近親相姦(きんしんそうかん)は、近い親族関係にある者による性的行為である。日本語辞書や文学などの分野ではこの用語が用いられることが多い。ただし、臨床心理学などの分野で児童虐待問題に関連して扱われる場合は近親姦(きんしんかん)と呼ばれることも多い。英語では近い親族関係にある者による性的行為をインセスト(incest、ラテン語のincestusに由来)という。また人類学の一つであるジェンダー論においては兄弟レイプ、夫婦レイプなどレイプの一つとして扱われる。家庭内性暴力という言葉もあるが、この場合は家の使用人によるものも含まれる概念となる。 近親相姦は人類の多くの文化で禁忌扱いされるが、この現象のことをインセスト・タブーと呼ぶ。近親者間の性的行為は異性間、同性間を問わず発生し、また大人と子供、子供同士、大人同士のいずれも起こるが、その親族範囲や何をもって性的行為とみなすかに関しては文化的差異が大きく、法的に近親間の同意の上の性的行為を犯罪として裁くか否かに関しても国家間で対応が分かれる。 なお、近い親族関係にある者による婚姻のことは近親婚と呼び、関連して扱われることはあるが近親相姦とは異なる概念であり、近親相姦を違法化している法域においては近親相姦罪の対象となる近親の範囲が近親婚の定義する近親の範囲と異なっている場合がある。 人類社会の大部分においてインセスト・タブーというものがあり、法律上で近親相姦に刑罰規定を設けている国もある。しかし、成人の近親者間が合意の上で行っている性行為を犯罪として罰することは被害者なき犯罪であるという指摘があり、身体的もしくは心理的な強要を伴わない場合においては単に道徳的な理由だけで成立している近親相姦法は撤廃されるべきではないかという動きが起こった。 暴行や脅迫を伴わないものに関しては、さまざまな例がある。日本の律令では八虐で、近親相姦の禁止は謳われていない。京都朝廷の格式としては927年に完成された延喜式で述べられている規定で国つ罪として母及び子との近親相姦が禁止された。江戸幕府の規定においては、1742年の「公事方御定書」では養母、養娘、姑と密通した場合は両者ともにさらし首、姉妹、叔母、姪の場合は両者ともに遠国送りにした上で非人扱いとすると定めた(母子・父子は論外であった模様)。なお、規定上は兄弟姉妹間の密通は非人手下であって死刑ではなかったが、19世紀初頭の記録として、仙台城下で許嫁がいる衣服商の娘が兄と通じたとして兄妹もろとも磔で処刑されたという事例も存在している。中華人民共和国・インド・ロシア・トルコ・スペイン・ポルトガル・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・イスラエル・ブラジル・アルゼンチン・コートジボワールは合意の上の成人近親相姦を合法としている。ただし、イスラエルは保護者に関しては別に法律を制定しており、直系子孫や被後見者等との関係は相手が21歳以上でなければ合法とならない。また近親相姦それ自体が合法であっても、他の犯罪の裁判で情状酌量の理由として扱われる場合もある。 近代日本は1873年6月13日に制定された改定律例においては親族相姦の規定があったが、1881年をもって廃止された。刑法に盛り込まれなかった理由は、ギュスターヴ・エミール・ボアソナードが近親相姦概念は道徳的観念の限りにおいて有効であると反対したためである。 現在の日本では、成人の近親者同士の合意に基づく性的関係についての刑罰規定は存在しない。1947年8月11日の第1回国会司法委員会公聴会では小川友三が日本において近親相姦を違法化していないのは問題があると主張したが、牧野英一は外国で近親相姦罪が支持される背景には宗教上の問題がある件を挙げ反論している。1995年4月27日の第132回国会法務委員会では1973年の判例である尊属殺法定刑違憲事件の話で近親相姦の違法化について議題となったが、法務省刑事局長であった則定衛は強姦罪は親告罪であるため未成年の子供が親権者を訴えにくい環境があるとはいえ、現行法でも他の親族の訴えで告訴は可能だとこれに反論した。 なお、保護者と18歳未満の子供の性的関係に関しては児童虐待の防止等に関する法律の対象となりうる。強姦の場合は強姦罪などの法律で対処することになるが、明白な身体的暴力がなくとも心理的強制が認められれば準強姦罪などの法律が適用されることもありうる。一例としては、青森県在住の男性が孫娘2人に対して性的暴行を加えていたとして準強姦罪及び準強制わいせつ罪で訴えられ、2008年9月2日に青森地方裁判所が懲役12年の実刑判決を下した事件が挙げられる。この事件では孫娘に対する心理的強要があったとされるが、判決当時73歳だった祖父は孫娘は拒絶などしていなかったと裁判で主張していた。 合意の上の成人の近親相姦である場合は州によって罰すべきか否か異なる。伝統的な近親相姦法を廃止しているミシガン州(1974年廃止)やニュージャージー州(1979年廃止)では近親姦の刑罰規定は客体が児童の場合に限定され、成人の場合は合法化されるが、成人であっても違法とする州も多い。 だが、2003年の合意に基づく性行為は憲法で保障されているとして同性愛に対するソドミー法を違憲としたローレンス対テキサス州事件判決との整合性から、アメリカ合衆国憲法修正第14条に反する違憲立法との主張がある。子供を4人もうけたことで近親相姦罪を問われ親権を剥奪され、1997年に懲役8年を宣告された兄と懲役5年を宣告された妹の事件で、兄が訴訟を起こしたが、ローレンス対テキサス州事件は同性愛を特別に扱ったと判断する形で、2005年に連邦第7巡回区控訴裁判所はこの訴えを棄却している。 また、オハイオ州では22歳の義理の娘との近親相姦で2004年に120日の投獄を宣告された義父が訴訟を起こしたが、州の最高裁はこの訴えを退けた。なお、対象が一定年齢以下の児童の場合は、すべての州で違法である。ミシガン州でも、養子に出していた当時14歳の息子の写真を送ることを2008年にされなかった際、ソーシャル・ネットワーキング・サイトを用いて息子を探し関係をもったとして母親が罪を問われ、2010年7月13日に9 - 30年の投獄を宣告されたという事例もあるが、弁護士は彼らの関係は母と息子間のそれではなく、通常の男女関係に過ぎないと主張していた。また、バージニア州で近親相姦者は性犯罪者としてインターネット上に情報公開しなくてはならないことになった際、かつて18歳の時に当時14歳の妹との近親相姦の罪を問われ1994年に有罪となり、90日の投獄刑に保護観察の場合の執行猶予が付けられる形で処分を宣告されたことがある男性が訴訟を起こし、妹も裁判で兄の訴えを支持したのだが、2006年9月にプリンスウィリアム郡巡回裁判所はこの訴えを棄却した。 近親相姦は違法とされている。