南北線(なんぼくせん)は、東京都品川区の目黒駅から北区の赤羽岩淵駅を結ぶ東京地下鉄(東京メトロ)が運営する鉄道路線。鉄道要覧における名称は7号線南北線である。路線名の由来は、東京を南北に貫くことから。車体および路線図や乗り換え案内で使用されるラインカラーは「エメラルドグリーン」、路線記号はN。1968年(昭和43年)の都市交通審議会答申第10号において、東京7号線は、「目黒方面より飯倉片町、永田町、市ケ谷、駒込及び王子の各方面を経て赤羽方面に至る路線」として示された。1972年(昭和47年)の答申第15号では、将来の検討対象とされていた埼玉方面への延伸区間が川口市中央部…浦和市東部間と改められた。その後1985年(昭和60年)の運輸政策審議会答申第7号では、目黒 - 清正公前(現:白金高輪駅)間を都営三田線と共用するものとされ、また埼玉県内は鳩ヶ谷市中央経由で東川口から浦和市東部へと変更された。このうち、目黒 - 赤羽岩淵間が南北線として順次開業しており、また赤羽岩淵 - 浦和美園間は埼玉高速鉄道線として開業している。7号という路線番号が示すように、計画そのものは1960年代になされていたが、着工は大幅に遅れ、1991年(平成3年)に部分開業、2000年(平成12年)に全線開業した。後発路線のため、全体的に地中深い駅が多いのが特徴である。当初の建設計画では第1期工事区間を駒込 - 赤羽岩淵間、第2期工事区間を目黒 - 駒込間としていたが、第2期工事区間を溜池山王 - 駒込間(その1)、目黒-溜池山王間(その2)に分割したため、実際は3区間に分けて建設された。第1期区間は順調に建設がされたが、第2期区間は埋蔵文化財の発掘や住民の反対運動で建設は遅れ、当初の全線開業予定の1995年(平成7年)9月から2000年(平成12年)9月へと大きく延期されることとなった。また、第2期開業にあたっては駒込駅 - 溜池山王駅までを一気に開業させる予定であった。しかし、銀座線の新駅設置工事や丸ノ内線・千代田線の既設路線交差部において難工事となったため、工期に時間を要することとなった。本路線の建設費用は総額5,604億円である。内訳は土木関係費が4,136億4,517万9,000円、電気関係費が590億8,743万6,000円、車両関係費が302億4814万円、その他が574億1,924万5,000円となっている。本路線の路線名称は営団地下鉄職員より社内公募を行ったもので、応募は3,830通(341線名)があった。選考の結果、「南北線」が1,741通と約半数を占め、また本路線が地理上から、ほぼ南北に貫通していること、東西線に対比して南北方向の路線として最もふさわしい路線名称であることから「南北線」という路線名称が選ばれた。飯田橋駅 - 永田町駅間では有楽町線と並行しているが、有楽町線が麹町経由であるのに対して南北線は四ツ谷経由であることが異なっている。本路線の建設にあたっては、社会環境の大きな変化から、地下鉄の建設は経済性や採算性だけでは時代に合わなくなってきていることから「21世紀を指向する便利で快適な魅力ある地下鉄」を目指し、「7号ビジョン」と呼ばれる新しいコンセプトを基に建設をした。この7号ビジョンとしては「利便性の向上・快適性の向上」・「ワンマン運転の実施」・「ホームドアの設置」・「建設費・運営費の削減」を目指したものとした。前述のコンセプトに基づき、全線でATOによる自動運転とワンマン運転を実施しており、全駅にホームドアシステムを装備する。2015年現在東京地下鉄では唯一の天井までほぼ完全にホームを被う半密閉式フルスクリーンタイプ(ナブテスコ製)を採用した路線である。ただし東急管理の目黒駅のみ目黒線や東京メトロ他線と同様に可動式ホーム柵(京三製作所製)を採用している。このホームドアの開口幅は、ATO装置の定位置停止精度が前後 350 mm としていることから、最大の誤差を考慮した車両のドア幅 (1,300 mm) より 700 mm 広い 2,000 mm としている。ホームドアの開閉は左右扉がおのおのスライドする。ただし、先頭および最後尾車両の乗務員室寄りのドア片側は乗務員用扉との干渉を防ぐため2段スライドし開扉時の収納幅が約半分となる。