄太が区間賞の走りで、並走していた中央大を10キロ過ぎで引き離すと、16キロ過ぎの遊行寺坂付近で前を行く東海大を一気に交わして3位に浮上したが、戸塚中継所時点で1位の駒澤大とは4分26秒差がついており、事実上、この時点で優勝争いは2校に絞られた。9区では、順大2年エースの高橋謙介が10キロ過ぎで駒澤大4年の北田初男に追いつくと、16.5キロ過ぎで北田を引き離し、順大の浜野健が持っていた9区の区間記録を更新し、駒澤大との差を1分33秒に広げて、アンカーにつないだ。鶴見中継所では中央学院大と法政大学が繰り上げスタートとなった。中央学院大は8秒差でタスキをつなげず、中継地点付近の直線で仲間の姿が見える距離であった。10区でも、順大2年宮崎展仁が区間賞の走りで後続の駒澤大との差を広げ、4分46秒差をつけて順大が復路逆転優勝を果たした。なお、この年からルートの変更が行われ日本橋経由となっている。駒澤大は2位に終わり、初の総合優勝かつ史上2校目の大学駅伝三冠はならなかった。3連覇を目指した神奈川大は復路2位と健闘したものの、往路での出遅れが響き、総合3位に終わる。中央大は区間賞こそなかったものの、各ランナーが無難な走りを見せ、3年連続の総合4位となった。往路3位の東海大は復路でも粘り、総合5位と2年ぶりのシード権を獲得。シード権争いは、往路12位で鶴見中継所でもタイム上12位のままであった東洋大が10区で3年柏原誠司が区間4位の走りで、3つ順位を上げ、シード権最後のイスを獲得し、逆に鶴見中継所でもタイム上9位であった早稲田大が4年増田創至が7キロ過ぎからペースを落とし始め、16.6キロ過ぎでついにタイム上でも東洋大を下回るようになり、ゴール地点では40秒差でシード権を逃した。見た目の順位では分からない状態の中でのシード権争いであった。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。