1996年以降、モデル刑事法典役員会 (MCCOC) は近親相姦を違法とする法律について検討を行った。当初は犯罪となる近親相姦は児童への性犯罪法の範疇だとしていたが、成年で同意しているように見えても特に若い場合は児童期から虐待が行われていた可能性があり、その場合はどう対処するのかという問題が浮上。1999年提出の報告書では結局撤廃を断念した。 夫婦の離婚で長いこと離れ離れになっていた父親と娘が再会後に子供をもうけ、父娘が有罪を宣告され裁判所から性交渉を禁止する命令を出された問題で、2008年4月6日にナイン・ネットワークが提供する番組(『60 Minutes』)で、39歳の娘が父親との間にもうけた自分の娘とともに出演し、テレビを通じて「今少しの理解と尊重を求めたいだけ」と訴えた。 なお、事件が起こったとされる時から数十年後になってからでも、過去に起こったとされる事件について裁判所が刑罰を宣告する可能性も存在する。1976年から1977年に当時14歳の娘が夫である義理の父親に虐待されるのを見逃した妻が、1980年に夫の命令で当時16歳の息子とセックスしたとして、2011年6月9日に2年3ヶ月の仮釈放なしの5年3ヶ月の投獄を宣告さけたヴィクトリア州の女性の裁判例もある。この父親も義理の子供3人と実の子供1人に対する性犯罪疑惑で近親相姦等の罪に問われ、15年の仮釈放なしの18年の投獄が2011年8月9日に宣告された。 成人の近親相姦に関しては特に刑法で定められていない。ただし、保守政党国民運動連合の党員の支持により、2010年に未成年者に対する近親相姦に限定して刑法上の文面が制定された。 近親相姦罪や乱倫罪においては双方が法律の対象となりうる。 2008年の父娘相姦の事例で父親に対して逮捕状が請求されたが、父親は逃亡し娘が残ったため、娘が指名手配中の父親との近親相姦の罪を問われ、2010年に法律改定後初となる近親相姦の女性被告となった。娘は事件当時20歳であり、法律上は父親の行為に合意していた場合は乱倫罪を適用できる年齢であったためだが、父親が指名手配中であり事件は未だ捜査中という事情もあり、特に無罪判決が出されたわけではないが、2010年9月に一応は娘は釈放された。 2010年2月、姪と関係を持ち妊娠させた叔父に対し裁判が行われた。姪はナイフで脅されたと主張したが、叔父は薬物中毒状態でよく覚えてなくナイフは持っていないのに加え、合意の上だったと主張。裁判では合意があったと判断されたが、叔父に2年の投獄(近親相姦に対しては1年の投獄だが薬物中毒で1年追加)、姪に3ヶ月の投獄が宣告され、首長国ドバイの最高裁判所に上告するも2011年8月に棄却された。 直系血族、兄弟姉妹間の性交を刑法典第173条で処罰すると定めている。1913年 - 1924年のドイツにおける近親相姦罪の年間違反者数の最大値は862人で最小値は227人であった。父親のアルコール依存症が原因で家庭崩壊。他の家に養子に出されていたドイツ民主共和国出まれの男性が、2000年の母親の死去をきっかけに孤独さから血縁上の妹と性関係を持ち、子供を4人もうけた。このことで兄が近親相姦罪を問われ、裁判にかけられ服役することになった。釈放後、兄が再び妹との近親相姦罪で裁判を行うのに合わせ、合意に基づく関係であっても犯罪とする当該の規定の撤廃を求める裁判が行われた。なお、妹も近親相姦罪を問われたものの1年の保護観察処分だった。 弁護士は被害者が存在するわけではないと主張し、子供の遺伝的リスクに関しても、障害を持つ親や40歳を超えて高齢出産をする女性などが犯罪者扱いされないのにもかかわらず、近親者間で子供をもうける親を犯罪者扱いするのは差別だと主張し、妹は取材に対して「私は家族と一緒に暮らすことと、政府と裁判所が放っておいてくれることを望んでいるだけ」と語った。 この事件ではドイツ国民から彼らに同情の目が向けられたが、2008年3月に連邦憲法裁判所は家庭内での権力乱用と近親交配を抑止するために近親相姦法は維持されるべきだとして、この訴えを棄却した。 この問題は、さらに欧州人権裁判所でも争われたが、欧州人権裁判所は、[欧州評議会]]加盟国の間で、この問題についての合意が存在していないことを理由に、ドイツの裁判所が下した兄への有罪判決を支持した。ドイツ政府の諮問機関である倫理委員会は、2014年9月24日、刑法の目的は「倫理基準を強要したり自発的な市民の性交渉を制限するものではない」と結論づけ、合意のある近親相姦に対する刑事罰を廃止するよう求めた。 1980年以降母親と性関係を持ち続けながら、結婚と離婚を2回繰り返した後、3回目の結婚生活を妻と送っていた最中、息子が母親のせいでこれ以上離婚したくないことを動機として、2006年5月に母親を殺害した。死体に精液斑が残っていたため逮捕のち裁判にかけられ、2007年2月に永州市中級人民法院で下された判決では故意殺人罪が適用されたものの、情状酌量が認められ、死緩判決すなわち2年の執行猶予付の死刑判決が宣告されることになった。 近親相姦は違法である。スコットランドでは、夫との娘を出産したものの産後うつに陥り不妊にさせられた異父妹と恋愛関係になった異父兄がおり、彼らの母親は息子と娘が裸でいるところを目撃したため警察に通報し、近親相姦で兄妹は有罪判決を受けていた。これに対し兄妹は2008年5月にアメリカ合衆国のテレビ番組『グッド・モーニング・アメリカ』に出演し、自分たちの関係について理解を求めた。2011年8月4日には、以前にも近親相姦で有罪になっていたバーミンガムの47歳の父親と26歳の娘が再び近親相姦で有罪を宣告された問題で、BBCは離婚が原因で別々に暮らしていた父娘であり、父親の弁護士が個人の自由を阻害している事件ではない旨を語った話を取り上げた。 刑事罪行条例の第200章47条及び48条に乱倫罪についての規定があり、近親相姦は違法となっている。ただし、その範囲は近親婚の定義とは異なり、おじおば甥姪に関しては婚姻条例第181章27条で結婚できないとされているが、乱倫罪の定める処罰対象にはなっていない。 中華民国刑法第230条によって、直系血族及び傍系3親等内血族の近親相姦は違法となっている。もっとも、刑法第236条に血族相姦罪は親告罪と明記されており、当事者達が刑罰を望まない場合は不起訴とすることは可能である。 現行法は1908年に制定されたものを1995年に少し修正したものであるが、近親相姦は犯罪と定められている。アルコール依存症の母親が1998年から2004年までの期間に子供達を虐待していた事件があり、政府は2000年の段階で子供達の保護を試みていたが、母親に味方したカトリック系右翼団体の抗議で対応が遅れてしまった。後に裁判となり母親は13歳の息子に対して近親姦を行ったなどの罪で2009年にロスコモン巡回裁判所で7年の投獄を宣告された。