各駅のプラットホームは、将来の8両化に対応できるよう延長 170 m が確保されている。ただし、現時点で不要な2両分のホームは使用せず、壁としている駅もある。白金台・白金高輪・溜池山王・永田町の各駅は8両分設置済みだが、これ以外の駅は6両分しか設置されていない。そのため、未使用部分が後楽園と王子の両駅は赤羽岩淵寄り、その他の駅は目黒寄りにあり、ホームドアの設置スペースと非常開ボタン(一部の駅のみ)が準備されているが、壁によって仕切られているため、立入りはできない(ただし、市ケ谷駅はエレベーター通路のみ使用している)。本路線の変電所は7か所で(ただし、1か所は将来の8両化時に設置)、将来的に予定されている8両編成による2分30秒運転にも対応できる。変電所は赤羽岩淵・王子・駒込・新後楽園・新四ツ谷・東六本木・白金があり、このうち王子・新四ツ谷・白金変電所には営団初の電力回生用インバータを設置している。南北線の最初の区間である駒込 - 赤羽岩淵間の開業時、他の営団地下鉄路線と全く連絡のない独立路線だったため、前述の都内の地下鉄では初めてのワンマン運転・ホームドア設置に加え、各種の実験的な試みがなされている。後のパスネットの基となるプリペイド式乗車カード「NSメトロカード」(1996年に「SFメトロカード」へ移行)を当初から導入した。また、赤羽岩淵・志茂・王子・駒込の各駅では「ふれあいコーナー」を設け、休憩用の椅子やテーブル、給茶機を設置して、お茶が自由に飲めるようになっていた。その後の路線延伸で、本駒込・東大前・市ケ谷・溜池山王・麻布十番の各駅においても同様のスペースが設けられたが、現在は本駒込・東大前・溜池山王の3駅にしかなく、給茶機も撤去されている。各駅区間は泥水加圧式シールド工法で建設されており、ほとんどの区間が複線シールド構造を採用しているが、一部区間では単線シールド構造を採用している。また、駅部は基本的に開削工法によって建設されているが、白金台駅および永田町駅は駅シールド工法によって建設された。永田町駅はメガネ形駅かんざし桁工法と呼ばれる単線シールドトンネル間にホームを建設し、「かんざし桁」を用いて両ホームを接続する工法を用いている。特に白金台駅および麻布十番駅付近の建設ではシールドトンネル掘削において「世界初」、「世界最大」となる技術を採用した。白金台駅の建設では世界初となる「着脱式泥水三連型駅シールド工法」を採用した。これは白金高輪駅 - 白金台駅にある白金換気所の立坑から複線シールドトンネルを掘削し、白金台駅部手前で両端に駅シールドマシンを装着し、三連形駅シールド機に改造して白金台駅部を掘削、駅終端部で複線シールド機に復元し、また複線シールド機として次の目黒駅まで掘削するものである。また、白金高輪駅 - 麻布十番駅の掘削では複線の本線と留置線(麻布十番駅付近にある留置線・3線区間 363.8 m)を3線同時に掘削する大断面シールド工事に世界最大(当時)の「抱き込み式親子泥水シールド工法」を採用した。これは3線シールド機(親機・外径 14.18 m)に複線シールド機(子機・外径 9.70 m)を内蔵したもので、麻布十番駅付近の留置線を3線シールド機で掘削し、その後は子機を使用した複線シールド機により白金高輪駅まで掘削を行うものである。この2つの技術を採用したことで、経済性に優れ、また環境保全対策に優れたものとして社団法人土木学会より平成10年度技術賞を受賞し、高く評価された。目黒 - 白金高輪間は東京都交通局が第二種鉄道事業者となり、都営三田線と共用で営業している。このため、運賃計算方法も同区間については東京地下鉄・東京都交通局間の協議により以下のように定められている。目黒駅から東急目黒線の日吉駅まで、赤羽岩淵駅から埼玉高速鉄道線(埼玉スタジアム線)の浦和美園駅までそれぞれ相互直通運転を実施している。また、先述の通り白金高輪駅 - 目黒駅間は都営三田線との共用区間のため、三田線の列車も走行する。そのため、白金高輪駅発着の電車は同駅で都営三田線の東急目黒線直通電車と接続するようになっており、また逆の列車もある。