ウェンディーズ()は、アメリカ合衆国で創業した、ハンバーガーを中心とするファーストフード・チェーンである。創業者はデイヴ・トーマス。2015年現在の米国での運営法人は「The Wendy's Company」(ウェンディーズ・カンパニー)。日本をはじめとする世界26か国に店舗を展開。本社はアメリカ合衆国オハイオ州ダブリン市デイヴ・トーマス通り1番地(英語表記: One Dave Thomas Boulevard, Dublin, Ohio, United States)に所在する。ウェンディーズ・レストランの1号店は1969年11月15日にオハイオ州コロンバス市に開店し、1985年までに3,000店以上を擁するチェーンに拡大するなど速い成長をみせた。しかし、1980年代中頃には業績が悪化、1989年、デイヴ・トーマスは引退し、ウェンディーズ向けのコマーシャルを始めるなど、2002年に亡くなるまでレストランの再建に力を尽くした。2010年現在は全26ヶ国で6650店舗を展開している。「ウェンディーズ」という屋号は、当時 「ウェンディ(Wendy)」 のニックネームで呼ばれたデイヴ・トーマスの娘メリンダ・ルー・トーマスにちなんでいる。当初は「ウィンダ(Winda)」だったそうだが、本人にとって発音が難しかった為ウェンディに変えたと言う。「QUALITY IS OUR RECIPE(品質は私たちのレシピ)」をスローガンに掲げていたが現在は異なるスローガンを使用している。なおこのスローガンは商標登録されており、マークにも使用されている。国際的に掲げているテーマは「Real」「Fresh」。1995年、カナダ最大のファストフード及びコーヒー・ドーナツのチェーン店、ティムホートンズと合併し、「Wendy's International, Inc.」となった。それ以来、ウェンディーズ・レストランに加え、ティムホートンズの店舗をアメリカ合衆国で展開。2006年のティムホートンズ独立後、2008年には「Arby's Restaurant Group」を保有する「Triarc Companies, Inc.」に買収される。同社は社名を「Wendy's/Arby's Group, Inc.」と変更して事業を展開していたが、2011年からはアービーズ事業の大半を売却し、社名を「The Wendy's Company, Inc.」としている。日本では1980年(昭和55年)から事業展開されたが、2009年(平成21年)末をもって撤退となった。その後2011年(平成23年)12月、別の事業者により日本での営業が再開された。日本での歴史は1970年代後半、ダイエー創業者の中内功が、米国を視察した際にWendy'sの存在を知り感激し、早速日本での展開を指示したところから始まる。この時点で、ダイエーグループには、ハンバーガーショップチェーンドムドムを運営する「株式会社ドムドム」があったためにWendy'sの受け皿としてこの会社が選ばれた。株式会社ドムドムは、米Wendy'sとフランチャイジー契約を結ぶにあたり「株式会社ウェンコ・ジャパン」と社名変更、社内にドムドム事業部とウェンディーズ事業部を設けた。このフランチャイジー契約には、売上高や店舗数などの年次目標値が設定されていたため、後に利益の足を引っ張ることになる。当時、米Wendy's社は、一国に一つのフランチャイジーしか認めておらず、このフランチャイジーは Wenco XX (XXは国名)を名乗る旨の条件があったと推察される。ちなみに、Wenco Japan とは、Wendy's corporation Japanの略とされる。ウェンコ・ジャパンは、1980年(昭和55年)に東京都中央区銀座7丁目の中央通り沿いに第1号店となる「銀座店」を出店。2号店は東京・表参道に同年中に開店した「原宿店」(渋谷区神宮前4丁目)であった。次いで、東京・青山の青山通り沿いに「青山店」(港区北青山3丁目)が開店した。これら、全国的に知名度の高い場所に開店した初めの3店舗は、以後の販売促進活動において「銀座・原宿・青山でお馴染みのウェンディーズ」などとして代表的な店舗として扱われ、その後の事業展開は東京都心を中心とする極端なドミナント出店であり、またテレビコマーシャルを一切行わない方針がとられていた。ドミナント戦略の結果、展開5年後の1985年(昭和60年)時点で、東京23区外の店舗は、神奈川県横浜市の伊勢佐木町店、元町店、鎌倉市の江ノ島店(初代)、千葉県船橋市の船橋店、埼玉県所沢市の所沢店のみであった。このうち元町店と江ノ島店はほどなく閉店した。バブル期の1980年代後半には、店舗の入居時の賃料や保証金が重くのしかかり、売上はそこそこあっても利益が出ない体質の店舗が目立ち始め、前述の2店舗の他、阿佐ヶ谷店、虎ノ門店、下北沢店、武蔵野店などが閉店した。この頃、3年間の期間限定で山口県岩国市に岩国店があった。これは岩国飛行場に駐留するアメリカ海兵隊がファストフード店を誘致するにあたり、隊員の投票によりWendy'sが選ばれ出店を要請されたという経緯があり、ドミナントから遠く離れたエリアであったが、これに応えて出店したものである。1990年(平成2年)、神奈川県横浜市に数年振りの新規出店となる横浜ビジネスパーク店を開業、以降神奈川県東部(横浜市、川崎市、横須賀市)にもゆるやかなドミナントを形成した出店を進めることとなり、特に横須賀店は米軍横須賀基地のすぐ近くのショッパーズプラザ横須賀の表に出店し、アメリカ人客が多く利用し入れ替わりの激しいテナントの中でも開店以来、好売り上げをあげる店となった。同年、関西第1号店となる兵庫駅前店を兵庫県神戸市に出店。以降、第3のドミナントとして神戸市内での出店を加速させる。ちなみにこの兵庫駅前店はドムドムからの転換店舗の国内第1号でもあった。