この事件はアイルランドでは女性が裁判で近親姦で有罪になった史上初のケースであり、裁判官には母親に関する近親姦法の不備が指摘された。この事件で、飲んだくれの当時36歳の母親に13歳の時に犯された息子は、母親の動機が分からないため泣きながらその時のことを「僕は困惑した」とアイルランドの警察に対し語ったという。 民法では直系の血族と、傍系の血族で3親等以内の者との結婚が禁止されている(および)。たとえば、自分自身の兄弟姉妹との関係は、直系ではなく傍系ということになる。法律的には、甥・姪の子供やいとこは傍系4親等であり結婚可能である。 日本の民法において血族というのは養子縁組によるいわゆる「法定血族」も含まれるが()、近親婚の禁止について民法第734条のただし書きには養子の異性(傍系のみ)とはこの限りではないとあるため、傍系の養子ならば婚姻は可能である。なお、直系の場合は離縁しても結婚はできない()。また、配偶者の両親は血族ではなく姻族と呼ばれるが、法律上は配偶者がいる場合には直系姻族についてだけが禁止の対象になり()、傍系姻族ならば結婚が可能となる。そのため、妻の姉妹あるいは夫の兄弟は傍系姻族であるため結婚することは可能である。だが、妻の母親あるいは夫の父親は直系姻族ということになり、結婚は不可能となる。 また、日本においては婚姻が禁止される近親者同士でもうけた子であっても、非嫡出子として認知することは可能である。この場合、戸籍の「父」「母」欄には近親者同士が名を連ねることとなる。あるいは、婚姻が禁止される近親者同士でもうけた子を認知せずに養子縁組を行うことも可能である。この場合、戸籍の「父」欄は不明で、実父が養父として記載されることになる。 フランス民法典では近親婚の禁止の規定があるが、それに加え子供の認知に関しても制限が存在し、1972年の法改正で直系姻族及びオジオバ甥姪の間にもうけられた子供であれば両親が婚姻中ならば認知は可能ということになったものの、直系血族及び兄弟姉妹の間に生まれた子供に関しては両方の親が同時に子供を認知することはなお認めておらず、異父兄弟姉妹間に生まれ母親に認知された子供が父親と養子縁組することを認めるよう求めた裁判もあったのだが、2004年1月6日に破毀院はそのような養子縁組は認められないとの判断を示した。 婚姻法第2部第2章第3条の規定により、直系血族と同父かつ同母の兄弟姉妹の結婚は認められないが、異父または異母の兄弟姉妹ならば政府当局の許可を得た上であれば結婚は認められる。これは異父兄妹が近親相姦罪で犯罪者扱いされながらも別れろという命令を無視し、子供を2人もうけた事件をきっかけにして、1973年に異父または異母ならば特例で兄弟姉妹婚も可能なよう法改正が行われたためである。クルアーンの第四章「婦人」には、母、妻の母、乳母、娘、継娘(妻と肉体的交渉がある場合)、姉妹、乳姉妹、息子の妻、父の妻、オバ、姪との婚姻、及び婚姻が解消されないうちの姻族の姉妹との重婚を禁じるという表現がある。イスラームの法体系であるシャリーアでは、血族の兄弟姉妹、直系血族、兄弟姉妹の直系血族、直系血族の兄弟姉妹、及びそれに対応する乳親族、義理の父母及び娘息子、養父母及び養子をマフラムとして、彼らどうしの結婚を禁じている。一部のムスリムは叔父と姪の結婚は行っている。2007年11月、インドの西ベンガル州で15歳の娘を妊娠させた36歳のムスリムが、アッラーのお告げによって娘と結婚することにしたのであると言いだしたところ、怒れる隣人たちにリンチされそうになったため、警察が父親を救出する事件が発生した。この事件では、インドのイスラーム神学校であるダルル・ウルーム・デオバンドが、父と娘の結婚は無効であると宣言している。聖公会祈祷書の規定を原型にして、両親と祖父母及び子と孫(姻族含む)及び養子とおじおば甥姪との結婚を認めないことになっている。元々は聖公会祈祷書に基づく教会法は、姻族の兄弟姉妹及びおじおば甥姪との結婚も認めていなかったが、20世紀前半にイギリス議会において配偶者の死亡後の結婚に関しては合法化が次々に決定された。なお、近親者が近親関係を申し出ずに結婚した場合は、近親であると証明されれば法廷で婚姻関係を破棄される。双子が互いに双子と知らずに結婚し、血縁関係が明らかになったため法廷上で婚姻関係を破棄されてしまった事例が存在したことが、2008年1月にイギリス貴族院で言及されている。 1957年に可決された大韓民国民法第809条第1項 () では、慣習法を明文化し同姓同本不婚が規定されていた。しかしこれでは、非常に遠い血族であっても近親婚的に扱われる恐れがある。例えば慶州金氏の始祖は金閼智であるが、新羅で65年に天から降臨したところを発見されたと伝承される人物である。なお、双方の同意をもって事実婚を選ぶことは阻害されず、生まれた子は非嫡出子として扱われていたが、子供達が社会的侮辱を受けているとの指摘があり社会問題化し、また1980年代には同姓同本で結婚できないカップルは推定約30万組に達したともされていた。韓国政府に対し撤廃を求める声もあったが保守勢力の反対もあり、最終的に1997年に大韓民国憲法の定める幸福追求権に反するとして、同姓同本不婚の項目に対し違憲判決が出され、2005年に改正法の施行によって撤廃された。1977年2月にソウルで、同姓同本で結婚できない20代のカップルが、ホテルで一夜を過ごした後に別れよりも死を選ぶ旨の遺書を残して、そこから飛び降りを行い心中する事件が発生したことがきっかけで、韓国世論が動くことになり、1977年12月31月には1978年限定で同姓同本婚を許可するとの法律も公布されたが、実際には時限立法のため韓国国民に法律の存在を理解させる時間がなかったとされている。この同姓同本不婚の法律の制定の背景には、日韓併合後の日本統治時代に抑圧された儒教組織による復古運動があったとされ、また国会審議で、4親等同士ですら婚姻が認められている野蛮的国家の模倣をするのか、あるいは日本の行いは禽獣であり韓国人の心情に反する、といった議論になるなど、当時激しいものがあった反日感情も大いに影響したとされており、1957年当時の『韓国日報』の調査では、年配の回答者と女性回答者に規定支持者が多かったが、年配層の中では41 - 50歳の世代に規定廃止論者が多く、世代を物語るようであり興味深い結果だと評した。アメリカ合衆国の州の中にはテキサス州などのように、いとこ同士の性関係自体に対し刑罰規定を設け、犯罪と定めている場合もある。結婚に関しては、いとこ婚が無条件に可能なのは19の州及びコロンビア特別区のみであり、双方の配偶者が年齢65歳以上または不能に関する証拠を持つ年齢55歳以上の場合に限って許可しているユタ州など、制限付きで可能なのが6州で、残る25の州ではいとことの結婚は禁止されている(2011年現在)。