2006年9月25日より東急目黒線直通列車の一部が東急線内にて急行列車としての運行を開始したが、その後も南北線(および相互直通運転をしている埼玉高速鉄道線)内は全列車が各駅停車となっている。なお、南北線内での種別表示については目黒方面行きの急行列車のみ行われ、各駅停車においては行先のみ表示される。このため、日吉方面行きの各駅停車は目黒駅から「各停」と併記した行き先表示に切り替え、赤羽岩淵方面行き列車は目黒駅で「急行」・「各停」と併記されていた行き先表示から行き先のみの表示に切り替わる。2009年6月6日より埼玉高速鉄道線の日中ダイヤがパターン化されたことに伴い、日中は鳩ヶ谷駅・浦和美園駅発着の列車が交互に運転されるようになった。また、これに伴い、日中に鳩ヶ谷駅発着の急行列車が運転されるようになった。四ツ谷駅延伸開業を控えた1996年(平成8年)2月3日日曜日(休日ダイヤ運転日)より4両編成から6両編成での運転を開始した。当時の駒込駅 - 赤羽岩淵駅間のダイヤでは休日ダイヤでの運用本数が最も少なく、終日4本運用であった。そこで、2月3日から新規開業用に6両編成で新製した第09 - 13編成と4両から6両編成化した予備車両を用いて営業線用の車両を6両編成に置き換え、4両編成の車両は6両編成化の組み換え後に、順次営業運転に復帰させるという形がとられた。なお、当初の予定では目黒駅への延伸開業時に8両編成化をする計画であった。しかし、当初の利用者数の見込みが53万人であったのに対し、全線開業時の利用者数が半分以下の26万人程度と想定を大きく下回ったため、8両化に難色を示し、需要動向や運転計画の見直しを行い、当面は6両編成で運用することとなった(その後に直通運転を開始した埼玉高速鉄道側も「開業後の輸送量に不安がある」としてやはり開業当初からの8両編成化に難色を示していた。一方で東急と東京都交通局側は相互直通開始時に8両編成にする意向であった)。なお、8両編成化は今後の需要動向および神奈川東部方面線との絡み(および相模鉄道への相互直通運転)から検討を進めることとなった。主に行楽日となる休日を中心に臨時列車「みなとみらい号」が横浜高速鉄道みなとみらい線元町・中華街駅と埼玉高速鉄道線浦和美園駅の間に運転されていた。これには東急5080系が運用に就き、東京地下鉄の9000系は運用されていない(2007年春の運転分までは埼玉高速鉄道2000系が充当された)。2006年8月運転分までの停車駅は、当線と埼玉高速鉄道線・東急目黒線内が各駅停車、東横線とみなとみらい線が急行運転だったが、目黒線が急行運転を開始した後の同年12月運転分からは当線と埼玉高速鉄道線内が各駅停車、東急目黒線・東横線とみなとみらい線内が急行運転になった。なお、2005年2月11日に都営三田線高島平駅から「みなとみらい号」が運転された際には、王子神谷駅 - 白金高輪駅間で接続臨時列車「みなとみらいリレー号」が9000系を使用して運転された。また、2006年まで東京湾大華火祭の開催日にも有楽町線の新木場駅へ直通する臨時列車「レインボー号」が運転されていたが、こちらは9000系の転落防止器具取り付け車が運用にあたっていた。埼玉スタジアム2002でJリーグの試合や国際試合が開かれる際は、通常鳩ヶ谷駅発着の列車を浦和美園駅発着への変更、浦和美園駅発の市ケ谷駅や麻布十番駅で折り返す臨時列車の増発が行われる。どの列車がどの車両で運転されるかは列車番号で判別できるようになっており、列車番号末尾アルファベットの「S」が東京地下鉄車両(30S - 78Sの偶数番号)、「M」が埼玉高速車両(80M以降の偶数番号)、「K」が東急車両(01K - 29K)となっている(「T」は都交通局車両で31T以降の奇数)。また、列車番号が6桁の数字で組み立てられる目黒線内では上3桁が運用番号を表し、300番台は東京地下鉄車両、500番台は埼玉高速車両、200番台は東急車両となっており(400番台は都交通局車両)、例えば「30S」は目黒線内は「330」となる。一般の利用者は列車番号を『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)の列車番号欄で確認することができる。