アルナ車両株式会社(アルナしゃりょう、英称:"ALNA SHARYO CO., LTD.")は、主に軌道線向けの車両製造および鉄道車両の改造、整備を行う企業。路面電車車両の国内トップメーカーとして高いシェアを誇っている。阪急阪神ホールディングス(旧阪急電鉄)の連結子会社で、阪急阪神東宝グループに属する。2001年12月に設立後、2002年4月1日に旧アルナ工機株式会社から軌道線向け車両製造・保守事業と鉄道線向け車両保守事業を会社分割(吸収分割)により承継した。本項目ではアルナ工機株式会社についても説明する。1947年(昭和22年)、現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道の創始者・小林一三らにより、戦争復員技術者の雇用確保を図るべく、関西地盤の大手私鉄・京阪神急行電鉄(後の阪急電鉄)の子会社としてナニワ工機株式会社が設立され、鉄軌道車両の製造を手がけた。社名の「ナニワ工機」は、創業当時の本社所在地の住所表記が「兵庫県尼崎市北難波(きたなにわ)」であったことに由来してつけられたとされる。川崎重工業・武庫川車両工業(現・阪神車両メンテナンス)と並んで兵庫県内の鉄道車両メーカーの一角をなしていた。ナニワ工機は阪急電鉄をはじめ、東京に進出した小林一三と親密な関係にあった初代根津嘉一郎の率いた東武鉄道に、後年に至るまで多くの納入実績を持ったほか、路面電車車両の製造においては特に多くの実績があった。また東京都交通局(都電・都営地下鉄)、大阪市交通局(大阪市電・大阪市営地下鉄)とも長期的な取引があった。1948年(昭和23年)、製造第一号車両となる阪急550形が完成。以後、1997年(平成9年)製造の8000系8040番台に至るまでの阪急電鉄の全車両を製造した。東武鉄道向けの最初の車両は、1951年(昭和26年)製造の5700系5710番台で、後のアルナ工機で最後に製造された通勤形電車となった30000系まで、数多くの車両を製造した。国鉄 (JR) 向けには1950年代頃に富士車輌・川崎車輌とグループを組んでヨ3500形やワム90000形などの貨車を製造していたが、電車や気動車などの旅客車を製造した実績はない。また、阪急以外の関西大手私鉄についても、昭和30年前後の一時期のみ京阪電気鉄道や南海電気鉄道向けに少数が製造されたに留まる。ナニワ工機時代、1954年製造の京阪神急行電鉄1000形を皮切りに準張殻構造の軽量車体を開発、親会社である京阪神急行電鉄向けの他、奈良電気鉄道デハボ1200・1350形電車(後の近鉄680系電車)、栗原電鉄M15・C15形、下津井電鉄モハ102・クハ22と、普通鋼製ながら極めて軽量の車体を備える車両を地方私鉄向けに相次いで設計・製造した。その他にも東京都交通局5500形や大阪市交通局3001形といった俗に和製PCC車と呼ばれる高性能路面電車の製造に参加し、トロリーバス向け車体の設計技術を応用した呉市交通局1000形(後の伊予鉄道モハ50形1001 - 1003)をはじめとする超軽量車を各社に供給するなど、路面電車製造の実績が大きく、これは後のアルナ工機解散→アルナ車両の設立に際しても経営方針に大きな影響を及ぼすこととなる。1950年代、軽量・堅牢な構造の鉄道車両、船舶、建築用のアルミサッシ窓を開発し、発売を開始した。アルミニウムの接合にフラッシュバット溶接を日本で初めて採用した「NK式(ナニワ式)窓」の愛称を持つアルミサッシ窓は、当時の国鉄をはじめとする多くの事業者に好まれ、この分野で圧倒的な市場シェアを獲得した。1960年頃からは住宅用建材の分野に参入。この頃から「アルミのナニワ」を略した商標「アルナ」をアルミサッシのブランド名として使用した。建材部門の業績が好調であった1970(昭和45)年には、この商標を社名に取り入れてアルナ工機株式会社と改称し、その後も金属加工製品分野を中心に事業拡大を続けた。宝塚歌劇団の宝塚大劇場における公演のフィナーレで出演者達がきらびやかな衣装で勢揃いする大階段も、かつては同社製作のものが使われていた。しかし、1990年(平成2年)に不採算部門となった建材部門をトーヨーサッシ(法人としては現・LIXILグループ。事業としては現・LIXIL)に売却。加えて1990年代後半には阪急、東武の私鉄2大納入先が新造車両の発注を手控えたことなどから大幅な業績悪化に見舞われ、2001年(平成13年)度には債務超過状態にまで追い込まれた。これを受け親会社の阪急電鉄は、同社の事業別分社化、および路面電車車両を除く鉄道車両の製造事業から撤退することを決定。新たに設立された「アルナ車両」「アルナ輸送機用品」および「アルナバン」(現在の「アルナ矢野特車」)の3社に、2002年(平成14年)4月1日付で事業を引き継ぎ、アルナ工機は清算会社となった。その後、アルナ輸送機用品とアルナ矢野特車は、資本関係の変更があったことにより阪急東宝グループ(現在の阪急阪神東宝グループ)を離れている。アルナ工機としての鉄道車両部門における最終製造車両は、黒部峡谷鉄道1000形客車。この車両は、1954年(昭和29年)に最初に製造されて以降、アルナ車両に事業が引き継がれた今日に至るまで長年にわたって度々製造されており、ナニワ工機、アルナ工機、アルナ車両と3代にわたって製造されている唯一の車両である。鉄道線向け車両製造については、現在は日立製作所笠戸事業所が事実上の受け皿となる形で阪急、東武両社に車両を納入している。アルナ車両は、2001年12月にアルナ輸送機用品、アルナバン(現・アルナ矢野特車)と共にアルナ工機の車両部門の一部事業を継承する会社として設立された。設立当初、阪急電鉄などの車両の保守・更新工事に特化した企業となる予定であったが、路面電車製造で約8割のシェアを占めていたことから運行事業者からの車両生産存続の要望が強く、分社実施の直前に軌道線型電車に限定しての生産継続が決定された。「アルナ」の商標権(登録商標第561058号ほか)も継承している。発足当初は兵庫県尼崎市の旧アルナ工機尼崎工場内に事業所を置いていたが、阪急電鉄正雀工場内の現在地に新しい生産設備が2004年(平成16年)4月に完成すると同時に移転している。現在では鉄道車両用のモーターや冷房装置、座席などの整備も手掛けている他、近年は阪急電鉄および阪神電鉄向けに他の車両メーカーと共同という形で鉄道線向け車両の製造実績やグループ外他社車両の車体修繕実績もある。
出典:wikipedia
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