中華人民共和国や朝鮮半島などの国家・地域では、いとことの結婚が認められない場合がある。1981年1月1日施行の中華人民共和国の修正婚姻法第7条1号では、傍系では3代即ち4親等までの血族の婚姻を認めていないため、いとこ婚は不可となっている。ただし、推奨はされないが民族性などを省みた上で、傍系血族婚規定について弾力的運用をすることは可能であるとしている。一方、大韓民国では8親等以内の血族との結婚は認められないため、いとこやはとこはおろか、みいとことも結婚が認められないことになっている。ヨーロッパではいとことの結婚は一応は可能であり、進化論を唱えたチャールズ・ダーウィンなどがいとこと結婚している。ただカトリックの場合、教会法では原則禁止で、あくまで赦免を与えて特別に許可しているというに過ぎないので、個人の信仰上問題視されることならばありうる。アガサ・クリスティ原作のテレビドラマシリーズ『名探偵ポワロ』の一編「葬儀を終えて」では、葬儀のために集まったいとこが性的関係をもってしまい、深刻に悩む描写がある。日本ではいとことの結婚は合法であり、例えば歴代総理大臣のうち若槻禮次郎、岸信介・佐藤栄作兄弟、菅直人の妻がいとこである。このうち、最初の3人は養家(父方または母方のおじの家)を継ぐため親族間の合意の下に婿養子となっており(岸と佐藤の姓が兄弟で異なるのは共に養家の姓を名乗ったためである)、菅の場合は親族を説き伏せての恋愛結婚である。近年まで都市部以外ではいとこ婚を歓迎する傾向があり、仲人婚と同様に普通に行われていた。イスラーム国家でもいとことの結婚は合法であり、慣習上推奨すらされる場合もある。有名なケースでは、イスラーム教の開祖である預言者ムハンマドや、イラクの大統領サッダーム・フセインなどがいとこと結婚している。ムハンマドの従妹で妻のザイナブ・ビント・ジャハシは、神の使徒の親戚という家柄に誇りを持っていた。いとことの結婚の中でも、父方叔父の娘との結婚であるビント・アンム婚は理想と考えられている。宗教上においては、従姉妹と結婚する者は、復活の日に神から罰を受けることがないといわれている。イラク戦争でアメリカ軍に射殺されたサッダームの息子ウダイとクサイは、いとこである第一夫人との子供であった。イギリスのように、おじおば甥姪との性関係に対して刑罰規定が適用されうるとする法域も存在するが、ロシアでは家族法典第14条で近親婚扱いされておらず、婚姻が許可されている。ドイツでも婚姻法第4条第1項第21条で近親婚扱いされていないため、婚姻が可能である。フランスでは民法典第163条で一応は禁止されているものの、民法典第164条の規定で重大な理由がある場合はフランス大統領は婚姻を許可することができることになっている。日本でも国家としては婚姻の許可はしないものの、性関係に対する罰則は存在しない上、地域社会で結婚が実質的に受け入れられている場合もある。倉本政雄が1942年(昭和17年)の年度に調査し、1943年(昭和18年)に豐田文一と共同で発表した研究報告では、富山県の産婦人科で取り扱った1197人の調査において、叔姪婚が2組(全ての結婚のうちの約0.17%)存在していたという報告がある。だが、たとえ地域社会で受け入れられていても民法で許可された婚姻と同等に扱うことはできないのでは、という論争が日本ではあった。茨城県で父方の叔父と1958年以降内縁関係にあった姪が、叔父の死亡後に近親婚を理由として社会保険庁から遺族年金の支給を断られたため裁判となった。2004年6月22日、東京地方裁判所は地域社会で公認されている以上は法的な妻と同等の権利はあると判断した。しかし、控訴審の東京高等裁判所では2005年5月31日、近親婚的内縁関係に権利を認めると民法で守られている秩序が破壊されてしまうとして、社会的に保護される権利はないと逆転判決を出した。これを受け最高裁判所への上告が行われ、2007年3月8日、最高裁判所はこの場合は地域社会に受け入れられているため、倫理性や公益性を省みた上で権利は認められる、と原告の訴えを認める判断を示した。近親相姦で妊娠した場合に出産するか否かについての問題もある。堕胎が完全に違法になるかなど各国の司法権によって対応が異なる。アメリカ合衆国では女性の権利として堕胎が認められており、近親相姦で妊娠した場合も産む産まないの選択が可能である。しかしながら、胎児の人権を重視する立場のプロライフ派はこの対応を批判しており、激しい論争が発生している。2006年3月6日にサウスダコタ州で、母体に危険がない場合は近親姦や強姦によるものを含む全ての妊娠における堕胎を犯罪とする法律に、州知事が署名した。しかしこの州法に対し、2006年11月7日に住民投票が行われ、反対56%賛成44%の反対多数で廃止が決定された。社会学的な観点から人間の性の実情を探ろうとする動きがあり、この一環として近親姦の発生率についても扱った調査が存在する。1940年の精神科の女性患者142人と比較群の健康女性153人の合計295人の女性を対象とした、カーネイ・ランディスによる調査では、性的に成熟する以前の性的虐待の体験率が調べられたが、その調査では近親者による性的虐待率は12.5%であった。1953年の女性4441人を対象にしたアルフレッド・キンゼイらによるキンゼイ報告でも、同じく性的に成熟する以前の性的虐待の体験率が調べられ、その調査結果によれば近親者からの性的虐待の体験率は5.5%、父親または義理の父親によるものは1.0%であり、近親姦を含む性的虐待の加害者は男性が100%で女性は0%としている。なお、キンゼイ報告は統計学的に不適切な点があることも指摘されている。1978年にはアメリカ合衆国のカリフォルニア州でダイアナ・ラッセルにより930人の女性を対象に性的な接触行為まで含めた場合の発生率調査が行われた。それによると近親者による性被害率は女性が18歳までで全体の約16%である。このうち4.5%が父親で残り12%が別の肉親であり、全体16%のうち3分の1近くが父親によるものであることを示す。一時期「実の父親による性虐待が多い」と言われたこともあったが、ラッセルの調査では3分の2以上が父親以外の他の肉親によるものであり、さらにその「父親」とされる人物の多くは義父である。1978年の、大学生796人(女性530人、男性266人)を対象にしたデイビッド・フィンケラーの報告では、女性は家族による性的虐待率は8.4%でうち父親もしくは義理の父親によるものは1.3%、男性は家族による性的虐待率は1.5%で父親もしくは義理の父親によるものは0%だった。一方、男性の場合は不適切な性的関わりを「虐待」という言葉で表現することに違和感があり、そういった例が過少申告されうるとの指摘もあり、デイビッド・リザックらは1996年に、大学生の男性を対象にして「虐待」という表現を質問では用いずに行った調査報告を発表した。