なお、東急車両の運用は三田線運用と南北線・埼玉高速線運用とで別々に組まれ、奇数番号が三田線運用、偶数番号が南北線・埼玉高速線運用となっている。また各社局間の走行距離調整の関係上、埼玉高速車両と東急車両は目黒線に乗り入れない列車(白金高輪折り返しなど)にも使用されている。また2014年1月時点でのダイヤでは、東京地下鉄車両は1本が東急の奥沢車庫で夜間留置となる「外泊運用」が組まれている。本路線最初の区間(駒込駅 - 赤羽岩淵駅)の開業時には、他路線との接続がないことから、9000系車両は最初に綾瀬検車区に搬入し、受取検査・整備等を実施、その後千代田線で性能確認のための試運転を実施した。そして、綾瀬検車区よりトレーラーで王子検車区まで道路輸送をし、同検車区でクレーンを用いて地下の南北線へと搬入された。(4両編成で搬入された第01 - 08編成が該当する)営団地下鉄で、道路輸送・クレーンによる地下への車両搬入は1964年(昭和39年)に東西線の最初の開業区間である高田馬場 - 九段下間開業時以来、27年ぶりである。なお、1995年以降に増備された2次車以降は次に述べる連絡線を経由して搬入された。市ケ谷駅の四ツ谷寄りに有楽町線との連絡線が存在する。南北線や埼玉高速鉄道の車両が点検整備のために新木場CRや、さらに有楽町線桜田門駅から千代田線霞ケ関駅へ向かう連絡線を経て綾瀬工場へ向かう場合に使われる。また、東京湾大華火祭での新木場行臨時列車や半蔵門線の8000系車両の新木場CRへの回送にも利用される。東急東横線と副都心線の直通運転開始前の関連各社の試運転用車両の回送も、この連絡線を介して行われた。2007年11月30日・12月7日放送のテレビ朝日の番組『タモリ倶楽部』では、9000系による特別列車「タモリ倶楽部号」として王子検車区から有楽町線・千代田線を経由して綾瀬工場まで走らせる企画を放送したが、その際にこの連絡線が紹介されている。南北線では開業時から発車サイン音を使用しており、当初はA線・B線で統一されていた。2015年3月10日から13日にかけて、各駅ごとにその駅周辺の地域をイメージした異なる発車サイン音に変更された(東急が管理している目黒駅を除く)。各駅の曲名は以下の通り。各駅の発車サイン音のイメージコンセプトは以下の通り。東京7号線としての南北線は既に全線開業しているが、白金高輪駅 - 品川駅を結ぶ「都心部・品川地下鉄構想」があり、南北線との直通が想定されている。2014年7月、東京都が公表した「品川駅・田町駅周辺まちづくりガイドライン2014」では、品川駅を東西に貫く鉄道新線を検討することが盛り込まれた。2015年7月10日、東京都は「広域交通ネットワーク計画について ≪交通政策審議会答申に向けた検討のまとめ≫」を発表。その中の「整備について検討すべき路線」のひとつとして、「都心部・品川地下鉄構想」が盛り込まれた。当時の東京都知事の舛添要一は、「都市集積の進む品川と都心部との間はあまり便利が良くないので、それを結ぶ路線を今後検討すべき路線として抽出した」と説明している。2016年4月20日、国土交通省の交通政策審議会による答申「東京圏における今後の都市鉄道のあり方について」では、「国際競争力の強化に資する鉄道ネットワークのプロジェクト」として取り上げられている。東京メトロは、2015年7月には東京新聞の取材に対して、「近隣にある南北線の他の駅はトンネル構造上、分岐が難しい。白金高輪止まりとなっている電車を品川へ流すことができるので、運行面も合理的な場所だ」とコメントしている。一方で、答申発表後の日本経済新聞の取材には「新線の整備に関して、大きなリスクを負う整備主体にはなりえない」ともコメントしている。なお、現時点では白金高輪駅 - 品川駅間の地下鉄の路線の運営主体は、南北線の支線として東京メトロでの運営とするのか、または三田線の延長区間として東京都交通局での運営するのかは未定である。
出典:wikipedia
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