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P-2J (航空機)

P-2J(ピーにジェイ)は、日本の海上自衛隊が採用した対潜哨戒機。原型はアメリカ合衆国の航空機メーカー、ロッキード社が開発したP2V-7で、川崎重工業が改造開発した。愛称はP2V-7と同じく「おおわし」海上自衛隊では1956年(昭和31年)からアメリカ海軍に供与されたロッキードP2V-7ネプチューン対潜哨戒機60機を使用してきたが、飛行性能は優秀であったものの、すでにアメリカ合衆国では、脅威を増しつつあったソ連の原子力潜水艦に対抗出来ないとして、1962年(昭和37年)からP-3Aへと更新を行っていた。海上自衛隊部内に於いても昭和30年代中頃(1960年頃)から次期対潜哨戒機P-Xの研究と機種選定を開始し、P2V-7のエンジンをレシプロエンジンからターボプロップエンジンに換装し、日本の状況に合わせて対潜機器を更新した機体を開発することに決定、日本が独自に開発・生産を行うことになった。P2V-7の4637号機から改造されたP2V-7改は1966年(昭和41年)7月21日に初飛行、各種試験を経て、P-2Jとして制式採用された。量産1号機は1969年(昭和44年)8月8日に初飛行、10月7日に海上自衛隊に納入され、実用試験を経て1971年(昭和46年)2月に部隊配備が始まった。なお、同時期に新明和工業が独自開発したPS-1哨戒飛行艇も海上自衛隊に配備されている。P-2Jは、P2V-7が搭載していたライト R-3350がレシプロエンジンから、PS-1用にGE・アビエーションのT64-GE-10を石川島播磨重工業(現・IHI)でライセンス生産したT64-IHI-10ターボプロップエンジンに換装してタービン化を図り、プロペラも4翅から径を大きくした3翅のものに変更、補助ジェットエンジンはのJ34からT-1B練習機搭載エンジンをベースに耐食性を向上させた、同じく石川島播磨重工業のJ3-IHI-7C(後に推力を増大させた-7D型)に転換した。これにより巡航速度が上昇、性能も向上し、タービンエンジンのみになったことから整備性も大幅に向上した。なお、P-2J退役後にT64-IHI-10は再利用され、航空自衛隊のYS-11EA/EBに搭載された(スーパーYS)ラダーの増積に伴って垂直尾翼の形状を変更、重量増とエンジン排気管の変更に対応して、主車輪はシングルタイヤから直径の小さいダブルタイヤとなった。胴体は居住性に問題があり、隊員に不評だったP2V-7を改め、胴体を1.3m延長、機内の床が30cm下げられ、機内の空間拡大に努め、隊員は通路を立って歩けるようになった。洋上哨戒時の熱気を考慮して、胴体上面の白色塗装を残す一方で新たに冷房装置が装備された。また、1回の任務が10時間を越える哨戒飛行に備え、機内には冷蔵庫も設置された。これらの大幅な改良により、任務の成果に影響する隊員の士気の向上が図られた。潜水艦の能力向上に合わせて、哨戒用電子機器も最新の機器に更新された。洋上索敵レーダーは、P2V-7のAPS-20から小形かつより強力なXバンドのAPS-80に換装。潜水艦探知ソノブイは新鋭のAQA-5ジェゼベル・パッシブ・ソノブイ・システムになり、索敵海域に撒かれたブイによって、潜水艦の音紋を感知して上空のP-2Jに送信、レコーダーに記録し潜水艦を特定するものとなった。米国のP-3Bと同等の能力を保有していたと言われる。また、P2V-7には無かったTACCO(戦術航空士)席が新設され、より効率的に対潜任務がこなせる様になった。TACCO席は後継のP-3CおよびP-1にも引き継がれており、成功であったと言える。派生型である多用途機 UP-2J は用途の違う機体が2機ずつ計4機ある。最初に、標的曳航型の多用途機S2F-Uの後継機として1機のP-2Jが改造を受け、1979年(昭和54年)12月19日に UP-2J として納入され、後にもう1機が改造されて2機となった。続いて別の2機が電子戦データ収集(ELINT)機に改造されたが、こちらも名称はUP-2Jであった。これら4機は全て第51航空隊で試験を受けた後、第61航空隊に配備され、1983年(昭和58年)3月30日に岩国航空基地第31航空群隷下に第81航空隊が編成される共に移動した。後に標的曳航機はU-36Aへ、ELINT機はEP-3に更新され、1991年(平成3年)12月13日に全機が退役した。これらとは別に、1機が可変特性実験機(VSA:Variable Stability Test Aircraft)に改造されたが、機首に試験用の標準ピトー管が設置された以外に外見上の違いは無く、P2V-7によるVSAのような派手さや宣伝は無かった。P-2Jは、P2V-7より大幅に性能が向上し、同時期のアメリカ海軍のP-3B対潜哨戒機と同程度の能力を有していた。しかし、P2V-7より改善されたとはいえP-3に比べると機体に余裕が無く居住性に劣った。そもそもP2Vでは機体規模が不足していたのが、アメリカ海軍がP-3を開発した動機であり、海上自衛隊はそれを承知で不便を忍んでいた事になる。また、原子力潜水艦への対処能力も不足していた。よって1968年(昭和43年)から選考が始まった次期対潜哨戒機PX-Lを導入するまでの繋ぎと見なされていた。しかし、PX-Lの選定に手間取ったことや、PX-Lに最有力視されていたP-3Cの導入がロッキード事件の煽りを受けて白紙に戻されたこともあり、主力対潜哨戒機として1979年(昭和54年)3月14日までに82機が生産(1号機はP2V-7から改造、計83機)され、7個対潜航空隊に配属された。第十雄洋丸事件にも出動した。1981年(昭和56年)からはP-3Cが導入され始めたが、その後も能力向上を図り改造が加えられ、P-3Cの戦力が整備されるまで第一線で使用された。1994年(平成6年)5月26日付で全機退役した。上述の通り機体規模の不足から、乗組員は不自由を強いられたものの機体の安全性は極めて高かったため、総飛行時間が61万時間におよぶにもかかわらず、軍用機としては珍しい事に生産・配備された全機が無事故で無事に退役した。

出典:wikipedia

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