その調査報告では男性の近親者による性被害率は16歳までで全体(N=595)の3 - 4%としている。一般的には親子の近親姦は父親と娘のパターンが多いと言われているのだが、「虐待」という概念によって感覚的に統計上のバイアスがもたらされている可能性もあり、比率に関しては安易に断定することはできない。また、Ann Banning (1989) は母親による近親姦は、フェミニスト的観点によってまるで存在しないかのように扱われてきたと指摘した。日本では1972年、五島勉が著書『近親相愛』でアンケート調査の結果を発表した。それによれば、女性1229人から得られた回答を基にした分析で、4.7%が実際に家族と性的行為を行った、もしくはギリギリの状況まで進んだと推定されるとしている。また、精神科医の斎藤学がラッセルの基準を参考に、1993年に過食症の女性患者52名、比較群の健康女性52人に行った調査がある。その結果、健康女性の2%、過食症の女性患者の21%が18歳までに何らかの近親姦的被害に遭っているという調査結果が得られた。一方、石川義之は1993年に大学・専門学校生を対象に調査を行ったが、非接触性のものまで含めた場合は女性の12.3%が近親姦的な性虐待被害を報告しており、父親によるものはうち5.7%であったという。大韓民国では2005年にHyun-Sil KimとHun-Soo Kimが、定義を年長者による暴行もしくは脅迫を伴った何らかの形式での性的挿入を伴った被害に絞った上で近親姦の発生率を調査し発表しているが、それによれば青年1672人中3.7%がそのような近親姦を報告したとされる。社会学者デイビッド・フィンケラーは796人の大学生を対象にした調査の兄弟姉妹姦の分析結果を1980年に発表したが、それによれば女性の15%、男性の10%は、性器の愛撫などといった行為が多いものの、何らかの形での兄弟姉妹との近親姦を報告し、その兄弟姉妹の近親姦の4分の1は年齢差などの状況から判断して兄弟姉妹間の虐待とみなされうるものであったと主張している。兄弟姉妹の近親姦は、両親あるいは片親の欠如など家庭内における両親の機能が存在していないことが、重要なファクターとして機能している可能性がある。久保摂二は1957年の「近親相姦に関する研究」において日本における15例の兄弟姉妹姦の事例を調査したが、両親を喪いしかも兄弟姉妹6人のうち3人が知的障害を持っているという状況で、障害を持たない長男と長女が親代わりとして近親相姦を行っていたため、他人と結婚する権利を放棄してまで家族を養おうとした彼らは世間から同情の目で見られたという事例があったことを報告している。久保は自らの調査では兄弟姉妹姦は長男など家族の実質的中心者でありながら、未熟な状態のまま統率者に据えられた男性に多いと考察している。また、山内昶 (1996) は2世紀のエジプトの話として記録された婚姻の20%(113例中23例)がキョウダイ婚とされる事実を引用する。Floyd Mansfield Martinsonは1994年の自らの著書『The Sexual Life of Children(訳:子供達の性生活)』で子供の性について扱っている。Floydは、子供時代の男女間の性的行為そのものがかなり普通にあると論じ、互いに近い関係にあることが原因で子供時代の兄弟姉妹の間で性的行為が起こりうるとしている。マルグリット・ユルスナールは文学における近親相姦の歴史を『姉アンナ…』の自作解説で振り返り、父娘や母息子の場合は双方の意志に基づかないものが多く、兄弟姉妹だけには意志的なものが成り立つと主張した。だが、性的虐待の分析では、兄弟姉妹の場合と父娘の場合に差異はないとMireille Cyr "et al." (2002) は指摘する。H. Smith and E. Israel (1987) は、コロラド州のボルダー性的虐待チームに1982年5月から1985年12月にかけ報告された25例の兄弟姉妹姦の事例の調査で、兄弟姉妹姦を行っている子供の多くは親と疎遠な関係にある傾向があったとしている。一方、原田武 (2001) は、しばしば両親や片親の不在や機能不全が兄弟姉妹の近親相姦を起こりやすくするという見解が唱えられているが、全く逆に家族の厳格さが子供達を密接な関係にしている可能性もまた存在すると指摘している。Jankova-Ajanovska R. "et al." (2010) は、14歳で妊娠してしまった少女が60歳の男性を強姦で訴えたのだが、妊娠中絶後の胎児のDNA鑑定でその男性は無関係で実はキョウダイ同士の関係による妊娠であったことが明らかになった事例を報告している。日本の厚生労働省はどう扱っているかということであるが、『子ども虐待対応の手引き 平成25年8月厚生労働省の改正通知』によれば、兄弟姉妹間の性的虐待は統計上は親がネグレクトをしたという扱いになっているとのことである。徐送迎 (2001) は、兄妹の性関係について父権制社会においては夫を持ちながら兄と通じるということになりかねないので嫌われたものの、母系制社会においては特に嫌う理由がなく残存していたのではないかと考え、春秋時代の斉において長女が嫁に行かず家を守るという風習は母系制社会の影響があるのではないかと指摘し、君主の襄公が異母妹である文姜と通じたという話は、単に古代中国が東夷と呼んでいた民族において兄妹での性関係が垣間見られたため地元に土着した君主がその風習に合わせただけであろうと指摘している。久保摂二は、自らの調査での高学歴の兄が優秀な成績の妹に言い寄り妹が喜んでそれに応じ関係を持った事例について、母が厳しくしつけ過ぎたことがある程度は影響していたのかもしれないとしている。また、久保摂二は兄との近親相姦関係においては他の男性との関係に比べ恐怖を感じなかったことを証言する妹の話を載せている。リチャード・ガートナー (1999) は、性的虐待を受けた男性の中には、妹の性器を触る、あるいは舐めるなどの行為を行ったことを自ら証言している人物がいる件について触れており、他にも興味深い例として、5歳の頃に当時8歳の兄に膣を撫でられたり胸の付近を触られたりしたと証言する女性が、兄も性的虐待を受けたことがあるのではないかと心配していたようだったため聞いてみたところ、妹とのことについて兄は覚えておらず、また兄は初め妹が言うようなことをされたことはないと言ったが、兄は続けて7歳前後の時期に当時18歳だったベビーシッターの胸を触ったことがあるのだが、なぜか両親に頼んで解雇してしまったため後で考えると女性と関わる機会だったのに馬鹿なことをしたと証言した事例を報告している。また、周囲の対応として、近親相姦者を忌み嫌う姿勢に問題があるのかもしれない。