ウェンディーズの出店を加速させるためにドムドムからの転換は多数計画されていたが、ウェンディーズとドムドムとでは収益率に違いが大きく、実際に転換されたのは横浜の青葉台店など数店舗に留まった。そのためか、ダイエー京橋店や所沢店など、ドムドムとウェンディーズの双方が同一ショッピングセンター内に入居するような場所もできてしまい、これらはウェンディーズの売却後は競合店舗となってしまうこととなる。1997年(平成9年)3月、ドムドム事業部の一切を同じダイエーグループの株式会社ダイエーファーストフーズサービスに譲渡(同社はこれを機に株式会社オレンジフードコートに社名変更)。これにより株式会社ウェンコ・ジャパンはウェンディーズの単独運営会社となったが、ドムドムから見れば正に「軒を貸して母屋を取られる」こととなった(もっとも、オレンジフードコートの社長にはウェンコ・ジャパンの社長であった谷口俊彦が就任し、役員もドムドム事業部出身者が大半を占めたため、実質的にはドムドムがダイエーファーストフーズサービスを吸収したようなものであった)。1990年代末期、全国で100店舗体制を達成。米Wendy's社との契約事項に100店舗出店があったためバブル期以後は撤退店舗はなかったが、これ以降スクラップ&ビルドを繰り返し店舗数はこれを下回っていた。このうち、ドミナントから大きく離れた香川県は2002年(平成14年)、岡山県は2005年(平成17年)に店舗が消滅(両県ともダイエー店舗内の1店舗しかなかった。香川県はダイエー屋島店内にあったが、ダイエーがウェンコ・ジャパンを売却する以前に撤退、その後にマクドナルドが入ったが、ダイエーの閉店により同店も閉鎖)している。なお、2008年(平成20年)11月26日に開店したプレ葉ウォーク浜北店(静岡県浜松市)が最後の出店となった。ウェンコ・ジャパンは2002年(平成14年)12月、ダイエーの経営危機に伴う子会社の整理により、同じダイエーグループだったビッグボーイともどもゼンショーに売却された。ウェブサイトのURIは、ダイエー傘下の株式会社ウェンコ・ジャパン時代は、「www.wenco-japan.co.jp」であった。身売り後は、社名が「株式会社日本ウェンディーズ」になったことに伴い「www.nihon-wendies.co.jp」に変更された。現在どちらのURIもインターネット上には存在しない。親会社のゼンショーは2009年(平成21年)12月10日、米国ウェンディーズ・アービーズグループとのフランチャイジー(FC)契約が同年12月末で期間満了となるのを機に、契約を継続せず年内で全事業を終了し全71店を閉店すると発表した。なお、ウェンディーズ自体の営業成績は黒字だった。他社への売却も検討されたとされるが、この時には間に合わなかった。2010年(平成22年)6月23日、「ウェンディーズ」を展開している事業会社(アジア・太平洋地域を担当する子会社)は、日本全国で店舗展開できるパートナーを募集すると発表。世界第2位の外食市場、日本には潜在力が内在しているとして再参入を決めたということで、可能なかぎり早い時期のオープンを目指していた。翌2011年(平成23年)3月3日、米国「ドミノ・ピザ」を日本市場に定着させた株式会社ヒガ・インダストリーズが、米国ウェンディーズ・アービーズグループとの資本業務提携を発表。ダイエー・ゼンショー時代とは異なり、今回は、フランチャイズ契約を結ばず、2011年(平成23年)4月に合弁会社の「ウェンディーズ・ジャパン合同会社」を設立し、合弁会社が日本法人として活動しウェンディーズを日本で事業展開する。その為、ヒガ・インダストリーズの合弁会社への出資が大半を占める。この体制はアメリカのウェンディーズ社にとって世界で初めての試みとなった。合弁会社の社長は、ヒガ・インダストリーズの代表取締役会長である比嘉が兼務している。国際で掲げているテーマ「Real」「Fresh」の他に「Premium」というウェンディーズ・ジャパン独自のテーマを加えた。ウェンディーズ・ジャパン合同会社は2011年(平成23年)12月27日、東京・表参道(渋谷区神宮前5丁目)に再進出1号店となる「表参道店」を開店した。以降、合弁会社が直営店を多数出店する予定である。また、合同会社をFC本部としたフランチャイズ事業にも着手する計画もある。ダイエー・ゼンショー時代のウェンディーズのイメージを全体的に変更、高級路線を打ち出し客単価の向上を目指している。かつて使用されていた黄色と赤色が基調の全国共通の店舗を今回は使用せず、日本独自の店舗を開発。高品質のレストランと安くて早いファーストフードの間の位置づけの「ファストカジュアル」型の店舗を作り出し、上質なハンバーガーを心地よく、落ち着いた環境で食べることが出来る店内作りを掲げている。バンズは、前回進出時よりサクサクとしている。プロジェクト・ゴールド・ハンバーガーやチリポテト・ベイクドポテト・サラダなどの従来のメニューも提供する、更にフォアグラ・ロッシーニを初めとした「Japan Premium」を名乗る4種類の日本限定のスペシャルハンバーガーも販売する。2014年(平成26年)11月28日、レコード会社やホテル運営会社を傘下に持つレッド・プラネット・ジャパン社との業務提携を発表した。「マグノリア・ベーカリー」などを傘下にもつレッド社との間で、顧客の取り込み、多店舗展開、新たな商品群の提案などで協力を行っていく。ただし店舗展開は遅々として進まず、表参道店は既に閉店し、2016年4月現在は曙橋店、六本木店、上野浅草口店の3店舗で営業中。単独店は曙橋店のみで、他はファーストキッチンとのコラボレーション店舗である。
出典:wikipedia
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