カール・グスタフ・ユングは兄に15歳の時に犯され世間から爪弾きにされていた妹を治療したことがあるが、話をさせるだけでも何週間もかかり銃を医者に向けたりなどした後、結局は落ち着き退院したのだが、その際に「あなたが私を見すてていたら、私はあなたを撃ち殺していたでしょう」と持っていた銃をユングに手渡して語ったという。原田武 (2001) は、キョウダイではどちらかがもう片方に対し母親的な役割を果たせばキョウダイ姦は起こりにくくなるという久保摂二の説を引き合いに出し、姉が母親的な役割を果たせば姉弟相姦が起こりにくくなるであろうという見解を示している。秋月菜央は自らの著書『アダルト・チルドレン 生きづらさを抱えたあなたへ』(1997年発行の書籍の文庫版、2016年)で、かつて13歳年上と11歳年上の2人の姉にズボンと下着を脱がされ股間をボールペンでつつかれたことがあるという男性が、結婚後セックスがまともに出来ずに1年で離婚してしまったという事例を報告している。リチャード・ガートナー (1999) によれば、11歳ごろに15際の姉にペニスにキスをされたという男性と会ったことがあるが、姉はもてないから自分を代用にしているわけで正直寂しかったとその男性は語ったという。香港では、両親が離婚し母方の祖父の家に預けられるなどし、学校生活に馴染めず姉のことを最も敬愛する人だと言い、家にこもってインターネットばかりやっていた当時16歳の弟が、2009年4月のある日に一緒に姉と寝ていたところ、寝ている姉を突然抱きしめ性交し、10月にも無理矢理に迫って性交した後、姉がソーシャルワーカーに相談したことから、弟が乱倫罪を問われ有罪となったが、許しており情を求めると姉と母は郵便で伝え、2010年7月発表の処分では年齢からしても弟は更生施設に送致するのが妥当ということになった。John V. Caffaro and Allison Conn-Caffaro (1998) の研究では兄弟姉妹間の近親相姦について調査したが、同性によるものも報告されており、男の兄弟同士の性関係を6人の男性が報告し、女の姉妹同士の性関係を2人の女性が報告しているとしている。リチャード・ガートナー (1999) は、兄弟間の性的関係についても触れているが、彼の扱った事例ではアルコール依存症の両親の下で育った男性が、かつて父親や兄から性的虐待を受けていたと証言しており、また10代の時期には3歳年下だった弟と性的関係を持ち、大人になってからも一回他の男を加えた上で弟と性的行為を行ったことがあるとも証言したが、自分は弟に性的に興奮していたものの、弟は自分に対して性的に興奮していたわけではなく険悪な関係だったと述べており、その弟は最終的にはエイズで死んでしまったのだという。J. Dennis Fortenberry and Robert F. Hill (1986) は、虐待の連鎖によって引き起こされたとみられる姉妹間の性的関係を報告している。近親者の性行為のことを日本語で「近親相姦」というが、論者によっては「近親姦」という用語を用いる場合がある。近親相姦ではなく「近親姦」の用語が用いる理由として、「相」という文字を含む語句には双方の合意と言う意味合いが社会通念上含まれていることが多いにもかかわらず、親子の「近親相姦」では実際には強引な場合がみられるため、性的虐待を表現するには適切とは言いがたいという問題が指摘されている。なお、1995年の第132回国会法務委員会においては、父と娘の近親姦絡みで起こった事件である尊属殺法定刑違憲事件の話に当て嵌める形で、強姦であり相姦という用語は不適切だとして近親姦の用語が使用されたことがある。ジュディス・ハーマンは自らの著作『父-娘 近親姦 (Father-Daughter Incest)』 (1981) で、情報提供を行うことができる比較的健康な40人の女性の家庭を対象に、父と娘の近親姦の起こっている家庭について1975年以降4年間の面接データを基に研究を行った。その研究によれば、その家庭は典型的で伝統的で保守的で見かけ上はとても立派な家父長制の家庭であり、父親は社会的には能力が足りないとみなされながらも外部的には家族の責任を果たしていると賞賛される傾向があったのだが、実際には家庭内では男尊女卑の傾向があり、母親は大抵は父親への依存が高い専業主婦で性役割は明瞭化されていて、父親は暴力を振るう可能性をちらつかせ暴君として恐れられており、それはアルコール依存によって悪化する場合が多く、母親は無能で役立たずな人間とみなされ何度も無理矢理妊娠させられることもあり、抑うつ・精神病・アルコール依存の症状をきたしていることが多く、一方で娘は父親の相手をし、機嫌をよく保つ役割を担わされ、さらに兄弟姉妹の養育の責任も担っていることが多かった。ジュディス・ハーマン (1981) は、生物学的にも心理学的にも社会学的にもインセスト・タブーには男女差が存在することに着目し、父権的な家庭であればあるほど父と娘の間にあるインセスト・タブーは破られやすくなると考え、自らの理論は実際に父娘姦が起こっている家族を観察することによって証明可能であると主張した。だが、実際には父娘姦といってもさまざまな家庭が存在し、S. Kirschner, D.A. Kirschner, R.L. Rappaport (1993) は「父親が優位である家族」「母親が優位である家族」「混沌とした家族」の3つのパターンを記述している。スーザン・フォワード (1989) は、父親との性行為で生理的にオーガズムに達してしまう娘も存在すると述べており、また、父親と性関係を結んでいる娘は母親に対抗する「女」としての自分を意識している場合があり、自分は父親を母親から奪っているという独特の罪悪感から、母親に秘密を打ち明けることが非常に困難な事態に陥り、母親を裏切っているという意識から余計に罪悪感を深めている場合が多いことを指摘している。マーガレット・ラインホルドは1990年に出版した自らの著書において、父と娘の性的関係をたとえ母親が認識していたり感じ取っていたとしても、母親は夫の行為をやめさせようとしないことが多いとされる件について触れており、その原因として、夫の性欲のはけ口に娘がなってくれて助かっていると母親が思いこんでいる可能性や、母親が娘に敵対心を燃やしている可能性や、夫に恐怖しているため逆らえない可能性などを挙げている。山脇由貴子 (2016) は、夫や恋人による自らの娘への性的虐待を母親が容認するような場合、母親が娘に対して嫉妬することになるため娘への心理的虐待という側面もあると指摘する。Denis M. Donovan and Deborah McIntyre (1990) は、父親から性虐待を受けセラピストが性的同一性に混乱をきたしたと判断した娘の事例で、家族人形で男の子と同一視したことについて、これは自分が男の子だと言いたいのではなく自分が男の子だったらよかったのにと言いたいわけで、性的同一性に混乱はきたしていないと指摘している。父と娘の近親姦においてGoodwin, J.M.は「目隠し (Blind)」と名付けられる特徴があることを報告しており、その5つの特徴とは、「Brainwash(洗脳…家族では当たり前のことであるという話や秘密にしなければならないという嘘の情報を与え、子供を洗脳すること)」、「Loss(喪失…秘密にしなければ家族崩壊や友人関係の消失が起こると脅迫し口を封じること)」、「Isolation(分離…人に話せば友人から信用されなくなると言い、子供が真実の情報を得る事を出来なくさせること)、「Not awake(未覚醒時…睡眠時、病気の際や身体的虐待時など意識や判断能力の低下時に虐待をすること)」、「Death fears(死の恐怖…人に話せば殺すというメッセージを送ること)」であるとしているが、吉田タカコ (2001) はこれは父娘姦の特徴というよりは性的虐待一般に当てはまることの多い特徴だと指摘している。James A. Monteleone編著『児童虐待の発見と防止 親や先生のためのハンドブック』 (1998) には、正常な人間には理解不能だろうが私は自分を強姦した父親を愛していたのだという女性の話が載せられている。原田武 (2001) は、父娘姦を虐待とみなす論者は性的好奇心につけこんで性行為を行うことも虐待であると主張しているのであろうが、父と娘の近親姦では父親による明白な暴力を伴うことはそれほど多くなく、多くの場合は娘は父親に抵抗せず、娘が自発的に参加しているように見える場合も少なくないため、自分にとって頼れる人を娘が求めているがゆえに父親の行為に応じやすくなっているのではないかと指摘している。岡田尊司 (2014) は、父親に性的虐待を受けた娘は第三者的にはただの被害者のように感じるが、実際には父親の妻としての自負があるため、その部分に対しても配慮すべきと主張する。信田さよ子編『子どもの虐待防止最前線』(2001年)には、タイ人女性と結婚した日本で働く継父が、妻の連れ子である継娘に性的虐待をしたとして問題になり、日本なんか嫌いだということでその継娘はタイに向かったものの、結局タイの生活になじめず日本に戻ってきてしまったという話が載せられている。信田さよ子の著作『加害者は変われるか DVと虐待をみつめながら』 (2008年、文庫2015年)には、実際問題として性的虐待があろうと娘と父親が同居せざるを得ない事例は少なくないと述べる。西澤哲 (1994) は、小学5年生の実娘に性的虐待をした30代後半の父親の証言として、そのような行為を行った理由は自分でも理解できないのだが、自分の子供に愛されているんだと思うと止められなくなってしまったのだという話を紹介する。Pamela D. Schultz (2005) は、継娘に前の父親とも同じことをやっていたとして性行為を求められ、医者にも相談したのだが、他の男性についても性被害について訴えがあったのだが精神障害者だということで相手にしてもらえなかった過去のある少女で、放っておけと医師には言われ、結局はその前の父親と一緒に警察に逮捕されてしまったという証言を引く。森田ゆり (2008) は、膣が炎症を起こしたため医師が児童相談所に性的虐待の疑いで通告したものの、結局は児童相談所としては父親による性的虐待を証明することはできなかったという事例を報告している。黒川祥子は自らの著書『誕生日を知らない女の子 虐待──その後の子どもたち』(2013年、文庫2015年)で、個人的には自らに性的虐待を行う父親のことを娘は責めるべきと考えるのだが、実際に実父にそういうことをされたという女性に話を聞くと、生活を支えているのは実父である以上どうしようもないのだという話をされた経験を述べている。鈴木大介 (2014) は、ルポライタ-としての経験上、義父に性的虐待を受けたという女性から話を聞いたこともあるが、こういった女性は救済されることがないどころか差別に晒されてしまっていると日本社会を批判している。久保摂二の報告する髄膜炎の後遺障害がある息子がその母親と性的行為を行った事例では、母親の死後は息子は獣姦を行ったとされる。また、高橋睦郎監修の『禁じられた性 近親相姦・100人の証言』では、心臓病の息子と交わることは間違っていないと主張する母親の証言が載せられている。母親と息子の近親姦に関しても様々な研究が行われているが、少なからず発生しているにもかかわらず、西洋、特にキリスト教文化圏においては、母と息子の近親姦に対する嫌悪が強く、議論が進みにくい状況がある。アメリカ合衆国では母息子間の近親姦は近親姦の中でも最大の禁忌であり、理論上の可能性として母息子間の近親姦を取り上げただけで白い目で見られたとリチャード・ガートナー (1999) は述べている。母親からの性的虐待を受けた男児の心理状態として指摘されていることは「自分は特別な存在であり、特権を与えられるに値する人間なのである」という感覚を持つ一方、実のところその感覚はかりそめでいつ壊れても不思議はないものという感覚があり、それに対して過剰に警戒しながら母親の恋人としてふさわしくあろうとするために、パラノイアに近い広範な不安に苛まれてしまっているということである。この不安は自分自身が母親に嘲られる可能性を予期し、先々それに応じた反応を取ることで心理的な被害を食い止めようとするために起こる反応である、という理論がArnold Rothstein (1979) により述べられた。この理論はグレン・ギャバード and Stuart W. Twemlow (1994) によってさらに発展され、息子は母親によって母親の自己愛を満たすことが自分の役割だと思い込まされるが、そのために間違ってでも母親を不快にさせた場合、それは自分の存在そのものを否定されることに等しくなり、それゆえに息子はまるで綱渡りをしているような状況に陥るのだという。一方、自分が特別だという感情は行為そのものへの武勇伝的感覚などに由来するとみられ、こうした感情は自分が非常に誘惑的で、多くの女を魅惑する力を持っているのだと思い込む力へとつながるが、虐待時の母親の行動は母親の都合で歪められた認識下で起こっていることが多い。Austin Silber (1979) は、現実を否認してでも自分が母親と主体的に性的関係を結んだと空想で思い込んでしまっているとみられる息子の事例を報告する。Loretta M. McCarty (1986) は、娘を虐待する母親は娘を自らの拡張のように扱う傾向があるのに対し、息子に近親姦を行う母親の中には父親不在でまるで息子を同世代の仲間であるかのように扱う場合も存在したという報告をしている。Brooke Hopkins (1993) は、6歳だった頃の話として、自らが夜中にベッドの中で母親との接触行為で激しい性的興奮を覚え、それが良くないことだと自分は感じていたにもかかわらず、自分は自らの欲望を抑えることができず母親は自分はあくまで受動的な立場であるかのような態度をとっていたため、結局父親が無理矢理やめさせるまで母親との性的な行為が続いてしまったことについて触れ、母親が誘惑したかどうかにかかわらず母親に自分が利用されたという意味でそのような行為はたとえ法律上は犯罪扱いはされなくとも不適切な行為であったと主張している。リチャード・ベレンゼン (1993) は、自らが母親に近親姦を受けた際に、その行為で心理的な憎悪が発生したにもかかわらず、同じことが原因で身体的に快楽を得てしまうために、相反する感情が同時に発生するというパラドックスが発生した体験について触れている。リチャード・ガートナー (1999) は、母親に肛門検査をされた男性がクライアントにいたのだが、こういった行為が性的あるいは虐待的なことと認識されることは稀だと指摘する。宇野津光緒は『実録 レイプ裁判 法廷で暴かれた犯行現場』(2013年)において、継母に浣腸をされていた義理の息子が成長後に年上の妻にアナル舐めを要求したものの拒否され、OLにアナル舐めを強要したところその女性は性被害について警察に相談したという話を述べている。Robert J. Kelly "et al." (2002) は、様々な関係の人物からの性的虐待を報告した67人の男性を扱っているが、うち17人が母親からのものだったと報告しており、またそのうちの約半分は母息子近親姦に対して当初は肯定的感情あるいは混合した感情を示していたにもかかわらず、母親との近親姦を報告した男性は他の性的虐待を報告した男性よりも深刻なトラウマを抱えやすい傾向があった事を報告している。外山滋比古は『家庭という学校』(2016年)において、母親が息子と手を繋ごうとしたところ、息子からエッチだといわれたという話について、父親が娘とそのようなことをするのを自重することはあるが、昔は母親がそう言われることはなかったと時代の変化を語った上で、昔は子供が多かったので母親が一人の子供に入れ込むというのは起こりにくかったと指摘している。同性の親子の近親姦の場合は、インセスト・タブーに加え同性愛のタブーも加わるため非常に見えにくくなっている。父親と息子の場合の家族モデルは父親と娘の場合とよく似ている場合が多いが、こういった場合は父性的なものすなわち権力的なものに対する反抗が起こることが多い。Katharine N. Dixon "et al." (1978) は病院に運ばれた外来患者として6人の父親(実父4人・義父2人)から性的虐待を受けた10人の息子の事例を報告しているが、自己破壊的で他人を殺害したい衝動を持っていた被害者が多かったという。Robert K. Ressler, Ann W. Burgess and John E. Douglas (1988) によれば、自分たちが研究した男性殺人者の中には父親によって性行為を強要されたと語る者もいたという。Pamela D. Schultz (2005) は、異母弟に性的行為をし、LSDやマリファナを使用し、医師からは統合失調症だと言われ、継息子と性的関係を持った男性の、継息子に対する性欲を抑えられないため、緊急治療室に行って性欲の治療を求めたのだが、送られた精神療養所では何も治療してもらえなかったという証言を引いた上で、彼は刑務所に入ることで自分を救う機会を得たといえるのではないかと論じている。宮地尚子 (2013) は、かつてアメリカ合衆国で父親から息子に加えられる性的被害の話を聞いた際は衝撃を受けたが、やがてこういった話を日本でも聞くようになったと自らの経験を語っている。鈴木大介 (2014) は、暴力団から融資を受けている闇金融業の男性の中には、義父に性的虐待を受けた人もいると述べた。母親と娘の近親姦に関しては、社会における女性が加害者とならないという通念や母性の考えが、この性的虐待の形式を非常に見えにくいものとしている。母親から娘に対する性的虐待を扱った書物としては、1997年に出版されたBobbie Rosencransによる著作『The Last Secret: Daughters Sexually Abused by Mothers(訳:最後の秘密—母親に性的に虐待された娘)』という書物がある。Rosencrans (1997) による93人の被害者への調査は、虐待について誰にも告げられないまま平均28年を過ごしていたことを示す。日本における話としては、母子家庭で被害を受けてしまったという女性の話が『トラウマとジェンダー 臨床からの声』(2004年)に載せられているが、それによれば母親から「侵襲」されたというような感覚を持つのだが、一方で母親から強烈な女性らしさを要求されるにもかかわらずそれを達成できずに苦闘するといい、性的虐待を受けていなかったらレズビアンになったのではないかという疑惑を持ったとも述べている。ジークムント・フロイトが自ら初期の誘惑理論を放棄した後、精神医学、精神分析学、心理学の分野では1980年代に入るまでほとんどの近親姦の話は子供時代の幻想に過ぎないと主張されていたが、その後は大量の文献が発表されている。秋月菜央は、性被害の精神的影響の研究に消極的な精神科医が多い理由として、精神科医自体がインセスト・タブーの影響下にある可能性を指摘している。スーザン・フォワードは、社会には恐らく近親相姦嫌悪を原因とした、近親相姦についてのさまざまな誤解が存在していることを指摘しており、例えば、近親相姦というものはめったに存在しない、あるいは貧困家庭や低教育層や過疎地で起こるものだ、近親相姦を行うものは社会的にも性的にも逸脱した変質者だなどといった誤解を例に挙げており、また性的に満たされない人間が行うと考えられることもあるが、実際は支配欲などが主な動機と考えられており、たとえ最終的に性欲をも満たそうとすることはあっても行為のきっかけにはなりにくいとも述べている。スーザン・フォワードは、心理学上は近親相姦とは近親者における接触性の性的行為全てを指し、接触のない近親者による性的行動は近親相姦的行為とされるとし、親子のスキンシップなど必要とされる接触行為も存在すると述べた上で、どのような行為が近親相姦行為か否かに関しての区分は、一般にそれを秘密にしなくてはならないかどうかであるとする。小野修は小学校高学年から高校生の息子が母親のいる布団に潜り込んできたからといって性的行為ではないので、温めてやるのがよいと論じているマーガレット・ラインホルドは著書において、直接的な母息子間の性行為はないものの、夫との離婚後に他の男たちとの性的行為を家庭内で大っぴらに行っていた母親の下で育った息子が、後に勃起不全
出典:wikipedia
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